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ロザンナ・ウィンスリーの花籠

 ロザンナ・ウィンスリーの籠はいつも花で満ちていた。彼女はそれを小脇に抱え、街を颯爽と歩く。ああいいにおい! あれを見てご覧! なんて綺麗なんだろう!
 ロザンナは花売り娘ではない。では彼女が何なのかというと、良くわからない。彼女はこの街の人間ではないのかもしれない。
 ただ、ある日ふと訪れる、まるで夕立のようなもの──とびきりの虹を連れて。

 ぼくはロザンナの籠から落ちた花を幸運にも拾ったことがある。いつもは辺りにいた人びとが奪い合ううちに、いつの間にか見当たらなくなっているのだけど……ぼくが彼女と会ったのが夜明け前だったからかもしれない。そもそもなぜ彼女はそんな時間に街をうろうろしていたのか、まったくロザンナに関しては不思議なことばかりだ。
 ロザンナはその赤い豊かな髪を揺らして、ぼくを見つめた。
「どうしたの? 花はいらないの?」
 彼女の髪よりもさらに鮮やかな赤色。ぼくは黙ってそれを拾い上げた。濡れたような花びら、確かにとても綺麗だったけれど──花は籠にあったときよりも美しくなかった。
「嬉しくなさそうね?」
「返すよ」
 ぼくの差し出した花を目の前に、ロザンナは少し驚いたように目を見開き、やがて微笑みながらゆっくりと首を横に振った。
「一度こぼれ落ちたものは、二度と戻れないの。エデンを追われた人間と同じ、私たちは地上で生きていくしかない……」
 ぼくはきっと目をぱちくりさせていたことだろう。
「よく、わからない」
「そう? とにかく、それはあなたのものってことよ」
「……ありがとう」
 礼を言うとロザンナはまた目を大きくした。
「あなたって変わってるのね?」
 ──きみほどじゃないよ、という言葉はかろうじて飲み込んだ。夜明け前に花籠を持ってひとりで街を練り歩く、きみほどじゃない。
 彼女はぼくを見て少し首を傾げた。
「あなた……名前は?」
「エドガー」
「エドガー。さようなら」
 籠を溢れんばかりの花で満たし──ただし決して溢れ出しはしないんだ──膨らんだスカートの裾を摘んで一礼するロザンナ。ぼくは赤い花を手のひらに載せたまま、ぼうっと彼女を見送った。

 ある日、いつものようにロザンナは街に現れた。途端に街が活気づく。花籠から落ちた花を拾おうと、人々は虎視眈々と狙っている。……まあこういうときはみんな小銭が落ちたって全然構わないから、ぼくみたいな浮浪児にとってはとても助かるんだけれどね。
 普段と何ひとつ変わったところのなかったその日。だけど、ロザンナがある角を曲がったとき、事件は起こった。

 町長のドラ息子、アシュレイ・マクラレンが現れたんだ。噂ではあいつ、ロザンナに気があるって話。彼女と来たらいつだってアシュレイになんか見向きもしなかったけど。
「なあ」
 ロザンナはしぶしぶと言った調子で足を止めた。アシュレイは一歩、距離を詰める。
「あんたの花が欲しいんだけど?」
「私の花はあなたに欲しがってもらいたくないみたいよ」
 辺りから起きる笑い声。取り巻きの数人がひと睨みして黙らせる。ほら、まるきりチンピラみたいだろう?
「いくら払えばいい? 金ならいくらでも……」
「いらないわ」
「ちっ」
 業を煮やしたのか、アシュレイは目をつり上げた。
「だいたい何だ、お前。花なんか抱えてお高くとまって――何様のつもりだよ」
「…………」
「花売りなら花売りらしく、ぺこぺこしてろってんだ。それとも」
 アシュレイの手がロザンナの腕をつかむ。彼女が少し、顔をしかめた。アシュレイの笑顔はいやらしく歪んでいる。
「花が売り物じゃないっていうなら、あんたを買ってやろうか……?!」
 まずいぞ、あれは──保安官を呼ぶか──起こったざわめきは、しかし一瞬でやんだ。ロザンナそのひとの声で。
「私が街に来る理由はね……花に餌をあげるためよ」
「……は?」
 ロザンナはいつの間にか一輪の花を手にしていた。真っ白な花──それが次第に染まっていく。黒かと思うほどに、濃い紫。
「アシュレイ?!」
 チンピラのひとりが叫ぶ。ぼくも思わず立ち上がっていた。アシュレイの顔色ときたら……!
「これは、あなたにあげましょうね」
 紙みたいな顔でぼんやり立つアシュレイ。ロザンナは優しく微笑んで、彼のジャケットの胸ポケットにその濃紫色の花をさした。
 あんなに欲しがっていたロザンナの花……だけどアシュレイはただぼうっとしながら、ゆらゆらと体を揺らしているだけだった。

 その日以来、ぼくはロザンナを見ていない。アシュレイもだ。魂を抜かれたような息子を見て町長は激怒、ロザンナを探したっていうけど──きっと無駄だろうね。

 きっとロザンナは魔女だから。

 彼女はまたどこか遠くの街で、花籠を下げながら歩いているんだろう。ロザンナ・ウィンスリー、なんて綺麗な花!
 ――ねえ、本当はきみ、人間が好きなんだろう? だからその感情の結晶を、花にして閉じ込めているんだ。きみの花が綺麗なのは、人間が綺麗な生き物だから。そのことを忘れてしまった人間は、きっと心を持っている価値がない。そう、たとえばアシュレイみたいに。

 ぼくがもらった花は、まだ色褪せることなく赤い。
 ロザンナ。君の髪と同じ色。