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火の星、夏

 カエサルからアウグストゥスまで。古代ローマ帝国の皇帝ふたりの名を冠する月のあいだは、かつて「夏」と呼ばれていたのだという。
 ……いや、今だって「夏」はあるのだろう。地球には、きっと「夏」がある。ただ、そこには呼ぶものがいない。それだけのことだ。

 ぼくらは火星で生まれ育った世代で、ぼくらのお母さんも、おばあちゃんも、もうみんな同じだ。地球を知らない世代。ひいおばあちゃんがどうかは知らないけど、多分そうなんじゃないかな。ああ、そういえばこの間火星移住計画百周年を祝う会が盛大にひらかれたばかりだから、きっとそうだ。
 ぼくたちは「ニホン」という国からの移民で、どことなくそこの風習がまだ残っている。だから、「夏」を知らないぼくらも「オボン」と呼ばれる期間のことは知っているし、お墓参りだってする。「オヒガン」という言葉も知ってはいるけれど、「暑さ寒さもヒガンまで」という伝承の、その意味まではわからない。というのも、ぼくらは暑いとか寒いとか、そういったこととは無縁に生きているからだ。
 ぼくは学校から居住区へ向かう通路を歩きながら、ひょいとしゃがんで小さな窓の外を覗いた。見慣れた景色。殺風景な、赤茶けた光景。ぼくはこの足で「外」を歩いたことはない。そりゃそうだ、「外」はものすごく寒いんだから。平均マイナス四十三度なんて、ぼくには想像もつかない。とにかく、冷凍庫よりずっと寒いってことは確実だろう。
「コウタロウは、休暇に何か予定あるのか?」
 隣にいた幼馴染が、不意にぼくに尋ねた。ぼくは首を横に振る。
「別に。いつも通りだけど」
「そう……、」
「アキヒコは?」
「おれも、別に」
 お墓参りくらいかなあ、と彼は言った。それが予定のうちに入るならぼくだってそうだよ、とぼくは思う。口にはしないけど。
 この時期にひと月ほどの休暇があるのは、地球にいた頃にはこの時期に「夏休み」という名の休暇をとる習慣があって、それがそのまま持ち込まれて根付いたせいだ。でも……、休暇っていったって、ぼくらに特に行くところはない。ぼくら人間が自由に移動可能なのは、この半地下に建てられたルッカリーの中だけ。ルッカリーは七層構造になっていて、全部合わせるとこの火星の地表と同じだけの広さになる……んだったっけな。二倍だったかな。細かいことは忘れてしまったけど、とにかく、ルッカリーの内部にぼくらの家も学校も、父さんや母さんの仕事場も、役所も病院も、何もかもが全部全部含まれている。勿論、お墓だって例外じゃない。ルッカリーの外に出るためには特殊なモビールに乗り込まないといけないし、そもそもあれは子供が乗るものじゃない。ルッカリーの外壁や、何より重要なエネルギータワーの修繕、あるいはたまに派遣される外部調査隊(ぼくらはみんな、一度はそれに憧れる。そうしていつしか諦めるんだ)のためのものだ。ぼくらが休暇を過ごす場所だって、結局はルッカリーの中に過ぎない。いくらレイルウェイに乗って居住区から遠出したってそうそう代わり映えはしないってことに、ぼくらはある時はたと気付いてしまうのだ。だからって休暇をなくされちゃ困るから、あんまり文句を言うのも良くはないけど。そういえば、この「宿題」ってやつも地球からの風習なんだろうか。全く、余計な習慣だ。
 アキヒコが突然立ち止まった。
「知ってるか、リョウタの家ってものすごくたくさん映画があるんだって。しかも、地球製の」
「ええ……?」
 ぼくもつられて足を止め、アキヒコの顔を見た。冗談を言っているのかと思ったのだ。だが、その表情は大真面目だった。
「内緒だぜ?」
「よく再生デバイスがあったね。地球製っていうと、ディスクか?」
 あのプリズム色の円盤を、ぼくらも歴史の授業で見たことがある。あれときたらひどく脆弱で、すぐ壊れてしまうらしい。裏側には指紋もつけちゃいけないなんて、記録メディアのくせに全く繊細過ぎると思う。
「さすがにメモリチップには移してあるらしいぜ」
 アキヒコは真面目くさって頷いた。
「リョウタのお祖父さんが、映画好きだったんだってさ」
「『だった』……?」
「ああ」
 ぼくのつぶやきの意味を、アキヒコは察したようだった。
「去年亡くなった」
「……そうだったのか」
 アキヒコは去年リョウタと同じクラスだったけど、ぼくは違った。だから、知らなかったのかもしれない。
「見てみたくないか」
 アキヒコはぼくに尋ねた。
「映画?」
「そう」
「…………」
 地球製の映画は学校で教材として、特に歴史の授業やなんかで使われることがあるんだけど、それは大抵あんまり面白くなかった。大抵、授業時間の都合で一部しか見られないから、それで面白くないなんて言うのは良くないことかもしれない。
 ぼくがあまり乗り気ではないように見えたのか、アキヒコは付け加えた。
「無理にとは言わないけど」
「ううん」
 ぼくは首を横に振る。
「ぼくも見たい」
 ――どうせ、特に予定なんてないんだから。
 そこのところは、口には出さずにおいたけれど。

 休暇が始まって一週間が経った頃、ぼくらは昼過ぎにリョウタの家に集まった。ぼくもアキヒコも、手に紙袋を提げている。ぼくのは、母さんからリョウタのお母さんに渡すように言いつかったお菓子なんだけど、きっとアキヒコのも似たようなものだろう。ふだんぼくがおやつに食べているようなのとは違う、こんな時くらいにしか買われることのない、しっとりして、ふわふわで、とにかくすごくおいしいやつだ。
「お邪魔しまーす」
 ぼくらは靴を脱いで上がり、リョウタに案内されるままにある部屋に通された。ソファとローテーブルがあって、その上にはリモコンが置いてある。
「何見たい?」
 リョウタはこそこそとぼくらに尋ねた。ぼくとアキヒコは顔を見合わせる。
「何って……」
「そもそも何があるのか、わかんないよ」
「それもそうだよな」
 リョウタは笑った。
「昔、おじいちゃんと一緒に見たシリーズものがあって、なんとなくは覚えてるんだけど、それにしておくか?」
 映画の中には子供には不向きのやつもあるらしいからさ、とリョウタは言った。
 ぼくとアキヒコは顔を見合わせ、そしてうなずきあった。ぼくらにはよくわからないのだから、わかるリョウタに任せるしかない。
「じゃあ、とりあえずそれ見よう」
「おう」
 多分、一時間くらいかなあ、とリョウタは言った。
 リョウタのお母さんが冷えたジュースを三つのグラスに入れて持って来てくれて、テーブルの真ん中にお菓子を置いて――ぼくらの持ってきたものもそこには混じっていた――微笑んで会釈し、部屋を出て行く。お母さんには内緒なんだ、とリョウタはまたこそこそと言った。別に地球の映画が禁じられているなんてことはないんだけど、なんとなくリョウタがそうするようにいったから、ぼくらもそれぞれの親には、三人で宿題をすると言ってある。
 リョウタがリモコンを操作すると、天井からするするとプロジェクタが降りてきて、壁に向かって映像を映し始めた。それは、いわゆるアニメーションというやつだった。絵が動くもの。
 いきなり眩しいくらいの青がいっぱいに映し出されたかと思うと同時にブザーみたいな音が鳴り響いて、ぼくらは飛び上がった。
「セミの音、らしいよ」
 リョウタが小声で説明してくれた。
「この青いのは、空だって」
「空?」
「習ったろ、地球じゃ空は青かったんだって」
 そういえば。
 ルッカリーの天井がうっすらと青いのは、地球にあった青空を模したんだと聞いたことがある。夕方になると赤く染まるのもそう。ルッカリー内が赤く染まると、それはもうすぐ夜時間の来る合図で、家々では明かりを灯し始める。そもそもルッカリー内の時間や暦は火星の自転をまるきり無視して、地球基準で作られているらしい。歪ではあるけど、どうせ外には出ないのだからそれで特に支障はない。
「…………」
 これが空、それならこの眩しいのは太陽の光ってことか。やっぱりルッカリーの天井と本物の空は全然違うんだ、とぼくは改めて思った。
「セミって、昆虫だよな?」
 多分、アキヒコが思い出しているのもぼくと同じ場所のことだろう。ルッカリーの最上階層に作られている広大なミュージアムには、地球上で繁殖していた様々な動植物が移設されていて、一部は一般向けに展示もされている。小学校の頃から何度となくぼくらはそこに行って、人工的に再現された地球環境ってやつを学習してきたのだ。そういえば、ミュージアムに行くといろんな気温や湿度の部屋があって、ぼくらを困らせたものだった。服を何枚も脱いだり着たり、それでもなかなか対応しきれなくってぐったりする。地球ってやつは大変なところだったんだなあ、と思ったものだ。
 それにしても――セミは夏の昆虫。そのこと自体は知っていたけれど、こんなにやかましく鳴くのか。
 冒頭のシーンを過ぎると、ぼくらはほとんど言葉を発することなく映画に見入ってしまった。
 青い空の下、土に覆われた地面を走り、草むらの中を駆け回る子供たち。「夏休みの宿題」をきっかけに不思議な冒険の始まるその映画は、なるほど確かに子供向けの作品ではあるのだろう。どちらかというと、ぼくらよりも少し年少の。
 でも――。
 あおあおと広がる海、風に煽られ進む船、それを翻弄する雷雨と嵐、夜が明けて晴れ渡る空。じりじりと照りつける太陽。次の夜には、満点の星空が。
 いつしかぼくらは前のめりになって、食い入るように映像を見つめていた。
 映像の中の登場人物たちは、泣いたり笑ったり怒ったり忙しい。でも、それは多分今のぼくらとそうは変わらない。
 違っているのは。違ってしまったのは。
 映画のストーリーとしては子供向けらしくごく単純で、それなりにトラブルはあるものの、結局は悪者を倒して主人公たちが勝つ。そしてめでたしめでたしで、エンドロール。
 プロジェクターが最後の画面を映して、そうして止まった。
「…………」
 すっかりぬるくなってしまったジュースをすすり、アキヒコは、はあ、とため息をついた。
「どうだった?」
 リョウタはぼくらを見て尋ねる。
「……おもしろかったよ」
 ぼくは、そんなありきたりな言葉しか言えなかった。おもしろかった。それはほんとうのことだ。
 おもしろかった。
 それから、なんだか――すごく、悔しかった。
 どうして、あの映画の中で走り回っているのが自分じゃないんだろうって思った。
 何も、ぼくはあんな大冒険がしたいわけじゃない。あれはフィクションだ、そんなことはよくわかっている。あんなことは現実には起こらない。
 だけどそんなことを言うなら、この映画が作られた時代の人は、今ぼくらが火星に生きているのを知ったならどう思うだろう? 彼らにとっては、この状況の方がよほどフィクションなのではないだろうか?
 ぼくは、ただ太陽に照らされて、風に吹かれて、海を泳いで――この星を覆う氷の海なんかじゃなくて、ちゃんとしたあの青い海を泳いで、そうして木陰を探して土の上に寝転がって、高い高い空をばかみたいにぼうっと見上げてみたかった。
 ――それは、今となってはもう叶うべくもない願いだけれど。
「昔は夏休みごとにこのシリーズの映画が作られていたんだってさ」
 リョウタがぽつりと言った。
「地球にいた当時の子供たちは、これをどんなふうに見ていたんだろうな……」
「…………」
 ぼくは黙り込む。――確実なのは、彼らにはぼくが今直面しているような、どうしようもない嫉妬なんてなかったろうってことだ。
 そうだ。
 ぼくは嫉妬している。
 地球に生まれ育った過去の人類みんなに、激しく。
「いつか、行けないもんかなあ」
 アキヒコが大きく伸びをしながら言った。
「無理だろ」
 答えたぼくの声は、自分でも驚くほどに冷ややかだった。
「…………」
 アキヒコが少し驚いたような目でぼくを見たけれど、半開きの口は何も言葉を産まなかった。
「……おれは」
 リョウタがぽつりと言う。小さな声だったけれど、そこにはなみなみならぬ決意が篭っていた。
「いつか……地球に行くのが夢だ」
 ――だから、無理だよ。ぼくは言わなかった。多分、リョウタはそんなことわかってる。わかっていて、それでもそう言うのだ。
「じいちゃんにはできなかった――父さんは試してみようとも、努力しようともしなかった」
「…………」
 リョウタの、去年亡くなった祖父は、どんな気持ちで孫に地球製の映画を見せたのだろう。ぼくらには決して届かない、地球の景色を。何を思って、地球の映画を保存したのだろう。
 リョウタはその円い目をますます見開いて、そうして言った。そのつるつるとした眼球に映っているものは、一体何だろう。
「おれは、行ってみたい」
 いつか帰るんだ。あの、地球に。
「…………」
「いいじゃん。おれは応援するぜ」
 アキヒコが軽い調子で言った。
「だから、その時はおれも連れて行ってくれよ」
「……ああ」
 笑み交わすふたりから、ぼくはそっと目を逸らす。

 ――だがら、無理なんだよ。
 なぜ、ぼくらは地球を離れ火星に移住しなければならなかったのか。実は、そこのところはあまり明らかにされていない。「カタストロフ」と呼ばれるその災厄が実際何だったのか……地殻変動や気候の大変動だったのか、人類同士の戦争だったのか、それとも太古の昔に地球から恐竜が滅びた原因だとか言われていた、隕石の衝突なのか。
 わからないことは他にもある――人類がいなくなったあとの地球が、どんなふうになっているのか。
 ぼくのひいおじいちゃんは――もちろんもうとっくに亡くなっているんだけど――ひた隠しにされ、明らかにされない地球の現状を探ろうとして、超高精度の微光粒子天体望遠鏡を作った。当局にばれないように、相当苦労したらしい。その甲斐あって、ひいおじいちゃんは何枚かの写真と、短い映像とを記録することができた。ただ、その時生じた光粒子流の歪みか何かを当局に見咎められて、ひいおじいちゃんは一時拘留され、その望遠鏡も、録画も全て没収されたらしい。――実際は、全て、ではなかったんだけど。
 ぼくのおじいちゃんも、お母さんも、ひいおじいちゃんの遺したその映像をこっそりと受け継いできた。だから、ぼくも。

 あれは――廃墟だ。

 燦々と降り注ぐ眩しい太陽。
 あおあおとした水を湛える海。
 でも、そこにひとはいない。動物の姿すらない。映っていないだけかもしれないけれど。
 映像にある唯一の生物らしい生物は、ぼくらが見たこともない――かつて地球にあった植物ならミュージアムで見ているはずなのに、全く見覚えのない――奇妙な姿のみどりいろ、あれは植物だろうか。それが、土をまばらに覆っているのだ。ところどころに見える灰色の残骸は、きっと人間たちが建てたものの、つまりはぼくらのご先祖の文明の成れの果てなのだろう。
 すべては壊れてしまった――あるいは、壊してしまった。誰かが。
 あれはもう、ぼくらの星じゃない。
 だけど、ぼくは微笑みを浮かべて顔を上げた。
「いつか、行けるといいな」

 休暇があけると、リョウタの姿はなかった。一家で引っ越したよ、と担任は簡単にそう言った。それを聞いて、アキヒコは真っ青な顔をしている。ぼくは、顔には何も出ていなかったと思う――多分。
 引っ越した? どこに? なぜ? なぜ、ぼくらに何も言わずに? このルッカリーの中、わざわざ引っ越さなければいけない場所なんて、どこにもないはずなのに。
 以来、アキヒコとぼくはリョウタの話をしていない。リョウタの家の映画の話をするのもやめた。
 でも――ぼくは覚えている。目を閉じれば、そこに鮮やかに蘇ってくる。
 青い空。照りつける太陽。土を覆ってあおあおと生い茂るみどり。
 うるさいくらいのセミの声。
 ――あの、まぶしいくらいの地球の「夏」。

 地球には、きっと今でも「夏」がある。
 ローマを滅ぼした炎のように。ぼくらを灼き尽くす程の「夏」が、きっとぼくらを待っているのだろう――。