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クリケット戦跡

 イェラは深く深く息を吸い込み、やがてゆっくりとそれを吐き出した。彼女がここに来たのは二度目だったが、だからといってこの地から受ける衝撃が和らぐということはなかった。
 彼女の傍らには双子の兄弟であるアッシュとエイワズ、そしてその保護者であるソーンが佇んでいる。彼らもまた、同じものを神妙な面持ちで見つめていた。
 クリケット戦跡。この大陸において唯一、特殊なシェーンクラフト爆弾による爆撃の行われた場所である。それは約百年前、現時点で最後の南北戦争において起こったことだ。南部セーデル地方の一都市、レード市街から程近いこの場所に落とされたシェーンクラフト爆弾は、レード市街のほとんどを吹き飛ばし、焼き尽くしたのだという。恐るべき爆風と熱線、その威力はそれまでの旧式爆弾の数十倍を超えたとか。
「死者は十万人以上……当時のレード市民の三分の二を超えたらしいですね」
 エイワズが呟く。
 レード市街は戦後速やかに復興したが、敢えて爆心地は戦跡として当時のままに保存されている。シェーンクラフト爆弾の脅威を後世に伝えるべく、大陸中央政府において決定されたことだ。
 中心に聳えるのは石造りの塔。それを囲むように煉瓦造りの倉庫が数棟。いずれも表面は超高熱で溶け塗装は剥がれ落ち、壁も一部が崩れて内部の鉄骨でできた骨組みがあらわになっているところもある。百年も経とうかというのに、戦跡内に高木は生えていない。土があまりにも高温で焼かれてしまったからだ、とも言われているが、理由ははっきりとはしない。それでも近年になってようやくところどころに草木が生え始め、また足りない緑を補うかのようにあちこちに白を基調とした花束が置かれていた。ここで亡くなったひとびとへの献花であろう。レード市民のほとんどが、何らかの形でこの爆撃により血縁を亡くしたと言われている。
「あれは……」
 アッシュが小さく呟いた。その視線の先には、一際濃く黒く煤けた石畳がある。その影の形に気付いた彼は小さく息を呑んだ。
「まさか、」
「……そうだよ」
 ソーンが苦しげに呟く。彼もまた、以前ここに来たことがあるのだろうか。だから、「あれ」が何かを知っているのかも……。イェラは思い出し、思わず息を呑む。
 ソーンは沈痛な面持ちで続けた。
「あれは、爆発の瞬間あそこにいた人間の痕跡なんだそうだ……あまりの熱に焼き尽くされて、灰が煤となって石畳に焼き付いたんだって」
「……ひとが、影しか残らなかったってことなの」
 アッシュが乾いた声で言う。
「なんて威力だったんだろう……!」
「…………」
 イェラはあたりを吹く風に誘われるように、周囲を見回した。彼女らと同じ大陸環状観光列車(トゥリス・トーグ)の乗客の姿が数名ちらほらと、他にも観光客(という言葉がこの際正しいかどうかは別にして)の姿がある。トーグの停車しているレード駅からは決して遠い場所ではないのだが、わざわざここに足を運ぶ乗客は少ないようだ。
「もし次の戦争があって、こんな爆弾が飛び交うようなことがあったなら」
 エイワズが呟く。
「もはや勝者も敗者もなく、文明ごと滅びてしまうんじゃないかとさえ思えますね」
「一応、戦後の協議で例のシェーンクラフト爆弾は今後半永久的に不使用とすることになってはいるんだけどね」
 ソーンが苦笑いを浮かべて言う。そんな彼の顔を、エイワズはちらと見上げた。
「でも、廃棄されたわけではないんでしょう? 大陸上には存在している。だったら、いつか使われないという保証はない」
「……いや、そのとおりだ」
 ソーンもまた、エイワズと同じことを思っていたのだろう。
「本来ならば、廃棄しておくべきものだ……あれは、理論と技術が完成したからといって、実現させてはならないものだったんだ」
 そういう彼の横顔は、倫理に苛まれる科学者のそれであった。

 この大陸では、有史以来何度となく戦争が――特に南部と北部の争う南北戦争が――起こってきた。その理由も勝者も戦争ごとに様々であったが、確かなのはそのたびに強力な兵器が出現し、死者の数が増え、壊れる街の数が増えたということだった。シェーンクラフト爆弾はその極みであったともいえるであろう。
 工業の北部と農業の南部。最後の戦争では北部が勝利した。だが、もし次があれば……確かに、もはや勝者など存在すらしないのかもしれない。
「戦争なんて、もう起こらないのが一番だわ」
 イェラは言った。エイワズは静かに呟く。
「北部の言い分はこうだそうですね――我々の開発したシェーンクラフト爆弾は、存在するだけで戦争の抑止力となるだろう、と」
 強力過ぎる武器を保持すること、それそのものが戦争の抑止力になるという論理である。
「…………」
 エイワズに教えられるまでもなく、イェラはその言説を良く知っている。彼女の祖父や父が、まさにそう言っていた。彼らはそう信じ込んでいた。彼女自身も、以前ここを訪れるまではそういうものなのだとごく自然に思っていた。だが、この戦跡を目の当たりにしては――ここに漂う滅亡の匂いを嗅いでしまっては――あの焼き付いたひとの影を見てしまっては――。
「でも、本当かな」
 アッシュは皮肉っぽく口を歪める。
「多分、次はシェーンクラフト爆弾を凌駕するような武器が開発されるんじゃないの――今までだってずっとそうだったようにね」
 投石が弓に、弓が銃に、銃が大砲に、大砲が爆弾に――馬が戦車に、爆撃機にと姿を変え、飛躍的に威力を、殺傷力を増してきたように。
「そう、次の戦争ではヒューマノイドが兵士として使われるかもしれない」
 アッシュは不意にそう言った。
「ひとが殺し合うのはまずいから、ヒューマノイドにやらせようって。新しい武器として、ね」
「それは――……」
 言いかけたソーンが、そのまま口を噤む。そのかわりのように、エイワズが言葉を発した。
「確かに、その可能性はあるかもしれないな。……ただし」
 と付け加える。
「かなりのリスクも伴うけれど」
「リスク? ……ああ、なるほど」
 アッシュが頷く。
「ヒューマノイドには、ある程度の問題までは自己で解決できるようなアルゴリズムがプログラムされているよね。どこまで自己解決させるかはその立場によって変わってくるけど、たとえば兵士の場合なら、できるだけ自己の生存を確保し敵を殲滅するためには何が必要か、何を優先すべきか、状況に応じて自分で判断できないと戦場で使いものにならない。指揮は人間が取るにしても、細々としたことまでは目が行き届かないだろうから」
「そう。しかし、自己の生存を優先させ過ぎると……」
 エイワズは軽く顎を撫でる。
「恐らく、ヒューマノイドはひとに従わなくなるんじゃないかと思うんだよね」
「その可能性はある」
 アッシュは頷いた。
「ヒューマノイド同士で殺し合うより、ひとを従わせた方が生存に有利だ、有益だって結論に達するんじゃないかと僕も思う……」
「反対に、生存の優先を極端に下げれば、自爆攻撃に使えるかもしれない、か?」
「なるほど、自律し自動で動く自爆兵器としての使い方はあり得るかもね。そうなると、もはや無差別にターゲットを定められるから、大陸全体でかなりの死傷者が出そうだ」
 あくまで仮定に過ぎない前提をもとに、双子は次々と物騒な仮説を並べ立てていく。
「おいおい」
 と、ソーンが苦笑いを浮かべながら割って入った。
「まずヒューマノイド兵士なんて構想は存在しないし、そもそもヒューマノイドに人は殺せない、殺させないのが不文律だ。彼らは兵士にはならないし、なれないよ」
「……だといいけど」
 アッシュは小さく呟いた。エイワズがあとを続ける。
「兵士云々はともかく、ヒューマノイド……というか、彼らを統括する中央サーバのプログラムには、ある程度自己を改変することが許容されているでしょう? 今のところ、ヒューマノイドは比較的単純な労働力として使われているだけだからさほどのブレイクスルーは起こっていないけれど、今後様々なストレスが掛かれば、どうなるかはわからない」
「……それはつまり」
 ソーンが険しい顔で尋ねる。
「ひとの思惑や規制を超えて、ヒューマノイドの能力が発展する可能性があるってことかい?」
「僕はむしろ、そこにヒューマノイドの価値があるんじゃないかと思うんだけど?」
「…………」
 アッシュの言葉に、ソーンは絶句したようだった。
「ヒューマノイドはひとに使われることでひとを知り、ひとを学び、ひとに近付いていく――今、まさにそうなりつつあるところだよね」
「ただ、ヒューマノイドはどこまで行ってもひとと同一にはならない。それなら一体、彼らの行く先はどこになるのか」
「いつか、ヒューマノイドはひとの指示がなくてもひとの思惑に添えるようになるんじゃないかな」
「ひと以上にひとを把握できるようになるかもしれない」
「いつかはヒューマノイドの計算通りにひとを誘導することだって可能になるかもね」
 交互に語る双子の言葉に、ソーンは蒼白な顔で呟いた。
「つまり、ヒューマノイドがひとをコントロールできるようになるかもしれない……ってことか」
「そう、ひとに悟らせることなく、ね」
「そのくらいには発展する余地があると思う」
「ヒューマノイド自身も、そうと自覚してのことかはわからないけれど」
「そう、誰も気付かないうちに世界は変わっていくのかもしれない……今も、ね」
「………」
 イェラには彼らの会話の意味はよくわからなかった。ただ、双子の台詞にソーンがショックを受けているということは確かなようだった。ヒューマノイド研究者のソーンが、まだあどけなさを残した双子の言葉にこんなにも動揺している。そのことに、彼女は人知れず胸を痛めた。
「……そろそろ戻らない?」
 イェラはできるだけ朗らかな口調で言った。
「出発までまだ時間はあるけど、せっかくだからレード市街も見て回りましょうよ」
「そうだね」
 アッシュはにこやかな笑みを浮かべ、あっさりと頷く。
「……ここに来られて良かったよ」
 そう言いながら、くるりと踵を返した。
「どうして?」
 イェラが尋ねると、それに答えたのはエイワズだった。
「ひとには自らの愚行をこうして保存して、後世に伝えようとするだけの知恵があるんだって、わかりましたからね」
 穏やかな口調ではあったが、その内容は辛辣だった。
「…………」
「まあ、せっかく保存していても目に入れようとしなければ意味はありませんけど」
 それは、ほとんどが北部出身者の占めるトーグの乗客が、あまりこのクリケット戦跡を訪れようとしないことを指しているのだろうか。
「……辛辣ね」
 肩をすくめるイェラに、エイワズはその透き通った眼差しを向ける。
「僕は……、大陸全土が焦土に覆われる未来なんて見たくありませんから」
「…………」
 その点には、イェラも異存はなかった。

 クリケット戦跡に風が吹く。あれからどれだけの風雨がこの地に降り注いだことだろう。
 ――それでも……。
 イェラはそっと肩越しに振り返る。石畳に黒く焼き付いた人影。
 ――あれを洗い流してしまうには、まだまだ足りないのだ。
 脳裏に幻想が浮かぶ。周囲の人々が次々に焼け焦げた影になっていく……そして、彼女もまた。
 その後に残るのは、ひとに似た形をした、ひとでない者たち。
 ぞくりと背筋が震えた。
「イェラ、大丈夫ですか?」
 ソーンが気遣わしげに尋ねる。イェラはかろうじて笑って頷くと、もはや振り返ることなくクリケット戦跡を後にしたのだった。