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食堂車にて

 その列車(トーグ)は、滑るようにレールの上を走っている。
 やや遅めのランチを取ろうと、イェラは食堂車に向かった。自動扉が開いて一歩踏み込むと同時、ややトーンの高い先客の声が耳に飛び込んでくる。
「今見えたのは? 鳥かな?」
「アッシュ、いいから脇見せずに食べなさい」
「わかった、調べてみよう」
「エイワズ、図鑑は後だ。仕舞いなさい」
「アッシュ、この鳥であっているか?」
「ああ、多分それだ――へえ、渡り鳥だったのか」
「うん、僕らの故郷近くにも真夏には訪れるらしい」
「なるほど、帰ったら探してみよう」
「ふたりとも、せっかくの食事が冷めてしまうだろう……」
 ぐったりと呟いているのはイェラと同年代くらい、三十代半ばほどの男だった。その向かいに、ふたりの少年が肩を並べて座っている。そのふたりの似通った風貌は双子か、或いは年の近い兄弟だろう。少年らと男とはさほど似ていなかった。
 思わずくすりと笑ったイェラに気付き、三人がいっせいに彼女を見た。イェラは慌てて軽く頭を下げる。
「あら、失礼」
「こちらこそ、うるさくしてすみません」
 男が席から立ち、丁寧に頭を下げた。兄弟もまた顔を見合わせた後、小声ですみませんと謝罪する。
「別に、謝られるようなことは何も」
 イェラはそう言って、彼らの近くに席を取った。
「ただ、あまりにも仲の良さそうな家族旅行に見えたものだから、うらやましくなって」
「おひとりですか?」
「アッシュ、お前」
 男が顔をしかめる。
「すみません、不躾なことを……」
「敢えて好奇心を煽るような言い方をしたのは私よ、アッシュは悪くないわ――アッシュと呼んでも?」
「ええ、もちろん」
 少年は頷いた。イェラは微笑む。
「私はイェラ。ひとり旅よ。夫を少し前に亡くしたの」
「それは……お悔やみを」
 アッシュと、そしてその隣に座るエイワズという名の少年が神妙な顔で口々に呟く。男は気遣わしげに――そして、少しばかり不審そうにイェラを見つめた。その視線には気付かないふりをして、イェラは少年らに話し掛ける。
「それで? さっきの騒ぎは何だったの? 鳥ですって?」
「ええ」
 口を開いたのはエイワズだった。ふたりの少年は揃ってふわふわとした金髪と鮮やかな紫眼の持ち主だ。そのふたりが、揃ってエイワズの手元のタブレットを覗き込む。きっとそこに図鑑が表示されているのだろう。
「恐らく、スーヴァンの群れではないかと思うんです。全身が白かったし、群れを成していて、この時期にワグナ湖にいるというと……」
「そうね、きっとスーヴァンでしょう。ということは、皆さんはノレステルからご乗車ね?」
 イェラの台詞に、少年たちは揃って目を丸くした――アッシュは目玉が零れ落ちそうなほど、エイワズはかすかに。
「何故それを?」
「さっき、その鳥が真夏に貴方たちの故郷近くにも訪れるといったでしょう? スーヴァンが真夏に飛来する湖で有名なものといえばラクス湖。その近くでこの列車に乗車できる場所といえば?」
「なるほど、簡単な連想ゲームだったか」
 エイワズが真顔で頷く。隣でアッシュがやや興奮したように頬を染めた。
「イェラ、貴方は鳥に詳しいの?」
「鳥に、というか……」
 イェラは少し困ったように微笑み、こぼれた赤毛をかき上げた。
「夫が、生物学――特に動植物に関する学者だったのよ。元々彼とは大学で出会ったから、私も少しはかじっているわ。貴方のその図鑑の編者にも、夫の名があるんじゃないかしら?」
 エイワズがタブレットを操作する。
「ええと、ご主人のお名前は?」
「ソーンよ。ソーン・マシユー」
「本当だ!」
 タブレットを覗き込んだアッシュが声を上げる。そして、男の方をちらと見遣った。
「名前が一緒だね、ソーン」
「あら、そうなの?」
 イェラの視線に、男は困ったようにその短いアッシュグレイの髪を掻いた。
「ええ、まあ……。僕の名はソーン。ソーン・ギルクです」
「奇遇ね」
「ええ」
 イェラは三人のテーブルの上をちらと見遣った。兄弟の食べ掛けのスープは、もはや完全に冷え切ってしまっている。ソーンのスープマグは空で、パンとメイン料理はまだ出てきていないようだ。
「ごめんなさい、お食事の邪魔をしたわね。私のオーダーと一緒に、代わりのスープを注文しましょう」
「冷めていたのはその前からだよ?」
「そうですよ、そんな、申し訳ない……」
 きょとんとするアッシュと恐縮するソーンに、イェラはゆるくかぶりを振った。軽く手を挙げてウェイターを呼ぶ。
「お近付きのしるし。しばらく同じ列車で旅をする者同士、ね?」
「……ありがとう、イェラ」
 素直な様子で礼を口にするエイワズに、イェラは微笑を深めた。
「どういたしまして」

 少年たちは食事を摂りながら、自分たちの身の上について簡単に紹介をした。アッシュとエイワズはやはり双子で、十五歳。高名なキルス・オロー博士の孫にあたるという。ソーン・ギルクはオロー博士の助手のうちのひとりで、両親のいない双子にとっては年の離れた兄のような存在だそうだ。
 その彼らがこの列車――大陸環状観光列車(トゥリス・トーグ)に乗っているのにはある理由があって、それは双子が次の秋学期から飛び級で中央(セントレア)の大学に通うことになったから、だそうだ。
「僕らはほとんどノレステル地方から出たことがなくてね」
 アッシュが饒舌に語る。
「中央に行く前に少しは見識を広げておく方がいいと、祖父が」
「ちょうど、入学までには長い夏休みもあることですから」
 と、落ち着き払ってエイワズが付け加えた。
 確かに、とイェラは思った。この列車は大陸をぐるりと環状に回る。北方のノル地方を頂点として、彼らの故郷であるノレステルを経由し、ぐるりと左回りに。あくまで観光列車であって高速移動を目的としてはいないから、周回にはひとつき以上の時間を要するし、各駅での滞在時間も長い。大きな街に停車したときは観光のために二日、三日と停車したままのこともある。
 大抵の乗客は時間と財産に余裕のある老夫婦ばかりで、イェラやソーンのような「若輩者」すら珍しい。双子の年齢ならなおさらだった。
 彼らは、共に二等の客室に滞在していることも分かった。隣同士でこそないものの、一層親しみが湧く。
「これも何かのご縁ね」
 イェラはあおあおとしたサラダをつつきながら言った。
「良かったら、時々ご一緒させていただいてもいいかしら」
 停車中には辺りを散策したり、観光したりする時間もある。ひとりより誰か連れがいるとありがたいのだけど、と彼女は言った。
「ええ、もちろん!」
 と答えたのはアッシュだった。エイワズは無言で頷き、ソーンは困惑したように眉を下げる。
「僕らは構いませんが、いろいろと騒がしくてご迷惑を掛けるのでは……」
「全然。今更だけど、ひとりでひとつきの旅行も長いなって思っていたところだったのよ」
「まあ、そういうことなら……」
 と、ソーンは頷いた。そして、双子に向かって言う。
「あまりご迷惑を掛けないように」
「はいはーい」
「わかった」
 にこにこと屈託なく笑うアッシュと、真顔で頷くエイワズ。
 ――貴方との思い出の場所で、思わぬ旅の連れができたわ、ソーン。イェラは脳裏に浮かぶ夫の面影に向かって、そっとつぶやいた。

 ランチを終える頃には、イェラはこの思わぬ旅の連れたちにすっかり満足していた。双子は顔だちこそ良く似ていたが、その表情も立ち振る舞いも全く違っていた。アッシュは人懐こく溌溂としていて、くるくると変わる表情が印象的な少年。エイワズは冷静沈着で、見た目よりも大人びた物腰だ。だが、両者に共通しているところもあった。たとえば様々なものへの好奇心や知識欲、そして互いへの愛情。何よりも、いい子たちだわ、とイェラは思った。ソーンはひたすらイェラに恐縮していたが、彼もまた感じの良い男だった――別に、亡き夫と同じ名前だからというわけではないのだけれど。
 食事を終えた彼ら四人はひとつのテーブルを囲んで、ゆっくりとお茶を楽しんだ。しばらくの間は、停車する予定の駅もない。
 不意に、アッシュがぐるりと辺りを見回した。
「この列車、客以外にほとんど人間は乗っていないんだってね」
「ええ、そうね。そこは、前に乗った十年前と大きく変わったわ」
 イェラが頷く。彼女がかつて夫と新婚旅行で乗車した時には、乗務員は当然のようにすべて人間であった。それが、この十年でがらりと変わった。現行では乗務員の九割がヒューマノイド・ロボットである。ひとそっくりの形をした、ひと型の機械生命(ロボット)
 先ほどから給仕してくれているウェイターもそうだし、裏のキッチンで料理しているコックもそうだろう。ベッドメイクするメイドも、車体のメンテナンスを行う整備士も。恐らく、人間は各チームのリーダーにしか存在していないのではないか。
「特に、北部ではヒューマノイドの普及が著しいわね。何と言ってもオロー博士のお膝元ですもの」
 彼ら双子の祖父であるオロー博士は、ヒューマノイド開発の第一人者のはずだ。それを聞いて、エイワズはわずかに目を細める。
「詳しいんですね、イェラ」
「詳しいという程ではないけど。ちょうど、うちもヒューマノイドのメイドをひとり雇ったところなのよね」
 イェラの家は、双子の故郷であるノレステル地方のやや南西にある郊外の街にあって、大陸全体から見れば「北部」に位置づけられる場所だ。
「特に北部では労働人口の減少が進んでいますからね。ヒューマノイドは今後我々の文明の維持には不可欠になっていくと思いますよ――いえ、既にそうなりつつあると言ってもいいかもしれません」
 ソーンは真面目な顔でそう言った。その研究者然とした表情に、イェラは亡き夫を思い出す。顔立ちは少しも似ていないのに、不思議なことだ、と思った。
「ええ、そうなのでしょうね……」
 イェラは胸中に去来した感情を飲み込んで、ただ静かに微笑んだ。
「実際に雇ってみての感想だけど、あまり人間のメイドとの違いは感じないのよ。とてもいい子だわ」
「それは、雇い主からそういう感想が引き出せるようにプログラミングされているから」
 エイワズがすらすらと言った。
「つまり、今の汎用モデルとなっているヒューマノイドは、人間の反応を見ながら自分の言動を微調整できるようになっているんです。貴方好みの振る舞いができるように、貴方からのリアクションに応じて行動プログラムを自分で書き換えることができる。そういった各ヒューマノイドに生じたプログラムの変更は、ネットワークを通じて中央サーバ上の制御システムに集積、分析された上で、必要に応じて各個体にフィードバックされます。その過程がすべて人間の手を介さずにできるようになったこと、それは近年の大きな進歩ですね」
「何だかそう聞くと大層なことのように聞こえるけれど」
 とイェラは肩をすくめてカップの中のお茶をひと啜りした。
「雇い主に好かれようとしてみせるのは、人間も同じじゃない? その方がお得だもの」
「……まあ、それもそうなんですけど」
 エイワズはあっさりと同意する。
「ぱっと見じゃあ、区別もつかないしねえ」
 アッシュは屈託なく笑った。当然、実際はヒューマノイドと人間とは簡単に識別できるようになっている。たとえば、イェラの家のメイドはうなじに機体番号が刻印されているし、他にもいろいろと方法はある。だが、機体番号は髪を下ろして目立たなくすることもできるのだ。
 この列車に乗務しているヒューマノイドたちも、一見しただけでは人間と区別がつかない。まあ、その方がこちらとしては落ち着くわよね、とイェラは言った。エイワズが頷く。
「それこそが、敢えてロボットを人間型そっくりに作っている目的でしょうから」
 アッシュは付け加える。
「それに、普通に生活していて両者を区別しないといけないことって、実はあんまりないんだよね」
「調子が悪くなった時の対処が違うくらいかしら? 人間は病院へ、ヒューマノイドはメーカーに連絡、そうでしょう?」
「そうだね。ヒューマノイドはあくまで人工物、工業製品だから――」
 ちょうどその時、窓からの光が陰り、列車がトンネルに入ったことに気付かされた。相変わらず揺れが少なく、こうしていると列車に乗っているということを忘れてしまいそうになる。さすが、大陸随一の豪華列車を謳うだけのことはあるわ、とイェラは思った。
「ロキ山脈を貫くトンネルだ。抜けるまでには少し長くかかるよ」
 エイワズがアッシュに説明するような口調で言った。アッシュはふんふんと頷き、カップに残っていたお茶を飲み干す。
 その時、ソーンが不意に立ち上がった。
「少し、お手洗いに行ってくる」
「大丈夫ですか、気分が悪いとか……?」
 先ほどよりも、彼の顔色が悪く見える。気遣うイェラに、ソーンはかぶりを振った。
「いえ、何ともありません」
「お腹が痛いの? 大丈夫?」
 直球に尋ねるアッシュを、エイワズが小声で窘める。ソーンは苦笑した。
「違うよ。それに、本当に大丈夫だから。じゃ、ちょっと失礼」
 ソーンはイェラに軽く会釈をすると、レストルームへと向かった。
「……そこまで重症じゃなさそうですね」
 エイワズが彼を見送って呟く。確かに、ソーンの足取りはしっかりとしていた。
「ソーンは昔から僕らのお世話係なんだよ」
 アッシュが笑って言った。
「ね? エイワズ」
「ああ、そうだな」
 イェラは微笑んだ。
「最初見たとき、年の離れた兄弟なのかなって思ったわ」
「ああ、良く言われる」
「父親に間違われると、さすがのソーンもむっとするようだね」
「――お茶のおかわりはいかがですか?」
 ポットを持ったウェイターが彼らに声を掛ける。
「いただきます」
 アッシュがそう言ってカップを差し出すと、ウェイターは微笑んでそこにお茶を注ぐ。――その身のこなし、表情、すべては人間と少しも変わるところがないように見えるのだった。

 レストルームの個室に入ったソーンはドアを閉めて鍵を掛けると、どこか落ち着かない様子でシャツのポケットから一枚の紙きれを取り出した。皺の付いたそれには、短い走り書きがされている。
“――どちらが人間だ?”
「…………」
 ソーンはそれを眺めて、深く深くため息をついた。
「そんなのわかるわけありませんよ、博士……」