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願はくば 花の下にて

 願はくは 花の下にて春死なん その如月の望月のころ ――西行

 時は戦国。千五百年代半ばである。月は如月。
 その少年、年の頃は十ばかりか。年頃の良く分からぬ風貌である。間違いなく美貌の持ち主であるのだが、あどけないようにも、ひどく大人びても見える。
  水干の生地は、元は高級なものであったろうにひどく草臥れている。朱色の袴の裾も同じように擦り切れていた。よほど荒っぽい事ばかりをしているのだろう。 腰には皮で作ったらしい袋が幾つかぶら提げられていた。ある種異様な風体である。彼がこの国の大名の嫡子ながら「うつけ」と呼ばれているのも、その辺りに 由来しているに違いない。
 だが、白い立派な馬に馬具無しで跨り、辺りを倣岸不遜な眼差しで眺めやっている黒々とした瞳には、同じ年頃の少年に見えぬ覇気が溢れていた。赤の紐で纏め上げた髪から零れたのをかきあげた、鬢の毛が風に靡く。
 ――桜の森。
 地元の人間は、ここをそう呼ぶ。
 満開の桜が目の前に広がるさまは圧巻である。この美しさが人に恐怖心を起こさせ、花見に詣でる者もいないという。いつしか、化生の者が現れるという噂まで流れ、人足はますます遠のいた。
 だが、彼はここに迷い込んだ他の人間のように息を呑んだりはしなかった。化生の者とて恐れぬ。ただ、
 ――ふん、
 と鼻を鳴らしたのみである。
「花など愛でる奴等の気が知れぬ」
 他人が側にいればそう言ったかもしれぬ。だが、彼は独りである。彼は、下々の者と荒事をするのと同じくらい、独りでいることを好んだ。恐らくは、父親を除いては誰も彼を理解してはくれないからであろう。人里離れたこの場所は、羽を伸ばすにはちょうど良い。
「でなければ、誰が花などしかないこの様な場所に来るものか。くだらん」
 馬を降りた、その時。
「――…様」
 自分の名を呼ぶ声を聞いた。
「誰ぞ」
 鋭く誰何の声を飛ばす。声は男か女か、咄嗟には判断が付きかねた。手は腰もとの刀の柄に伸びている。
「名を申せ」
「この近くに庵を構え居る者で御座います」
 男だ。それも、若い男。彼はそうふんで、声を荒げた。
「空言を申すな。この辺りに人家など無いことは先に承知ぞ」
「……困りましたな」
 ふふ、と含み笑いを漏らす声に彼の神経が逆撫でされる。
「……姿を現せ」
 彼の何倍も年かさの者が震え上がる、低い声。声の主は恐れ入った様子もなかったが、姿は見せた。
 森の中でも一際大きな樹の後ろから衣擦れの音とともに表れたその青年は、彼よりは年上のように見えた。
 艶めく唇が赤く、黒い髪は前髪を残していて長い。明らかに彼の年代のかたちではない。そして、着ているものは軽い生地の白い水干。動作がまるで風にながれる花びらのように軽い。
「何者だ?」
「さぁ……」
 笑みを含んではぐらかそうとする青年に、少年は告げた。
「俺は短気だ」
 彼より少し背が高い。女のような華やかな顔立ちである。白粉を塗ったように頬が白い。
「俺はお前を知らぬ。名乗れ」
「名は御座いませぬ。いえ、忘れてしまい申した」
 はっきりしない返答ではあったが、彼はそれ以上の追及をやめた。話が同じ所をぐるぐるまわって埒があかぬように思えたからである。
「ではこの場限りで良い、呼び名を決めよ。落ち着かぬ」
「それでは――」
 と男は彼を樹の根元へと誘った。そこには敷物が敷かれ、酒席の用意がされてあった。そこに男は跪き、彼を見上げて言った。
「名を所望致しまする。どうぞ、お与え下さいませ」
 頭を下げる仕種までも優美である。
「ふん……」
 少年は考える間もなく言い放った。
「さくらぎ。桜に、遊戯の戯じゃ。お前は戯れごとばかりを申すからな」
「有り難く頂戴致します」
 彼は至極当然のように上席に腰を据えた。青年――桜戯もまたそれに何も言うことはなかった。
 少年の盃に、桜戯が酒を注ぐ。
「普通の酒に見ゆるが……」
 ぽつり、と薄い唇が言葉を吐き出す。桜戯はくすりと微笑んだ。
「怪しんでおられまするか?」
「当り前じゃ」
 少年はきつい印象の眉を顰めて見せた。桜戯は試すような視線で、
「……では、わたくしが化生の者とでも仰せられまするか?」
 ――この森には化生が出る――。
 噂を知らなかった訳ではない。それでも、少年は桜戯の言葉を一笑に付した。
「化生の者など、この世におらぬ。この世は生きとし生ける者の為のものじゃ」
「…………」
 桜戯がつと、酒を含んだまま目を伏せた。舞い散る花びらが一枚、桜戯の盃に浮く。
 少年はすう、と眼を細め、桜戯を見つめた。
「それとも、お前は化生の者であると……そう申すのか」
「お試しなさいませ」
 桜戯は目を上げることなく呟いた。
「お持ちの刀で……わたくしの肩をお薙ぎなさいませ。その御目でご確認下されるのが一番かと存じまする」
「……よいだろう」
 少年は立ち上がり、刀を抜いた。著名な刀鍛治の砥いだ刀であるが、彼の趣味か、赤色の房がついてあり、どこか品が無く見える。彼が無節操に使うのでところどころ刃こぼれしているようではあったが、それでもなお切っ先は鋭く澄んでいた。
 春の穏やかな陽光に鋭利な軌跡を描き、刀は桜戯を――
 すり抜けた。感覚も何も無く、あたかもそこに何もないかのようである。
 しばらく少年は刀を桜戯に突き刺したり切り付けたりしていたが、桜戯はみじろぎもしなかった。無論血も出ない。傷さえない。
「?」
 少年は片方の眉を跳ね上げた。やがて、深々と頷く。
「なるほど。納得した。お前はこの世のものではないようだ」
 どんなに突拍子のないことでも、非常識なことでも、理が通れば納得する。彼の特性である。
「その化生の者が、このようなところで何をしている」
 桜戯は、刀を納めた彼の姿を見あげた。
「『願はくは 花の下にて春死なん その如月の望月のころ』――」
 透き通るような声で吟ずる。少年は呟いた。
「西行……だな」
 桜戯は静かに微笑んだ。
「わたくしは如月の望月の夜――ここに命を落とした者にござります」
 少年は黙って聞いている。
「名すら思い出せぬのですが……何やら戦に巻き込まれて命を落としたことは覚えております。この幹に」
 と、手のひらをあて、
「矢で縫い止められたことも覚えております。それ以上のことは分かりませぬ。ですが、」
 桜戯は眼差しを鋭くした。
「忘れられぬ思いが御座います」
 そこで口を結ぶ彼に、少年は先を促した。
「どのような思いぞ」
「…………」
 桜戯は盃に浮いている花びらを見つめた。
「人は花を見て申しまする――散りゆく花のように、美しく命を落としたいものだと。無駄に長らえるよりは、潔く――と」
「ん……?」
 少年は眉を顰めた。それが桜戯と何の関係があるというのか。
「……口惜しゅう御座います」
 桜戯はいつのまにか盃を置いていた。
「わたくしは生きとう御座いました……死にとうは無かった」
 はらり、と白い衣が風に靡く。
「人 は死というものに幻を見ておりまする。死とは我意に逆らう残酷な終幕。死後に残るものなど、魂の抜け殻、命の入れ物のみ。燃せば灰となり、捨て置けば腐り 果てて土に帰り、生きた証など何処にも残りませぬ。人は生きる間だけが全てにござりまする。血にまみれ、痛みに顔を歪めて、それが死というものに御座いま す。美しい死など、御座いましょうや」
 細い眉がきつく顰められている。
「それを……生ける者が花を見ては申しまする。美しゅう死にたいと。先の、西行法師の歌を吟じまする。何故に生きる者が死を夢見るので御座いましょうか。何故今の生に満足せぬのでありましょう。わたくしは口惜しい――その思いが、わたくしをここに留めまする」
 少年の瞳を見つめ、桜戯は言う。
「西行様の歌が、そのような意でないのは重々承知。俗世間をお捨てになったお方が、いずれ死ぬのならば美しい花と月に見送られ、釈迦と同じ頃にとお思いになるのは当然のことわりと存じ上げまする。されど……」
 長い睫毛が露を結んだ。
「花は一年が過ぎれば再び花をつけましょう。夏には葉を茂らせ、秋には露に濡れ、冬には雪に隠れましても、再び花の咲く日は必ず参ります」
 少年は花びらを盃で受けた。何かに憑かれたように喋り続ける桜戯をじっと見つめる。
「けれど、人の命は一度きり。花のように――など、間違っておりまする。花は死なぬのです。それを……口惜しゅう御座います……。生の価値も、死の意味も知らぬ生者が、妬ましゅうてなりませぬ……」
 涙を零す。桜戯を、少年はじっと見ていた。
「桜戯」
 少年はようやく唇を開いた。
「俺の生きざまを見届けよ」
「は……?」
 間の抜けた声を出した桜戯を一瞥し、少年は立ち上がった。
「俺の生きざまを見届けよ。俺はこの一度きりの生を存分に使う。俺の死を俺だけのものにはせぬ。花が実を結び、葉を茂らせるように、俺はこの世の礎となる。歴史を創る」
 薄い唇が弓なりに反る。
「俺には、出来る。いや――俺なら、出来る。俺にしか出来ぬことをする」
「…………」
 桜戯は少年を見上げた。
「ここを離れ、俺の生きる様を見よ。お前に得心が行くほどに――俺は生き抜く。さすれば、お前も心穏やかに眠ることが出来よう」
 少年はにっ、と笑った。ひどくあどけない微笑みだった。
「良いな。確かに命じたぞ」
 桜戯は頭を下げた。
「御意」
 顔を上げて微笑む。
「貴方様になら――きっとお出来になりましょう。わたくしは……きっと、貴方様をお待ち申し上げて……」
 桜戯は静かに呟いた。
「きっと、わたくしは二度と貴方様のお目に触れることは叶いますまい。ですが、必ず――お見届け申しましょう」
「よし」
 少年は頷いて、
「舞う。見よ」
 桜戯を見下ろした。少年の無機質なまでに整った白皙の顔が、穏やかな微笑を浮かべた。
「桜戯」
「は」
 平伏した若者に、少年は透き通った硬質な色合いの瞳を向けた。
「俺は花の下などでは死なぬ。血が飛び散る中、炎に燃え立てられながら――死を迎えようぞ。悔いなど残さぬほどに、生きた後に……」
 凄惨な笑みを湛え、少年は囁くように言った。
「見届けよ」
 桜戯は今ひとたび、深々と頭を下げた。

 ――人生五十年

 はらり、と袖が風に舞う。

 ――化転のうちにくらぶれば

 少年の張りのある声が花の中に散る。

 ――夢幻の如くなり

 いつのまにか、彼は目を閉じている。
 何故か、もはや桜戯を見てはならぬのだと、そのような気がした。

 ――ひとたび生を受け 滅せぬもののあるべきか

「――……様」
 再び、彼は彼の名を呼ぶものの名を聞いた。
「――信長様」
 少年は答えぬ。

 ――人生五十年

 再び舞いはじめている。

 ――化転のうちにくらぶれば

 彼の声に、桜戯の声が重なった。

 ――夢幻の如くなり

「業が……消え申した……。わたくしは、ようやく自分の死を認められ申した……。有り難う御座いまする……ようやく……眠れまする……。死を受け入れ……花の下……如月の、望月のころ……。わたくしは、必ずや貴方様の生をお見届け申しましょう……」
 ところどころ、桜戯の声が掻き消えてしまうほどの風の轟音。

 ――ひとたび生を受け 滅せぬもののあるべきか――

 舞い納め、じっと目をつぶって立っている少年の耳元で、桜戯が囁くように吟じた。

「願はくは 花の下にて春死なん その如月の望月のころ――」

 ざああああああ……。
 花びらが散る。
 彼は――信長は、ゆっくりと目を開けた。
 もはやなんびともない。酒の席もなかった。
 ……夢幻のごとくなり――
 いや――。
 彼はかぶりを振った。
 幻ではない。
 彼は自分の目を信じるにやぶさかではなかった。
「見届けよ」
 馬に跨り、昂然と顎を上げて言いやる。
「俺の生きざまを」
 ――馬の足元に白い頭蓋骨が一つ、花びらに埋もれていた。