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涼野伊織那と障子の穴

 耳をつんざくような爆音がして、わたしは思わず飛び上がった。というより、地鳴りのせいで座布団から跳ね上げられたような気がする。
 腰を抜かしながら向かいに座る同居人を見遣ると、彼は書籍を繰る手を休め、裏庭の方に落ち着いた視線を投げていた。
「お、おい」
「小隕石の類かな。地震とは違うようだし」
「隕石?」
 鼓膜が破れていないことにほっとしながら、わたしは彼の隣ににじりよる。いつもは小憎らしい彼の冷静さが、今は何より心強かった。
明智(あけち)、ちょっと見て来たら」
「何でおれが」
「家主はお前だろう」
 にこりともせずにそう告げる居候──涼野(すずしの)伊織那(いおな)を睨みつけ、わたしは腰をあげた。先ほど飛び上がった時ぶつけたのか、少し鈍い痛みが走る。後で湿布を張っておかねばなるまい。

 涼野伊織那。この珍しい名に見覚えのある方も多いだろう。十年ほど前、天才少年と騒がれた当の本人である。頭脳や才能もさることながら、持ち前の美貌との相乗効果もあって、一時世間を大いに騒がせていた。天涯孤独で養父母に育てられたという身の上話も、ひとの同情を誘っていたのかもしれない。
 しかし十二歳で米国のとある大学に留学してからの彼の足取りは、意外と知られていない。世間も飽きたのだろう、とは現在の本人の弁である。
 どうやら彼は米国で成功した──らしい。しこたま資産を作り出し、そしてすべてをぴたりとやめてしまった。人知れず帰国した彼は、ひとりぐらしの大学生であるわたしのところに転がり込んで来たのである。たしかに親戚から預かった家は一人で住むには広すぎるが、なぜ伊織那がそれを知っていたのかは良くわからない。
 そもそもなぜわたしだったのだろうか。幼なじみと言って言えなくはない、その程度の仲なのだが──まあ、十分過ぎるほどの家賃を前払いしてもらっているし、文句はないのだけれど。

 わたしはのろのろと下駄をつっかけ、裏庭に出た。庭はわたしが日中留守にしている間に伊織那が手入れしているらしいが、たいして整ってはいない。天才にしか見えない秩序があるのだろうか。裾を雑草の葉で切らないように気をつけながら進むうちに、庭の隅の方から何やら焦げ臭い匂いがしていることに気付いた。近寄って覗き込むと、小さいが深そうな穴が開いている。
 ――ははあ、ここに隕石が落ちたのかと合点して戻ろうとしたとき、伊織那がわたしを呼ぶ声がした。
「明智!」
「なんだ」
 いつにない大声に驚いて戻ると、相変わらず伊織那は炬燵に足をつっこんでいた。ちらりとわたしに視線を送った後、誰もいないところを向いて口を開く。
「あれがこの家の主で、西城(さいじょう)明智という」
 ──天才とナントカは紙一重。そんなことわざが頭に浮かんだわたしを誰も責められまい。
「お前、誰と話している」
 伊織那が答える前に耳慣れぬ音が頭に響いた。
『驚かせてしまって申し訳ない』
 わたしは驚いて辺りを見回す。だが、伊織那以外には誰も見当たらない。まさかと思い炬燵の布団をめくって覗いてみるが、伊織那の長い足に蹴られそうになっただけで終わった。
「明智、落ち着いてまずは座れ」
 伊織那の視線にうながされ、わたしはきょとんとしたまま座布団の上に座る。ふと気がつくと、わたしの右手に先ほどまではなかった座布団が一枚出されていた。そしてその上に、なにやらもやもやとした影のようなものが映っている。
「気付いたか。そこにおいでなのだ」
「だ、誰が」
 幽霊、お化け、など思いついて身震いするわたしに伊織那は珍しく笑みを見せた。
「客人だよ。とても貴重なお方だ」
『貴重などということはありませんよ』
 再び声。それが耳を通して聞こえているのか、それとも直接頭に響いているのか、わたしには良くわからない。だが伊織那は慌てる様子もなくただどっしりと構えている。年齢だけをいえばわたしと同じ若造に過ぎないのだが、彼のその態度はわたしを安心させ、落ち着かせてくれた。
「おれもお前と同じ、影でこの方の存在に気がついたのだよ」
『まさか歓迎していただけるとは思いませんでした』
 礼儀正しい客人だ。正体は不明だが、なまじ無頼な正体を明らかにしてくるものよりはよほどいい。わたしはおそるおそる声を掛けた。
「お茶でもお飲みになりますか」
『いえ、お気遣いなく』
 声は柔らかで優しい。わたしはほっと息をついた。
「あなたは一体どこからお出でになったのです」
『うーん、どうやって説明すればいいのか……。たとえばあなた方はこの星をどのように呼んでおられますか』
「太陽系第三惑星、地球――かな」
 わたしが自信なさげに答えると、伊織那は鷹揚にうなずいた。
『我々はこの星を』
 そこからは良く聞き取れなかった。初めて聞いた音声である。
『まあ、我々の言語では青、という意味の言葉なのですが』
「つまりあなた方の星を我々がどのように呼んでいるのか、お互いに知るすべはない――困ったな。共通の概念がなさ過ぎるのか。距離を聞くにしても一光年は地球の公転なんぞというものを基準にしているし……普遍性なんて所詮はまやかしか」
『ファースト・コンタクトですからね。仕方がありません』
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
 わたしは声をあげた。この影がどういう存在なのか、ようやく飲み込めてきたのだ。
「なんだ、明智」
 うんざりした表情を見せる伊織那には構わず、影に向き直る。
「もしかしてこの方は、う、宇宙人なのか……?!」
「だとしたらどうする」
「日本語をしゃべっているぞ?!」
「宇宙に進出するほどの技術があるのだ、未知の生命に対して意思を伝達する方法も持っているのだろう」
「だが目には見えないではないか」
「われわれの目は反射光の波長をそのままとらえているわけではない。われわれは感覚器を通して刺激を電気信号に変換し、神経を通して伝達、脳で再構成したそれを現実と認識している。視覚、触覚、聴覚、何もかもがそうだ」
「う、うん」
 実は良くわかっていなかったが、とりあえずうなずいておいた。わたしが文系だということを、この友人は良く忘れる。いや、伊織那が忘れるなどということはありえないから、面倒な説明を省略しているのだろう。不親切なやつである。
「蝙蝠(こうもり)の超音波は我々には聞こえないだろう? そんなようなところだと思えばいいさ」
「そうか……。まあ、見えようが見えまいがさほど大したことではないのかも知れんな。実際、話がこうしてできているのだし」
 わたしがそう言うと、伊織那はくすくすと笑い出した。
「いいぞ、明智。その調子だ。――ところで」
 彼はその、宇宙人がいると思しきところに向き直る。
「あなたは一体何の目的でここへ?」
『地球へ来たのは調査のためです。我々以外の知的生命体を探しておりました』
「へえ、それはまたどうして」
『それは……好奇心と言いますか』
「友好的な目的ですか? それとももっと別の、非友好的な目的?」
 伊織那の言葉は核心をついたようで、影は少しばかり口ごもった。その隙をつくかのように、伊織那は小さく鼻で哂う。
「そんなところだろうな。宇宙に進出して知的生命体を探す、なんて大掛かりな――やたら滅法に電波を飛ばして通信しようとするくらいの規模ならともかくね、わざわざ金や時間、人的資源を駆りだしてまでやることかねえ。しかも相手と言語の違いを乗り越えて意思を疎通する手段を用意していながら、自分の姿を見せる手段がないなんて、考えられるかい?」
「たしかに……」
「今日はおれが気がついたからいいけど、そうでなければ人間は誰一人この来訪者に気がつかなかったはずだ」
 伊織那はさらに言い募る。
「ほどほどに成熟した文明が要求するものは、まず労働力――中世の奴隷制度を思い出せばいい。さらに文明が発達すれば何が求められるか――敵だよ。戦うべき敵。そうでなければ社会は内部から分裂していく。敵を内側に求めようとするからな。程よく勝てる程度の敵が外にいないと困るのさ。さらに文明が円熟すれば……? 歴史上そんな例はなかなかないからね、おれにはちょっとわからんなあ」
 影は沈黙している。わたしははらはらしながら伊織那の顔を眺めていた。彼はこの得体の知れない宇宙人に勝てるつもりなのだろうか。いきなり攻撃されたらどうするつもりなのか。伊織那は覚悟しているのかもしれないが、わたしは嫌だ。
「あなたがどこから来たか知らないが」
 伊織那は不意に声を和らげた。
「ここはちょっと見逃してくれないかな。まだもう少し、おれはこの星を楽しみたいんでね……」
『ほほう!』
 影が面白がるような声を出した。
『それなら、あなたに免じてここはわたしが引きましょうか。われわれとてあなたを相手にしたくはない』
「約束ですよ?」
 伊織那の声に呼応するように、庭でぱん、と何かが弾けるような音がした。
『ええ、約束します。あなたがこの星にいる間は手を出さないと――』
「い、伊織那!」
 わたしの声を無視し、伊織那はじっと影の方を見ていた。――と、ものすごい風がわたしを襲った。かろうじて目を開けると、開いていた襖から何かが部屋に飛び込み、炬燵のすぐ横を通った後、障子を一枚破って外に飛び出していくのが見える。伊織那はただすべてを見つめていた。その不思議にみどりがかった瞳で、そのとき起こったすべてを。
 
「あれは一体何だったんだ……」
 風がやんだあと、先ほどまで影が映っていた場所には何もなかった。ただ、破れた障子だけが、この数分のできごとが夢でないことを物語っている。
「なあ、明智」
 伊織那が不意に口を開いた。わたしは乱れた髪をなでつけながら、顔を上げる。そこでわたしは珍しいものを見た。
 伊織那が微笑んでいる。馬鹿にするでもなく、苦笑するでもなく、皮肉るでもない。優しくて暖かい、そして少し切ない――そんな微笑だった。
「もしおれが宇宙人だといったら、どうする?」
「おまえがか?」
 わたしは目を瞬かせた。大丈夫、伊織那とはちゃんとふつうに会話できるし、わたしはちゃんと彼が見えている。これは彼の冗談なのだろう。
 だが、もし冗談じゃないとしてもたいして問題はないような気がした。やましいこころを持って地球に来た宇宙人が、こんなうだつの上がらない大学生の家で下手くそな庭掃除をやっているとは思えない。そしてわたしはこいつを小さい頃から知っているのだ。頭だけは良かったが、ひねくれて、素直ではなく、斜に構えてかわいげのかけらもない――今とちっとも変わらない子供の頃から。こいつには大それたことはできない。こいつはわたしをいつもからかっているが、本気で怒らせたことは一度だってないのだ。こいつが悪事に手を染めるようなことがあればわたしは黙っていない。だから、伊織那は大丈夫。絶対に大丈夫だ。
 不意に、わたしは腰の痛みを思い出した。湿布を貼っておかなければ明日に支障が出るかもしれない。
故郷(くに)に帰る前に、障子の張替えを手伝って行けよ」
 言い捨てて立ち上がる。ぴしゃりと襖を閉めたその奥から、伊織那の馬鹿笑いが響いた。それはわたしが初めて聞く、伊織那が腹の底から笑う声だった。