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世界の果ての

 ――いらっしゃい。今夜は遅かったのね? ああ、そうね。外は酷い嵐だから……あなたのような妖精さんも、やはり雨風は困るのかしら。身体が冷えているのなら、どうぞこちらであたたまってね。暖炉の側はあたたかいわよ――でも、近付き過ぎないように気を付けて。火傷をするわ。
 今夜はもう来ないかと思っていたのだけど……でも、せっかく来て下さったのだものね、何かお話をしなくちゃ。
 でも、もう随分といろいろなお話をしてきたわよね。こんなおばあさんのところに訪ねてくる変わり者なんて、そうそういないものだから、ついつい……つまらない話ばかりで、退屈しているのではないかしら。私のお話なんて、どれも大昔の旅の思い出話ばかりだもの。
 ふふ、いい子ね。お茶を淹れましょうか。あなたの好きな香の葉を摘んでおいたのよ。お湯ももう沸いているわ。きっとあたたまるわよ。
 さて、今夜は何の話にしましょうか。
 雪の大地の話は、以前にしたかしらね? 一面に真っ白な、凍てついた世界の果ての話。まるで水晶のように煌めく氷でできた城や、それから……ああ、そうね。これは前に話したわね。
 それなら、炎の海の話はしたかしら。この暖炉に掛けた鍋のようにぼこぼこと湯立って、溶岩を吹きあげているの。周囲には切り立った崖があってね――
 じゃあ、水没した(いにしえ)の都の話は? 透き通った水に閉じ込められた王宮と神殿が、永遠の眠りに付いて……
 一面の砂漠のことも、もう話してしまったのかしら。ぎらぎらと照りつける太陽が照り返して、地面がまるで輝いているようにゆらめくのよ。陽炎が立ち上って、そこには優しくて残酷な幻が視える――
 ああ、もう全部全部、話してしまったの?
 困ったわ。
 それじゃあ、もう……
 時間稼ぎはできないのね。
 ――そりゃあ、気が付いていたわよ。あなた、私を誰だと思っているの?
 ねえ、妖精さん?
 私のところに来たのは、何もあなたが初めてじゃないの。今までたくさんの妖精さんたちが私のところにやってきたわ。
 皆同じ。私のところに来たひとは皆、私を見て驚いたような顔をした。あなたもそうだったわね? 最初にここに来た時のこと、覚えていて? ここに来た人皆に、私は知らん顔でお茶を出して、そうしていろいろな話を聞かせたわ。あなたにしたのと、同じようにね。世界の果ての話を、語って聞かせた。
 楽しかった? 私の話は。私は――楽しかったわよ。
 でも、同時に苦しかった。話すと、辛いことを思い出さなくちゃいけなくなるんだもの。
 どうしたの? そんなに大きく目を見開いて――ああ、そう。私の顔、こんなに真っ直ぐに見るのは初めてだものね? 案外若いって、それは褒め言葉かしら。
 まあ、見た目の年齢なんて、私には何の意味もないけれど、ね――。
 本当はわかっているんでしょう? 私が、何者かなんて。
 あなたは私を訪ねてきたんだものね?
 あなたは世界を救う英雄になるため、世界を呪う魔女を殺しに来たのよね?
 だから、あなたは私の話をおとなしく聞き続けていた――魔女の呪いを解く術を、そのヒントを、私の話の中から見つけ出すために。本当にこの老婆が魔女なのか、どうか。訝しみながらも、それでもあなたは私のところに通わざるを得なかった。今までの「妖精」たちと同じように。
 何もかもが、同じなのよ。
 そうそう、「妖精」って何のことか、ってあなた聞いていたわね。私はその時答えなかった。だって、言ったらきっとがっかりさせてしまうもの。
 私はね――「英雄」になり損なった者たちのことを、そう呼んでいるの。魔女を倒せないまま、散っていった「妖精」ってね。
 だから、あなたも英雄にはなれないわ。残念ね。
「それじゃあ、――」

  ◆

「ま、待って待って待って!!」
 おれは慌てて声を上げた。目の前には豪華な揺り椅子に座る女――もはや彼女は老女ではない。恐ろしいほど美しく、それでいて冷たく微笑む「魔女」。
「誰が英雄になりたいって言った? 早合点はよせ」
「この期に及んで命乞い? 無様ね」
 魔女はため息をついた。おれは勢い良く首を横に振る。
「だから違うと言ってる!」
 そもそも――とおれはマントを外し、上着も脱ぎ捨てた。ここに来るまでの嵐でひどく濡れていたそれは、既に暖炉の火で良く乾いていた。シャツ一枚でまくしたてる姿はひどく滑稽だろうが、今はそうも言っていられない。
「おれは丸腰だぜ? 今までの妖精さんとやらもそうだったか?」
「…………」
 魔女は眉を寄せ、首をかしげた。黒々とした長い髪が、細い肩の上を滑り落ちる。
「それもそうね。どういうこと?」
「もう、ほんっとにさー。そういう人の話聞かないところ、直した方がいいと思う」
 おれは安堵の息をついた。
「おれがここに来てからほっとんどひとりで話続けてて、口挟む隙、全然なかったし」
「う、うるさいわね」
 魔女はかっと頬を染めた。
「今までが今までだったから――あんたもそうだろうって、思い込んでしまったのよ」
「思い込みで殺すなよ」
「殺してなんて!」
 魔女は言い返した。
「殺してなんていないわ。ちょっと――その、掌サイズに小さくして、背中に羽をつけて、裏の山に放っただけ」
 ――獣の餌になっていなければ無事だと思うわよ。魔女はそう言った。なるほど、彼女は文字通り「英雄」たちを「妖精」の姿に変えたらしい。まあ、彼らはそれなりに腕の立つ者たちだろうから、きっと生き延びているだろう。そうだといい。
 魔女はふと気付いたように、まじまじとおれを眺めた。澄んだ碧い瞳が何度か瞬く。
「それで? あなた、ここに何しに来たの?」
「おれは……」
 ごくり、と唾を飲む。目の前にいるのは強大な――世界最強の魔女だ。今更ながら、緊張感で足が震えそうになる。
「あんたのことを、本にしたくて」
「……は?」
 魔女は目を丸くした。
「魔女は世界のすべてを知っている。そうだろう? おれは人の身で世界の果てを見には行けないから、あんたから聞いた話を書いて、本にしようと思って、それで――」
「本に? えっと、それってお金儲けってこと?」
「違うよ、夢のないやつだな」
 おれは思わず舌打ちをした。魔女がむっとしたように唇を尖らせる。
「かつて、人間は神の怒りをかい、世界は滅びた。巻き添えを食った魔女は怒り、人間の魔力を封じる呪いを掛けた――そうだったよな?」
「いろいろと違う上に随分とざっくりした説明だけど……まあ、人間が魔力を失ったのは本当。人間が魔力を持つと碌なことがないからね」
「まあ、おれは別に魔力になんて興味はない。あんたの言う通り、人間に魔力は必要ないと思う」
「ええっと、じゃあなんで……」
「世界の果ての話――なんて、夢があるじゃないか」
 おれは魔女を見つめ、笑った。
「あんたの話、面白かったよ。凍てついた白い大地と底のない氷の湖とか――灼熱の炎の池の話もあったよな。砂漠を襲う砂嵐にはすごくはらはらしたし、水底の都には潜って行ってみたいって思った。あんた、本当に話上手いよ」
 どの話も、おれは手帳に書き留めてある。先ほども言った通り、本にするつもりだからだ。
 魔女は視線を逸らし、ぽつりとつぶやいた。
「なんで?」
「……昔、おれは妹に窓の外の話を聞かせていた」
 妹は、病気でほとんど外には出られなかったから。そう続けると、魔女の細い肩がぴくりとが揺れた。
「窓から見る光景しか知らない妹に、いろんな話を聞かせた。けど、そんなに毎日毎日話すことがあるわけじゃない。おれは少しずついろんなところを旅しては、土産話を持って帰ることにした。妹は良く頑張ったよ。一年もつかどうかって言われていたのに、七年も――」
「……じゃあ、妹さんは」
 おれは笑って首を振る。こうやって笑えるようになるのに、三年かかった。
「妹は言っていたんだ。『兄さんは私の目になってくれた。おかげで、周りの誰よりも遠くを見ることができた』って。だから、おれは」
 ――ありったけのものを見て、聞いて、そして妹のところへ。
「その本も、妹さんのために?」
 おれは頷く。
 魔女はちらりとおれを見遣った。
「……じゃあ、書けば?」
 短く告げられたその言葉に、おれは面喰う。
「う? うん。そのつもりだが」
「私が監修してあげる。書き上げるまで帰さないわよ」
「へ?」
 魔女はにやりと笑って、とんでもないことを言い出す。
「退屈していたのよ。ちょっと、話し相手になりなさいよ」
「え? な、なんで」
「あんたがここで話に付き合ってくれるっていうなら、『妖精』に変えたやつらを解放してやってもいいわ」
 魔女は気前良く請け合った。
「まさか、もう二度と魔女のところに来たいとは思わないだろうしね」
「そ、そりゃそうだろうけど」
 目を白黒させるおれに、魔女はもう一度言った。――今度はとても、真面目な顔で。
「私の話を、ちゃんと伝えなさい。魔女の言葉としてではなく――人間の言葉で。己の愚かさのせいで失われた世界を、知りなさい」
「…………」
 魔女は静かに言葉を続ける。
「私は神の怒りから人間を守るために魔女となった。神から死を奪われ、人間を見張るようにとこの地に縛られた――それなのに愚かな人間たちは魔女が世界を呪うから自分たちに魔力が戻らないのだと、私を倒すために現れる。こんな馬鹿げたお伽話はないわね」
 魔女の怒りが、悲しみが、彼女の瞳から溢れ出した。おれには彼女の言葉はよくわからなかったが、だがそれでいいのだと思った。そんなに簡単に理解できるほど、彼女の背負うものは軽くない。
「だから――わかった? いいわね? あなたはここで本を書くの」
「…………」
「私の、傍でね」
 顔をぐっと近付け、魔女はおれに念を押した。鼻をかすめる甘い匂い。碧い瞳を縁取る長い睫毛が瞬き、赤く色づいた唇の奥には白い歯と赤い舌が覗いて――ああ、きれいだ……。
「わかった」
 おれは頷き――そして、おれは魔女の館で本を書くことになった。
 魔女は毎日毎日飽きもせずにおれにいろいろな話を聞かせ、おれはそれをせっせと紙に記した。ある程度の量になると、魔女がその紙束を「妖精」に持たせて人の世に送り出す。
 「世界の最果ての書」は作者不詳のまま続々と刊行され――その一方でおれは魔女に恋をするようになるのだが、それはまた別の話だ。まあ、あれから随分経ってもおれはまだ魔女の傍にいる訳で、そういうところから何となく察して欲しい。詳しくは言わない。
 言えるか、恥ずかしい。
 
 いつか――魔女とともに、彼女の語った世界の果てを見て周れたら。それが、おれの夢だ。

 今日も魔女は、世界を綴っている。