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ラスト・レター

 君がこの手紙を読んでいる頃私は、

 いや、冗談だ。いつもの、私のたちの良くない冗談だ。きっと私のこういうところが君を苛立たせ、いつしか君に嫌われてしまったのだろうね。わかっているのに何度も繰り返して、全くどうしようもない、私というやつは。

 少しばかり昔のことを書いてもいいかな。駄目だと言われても書く。これは、君への最後の手紙なのだから。ただし、読む読まないは君の自由です。好きなように読み飛ばしてもいいし、そもそも読まなくてもいい。読まずに捨ててしまったとしても、私にはわかりっこないことなんだ。
 君と初めて会った日はもう十八年も前のことになるが、まるで昨日のように思い出せる。君は目もまともに開けられずにいたのだけれど、泣き声だけはしっかりと響いて、世界中に自分の存在をアピールしていた。少なくとも、私にはそのように見えた。後から思えば随分とかわいらしい、控えめな泣き声だったのだがね。そのほんの二三ヶ月後には、私たちが驚くような大声で泣き喚くようになったのだから、たいしたものだ。そう。あの日以来、間違いなく君は私の世界の中心になった。
 君は、きっとこんなありきたりな昔語りにはうんざりなことだろう。私も、昔はそうだった。実のところ、君は私によく似ているのだよ。ここを読んで、君は眉間に皺を寄せただろう。君の仏頂面が目の前に浮かぶようだ。自分の親に「いつか、あなたも親になればわかる」と、そう言われるのが私はとても嫌だった。見くびられていると感じた。結果的にその当時の私にはわかり得なかったのだとしても、言葉を尽くして説明する努力もせず、相手の不理解を一方的に決めつけ、反論を封じてしまうのはずるい。私はそう思ったし、そういうつもりならますます理解などしてやるものか、と意地になったものだった。ほら、こういうところが君とよく似ているのだ。全く、困ったものだよね。

 あの人のことを少し書こう。君は、あの人のことをどれくらい覚えているのかな。多分、ほとんど何も覚えていないよね。思えば、私は君にあの人の話をするのをずっと避けてきたように思う。それが、いや、それも良くなかったのかもしれない。でも、私には話せなかった。あの人のことを思うのはあまりにも辛くて、辛すぎて、今でもあまり思い出したくないし、実際には思い出さずにはいられないのだが、口に出して語りたくはないのだ。君も写真を見て思っただろう。そう、あの人は君によく似ています。いや、君がよく似ているのか。まあ、どちらでもいい。あの人は病にたおれてからずっと、私に君のことを頼むと言っていた。私はそのたびにわかったと言った。だが多分、本当のところは何もわかっていなかったんだろう。あの人がいなくなったあと、私は君をあの人の両親に預けた。そうしないと私は働けなかったし、働かないと生きていけない。働かなければ食べていけないから、いや、それだけではなかった。私はあの人を失った辛さを仕事で埋めようとした。実際は少しも埋まりはしなかったけれど、それでもあちこち飛び回って忙しくしていれば、少しは忘れていられた。忘れたふりができた。でも、だからといって、君のことを忘れることなど一瞬たりともなかったのです。本当だよ。君はいつだって私の世界の中心だった。直接触れられなくとも、触れられないからこそ、君は世界の中心でした。
 でも、そんなことは君に伝わるはずもなかった。君にとって、私とは何だったのだろう。時々現れて、幼い頃は嫌がる君を抱き締めようとし、面白くもない話をしては去っていく人。誕生日やクリスマスにはプレゼントを贈ってくるが、そのプレゼントで一緒に遊ぶことはほとんどしなかった人。君が送ってくれた可愛い手紙への返事すら、ごく短いメッセージを添えただけの絵葉書で済ませていた人。少なくとも、私はまったく良い父親ではなかった。それは自分でもよく分かっている。親らしいことは何ひとつしてやらなかった、全部お義父さんとお義母さんに代わってもらった。それでも、まあ、自分でも言い訳がましいとは思うが、言わせてくれ。君の記憶に残っていないほど昔には、あの人とふたりで、君を育てていたのだ。ふたりで力を合わせて君を育てていく、そのつもりでいた。私の手元には、たった三年の間に撮った、数え切れないほどたくさんの写真が残っている。情けない話だが、今もそれらを見返すたびに涙が止まらなくなる。それでいて、見ずにはいられない。あれらにはそんな魔力がある。幼い君の屈託ない笑顔、それを慈しむあの人の笑顔。あれが、私の世界だった。世界の全てだったのだ。あの人がいなくなったあと、君とふたりでそれを築きなおすことができていれば、いや、今更だ。今更、そんな泣き言を言ったところで。
 君が私を嫌っている、少なくとも苦手に思っている。そのことには、多分君が自覚するより前からとっくに気付いていた。思春期特有の、異性の親を疎ましく思う現象。最初はそうと思いたかったのだけれど、そんな簡単な感情ではないとすぐに悟った。お義父さんもお義母さんも何とか執り成そうとして下さったけれど、私は苦笑いして、仕方がないなあ、なんて強がることしかできなかった。もっと正直に悲しがれば良かったのかな。泣いたり怒ったり、君とぶつかれば良かったのだろうか。私の君への言動は、正解などないにしたって、いつも間違ってばかりだった気がする。

 君は立派に育った。それは君自身と皆のおかげだ。もちろん、私以外のね。だが、いつかもし君へ私にしかできないことがあれば、いつだって何でもするつもりだった。だから、お義母さんから連絡をもらったあの日、私はすぐに決断した。
 もしかして、もう誰かに聞いているかもしれないね。ぎりぎりまで隠してもらうようお願いしていたんだけれど。そう、君の身体の中には私の一部がある。私の身体から取り出され、君に移植された、私の臓器。それは、これからの君の人生を共に歩むのだ。私の身体の残りの細胞は、君に移植された臓器のことをきっと羨ましく思っていることだろう。これからずっと、誰よりも君の近くにあることができるのだから。正直に言って、私自身がとても羨ましい。気持ち悪いと思われるかもしれないな。でも、これが私の素直な気持ちだ。それにしても、最後まで隠しきらずにこうやって君に知って欲しがる、私はやっぱり自分勝手なやつだね。
 何はともあれ、君はこれで健康体になれるそうだ。まだしばらくは入院していなければならないし、何年かは薬も手放せないかもわからないが、それでもいつかは良くなる。あの医者がそう言っていたのだから、間違いはない。君は元気になって、大学に戻って、卒業して、就職して、そしていつか良い人に出会い、結ばれる。幸せになる。何を知ったようなことを、と思うかい。いつも君は私にそう怒っていたそうじゃないか。でもね、こればっかりは本当に私は知っているのだ。君は幸せになる。そうと決まっている。君が生まれたその日から、必ずそうと決まっているのだ。少しも疑ったことはない。そして、君が幸せでいさえすれば、いや、君が生きてさえいてくれれば、私は世界で一番幸せなのだ。たとえ、その世界に私の居場所はないとしても。
 君はこの入院中に十八になった。名実ともに成人だ。だから、嫌がる君に父親面をするのはもう辞めようと思う。そもそも父親面などできてはいなかったが。もちろん、私が君の父親であることにはかわりはない。そのことは君がいくら嫌がったって変えることはできない。それでも、君には私とはもう会わないでいる自由がある。君が以前からそう望んでいたようにね。
 君の希望を叶えよう。
 もう、君は嫌いな父親にわざわざ会わなくていい。君は大人なのだから、親に縛られる必要などない。どうだい、ほっとしたかい。
 でも、私は意地悪だから、書いてしまうよ。君はきっと忘れられない。君の中に私のものだった臓器が生きている限り、君は私を忘れ去ることはできない。君はそこまで薄情にはなれない、そういう子だからね。君はいつだって私にはそっけないが、とてもいい子なんだ。ほら、また何を知ったようなことを、ってね。
 これではまるで呪いのようだな。またまた怒らせてしまったかな。私は君を怒らせることだけは誰よりも得意なんだ。こんなことは誇るようなことでもないんだが。でもなぜだろう、私は少しうれしいのだ。君は怒った顔も悪くないよ。だから、思い切り怒るといい。

 随分と長くなってしまった、そろそろこの手紙も終わらせるとしよう。
 もし、君の気が変わって。未練がましいな。でも、書かせてくれ。君が、私に会いたくなったら。そんな日が来るだろうか。来ないかもしれないが、来ないとも限らないはずだ。だから、書いておく。
 君は私の世界の中心だ。これまでも、これからも。それだけはずっと変わらない。
 君が望みさえすれば、私はいつだって君に会いに行く。どこからでも駆けつける。約束しよう、きっとだ。私はろくでもない父親だが、君に嘘をついたことは一度たりともないはずなんだ。多分。

 だが、実のところ、今すぐには難しい。というのも、ドナーである私自身もそれなりの大手術を受けたわけで、君の隣の病室でこの手紙を書いているのだが、私より長い手術を受けた君がもう随分歩けるようになったというのに、私ときたら

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 手紙は、唐突に終わっていた。病室のゴミ箱に放り込まれていたものを読むなんて我ながら悪趣味だと思ったが、つい好奇心に負けてしまったのだ。
 この病室に入院していた男性は、今日退院した。娘の手を引いて、いや、手を引かれて。とにかく、手を繋いで。
 私は手紙の最後の文字をじっと見つめる。激しく動揺したのか、「ら」の文字はひどく乱れていた。
 これはただの推測だが、ちょうど彼がこの文字を書いていたとき、彼の病室に思わぬ来客があったのだろう。たとえば、彼がちょうどしたためていた手紙の、まさにその相手とか。
 私は手にした便箋を折り畳み、白衣のポケットに仕舞い込んだ。次の外来で彼らに再会したとき、あの不器用で強がりな父親をひどく慌てさせてやろうと企みながら――。