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ロメリオ地区

 大陸環状観光列車(トゥリス・トーグ)のロメリオ駅での停車時間は約二十四時間と比較的長めに設定されていたが、それでも時間が足りるだろうかとアッシュは心配していた。
「ここは街がまるごと美術館のようなものなんだから」
「だからといって、夜に列車を抜け出すんじゃないぞ」
 ソーンが釘をさす。
「わかっているよ。夜二十二時から朝の六時まで、列車の乗降口は施錠されてしまうもの」
「それならいいが……」
 イェラは彼らのやり取りに笑みを漏らしながら、熱心にタブレットを見つめているエイワズに声を掛けた。
「予習をしているの?」
「ええ……まあ」
 アッシュとエイワズは双子だ。顔立ちは非常に良く似ているし、揃って頭の回転も速いのだが、立ち居振る舞いは随分と異なっている。今もホームの上で駆け出しかねないアッシュとは対照的に、エイワズは落ち着いた速度で歩いていた。
「美術品を鑑賞するときは、その歴史背景についても知っていた方がいいと……祖父が」
「なるほど」
 イェラは頷いた。
「それは確かね。私も以前一度来た時、もう少し歴史を勉強しておくんだったと後悔したわ」
「そうですか」
 エイワズがイェラを見上げる。あと一年もしないうちに、成長期のこの少年はきっと自分の身長を追い抜かすだろう、とイェラは思った。その時を近くで見ることができないのは、少し残念だ……。
「まずはシュルカ大聖堂へ向かおう」
 アッシュが振り返った。シュルカ大聖堂、それはロメリオの中央広場にある有名な聖堂の名だ。
「ああ」
 エイワズが頷く。
「……貴方たち、信仰は?」
 イェラが控えめに尋ねると、エイワズはその目を瞬いた。
「ごく普通ですよ……ノレステルでいう普通、ですけど」
 それはつまり、人生の節目節目に教会に通いはすれど、毎食前に祈りを捧げたり、毎週決まった曜日に礼拝に向かったりするほどの敬虔さはないということだろう、とイェラは解釈した。まあ、北部の一般市民は大抵そんなものだ。
「私は教会付属のスクールに通っていたから、あれこれ厳しく躾けられたわ……まあ、卒業してしばらくしたらほとんど忘れちゃったけど」
 イェラは肩をすくめる。
 ロメリオの街並みは古風ではあったが活気に溢れていた。古い石畳の道路、それに面して並ぶ煉瓦造りの建物。街角のあちこちにカフェがあり、市民たちがゆっくりと寛いでいる。新聞を読んでいる人がいる! とアッシュが抑えた声で叫んだ。確かにこの時代に珍しい、とイェラも目を見張った。彼女の幼い頃ならいざ知らず、最近では新聞を売る店も随分少なくなったと思っていたが、ここではそうではないのかもしれない。刻一刻変化する情報を紙に印刷して売るということ、それを買う人がいるということ……確かに不思議だわ、とイェラは思った。今ならタブレットにいくらでもニュースをダウンロードできるし、しかもそれは常に最新のものと差し替えられるのに。
「記念に一部買ってみるか?」
 とソーンが提案した。
「いいの?」
 アッシュが驚いたように言う。ソーンは鷹揚に頷いた。
「記念になるだろう?」
「新聞は、一度買えばその紙面は変わらない。『今日』を切り取るのには適しているよね」
 エイワズが頷いた。
「つまり――たとえ後日別の事実が明らかになろうとも、今この時点での、もっといえばそれが刷られた時点での『真実』が保管されるんだ。面白いよ」
 アッシュがうんうんと首を縦に振った。
「ダウンロードしたニュースって、ヴァージョンアップすると前のは見られなくなるもんなー」
「ま、配信元は保管しているんだろうけど……」
「とりあえず、一部買ってきてやるよ」
 ソーンは言うと、少し駆けて、街角のスタンドから新聞を一部買ってきた。粗悪な紙質とインクの香りが懐かしい、とイェラは思う。どこか、祖父を思い出すような……。アッシュは目を輝かせてそれを受け取り、大切そうに鞄に仕舞い込んだ。
「帰ってからゆっくり読もう。な、エイワズ」
「そうしよう」
 仲の良い双子はそう頷き合うと、再びシュルカ大聖堂へ向かって歩き出すのだった。

 シュルカ大聖堂――またの名を白亜の大聖堂。年月を経てもその白い輝きは褪せることなく、訪問者を圧倒する。聳え立つ尖塔の群れは、まるで天を突き上げるかのようだった。
「すげえ」
 アッシュは興奮したように言い、じっと外壁を見上げる。そこには無数の彫刻が刻み込まれていた。一部風化しているものもあるが、それでもその迫力は少しも損なわれていない。天使、動物、聖人、女性、子供たち――そして、それらに追い払われるように身を隠す悪魔、悪鬼。
「ここは、当時ロメリオを収めていた領主の作り上げたものだそうだ」
 エイワズが解説する。
「さ、中に入るぞ。あまりここで時間を使うと、後で足りなくなる」
「おう」
 四人は自分たちの背丈の二三倍はある扉を潜った。
 聖堂の内部の造りは、一般的な教会とそう大きくは違わない。並べられた長椅子、そして最奥に位置する祭壇。だが、ひとつひとつの窓に施されたステンドグラスの華やかさ、巧緻さ、そして壁際や隅々に置かれた彫刻、絵画の見事さ。それらは、他の教会の追随を許さぬものであった。
「これは……美しい」
 ソーンが息を呑む。彼だけではない、ここに立ち入ったもの全てが同じように息を呑み、感嘆の台詞を漏らさずにはいられなかった。そしてそれは、双子やイェラも例外ではない。
「これが造られたのは約八百年前――実際は造るのに百年以上掛かっているんだけど」
 エイワズが呟いた。
「すごい……よね。当時の技術で、これだけのものを……」
「そうね」
 イェラは頷く。
「きっと、昔の人も今の私たちと同じように、これを見て美しいって感動したのよね。そう思うと、何だか不思議な気分になるわ」
「ええ」
 エイワズは頷いて、ステンドグラスの並ぶ窓際に歩み寄った。イェラはその後に続く。神の子と悪魔の対面、そして悪魔の敗北。聖人の殉教。神の起こした奇跡。それらが、一枚一枚緻密に描かれている。
「これらの絵は、当時字の読めなかったひとびとに信仰や教義を教える役割を担っていたそうです。まあ、絵本みたいなものですかね? これをひとびとに示しながら、司教たちは語り聞かせたのでしょう」
「…………」
「今はもう、そんな役割はしていないのでしょうが」
 エイワズは眩しげに目を細めた。
「それでも、大勢のひとびとがこの前に立ち止まって、これを見上げた……それぞれの感じることは違っても、これからもきっと、それは続く」
「ええ。続いてほしいわね……ずっと」
 イェラは、かつてここに来た時の亡き夫の言葉を思い出す――ここはね、過去の戦争でも敢えて狙われなかったんだ。だから無事なんだよ。あまりにも価値があるからってね……不思議なものだよね、今まさに生きている市民を爆撃することは厭わなくても、過去の遺産には手を出せないなんて。理解できない価値観ではないけれど、でもやっぱりちょっともやもやするかな。それを聞いたとき、イェラは言ったものだった。「これから先は、戦争そのものが起こらないことを願いたいわね」と。彼女がそう言った時、夫は何と言ったのだったか……少しだけ寂しげに微笑んで、そして……。
 イェラがふと気付くと、アッシュとエイワズは揃ってひとつの彫刻の前に佇んでいた。死した神の子を抱く聖母の像。この聖堂を代表するといってもいい、高名なものだ。
「……すごい」
 アッシュはため息混じりに嘆息した。
「見てよ、あの布の質感……どう見てもシルクだよ、石でできているなんて思えない」
「今にも風に揺れそうだな」
 エイワズも同意した。
「それにあの肌、押したら窪みそうだし、髪も……」
「アッシュ、押すなよ」
「押さないよ!」
 薔薇色に頬を上気させて言い合う双子を見つめながら、イェラは夫の言葉をぼんやりと思い出していた――「きっと、この先に起こる戦争は爆撃機を使うようなものじゃなくなっていくだろう。でも、戦争そのものは、きっとなくならない。それがたとえ『戦争』という名でなくなったとしても……ね」

 その後も何か所かの聖堂や観光スポットを巡った後、四人はカフェに立ち寄って短い休息を挟み、そしていよいよ満を持してロメリオ地区最大のターヴラ美術館へと足を向けた。疲れていませんか、とソーンがイェラを気遣ったが、彼女は大丈夫だと首を振った。
 館内に入ると、そこここに職員の姿が見えた。こんなに職員がいたかしら、とイェラは不思議に思う。
 職員のひとりに目が合うと、その壮年の男はにこやかに彼らの方へと歩み寄ってきた。
「何かあればいつでもお声掛け下さい。館内のご案内も致しますよ」
「……ヒューマノイドか」
 その男のつけている腕章に書かれた文字を読み、ソーンが呟いた。ああ、とイェラも合点する。
「はい。各展示品についてのご説明も可能です」
「なるほど」
 エイワズが真顔で頷いた。
「それなら、わざわざ予習してこなくても大丈夫ってことだ」
「予習を?」
 そのヒューマノイドはエイワズを見下ろし柔和に微笑んだ。
「作者や、彼らの生きた時代背景についてでしょうか? 確かに、それらをご存知であればより楽しめる作品も多いですからね」
「せっかくだから案内してもらおうよ!」
 アッシュは言った後、はっとしたように質問した。
「お金は掛かるの?」
「いえ、チケット以外のお代金は必要ありません」
「じゃあ、よろしく頼むね!」
 アッシュの言葉に、ヒューマノイドは恭しく一礼した。
「――畏まりました」
 ソーンとイェラはどちらともなく顔を見合わせ、肩をすくめた。そして、四人と一体のヒューマノイドは、共に館内を巡ることとなったのである。
 結論から言えば、ヒューマノイドの同伴は非常に有意義なものであった。彼ら以外の入館者のほとんどがヒューマノイドを利用していたのも頷ける。作品の前で立ち止まると、しばし沈黙。じっくりとそれを鑑賞する時間を与え、やがてぽつぽつとその作品の来歴や背景を語り始める。
「これは神話の一風景、女神の誕生のシーンですね。発注したのは当時の大富豪で……、」
 とヒューマノイドは落ち着いた声で語る。聞き取りやすい、それでいて決して他の客の耳障りにはならないであろう、絶妙な音量とトーンだった。
「こちらは王族の肖像画です。この数年後、彼は革命によって死刑に処されてしまうのですが……、」
「これがまさにその処刑の直前のシーンです。無論、画家は実際にその場面を見たわけではありません。しかし、地面に敷かれた藁や処刑人の持つ斧、いままさに膝をつこうとする彼の姿勢など、臨場感は十分です……」
「こちらの画家は郊外に生きる庶民の生活を主に描きました。我々の目には長閑な美しい田園風景としか見えませんが、当時の農村は地主の搾取に喘ぎ、天候に苛まれ、非常に苦しい生活を強いられておりました。画家は何を思い、何を訴えようとこの風景を描いたのか……、」
「ねえねえ」
 しばらく巡った後、アッシュはヒューマノイドに尋ねた。
「君の目にも、絵は『美しい』とか『綺麗だ』とか、そういう風に見えるの? さっきから教えてくれるような知識じゃなくてさ……いや、知識も素晴らしいんだけど」
「いわゆる『感想』はあるのか、と聞きたいんだろ?」
「そう。それだよ」
 エイワズの助け舟に、アッシュは頷いた。
 ヒューマノイドは立ち止まり、微笑する。
「さあ、どう思われますか?」
「……あってもおかしくない、と思う」
 エイワズが言った。
「芸術を鑑賞する能力……といえばいいのかな、そういうものって、別に人間に先天的に備わっているものじゃないと思うから」
「まあね。僕ももっと小さい時には正直こういうものにあまり興味はなかったし」
 アッシュは肩をすくめる。
「僕もさ。……まあ、一般的に言ってそういうものだろう」
「…………」
 ソーンは黙って彼らの会話を聞いている。イェラは見るともなくその横顔を眺めた。
「価値観はある程度他者によって作られるものだ。周囲から『これは美しいものだよ』と言われて、僕らはそれを『美しい』と学ぶ。たとえば本物と見紛うほど精緻に表現された絵や彫刻、或いは独特の技法を用いられている作品、見る人を圧倒するような迫力を持つ作品、そういうものを『美しい』だとか『素晴らしい』、と評価するのだとね。今僕らはここに飾られた美術品を見て素晴らしいものだと思うけれど、たとえば今まで一度も絵や写真、芸術の類を見たことがないようなひと、何の前知識もないひとが、ここに連れて来られて同じようにこれらを鑑賞したとして、やはり『美しい』と思うかな?」
「思うかもしれないけど……いや、やっぱり思わないかもしれないな」
「うん、疑わしいよね。だから、絵画そのものが『美しい』んじゃない。見る側が『美しい』と判断するんだ。その判断が、『美しさ』なんだ。絵画の側に『美しさ』が内包されているわけじゃない。だからこそ、ひとによって同じものを見ても評価がばらつく」
 エイワズの言葉を聞いて、うんうん、とアッシュが頷く。
「で、ヒューマノイドに『美しさ』の判断が可能かっていうことだけど――」
「どう思う、アッシュ?」
「可能じゃないかな。つまり、学習すればいいんだ。ひとの反応を見て、こういうものを『美しい』というんだと学ぶ。無論、『美しさ』の基準はひとによってばらつくけれど、その程度のばらつきは彼らの知能で十分処理可能だろう。特に、ここにいるヒューマノイドたちは毎日毎日ここの美術品を見て、そしてそれらを見たひとの反応をも見ている。学習にはいい環境だよね」
「たとえば『好き』な作品だって出てくるかもしれないな。評判の良い絵、あるいは自分にとって良い印象だった客が好んでいた絵……」
「なるほど、面白いことをお考えになりますね」
 ヒューマノイドは音を鳴らすことなく、拍手のような手真似をした。双子は口を噤んで彼を見つめる。
「おっしゃる通り、わたくしにも『好き』な絵はありますし、展示品を見て『美しい』とも思います。ですが、その『感想』はわたくし個人のものではありません……ネットワークに接続されている、この美術館内すべてのヒューマノイドが同一の『感想』を持っているのです。わたくしたちがここで日々お客様と接した経験を共有し、それらを学習することで生まれた『感想』です。無論、それをわざわざお客様にお話しすることはありませんし、そもそもわたくしたちヒューマノイドの持つ『感想』と、人間のお客様の持つ『感想』が同義であるかどうかは判り兼ねますが……」
「…………」
 そのふたつは違うのだろうか、とイェラは思う。自分は生まれてからずっと、両親を通じて――親族を、教師を、友人を、夫を通じて、さまざまなものに触れ、経験し、刺激を受け、それらに対する「感想」を持った。そういった外部刺激によって、彼女なりの「価値観」――たとえば「美しさ」に対する価値基準のような――ができあがったとも言えるだろう。多分、その「価値観」の集合体が彼女という人格だ。つまり、たとえそれが無意識であったとしても、今の自分を作り上げているのは外部からのインプットに拠るところが大きいのであって、それを自己の内部で処理し、思考や言語という形にアウトプットすることではじめて自分という「個」が生まれる、ということか。
 では、それとヒューマノイドが経験から「学ん」でそれらしく「振る舞う」ようになるのとは、一体何が違うのだろう? 彼らがネットワークに接続された「個」ではない点……それだけだろうか?
 ヒューマノイドは軽く咳払いすると、控えめに問い掛けた。
「これで、ご質問のお答えになりましたでしょうか?」
「うん、良く分かった」
 とアッシュが頷いた。隣のエイワズも、特に異論はなさそうだ。
「しかし、わたくしにそういったことをお尋ねになった方は今までおられませんでしたので、少しばかり驚きましたよ」
「すみませんね、困らせてしまって」
 ソーンが声を掛けると、ヒューマノイドは首を横に振った。
「いいえ、特に困ってはおりません。問題はありません」
「……そうか、なら良かった」
「面白いことを考えるのね、ふたりとも」
 イェラが言うと、ふたりは良く似た表情で顔を見合わせた。
「そうかな?」
「僕らはいつもこうだから」
「確かにな」
 ソーンが苦笑する。
「さあ行くぞ、時間がない」
「はーい」
「では、引き続きご案内を……」
「…………」
 双子を追うように歩き始めたヒューマノイドの背中を見つめ、ソーンはぽつりと呟く。
「本当、いつもこうなんだからな……」
 振り返ったイェラに誤魔化すような笑みを浮かべて、ソーンもまたゆっくりと彼らの後を追うのだった。