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ハーヴ岬

  列車トーグを降りると、潮騒の音と潮の匂いをまとうべたついた風が彼らを出迎えた。
  ここは大陸の南端、ハーヴ岬。風光明媚な観光地として人気が高く、古くから王侯の別荘地として名の知られた地であった。現在大陸に王家は現存していないが、特権階級はそのまま富裕層にとってかわられただけかもしれない、とイェラは皮肉っぽく考える。まあ、ものの見ようによってはイェラもその中に含められてしまうのだろうが……確かに、列車で大陸を一周するなどという優雅な旅に出ているのだ、あながち否定もできないか。
「海がまぶしい!」
  目を細めてはしゃぐのは彼女がこの旅で出会った双子の少年のうちのひとり、アッシュだ。
「日差しが強いな」
  アッシュと揃いの紫眼を細めるのはエイワズ。ふたりの鮮やかなブロンドが、水面に負けぬ煌めきを放っていた。
  イェラはお気に入りの麦わら帽子をかぶり、彼らの保護者である青年、ソーンに目を遣る。
「皆さんはどちらへ?」
  基本的に、列車が停車している間の行動は乗客各自に任せられている。定番の観光名所であれば大陸環状観光列車トゥリス・トーグからツアーも出ていて、それに参加する乗客も多かった。イェラも乗車当初は何度かそれに参加したのだが、最近ではそれとは別にこの双子たちと行動を共にすることが多くなっている。
「僕らは水族館に行こうかと」
「ノレステルにも水族館はあったけれど、ここは大陸一の大きさだからね!」
「ここにはヴァルがいるんだろう。僕はまだ見たことがない」
「僕も僕も!」
  口々に言う双子にソーンは苦笑しながら、イェラに問い掛けた。
「やかましくて恐縮ですけど、もし良かったらお付き合い頂けませんか? 僕ひとりでこいつらの相手は正直手に余る」
「イェラは水棲生物にも詳しいの?」
  アッシュがきらきらとした眼差しで彼女を見上げた。――亡き夫が動物学者であり、彼女もまた同じく大学で学んでいたと話したことを覚えていたのだろうか。
「それほど詳しいわけではないけど……」
  イェラはちらとエイワズを見た。彼の手にはいつもの通りタブレット端末がある。彼は自分や双子の片割れの頭に浮かんだ疑問を次々にそれで検索し情報を得るのみならず、片割れとともにそれらを吟味して議論をたたかわせる。何度かその側に居合わせたイェラだったが、彼らのその様相はまるで年齢不相応なものだった。
  ――私はこんな子供たちを見たことがない、とイェラは思う。でも、それは決して好ましくない違和感ではなくて、どちらかというと……。
「一緒に行こうよ、イェラ」
  アッシュは人懐こく彼女の手を引く。こら、と、ソーンが声を掛けるが、イェラは構わないと笑って見せた。
「そうね、一緒に行きましょう」
  以前夫とここに降り立ったときはどうしたのだったか、と思い出す。水族館には行かなかったような気がする。王侯貴族たちの別宅を改築して作られた、小さな美術館ムセウムやカフェが人気で、そういったところをゆっくりと巡ったのではなかったか。
  水族館に行きたいなんて、この子たちにも年齢相応なところもあるのかもしれないわね。イェラはそう考え、笑みを零した。
  日差しの強い路を歩み、彼らはチケットを買って水族館へと足を踏み入れた。大小様々な水槽に囲まれた空間では水の揺らぎが壁にも床にも投影されており、ひんやりと薄暗いことも相まって、自身もまた水中に揺蕩っているような心地になる。
「わあ、綺麗だ」
「これは南方にしか棲まないトロピスクだね」
  エイワズとアッシュは顔を水槽の厚いガラスに近付け、覗き込んだ。彼らの視線の先には、鮮やかな原色をまとった小型の魚が泳いでいる。
「さすが、ノレステルの水族館よりもだいぶ種類が多いな」
「うん……ああ、こっちには水母がいる」
  振り返ったアッシュは驚いたように足を止めた。その視界いっぱいに漂うのは、光を透かすまるい生物。ゆらり、ゆらり、と揺れている。
「透き通ってる……」
「うん」
「体がゼラチン質でできているから透き通って見えるの、不思議よね」
  イェラが口を挟んだ。
「水母、見た目は綺麗なんだけれど、結構飼育が難しいのよ」
「そうなの?」
  アッシュが不思議そうに尋ねた。イェラは頷く。
「一応、彼らも時々泳ぐようなことはするんだけれど、水流を作ってやらないとどんどん水底に沈んでしまうの。沈みそうになると泳いで浮き上がってくるんだけど、それを繰り返しているうちに弱って死んじゃうんだって」
「そうなんだ……」
「ノレステルでも飼育用の水母は手に入るけど、水槽の設備投資に結構なお金が掛かるのよ」
「へえ」
  言ってアッシュはくすりと笑った。
「確かに、このゆらゆらを家でも見ていたくなる気持ちはわかるような気がする」
「癒されるっていうんだろうな、こういうのを」
  どこかぼんやりとした表情で水槽を見つめる双子が珍しくて、イェラも微笑んだ。一歩離れた位置に佇むソーンも、穏やかに彼らを見守っている。
「それにしても……」
  ふと、アッシュが口を開いた。
「なあんにも考えずにふわふわ漂ってるだけの生き物って、なんだか不思議だなあ」
「どちらかといえば、不思議なのは僕らのほうだろう」
  どちらからともなく水母の前の水槽を離れ、水族館の奥へと歩を進めていく。イェラとソーンもその後を追った。
「彼らは――というか僕ら人間以外の生物のほとんどは」
  ――エイワズの声を背景にして、ソーンの歩調がわずかに乱れる。
「自分の種を存続させるためだけに生きている。そういうものだろ?」
「なるほど」
  アッシュはちらと傍らの水槽に目を遣った。
  そこに棲む魚の雌は、産卵と共に死ぬ。雄もまた、生殖行動を終えたあと間もなく死を迎える。稚魚は親を必要とせず育ち、育ったその稚魚もまた親と同じく次世代に命を繋いで死ぬ。
「魚だけじゃない、虫なんてもっと極端だよね。蟻とか蜂とか――」
  ほら始まった、と、イェラは思った。彼らはまるで物語を紡ぐように、交互に語り問いかけながら思索を深めてゆく。
「一匹の女王と一匹の雄。彼らが子孫を残すために、その他大勢の雌が女王や雄の世話をする。彼らは自分の子を産むことすらないんだ。雄だって、やがて必要な雄が選ばれたら残りは用無しだし」
「追い出されるんだっけ。ようは死ぬんでしまうわけだよね。運良く他の巣に転がり込めれば、生存のチャンスはあるかもしれないけれど……」
「かといって、別に彼らがそれを悲観することもないんだろうけどね」
「僕らに彼らの感情を推し量る術はないし、そもそも我々の言うところの感情を彼らが持っているとも思えないが、まあそうだろうね。彼らにとってそれは悲劇ではない」
「ただの日常の営みだから」
「そう。どれだけの個体数が死のうとも、種が存続すれば、維持できればそれでいい。それが全個体にとっての生きる意味であり、死ぬ意味でもある。それは、個体間でほぼ完璧に共有されている」
「ものすごく合理的に見えるよね、一見」
「そう、一見はね」
  アッシュが頷いた。
「代々、全く同じ事を繰り返す。親は子へ、子は孫へ、そっくり同じものを受け継ぎ、受け継がせ続ける」
「まさに輪廻という言葉がふさわしい」
「彼らの営みは円環を成している」
「それでは」
「人間は?」
  言葉を切り、双子は水族館で最大の容積を誇る大水槽の前で足を止めた。数階分の高さはあるであろうその水槽の中で、鯨がゆっくり近づいてくる。
「人間は――?」
  先を促すように、ソーンがぽつりとつぶやいた。双子が同時に振り返る。その眼差しの、奇妙なまでの無機的な輝きに、イェラはぞくりと背筋を震わせた。きっと、水の揺らぎのせいだ。そのせいだ――。
人間ひとの営みは」
「輪廻を裁ち切って、それを」
「螺旋に変えた」
「…………」
  大人ふたりは目の前で繰り広げられる言語のやり取りを、ただ黙って聞いていることしかできなかった。
「ひとの自意識は、強くなり過ぎたのかもしれない」
「言葉を得たから?」
「それは大きいね。個人の経験や思索を他人と共有する術ができたし、時間を超えて保存することもできるようになった」
「言語は自分を他人と共有するためのものなのに、それがむしろ個を促進する方向にはたらくのは興味深いね」
「言葉によって、我々はある時点での経験や思考をセーブすることができる。『続き』という概念ができたんだ」
「物語の続き、だね」
「そう。今日は昨日と分たれ、明日は今日と分かたれる」
「わたしはあなたと分かたれ、あなたはかれらと分かたれる」
「親は子と分かたれ、兄は弟と、姉は妹と分かたれる」
「全ては名を付けられ、区別される」
「わたしの物語とあなたの物語は違うのだ、と」
「あなたの物語と彼らの物語が違うように」
「ひとはもう、その親と同じ物語は歩まない」
「物語は重ならない」
「だから、ひとの巡る輪廻の輪はもう、閉じることはない」
  ――そう語る双子は、まるでふたつでひとつの生命体のように見える。イェラはぼんやりとそう考え、はっとした。
  生命体?
  何故、そこで私は「ふたりでひとりの人間のようだ」とは考えなかった? そう感じなかった?
  まるで、ふたりが人間ではないかのような……。
「だから、螺旋か」
  ソーンが呟く。双子以外の声が聞こえたことに、イェラは妙にほっとした。
「そう。前進の先がどこに向かっているのかは、まだ誰にもわからないけれど……」
  それが進化を加速させているのか、それとも滅びへと向かう破滅への道なのか……。
「確実なのは、もう止まれないってことだ」
  エイワズの言葉と同時に、彼らのそばを悠々と鯨が泳いでいった。
「わあ、おおきい!」
  アッシュが弾んだ声を上げ、水槽に駆け寄る。
「気持ち良さそうだなあ」
「ノレステルに帰ったら泳ぎの練習でもするか」
  ソーンのからかいを含んだ声に、アッシュはげえっと呟いた。
「おれたちは鯨じゃないからいいんだよっ」
「あら、貴方達泳げないの」
「イェラは泳げるの?」
「上手くはないけれど、一応ね」
  子供の頃に習った記憶がある。確か、夫は泳ぎが苦手だった。まあ、泳げなくとも日常生活になんの支障も来さないから、別に困りはしなかったが……。
「…………」
  双子は先程までのやりとりを忘れ去ったかのように、魚についての会話を始めていた。その後をついていきながら、ソーンはぽつりと言った。それは独り言のようでもあったが、イェラの存在を全く勘案していないとは言い切れないような、そんな口調であった。
「……ヒューマノイドの存在は、輪廻でしょうか。螺旋でしょうか」
「…………」
  イェラは少し考える。
「今のところは、輪廻かしら……ほら、中央サーバで彼らは情報を共有していますから……」
「けれど、彼らの今日は昨日とは違う。彼らは言語を持ち、自らのプログラムを書き換えることで自己を変化させる力を持っている」
「…………」
  ソーンはひどく真剣な眼差しで宙をじっと睨んでいた。イェラは口を噤んでその横顔を見遣る。
「いずれ、彼らが『個』としての『意識』を手に入れたなら、そのときは……」
  ――その時は?
  だが、ソーンはそれ以上を口にはしなかった。イェラも追及はしない。
「ソーン」
  その時、不意にアッシュが彼らの若き保護者の名を呼んだ。
「なんだい?」
  研究者の顔を、家族としてのそれに変えて、ソーンは答える。次に口を開いたのはエイワズだった。よく似た声をもつふたりではあるが、口調で彼らを区別することくらいは、イェラにもできるようになっていた。
「個を持つことは、必ずしも問題を引き起こすばかりではないと思うよ」
  彼らはいつの間に、彼の独白を聞いていたのだろうか。双子は振り向くこともなく、また交互に言葉を紡ぐ。
「ひとは、個体を尊重することによって、他の生物が持つような残酷な合理性は捨てたかもしれないけれど――その代わりに多様性を手に入れた」
「たとえば弱いもの、病めるものを切り捨てないこと」
「それが医療であり福祉であって、つまりは」
「個体にあまねく――できるかぎり普くセーフティネットを敷くこと」
「そうやって、ひとは様々なテクノロジーを進歩させてきた。自分を、他人を――或いは未来の自分を、自分の子孫を、運命の手から援けるために」
「……ヒューマノイドも、そのうちのひとつだと?」
  ソーンの問いに、彼らは無言だった。あるいは小さく頷いて見せたのか、どうか。イェラにはわからなかった。
「…………」
  イェラは背を向けた大水槽を振り返る。
  水のゆらめき。光のきらめき。そこを悠々と泳ぐ、魚の群れたち。
  彼らの住まう輪廻の中に、ひとはもう戻れない。それでいいのだわ、とイェラは思った。
  私は、私の物語を歩むのだ――私が「私」である限り。