instagram

涼野伊織那と春の七草

 正月を迎えるたびに、わたしは涼野(すずしの)伊織那(いおな)と出会った日を思い出す。
 あれは今から十年ほど前。正月の、七日のことであった。庭でぼんやりと上手く廻らないこまを眺めていたわたしは、ふと軒先に突っ立っている子供に気が付いた。年はわたしと同い年くらいか。(かすり)の着物を着た、人形と見紛うばかりの容姿の、しかしとんでもなく無表情な、いかにも風変わりな少年であった。
「きみ、だれ?」
 見覚えのない顔だったから、わたしはこう聞いたように思う。少年は黙ってわたしに近付いた。驚いて後退るわたしに構わず、無様に傾きながらくるり、くるりと廻っていたこまを手にとる。
「何するのさ?」
 おそるおそる発した抗議の声などとんと意に介さないようすで、彼は懐から小さな刀のようなものを取り出した。
「危ないよ!」
 彼はちらりとわたしを見遣った。そのとき彼と初めて目が遭ったのだけれど、何とも不思議な瞳の色だと思った記憶がある。それは今でも同じなのだが、彼の目は少しばかりみどりがかっているのだ。
 結局彼はわたしの忠告を無視して(これまた今と同様であるが)、こまの縁に刃の鈍い光を押し当てた。
「あっ、」
 と言った時には既に遅く、こまはその一部を削られ、木屑がはらはらと地面に落ちていった。
「きみ、何するのさ!」
 気色ばんだわたしを、彼は鼻でわらった。
「これ、きみのこまだろう? 上手く廻るようにしてあげただけさ」
「……本当に?」
「ああ。ちゃんと重心が心棒の上に来るように削ったからね。まあ、やってみなよ」
「…………」
 わたしは半信半疑ながら、こまに糸を巻いた。構えをつけ、勢い良く手から離す。
 果たして、こまは良く廻った。
「わあ!」
 驚き喜ぶわたしとは対照的に、彼はにこりともしなかった。そのまま、背を向ける。
「じゃあ、ぼくはこれで」
「待って!」
 わたしは彼を、こまを救った偉大な英雄だと決めつけ、離すまいと腕をつかんだ。
「何か用?」
 そっけない返事に構わず、食い下がる。
「きみの名前は?」
「きみから名乗れよ」
「おれは西城(さいじょう)明智(あけち)
「明智? また随分と名前負けしそうなやつをつけたね」
 当時のわたしには何のことだかわからなかったから、きょとんと彼を見返したように思う。それを見て、彼は表情をゆるめた。
「ぼくは、涼野伊織那」
「すずし……」
「明智ー、ご飯できたよー」
「はーい!」
 母親に呼ばれ、わたしは振り返る。わたしに袖をつかまれたままの彼が、そっけなく言った。
「そら、行きなよ」
「きみ、……」
 わたしは困惑して彼に向き直った。このまま別れては二度と会えないのではないか、と恐れたのである。自分でも理由は良くわからないが、何となくそれは嫌だと思った。しかも、彼もまた、それを望んでいないような気がした。
「おい、明智ったら」
「きみもおいでよ」
「え?」
 その一瞬の隙をつき、わたしは声を上げた。
「かあさーん、友だちひとり、今からつれていっていーいー?」
 母はおおらかな人であったから、嫌というはずはない。母が許せば、大概父も許してくれる。世帯主の父がいいと言うものを、誰も反対はするまい。子供心にそう算段したのだろう。
「いいわよー」
 やはり、読みはあたった。わたしは彼の手を引き、縁の上に上がった。彼はあっけにとられた様子であったが、大人しくわたしに着いてきた。
 囲炉裏の周りに集まっていた家族は彼を見て驚いたようではあったが、皆あたたかい微笑みで出迎えてくれた。
「見ない顔だけど、最近越してきたのかね?」
 尋ねた祖母に、彼は無言で小さくうなずく。
「おれのこまを直してくれたんだ。ここんとこをちょいちょいって削ってね」
「どれ」
 こまを手に取った父は、驚きの声をあげた。
「これをきみが? 器用に削ったものだな」
 父は削り跡に指を滑らせたが、確かにとげのひとつも出ていなかった。まるでやすりをかけたかのようになめらかである。
「お名前は?」
 母の問いに彼が答えるより少し先に、わたしは胸を張ってこう言った──

「すずなすずしろさん!」

「…………」
 一瞬の沈黙の後の、爆笑。
 彼は顔を真っ赤にしてわたしをにらんだ。
「ぼくは、涼野伊織那です!」
「い、伊織那くんだね」
 父はひいひい言いながら笑っていた。
「明智、そりゃないよ。いくら今日が七日だからって……」
「そうよ。それじゃ春の七草じゃない」
 母は彼に向かって頭を下げた。
「明智が失礼をして、ごめんなさい」
「いえ、別に気にしていませんけれど」
 大人びた口調で言う彼に、母かえって恐縮したようだった。
「明智、謝りなさい」
「ん……、ごめんなさい、すずしろなずなさん」
「それも七草だろっ!」
 さすがの彼も声を荒げ、父は再び笑いの海に沈んだ。確か、わたしは祖父から軽い拳骨を食らったように思う。さらに、母からは人の名前を軽々しく間違って呼ぶものではない、失礼にもほどがある、と説教されたが、それも至極もっともなことだ。
 彼は苦々しい顔でわたしを見ていたが、どうやら悪意がないとわかってくれたらしく、改めて頭を下げるとあっさり許してくれた。
「いいお友だちで良かったわねえ、明智」
「まったくだぞ」
 父は真面目くさった顔でわたしをにらんだ。先ほど笑い転げてしまったきまりわるさのせいか、やや大げさに腕など組んでいる。
「とにかく、せっかくだからあなたもよばれて行きなさいな」
 母は椀に鍋からよそって彼に差し出した。彼は少し迷い──やがて受け取った。わたしはそれが嬉しくて、うきうきと自分の椀を覗き込む。
「あ、七草粥!」
「先ほどは失礼したけれど、きっとこれもご縁ね」
 母は笑って彼とわたしを見比べた。
「伊織那さん、これからも明智のお友だちでいてくださいね」
「……明智くんが、構わないのなら」
「当たり前だよ!」
 わたしは間髪入れずにそう叫び、彼は何かをごまかすように瞬きを繰り返しした。
「さあ、それではいただこうか」
 父の音頭で、わたしたちは七草粥に手をつけた。その中には当然、なずなもすずなもすずしろも入っていて、彼がさじでそれをすくうたびににやりと笑っているのを、わたしだけは気付いていた。

 あれから十年──。
 父からも母からも離れ、今年は何の因果かあのときの彼と二人きりの正月である。これというのも故郷への列車が大雪で動かなかったせいだ。
「それにしてもすずしろすずなとは、我ながら良く言ったものだなあ」
 七草粥をすするわたしに、伊織那はぎろりと鋭い視線を投げた。
「明智、人を(かぶら)や大根にするものではない」
「そう言うお前だって」
 わたしも負けずに口を尖らせる。
「あのときおれに、名前負けしそうだ、なんて言ったろう」
「ああ、そうだな。お前にしては良く覚えている」
「おれはお前に謝ったが、お前には謝ってもらっていない」
「さて、そうだったか」
「おれが覚えていて、お前が覚えていないはずがないだろう」
「そうか?」
「そうだ」
 わたしは胸を張る。
「お前はおそろしく頭がいいからな。おれは、お前と友だちであることを自慢に思っているのだよ」
 そう、伊織那はわたしの下宿にいるにはもったいないくらいの逸材だ。確かに変人ではあるが、それ以上の天才だと思う。その点に関しては十年も前から、父のお墨付きだ。
 わたしは、この友人を誇りに思っている。心の底から、である。
 伊織那は少し黙り、やがてぽつりとつぶやいた。
「──ありがとう」
「なに?」
 伊織那が礼を言うなど、謝るのと同じかそれ以上に珍しい。目を見張るわたしから、伊織那は目を逸らした。
「あのときの、七草粥の礼だ」
「…………」
 あのとき、伊織那はちゃんと母に礼を述べていた。非常識な男であるが、そういうところは非常に良くわきまえている。それに、伊織那がそれを覚えていないはずはない。ということは、つまり……。
「明智」
 伊織那の声に、わたしの思考は打ち破られた。
「何だ」
「こまぐらい、いくらでも削ってやる、だから」
 伊織那は急くように早口で、そしてわたしの目を見ない。
「また、七草粥を炊いてくれ」
「……ああ」
 わたしはにんまりと笑った。
「七草をお前が探してくれるのならな」
 いつの間にか土間に置いてあった七草。誰かが摘んだものらしく、笠の上に盛られていた。あれはやはり、伊織那の仕業だろう。
「ああ、あれのことか」
 伊織那はわたしをちらりと見た。みどりの、瞳。
「あれはおれのようにお前に世話になったものたちの、恩返しなのだぜ」
「なんだって?」
 ──不意に、庭が小さくざわめいた。振り返ったわたしの目の前で、小さなこまがくるり、くるりと……。