instagram

ネバーランドへようこそ

 エム博士はタイムマシンを発明した。彼は早速息子のエヌを連れ、未来に向かって出発する。
「パパ、何年後に行くの?」
「そうだな、せっかくだから一千年後にしようか」
 息子のエヌは興味深げに機内を見回していた。エム博士はあわてて彼を遮る。
「勝手に触るんじゃないぞ。故障したら大変だ。帰れなくなる」
「はい、パパ」
 エヌは大人しく真面目で、エム博士の自慢の息子だった。今も従順な答えを父親に返し、座席について手を膝の上に乗せる。エム博士は満足げにうなずいた。これでこそ我が息子。
 機体がガタガタと揺れたかと思うと、機会音声が千年後への到着を知らせた。エム博士は念のために拳銃をポケットに入れ、息子を機内に残したままそっと外へ顔を出す。見渡すと、辺りは緑豊かな野原だった。いわゆる近未来的な光景を頭に描いていたエム博士は、意表を衝かれて目を瞬かせる。
「ここに残っていなさい。いいね」
 エヌに言い聞かせ、エム博士は地面に降り立った。草や地面に触れてみるが、ちゃんと自然のものだった。人工物らしくはない。
「やあ、いらっしゃい」
 突然の声に、エム博士は飛び上がった。振り向いたところに立っているのは、ひとりの少女。ぺこりと小さくお辞儀をして微笑む。
「あなたが来るということは時空観測機で知っていました。さあどうぞどうぞ」
「は、はあ……」
 少女の放つ友好的なムードに押されて、エム博士は彼女に従って移動する。乗せられたのはつるりとした車で、タイヤはない。地面からふわりと浮き上がり、音もなく飛び上がった。
「やあ、これはすごい」
 少女はくすりと笑った。車にはエム博士と少女しか乗っていないが、彼女が運転しているのだろうか。子供にも扱えるほど操作が簡単なのかもしれない。
「街にご案内しますわ」
 高層ビルの立ち並ぶ光景を予想していたエム博士は、窓から下を覗いて驚いた。ビルなどひとつもない。エム博士の時代の別荘地のような、のどかな風景が広がっている。ある意味、千年前よりもよほど田舎じみていた。
「驚かれましたか?」
 少女はエム博士のこころを読んだかのように話し掛けてきた。
「え、ええ。まあ」
「人口が厳密にコントロールされているので、都市計画が建てやすいのです。現在では地球全体の恒常性にとって最適な人口数が維持されています」
「ほほう」
「さあ、つきましたよ」
 少女は車から降り、エム博士を手招いた。エム博士はおっかなびっくり、彼女に連れられるままふらふらと街を歩く。行き交うのは少女と同い年くらいの子供ばかりだった。時折頭上を車が飛んでいく。あれを運転しているのも子供なのだろうか、とエム博士は考えた。
「ところで、先ほどから子供しか見ませんが」
「そうですね」
「大人は皆、どこにいるのですか? 働きにでも出ているのですか?」
「違います。大人はもう、いないんです」
「え?」
 エム博士はぴたりと立ち止まった。少女はくるりと振り返る。
「私たちは子どもの体のまま生きるのです。その方がエネルギー効率もいいし、何か病気になった時も治療が容易なので」
「し、しかし子どものままでは……子どもが……」
 口ごもるエム博士に、少女は笑い掛けた。
「私たちは自由です。いつまで生きるのも、いつ死ぬのかも、自由」
「自由……」
「私、言いましたよね。人口が一定だって。自分の死を決めたら、私たちは手続きをします。自分の子どもを作る手続きです。私たちは自分が死ななければ子どもを作ることはできません」
「な、何ですって……!」
 エム博士の脳裏にエヌの顔が浮かんだ。
「では、生まれた子どもは一体誰が育てるのです?!」
「精神が十分成長を遂げるまで面倒を見る、教育施設があります。その後は皆、ひとり立ちしていくんですよ」
「しかし子どもには親が必要でしょう?!」
 わめくエム博士に、少女はまた笑った。それはどこか、冷ややかな笑いだった。
「しかし、私たちはもう二百年以上このシステムでうまくやっています。誰も困ってなんていません。私たちは、自由なのです」
「馬鹿な……」
「私たちは『誰かの子ども』として生まれるのではなく、最初から一個の人格として尊重される。環境に影響されることなく、平等に育つことができる」
「…………」
 エム博士は慌てて周囲を見渡した。無邪気に笑う子どもたち。生き生きとしていた。
「私たちは何の義務も負わない。自分のために生きて、自分のために死ぬ。しあわせだと思います」
「私には、理解できない……」
「そうですか、残念です。あなたの息子さんはわかってくれたのに」
「え?」
 エム博士は呆気に取られて聞き返した。
「エヌは外になど出ていないはずだが」
「それがあなたの命令だから、ですか?」
「…………」
「さっき仲間から連絡がありました。エヌ君はこの世界で生きていきたいそうです」
「何を勝手な、息子をたぶらかすな!」
 怒り心頭に発したエム博士を、辺りにいた子どもたちが取り押さえる。少女は彼から少し離れた場所でせせら笑った。
「エヌ君が『お父さんといっしょに帰りたい』と言えば、二人で過去に帰してあげるつもりだったのだけど……。エヌ君は自由になりたいんですって」
「嘘だ、エヌがそんなことを言うはずがない!」
「……どうやらエヌ君の言うのは本当のようね。あなたは息子を支配しようとしている。他人の自由を侵害するのはこの世界において最も重い罪」
「私はあれの親だ!」
「だから?」
「親には子どもを導き、教育する義務がある」
「でも、あなたに彼から自由を奪う権利はない」
「奪ってなどいない!」
「……ふむ」
 少女は軽く首を傾げた。
「私も文献で読んで知っていただけなのだけど……親というのはとんでもない生き物なのね。恐ろしいわ」
「まったくだ」
 エム博士を取り押さえている子どもたちも口々に同意する。
「そもそもエヌ君はオカアサンと一緒にいたかったそうじゃないか」
「リコンするからって、好きなひとと離されるのはつらかっただろうな」
「音楽が好きなのに、科学者にならなきゃいけないんだって」
「成績が悪いと殴られるんだと」
「外出するのも許可がいるんだそうだ」
「そりゃあひどい」
「ひどい!」
「あんまりだ!」
「エヌ君は、我々が保護します」
 少女は厳かに、エム博士に宣言した。
「もし彼が帰りたいと願えば、いつでもあなたの時代に送り返しましょう。ただし、彼が望まない限りは――」
 エム博士はもがいた。しかし、その口元に何かが押し当てられる。薬品臭を感じた途端、意識が薄れた。
「さよなら」
 その声は、エヌのものに良く似ていた。

  × × ×

 エム博士が目を覚ますと、そこは自宅のベッドの上だった。飛び上がって叫ぶ。
「エヌ!!」
「何、パパ」
 駆け寄ってくる息子を抱き寄せ、エム博士は号泣した。エヌは驚いて言う。
「どうしたの、パパ。今回のタイムマシンは失敗だったけど、次はきっとうまくいくよ」
「いいんだ。タイムマシンの研究は、もうやめだ」
「え、どうして……」
「エヌ。次の休みは母さんに会いに行こうか」
「え、いいの?!」
 エヌは顔を輝かせる。エム博士はうなずいた。
「ああ。バイオリンのレッスンも、続けていいぞ」
「ありがとう、パパ!」
 狂喜する息子を置いて、エム博士はよろよろと部屋を出て行く。冷たい水が飲みたかった。

  × × ×

 エヌはエム博士の背中を見送り、やがてぽつりとつぶやく。
「それでも、ぼくは知ってたから――パパがぼくを愛しているって。だから、帰って来たんだよ。パパ」
 庭を見下ろす。そこには彼の壊したタイムマシンの残骸が……。