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ハグリング砂漠

 ディート半島からソーリグ地方へとかかった大陸最長のつり橋、エーヴェル海峡大橋。大陸環状観光列車(トゥリス・トーグ)は、その上をすいすいと通過していく。安全上の理由で列車の窓は開かないが、もし開いていたらアッシュは身を乗り出して外を覗き込んでいたことだろう。
「こんなに大きなつり橋を良く作ったものだよねえ」
「確かにな」
 エイワズが頷く。彼は一見アッシュに比べると平静に見えるが、実際は同じようにこの技術に対して興奮しているのだ――何となく、そういったことが他人であるイェラにも次第に理解できてきた。
 日頃はイェラの方が朝は早く、朝食の時間に食堂車で双子たちに出会うことはほとんどない。だが、今日は例外のようで、その理由がこのつり橋にあることは自明だった。そういえば、昔夫とここに来た時も随分とこの橋に興味を示していた。イェラは正直その気持ちがさっぱりわからなかったのだが、もしかすると性差によるものなのだろうか。一般的に、男性の方が巨大建造物に心惹かれるものなのかもしれない。
「ソーンは?」
「まだ寝てる」
 彼らの保護者の名を出して尋ねると、アッシュがすぐに答えた。
「用があるなら呼んでくるけど」
「いいえ、別に何もないわ。寝かせてあげて」
 イェラはくすくすと笑う。その彼女の側にウェイターが――当然ヒューマノイドだ――佇み、恭しく尋ねた。
「失礼、コーヒーのお代わりは?」
「いただくわ。ありがとう」
「つり橋というからにはケーブルで橋を吊っているわけだけどさ」
 アッシュが呟く。
「ワイヤー強度は相当なのだろうね。それに、陸地はともかく、海中に塔を建てるのは大変だったろうなあ」
 アッシュは窓越しにワイヤーを束ねる塔を見上げた。エイワズが同意する。
「潮流も馬鹿にならないしね。潮流が基礎に当たると、渦が発生して海底をえぐるんだそうだ」
「へえ……そいつへの対策もいるってわけか」
「そう、それにこの塔と塔、並行ではないんだよ。ほら、距離が結構空いているだろう? だから」
「なるほど。これだけ巨大だと、間隔が狭ければ無視できる球面の歪みが問題になるわけか」
「その通り」
 本当に仲の良い双子だ、とイェラは思う。自分には双子ではない姉がいるが、彼らと同年代の頃こんなに仲良くはなかったし、今もさほど仲が良くはない。だからといって仲違いしているとか、嫌っているとか、そういうわけでもないのだが……ただ、少しずつ距離が開いていったのだ。互いの人生の距離が。
「……朝日が綺麗ね」
 イェラは独り言のように言った。この橋は南北方向にかけられていて、東は大陸、西が海洋である。よって、朝日は大陸から顔を出し、水平線から立ち昇ってくるわけではない――だが、東から差す陽の光が西側の海を煌かせ、まぶしいほどの光を放っているのだった。彼女は目を細める。
「ええ、いい天気ですね」
 独り言のつもりで発した言葉であったが、エイワズは当然のように返答した。
「この先はハグリング砂漠でしたか」
「そうね。ちょうど夕暮れ時に駅に着くはずよ……昼間は暑くて歩き回れたものじゃないから」
「なるほど」
 エイワズは頷く。
「確か、フォーゲルボ陵があるのでしたね。楽しみです」
「そうね」
 イェラは二杯目のコーヒーにたっぷりのミルクを注ぎながら同意した。
 フォーゲルボ陵。それは巨大な墓地である。数千年前にハグリング砂漠――当時は砂漠ではなかったのだが――で隆盛を極めた古代王朝の建設した複数の陵墓のうち、最大にして最高傑作といわれるものである。かつては何度となく盗掘の被害に遭ってきたらしいが、今は観光地化されたことで警備システムも充実し、そういったこともなくなったという。
 エーヴェル海峡大橋を渡り終えたトゥーグは、速度を増して走る。そういえば周囲の木々の丈が短く、まばらになってきているようだ。また、人家が少なくなり、赤茶けた土と巨大な岩石が目立つ。
「もうすぐ砂漠に入りますね」
 エイワズが言った。
「……あっという間ね」
「砂漠も初めてだ、楽しみだな」
 アッシュが声を弾ませる。
 イェラの記憶では、砂漠に入るとほとんど景色が変わることもなく、さほど面白いこともなかったように思うのだが、この双子にとっては違うのかもしれない、と思った。曖昧に微笑んで立ち上がる。コーヒーのカップは空になっていた。
「私、一度自分の客車(へや)に戻るわね」
「あ、はい」
 アッシュが顔を上げる。
「エイワズ、僕らも戻るかい?」
「……戻ったところで、さっきみたくうるさくしてソーンに叩きだされるだけじゃないかな」
「さすがにもうソーンも起きていい頃だよ……そう思うだろ?」
「じゃあ、起こしがてら戻るとするか?」
「そうしよう。フォーゲルボ陵についての予習もしておきたいし」
 彼らの会話を背中で聞きながら、イェラはくすりと笑みを漏らすのだった。

 ランチの時間の食堂車に、双子やソーンは姿を見せなかった。客車に軽食を運ばせることもできるから、そうしたのかもしれない。イェラは少しばかりがっかりしながら、それでもゆっくりとひとりのランチを楽しんだ。トゥーグの食事は毎度美味である。
 車窓からの光景は、ここ二時間ばかり代わり映えがしていない。ハグリング砂漠はこの大陸最大級の砂漠だから、トゥーグで抜けるのも時間が掛かるのだ。夕暮れ前に一度フォーゲルボ陵近くの駅に停車し、少しばかり観光してから夜に出発、朝には砂漠を抜ける予定だ。
 食堂車にいる他の客は、ほとんどが老夫婦たちばかりだった。共に子育てを終えたのか、それともふたりきりでゆっくりと年齢を重ねてきたのか――私も、私たちもいつかはあんな風になるんだと思っていたのに、と胸がちくりと痛む。いけない、いつまでもそんな風に自分の悲劇を自分で掘り起こすような真似をしていたって仕方がない。ひとにはそれぞれひとの人生があり、そこには幸福も不幸もあざなわれているものなのだ。たとえ傍から見て何の不満もない幸せな人生のように見えても、実際のところはわからない――そしてその逆も然り、である。
 芋の冷製スープ、サラダ、焼き立てのパン、そしてディート半島名産の海産物をふんだんに使った煮込み料理。デザートには小さなアイスがついてきて、イェラはそれらをひとつ残らず胃袋に収めた。食後のドリンクは、ハーブティーをオーダーする。
 ――そういえば、ハグリング砂漠はかつては砂漠ではなかったのよね。イェラはぼんやりと思い出す。確か、大陸最古の文明のうちのひとつがここで興っていて……当時は緑豊かな土地だったそう。それならなぜ、今はこんな風にすっかり砂漠化してしまっているのかというと……。
 イェラはカップを置き、立ち上がった。自分も少しばかり、あの双子のいうところの「予習」をしていこう。そう思ったのだった。

 ――結論から言うと、その考えは失敗だった。客車に戻ったイェラは、ソファに座ったままいつしかうつらうつらと昼寝をしてしまっていた。フォーゲルボ陵駅に到着するというアナウンスで、彼女はようやく目を覚ました。タブレットで世界史の本でも眺めようと思っていたのに、それはほとんど読まれることもなく、手元では既に画面も消えていた。イェラは苦笑してそれをテーブルの上に置く。何とか膝の上にとどまって、床に落ちていなかったのが幸いだった。
 少しばかり日は傾きかけていたが、それでも砂漠での日差しは強烈だ。イェラは日焼け止めクリームを丹念に塗り込み、そして以前ブロー海岸でも被ったつばの広い帽子を身に着けた。
 駅に降りると、そこには乗客の大半がいた。無論、観光は強制ではないので全員ではない。彼らをフォーゲルボ陵に乗せるための大型の車も止まっていて、出発の時を待っているようだった。
「やあ、イェラ」
 彼女が探すまでもなく、アッシュが彼女に声を掛けてきた。
「ここからでも随分大きく見えるね!」
「ええ、そうね」
 イェラは駅の東南に位置する、フォーゲルボ陵へと視線を投げた。直方体に切り出された石がドーム状にうず高く積まれたそれは、まるで巨大な獣が砂に伏しているかのようにも見える。
「あんなものを、一体どうやって作り上げたんだろう……」
 エイワズは心底不思議そうに呟いた。その肩を、ソーンが叩く。
「ほら、車に乗るぞ」
「うん」
 彼らはぞろぞろと準備された車に乗り込み、フォーゲルボ陵近くへと向かったのだった。
 砂の中の道なき道を進むこと、数分――実際に近づいてみると、その迫力たるや想像以上のものであった……二度目のイェラですらそう思ったのである、初めて見る双子たちにとっての衝撃はそれどころではなかっただろう。
「墓……なんだよね?」
「墓、だな」
 ふたりは口々に茫然と呟いた。ひとつひとつの石が、少年らの背丈ほどもある。前回も思ったことだが、どうやってこんな石を切り出し、そしてどうやって運んできたのだろう、とイェラは訝しんだ。一体どれほどの労働力が必要だったことだろうか。そして、確かこの陵墓の建設がこのハグリング砂漠の形成に一役買っていたんだったような……だが、そのあたりは予習できなかったせいで定かではない。
「墓にこれだけの大層な建築物がいるのかな……?」
「でも、巨大な墓を作ったのは何もこの文明だけじゃないだろ」
「確かに、北部にもお墓の遺跡はあるよね。無論、南部にも」
「それぞれ形は違うけれど、どうやら総じて昔の王様っていうのは大きな墓を建てたがるものだったんだな」
 彼らの会話を聞いていたイェラは、思わず口を出していた。
「それだけ、死というものを恐れていた――ということじゃないかしら」
「死を?」
 振り向いたアッシュが尋ねる。
「そう。後で見られると思うけど、副葬品なんか見るとね、ますますそうなんじゃないかって思えるのよ」
「――なるほど。武器や兵士の形の人形なんかのことですよね」
 エイワズが頷いた。彼はイェラと違って、ちゃんと予習をしてきたようだ。
 死は冷たくて、暗くて、怖い。だからこそ、豪華な墓や宝飾品、そして死した己を守護させるための兵士を作らせた。
「ああ……、人形が作られる前は実際にひとを埋めていたっていう……」
 アッシュが言いながら顔を顰める。
「嫌だなあ、埋められるの」
「そりゃそうだ」
 ソーンが口を挟んだ。
「だからこそ、身代わりに人形が作られるようになったんだから」
「さすがの王様にもそこまでの横暴は許されなくなっていったんだな、いいことだ」
 アッシュはうんうんと頷く。
 彼らはヒューマノイドであるガイドたちに連れられて、フォーゲルボ陵の内部に踏み入った。外部の人間が観光できるのはごく一部で、多くの場所は安全上の理由、また文化財保護の理由から立ち入り禁止である。観光客向けに開放されている場所は壁際にライトも設置され、小綺麗に整えられていた。
 陵墓の中にはいくつか部屋があって、そこでは副葬品の展示が行われている。盗掘をかろうじて免れた、黄金や宝石のあしらわれた宝飾品。刀や弓矢などの武器。土を焼き固めて作られたと思われる、大小さまざまな兵士の人形や騎馬の人形。
 それらをひとつひとつ興味深げに眺めながら、アッシュはぽつりと呟いた。
「ひとは、ひとの形をしていれば、それをひととして見立てることができるんだな」
「実際には、この土人形が死者を守ってくれるはずなどないからな。それでも、ひとがそうと信じられることが何より大切なんだろう」
「人形に祈りや呪いを託すケースって、大陸中で知られているよね」
 アッシュは興味深げに呟く。
「だから、ひとを(かたど)って人形を作るのって人間社会共通の文化なんだ。小さい子供は人形遊びをするし……」
「おまえたちはあまりそういうかわいげのある遊びはしなかったけどねえ」
 ソーンが混ぜっ返す。いったい彼らはどんな遊びをしていたのかしら、とイェラは思うが、そうと尋ねることはしなかった。
「ヒューマノイドも、人形といえば人形だよね」
 エイワズがガイドを見ながらぽつりと言った。
「それも、形だけではなくて、振る舞いまでひとに限りなく近付けた『人形』――」
「人形……っていうのもちょっと抵抗あるくらいにな」
 アッシュが言い、
「でも」
 と付け加えた。
「確かに……そうだね。ヒューマノイドの原点って、こういう人形にあるのかもしれないよな――」
「…………」
 イェラはずらりと並んだ人形たちを眺めた。王に殉ずるために作られ、この巨大な陵墓の中に閉じ込められた、人の身代わりの人形たち。彼らを見て、ヒューマノイドたちは何か思うところがあるのだろうか、それとも……。
「では、次の部屋に参りましょう!」
 笑顔で彼らを引率するガイドたちの表情からは、何もうかがい知ることはできない。無表情な人形たちの顔からも、何も。
「…………」
 ちらとソーンの顔を見ると、彼はどこか気難し気な顔をして人形たちを眺めていた。イェラはふと思う――もしかすると、幼い日の双子たちがどんな遊びをしていたのか、さっき遠慮せずに聞いておいた方が良かったのかもしれないな、と。