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Good Mourning, Madam.

 ミセス・ウェーバーはこの街で一番有名な未亡人だ。何しろ彼女は若くて美しくて気立ても良くて、それに引き換え亡くなった夫ときたら──まあやめておこう、死人に鞭打つような真似はみっともない。
 彼の葬儀が終わったその次の日から、ミセス・ウェーバーはうちの店を毎日訪れる。うちはこの小さな街に一軒しかない花屋で、彼女は昔からうちに良く花を買いに来ていた。食卓に花を飾るのが好きなんだと言っていたっけ。……だけど、さすがに毎日来ることはなかった。今では彼女は毎朝──そう、開店してすぐだから十時くらいかな──うちで花を買っていく。そうして彼女は夫の墓に花を手向け、その足で仕事場に向かう。たしか、そこの角のベーカリーで厨房を手伝っているのだと言っていたっけ。彼女はきれいだから接客の方が向いていると思うのだけれど、彼女はあの控えめで魅力的な微笑を浮かべ、否定した――「わたし、あまりひとと話すの得意じゃないんです」、と。
 今日も広場の時計が十回鳴り終えた後、店のシャッターを開けて仕入れた花を陳列していたぼくの目の前に、見慣れた靴が立ち止まった。小さな足を包む、黒い靴。
「おはようございます、ミスター・ヘイガン」
「おはようございます、ミセス・ウェーバー」
 顔を上げて挨拶すると、彼女は少しはにかむように微笑んだ。喪服というわけではないけれど、彼女が身にまとっているのはいつも地味な暗い色の服だ。
「あの、今日もお花をいただきたくて」
「どんな花にしましょうか?」
 ぼくは大抵彼女に色や花の種類について聞き、それを元に花束を作っている。彼女は首を傾げ、少し考えた。
「実は今日、夫が亡くなってちょうど一年なんです。それで……」
「そうでしたか」
 ぼくはほう、とため息をつく。確かに、彼の葬儀が行われたのは今日みたいな穏やかな早春だった気がする。――そうか、今日であの悪名高いミスター・ウェーバーが亡くなってもう一年。いや、まだ一年なのかな。月日の経つのは早いようで、遅い。
 ミセス・ウェーバーはその白く細い指先をそっと口元に押し当てた。
「白いお花がいいかと思うのだけど、どうかしら」
「そうですね」
 ぼくはちらりと店の奥の時計を見遣った。
「実は昼頃にスノードロップが入ってくるんですよ。それを花束にしたらきっときれいだと思います」
「昼頃……」
 彼女は困ったようにぼくの顔を見つめる。ぼくに、自分の仕事のことを思い出して欲しいのだろう。もちろんぼくは覚えている。彼女は昼過ぎから夕方までベーカリーの厨房に缶詰なのだ。だからぼくはこう言った。
「お仕事は何時ごろに終わりますか?」
「ええと、六時には必ず」
「では六時過ぎに墓地でお会いしましょう。ぼくが花束を持ってお届けにいきます。それをあなたから、お墓に捧げてあげて下さい」
「え、でも」
 彼女は驚いたように大きく目を見開いた。
「わざわざ、そんな」
「あなたはうちのお得意様ですから」
 ぼくは澄ましてそう言った。
「それくらいさせて下さい。かまわないでしょう?」
「え……ええ」
「お代はきっちりいただきますから」
「もしかして、出張料がかかるのかしら?」
 ミセス・ウェーバーにしては珍しく、かわいらしい冗談だ。ぼくは笑う。
「ええ、考えておきましょう」
 ――遠ざかっていく彼女の後姿がその手に花を持たないのは初めてのことだ。だらりと垂れ下がった手は力なく、狭い肩幅とあいまってひどくか細く儚げに見える。噂で聞いたミスター・ウェーバーの所業を思い出し、ぼくは彼を天に召した神に感謝した。
 
  × × ×
 
 夕暮れ時、ぼくは街外れの墓地に向かった。春とはいえ日没後はまだ肌寒い。ジャケットの前を掻き合わせながら、片手にはスノードロップの花束。
 ミスター・ウェーバーの墓はすぐに見つかった。昨日ミセス・ウェーバーが買っていったクリスマス・ローズが、まだ風にひらひらと花びらをはためかせていたから。
 数分ほど待っただろうか。
「ミスター・ヘイガン……ごめんなさい、お待たせして」
 背後から掛けられた声に、ぼくは振り向くことなく答えた。
「チャールズ、です」
「え?」
 戸惑った声を背中で聞きながら、ぼくは繰り返す。
「チャールズ・ヘイガンです。ぼくの名前」
「え……あ、あの……?」
「ミス・ウェーバー。あなたのお名前は?」
 手の中で揺れているスノードロップ。きっと彼女にはまだ、この花は見えていない。
「あの、わたし……」
「出張料ですよ」
 振り向いて、微笑む。彼女の不安げな眼差しが花束をとらえて揺れた。スノードロップは変わった花だ。三枚の白い花弁、緑色の芯。遠くから見ると本当に雫のように見える。花言葉は「希望」――そして、この花はさらに変わった逸話を持っているのだが、彼女は知っているだろうか。
 ミセス・ウェーバーはまだ少しためらっていたようだったが、やがてゆっくりと口を開いた。いくらぼくが若い未婚の男とはいえ、顔馴染みの花屋の主人とファースト・ネームで呼びあったところでたいしたことではない……そう思ったのだろう。少しばかり余裕を取り戻した笑みで、
「……メアリ・エヴァンズ・ウェーバーですわ。チャールズ」
「メアリ」
 ぼくはつぶやき、腕の中の花束を彼女に差し出した。
「どうぞ」
「……ありがとう。あの、お代を」
「いいんですよ」
 バッグに伸ばそうとした手をとらえ、花束を持たせようとする――しかし、彼女はばっと僕の手を振り払った。ぱさりと地面に落ちる花束。
「ミスター・ヘイガン……何のおつもり?」
 静かな怒りをその声音に感じ、ぼくは苦笑した。
「あなたをこれ以上やきもきさせるのは忍びないと思ったのですよ。親愛なるメアリ」
「……それは、どういう」
「あなたは一年間、何のためにぼくの店を訪れていたのです?」
「花を、夫のお墓に……」
「違うでしょう?」
 年下のぼくにこんな言い方をされて、彼女は気分を悪くするだろうか。そう思ったけれど、ぼくはやめなかった。ここで引き下がっては、意味がない。
「あなたは確かめていたんだ。……あのときの目撃者が、ぼくだったかどうか。ぼくがあれを見ていたかどうか」
「……な、何を」
 彼女の体が小刻みに震えている。真っ青になった唇を噛む小さな歯。まるで真珠みたいだった。ぼくはそれをうっとりと眺めながら、告げる。
 
「ミスター・ウェーバーを殺したのは、あなたですね。メアリ」

 ――彼女の顔から、すうっと表情が消えた。
「何をおっしゃっているの?」
「別に誤魔化さなくてもかまいません。ぼくはあの男に同情していないし、さすがに死んで良かったとは言いませんが、彼の死を悲しむほどぼくは偽善者になれない。この街の人はみんなそうでしょうよ」
「…………」
 あの日、ぼくはたまたまウェーバー邸の裏庭近くを通りかかって、そうしたらちょうど彼女が庭に倒れた夫の頭に石を振り下ろすところだったのだ。一瞬彼女と目があったような気がしたけれど、ぼくは一目散に逃げ去ったから、彼女に気付かれていたかどうかわからなかった。
 ――彼女は気付いていたのだ。そうと確信したのは、彼女があの日以来毎日うちの店に通うようになったから。
「あなたは確かめたかった。ぼくがあなたの犯行を見ていたかどうか。もし見ていたとしたら、それを誰かに言うつもりがあるかどうか」
「…………」
「ぼくから目を離すのが怖かったから。……そうでしょう?」
「…………」
 彼女は無表情に地面の上のスノードロップを見つめている。ぼくは黙って彼女の答えを待った。
 遠くから響く、鐘の音。
 墓標の間を通り抜けていく風がぼくらの頬を冷たく叩いた。
「そう――あれはあなただったのね。チャールズ」
 ため息とともに吐き出された声は、とても悲しそうで……ぼくははっと息を呑んだ。
「あのとき、誰かがいたような気がしていたわ。でも、それがあなただったなんて……知らなかった」
「メアリ……?」
 彼女はぼくを見つめて微笑んでいる。その瞳があまりに優しくて、ぼくは戸惑った。
「わたしがあなたの店に通ったのは、あなたが言うような理由じゃない」
 ぽつり、ぽつりと紡ぎだされる言葉。
「わたしはただ……あなたとお話をしたかっただけなの。夫が生きていた頃から、あなたのお店は好きだったし……いえ、違うわね」
 彼女は腰をかがめて花束を拾い、それを腕の中に抱きしめた。

「わたしはあなたが好きだったのよ。チャールズ」

 ――メアリ。メアリ。
 ぼくは口の中で小さく呟く。
 ――スノードロップは、その花は……。
「あのひとに殴られても、ひどい言葉を投げつけられても、あなたのお店に来れば忘れていられたわ。一緒に花を選ぶのは楽しかったし、あなたとなら話すのも苦手じゃなかった」
 変に頬を紅潮させて言い募る、その奇妙な高揚が彼女をとても美しく見せていた。
「確かにわたしはあのひとを殺したわ。あのひとがわたしを追い回して庭に出て……ちょうど発作を起こして。今だ、って思った。このままじゃ、わたしがいつかあのひとに殺される。そう思ったから」
 ――だから……殺した。

「恐ろしいことをしてしまったってわかってる。警察がわたしを疑わなかったのは奇跡に近いことだった。庭で転んで頭を打ったって言ったらあっさり信じてくれて……あのときほど神様に感謝したことはないわ。でも、後悔はしていないの。わたしはあのひとを殺して良かった。ほんとうに、良かった。――けれど」
「……メアリ」
 彼女の頬を一筋の涙が伝った。
「それをあなたに知られてしまったことなら……後悔している……」
「…………」
「ごめんなさい」
 彼女は素早く顔をぬぐう。
「あなたが警察に行くというのならそれでも構いません。お任せします。どちらにせよ……わたしはもう、あなたのお店には行けないから」
 彼女はスノードロップを抱えたまま、自分の殺した夫の墓標に背を向ける。
「あなたのお店の花束。本当はあのひとになんてあげたくなかった。自分のものにしていたかったわ。だけど、毎日あなたに会いに行くためには口実が必要だったから……。お墓に手向けるというのなら、それほど不自然ではないと思ったの。――でも、それももう終わり。だから、この花束は持って帰ります」
「メアリ」
「……今までありがとう、チャールズ」
「メアリ!」
 彼女の背中が小さく震える。ぼくは一歩、踏み出した。
「スノードロップがどういう花か、知っている?」
「え……?」
 振り向いた彼女はやっぱり泣いていて、ぼくはたまらず抱きしめた。――くそ、彼女を泣かせるつもりなんてなかったのに。
 ぼくの腕の中で、彼女は力なくもがいた。
「み、ミスター・ヘイガン!」
「チャールズだよ。メアリ」
 ぼくは彼女の耳にささやく。
「エデンを追われたアダムとイブが荒野を彷徨っていた時、雪が降り出した。寒さと空腹に震えるふたりを見て、ひとりの天使が深く同情した――そして雪が姿を変え、スノードロップになった」
「え?」
 ぼくを見上げる瞼は、泣いているせいで腫れぼったい。ぼくはそれにそっとキスを落とした。
「罪深いアダムとイブを、天使はお許しになった。その証が、この花なんだよ」
「……罪を、許した……?」
「ぼくは天使じゃないけれど、それでも……きみがそれで救われるのなら、どれだけでも許してあげる」
「わ、わたしは、夫を殺したのに……」
 涙を溢れさせる美しい瞳を、ぼくは何度も手でぬぐった。
「違う、あれは事故だよ」
「事故なんかじゃ……!」
「ぼくは、見ていたんだ。そのぼくが事故だって言ってる」
「チャールズ……」
 ぼくは力強く彼女を抱きしめた。
「メアリ。ぼくは……きみを……」

 スノードロップ。
 彼女の罪は、花に形を変えて――。