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涼野伊織那とお菓子と悪戯

 十月も末日となった。
 金木犀の香りを連れて我が家に帰ってきたわたしは、ふと、門扉の前に見慣れない小さな人影が佇んでいるのに気が付いた。背丈が低いのは子供だからであろうか、しかし奇妙なのはその服装である。その身に纏うのは、どう見ても白い――所謂、死装束と呼ばれる類のものなのであった。縁起でもない、何故そのようなものを。
 わたしは訝しく思いながらも歩み寄り、その子供に声を掛けた。
「うちに、何か用かい?」
「?!」
 難しい顔で熱心に中を覗き込んでいたその子供は、声を掛けるまでわたしの存在に気が付いていなかったらしい。驚いたような顔で振り向いた。短い髪の、可愛らしい少年。その服装以外に、特別変わったところはないように見える。
「こ、ここのおうちの人ですか?!」
「そうだけど」
 わたしがそう応えると、少年はぱあっと明るく、にっこりと笑った。
「ああ、よかった……。ええと」
 少年は少しだけ何かを思い出そうとするように上を向いた。
「と、とりっく、おあ、とりーと!!」
 なんだこの、不慣れな横文字を無理やりに口にした感じは。
「……は?」
 わたしは思わずぽかんとした。
 別に、彼の拙い英語が理解できなかったわけではない。Trick or treat――しかしその意味するところは、なんだ。
「ええと……」
 困惑するわたしに、少年は顔を真っ赤に染めた。
「お、お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ……って、意味です」
 ぼそぼそとではあるが、解説してくれる。わたしは、はあ、と間抜けな呟きを返した後、ううん、と唸った。
「いたずらは困るんだけどねえ……。お菓子かあ」
 彼の隣に立って門を開け、手招きする。
「多分何かあると思うよ。おいで」
「あっ」
 少年はにこにこ笑ってわたしの後についてきた。
「ありがとうございます!!」
「……あ」
 そういえば、その格好は何なのか。なんだってそんな妙な格好をしているのか。そもそも見慣れない顔だが、きみはどこの子なのか。尋ねようと思っていた疑問符の数々を思い出した時には、既にわたしは彼を家の中へと招き入れていたのだった。。

 わたしの下宿は、親戚から借り受けている一軒家である。ひとりで住むにはいささか広過ぎるが、旧友がひとり、居候として転がり込んできているので、結果的にはちょうど良い具合である。
 その、居候の男とは幼馴染と言っていい間柄なのであるが、誠に風変わりな男で、一言でいうと奇人変人の類である。彼は元々孤児で、養父母に育てられたのだが、幼い頃から天才との呼び声は高かった。少年時代にとある有名人に連れられて渡米し、何らかの手段で財を成した――らしい。実のところ、わたしはそのあたりのことはよく知らない。とにかく、帰国してきた彼はふらりとわたしの前に現れ、今ではうちの下宿で日がな一日分厚い洋書を読み耽っている。時々出涸らしのお茶も煎れてくれる。宿代は十分もらっているから、特に文句はない。今も実の両親については何もわからず、渡米中に養父母を亡くした彼には、最早わたしとその家族以外に知己と呼べる人間はいないのではないか――わたしはその予想を確かめたことはない、わざわざそんなことをする必要はどこにもない。あたっていようがいまいが、どうでも良いことだからだ。
 彼は日頃ほとんど出掛けることはないから、きっと今もうちにいるだろう。そう思っていたのだが――。
 わたしは彼の名を呼んだ。
「伊織那?」
 涼野伊織那。仰々しいが、それが彼の本名である。まあ、あの男には似合っているといっていい。
 彼の定位置である居間に姿はない。人気のない部屋に、夕暮の赤い光だけが射し込んでいる。
「出掛けているのか……」
 珍しいこともあるものだ。
 わたしの後を追ってきた少年に、居間で待つように告げ、わたしは台所へと向かった。棚のどこかに、お菓子のひとつでもあるだろう。そう思ってのことであった。伊織那は甘味好きな男であるし、わたしも嫌いではない。特に伊織那は、日頃出歩く様子もないのに時々甘味やら果物やらを取り出してきてはわたしに食わせるのだ。一体どこから買ってきたものか、貰ったのかは知らないが、まあ彼が出すものだ、悪いものではないだろうと思っている。当の本人もわたしの目の前でむしゃむしゃと食べていることだし、心配はないだろう。
 ――それなのに、今日に限って家の中には少しも間食になるようなものがなかった。かろうじて見つけたのは、赤いとまと……手に持ってちらと少年を見ると、首を左右に振られた。好き嫌いは良くないぞ。しかし、それはお菓子ではないと言われると、確かにその通りである。
 探し始めてから三十分程が経った頃。
「お菓子、ないんですか?」
「?!」
 箪笥を前にして途方に暮れていたわたしの背後から、突然、少年が声を掛けてきたのだった。わたしは慌てて返答する。
「ちょうどきらしているみたいでね。何なら、今出掛けている友人が帰ってきた後におれが買いに行こう」
 ――お菓子が欲しいということは、お腹が空いているのだろう?
 振り向いたわたしの目の前で、少年はにたりと笑う。なんだかいやな感じのする笑顔だな、と思った。殊更明るく、声を張る。
「だから、もう少し待――」

「『お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ』」

 少年が、にっと笑ったままそう言った。白い歯が、奇妙な程に整列しているその口元。
「え……?」
「……って、ぼく、言いましたよね?」
「いたずら?」
 困ったなあ、とわたしはやや無理に笑ってみせる。
「ここは借り屋だから、あまりいたずらをされては――」
「ああ、それなら大丈夫」
 少年の死に装束が、風もないのにふわと靡いた。
「ぼくは、この家には何もしない」
 やや長い前髪の下から覗く、大きな目。――なんだ? わたしはたじろいだ。どこか獣じみた、瞳の奥底からぎらぎらと発光しているかのような、鋭い眼差し。それにこの子の口は、こんなに大きかったろうか。まるで頬まで大きく裂けているように見えるではないか。
「ぼくは、おにいさんと遊びたいんだ」
 少年はわらう。
「ねえ、だから」

 ――いたずら、するよ?

 小さな手がわたしに伸びてくる――わたしはそれを、避けられない。
 掴まる。掴まってしまう。
 凍りついたように、わたしはその指先から目を離すこともできず――。
 
「失せろ。菓子ならくれてやる」

「?!」
 少年の顔面に、何かが音を立ててぶつかった。床にばらばらと転がり落ちるそれは――飴玉? 包み紙に入ったままのそれが、わたしの足下まで転がってきた。と、まるで魔法が解けたように、わたしはぶるりと体を震わせた。どうやら、動けるようになった。
 声の方に振り向いて、そこにいたのは、やはりうちの居候である。走ってでも帰ってきたものか、癖っ毛の蓬髪がいつもに増して乱れているし、肩で大きく息をついている。その手には紙袋。どうやらそこから飴玉を取り出して少年に投げつけたものらしい。
「伊織那……」
「馬鹿は黙っていろ」
 なまじ造形が整っているだけに、その怒りにも凄みがある。わたしはおとなしく黙ることにした。
 少年はじっと伊織那を見上げている。
「あなたに用はないんだけどな」
「菓子か、いたずらか――だろう? なら菓子をくれてやる、と言っているんだ」
「……ふん」
 ――独り占めしちゃってさ。いけずは嫌われるよ?
 訳のわからないことを言いながら少年はわたしへと視線を動かし、そして先程から打って変わってあどけない笑みを浮かべた。
「おにいさん。お菓子、くれる?」
「あ、ああ……」
 わたしは半ば茫然としながら、伊織那の持っている紙袋に手を突っ込み、適当な菓子を握った。そのまま拳を移動させ、両手を揃え開いて待っている少年の掌へと、その中身を移す。
「……ありがと」
 屈託なく微笑む少年。――さっきのあれは何だったのだろう。目をぎらつかせ、歯を剥いて笑っていた、あの姿。わたしは訝しむ。わたしは幻でも見たのだろうか……。
 少年はわたしの与えたお菓子を両手で包み込むようにしながら、言った。
「また、来てもいい?」
「……また?」
 わたしは思わず鸚鵡返しに言った。おいおい、さっきみたいなのは御免だぞ。
「それはいつ頃のことだい?」
「おい、明智」
 背後の伊織那の声が聞こえていなかったわけではない。だが、わたしは繰り返し尋ねた。
「今日みたいに急に来られても、お菓子はないかもしれない。いたずらされるのは嫌だから、前もってわかっていれば何かしら準備しておく」
「…………」
 少年は目を大きく見開いて、そして瞬きした。
「来ても、いいの?」
 自分で聞いたくせに、とわたしは苦笑した。
「来るな、とは言わない」
 わたしは言う。
「お菓子くらいはあげるよ」
「…………」
 伊織那の大きな、聞えよがしの溜め息。――お前はあまい、とでも言いたいのだろう。確かにそうかもしれない。
 わたしは付け加えた。
「でも、今日みたいないたずらはよくない。驚いた」
「……ごめんね」
 驚かせたね、と眉を下げ、少年は素直に一礼して謝罪した。白い死に装束に包まれた華奢な肩が、すとんと落ち込んでいた。
「じゃあ、また来年の今日の日に来る」
「今日?」
 十月三十一日。いったいそれが何だというのか。
「万聖節の前夜だからな」
 伊織那がぼそりと呟く。
「とはいえ、この国には関係のない風習のはずなんだが……」
「『あっち』にはさかいめなんてないから」
 少年はすましてそう言った。
「だから、ぼくも遊びに来られたんだよ」
「……そういうものか」
「そういうものだよ」
「何の話だ?」
 少年と伊織那は互いの話の内容を了解しているようだが、こちらはさっぱりわからない。こいつはそういうところに配慮の全くできない――或いはする気のない――男である。
「いいんだ」
 おにいさんは気にしないで、と少年は言い、両手に持ったお菓子を掲げてにっこり笑った。
「お菓子、ありがと」
「買ってきたのはおれではないよ」
「でも」
 少年は言う。
「きっと、それはあなたのためだ」
「…………」
 きょとんとするわたしの背後で伊織那が軽く咳払いをして、そして口を開いた。
「よそでのいたずらも、ほどほどにしておけよ」
「わかった、伝えておく」
 少年は素直に頷き、そして背を向けた。
「じゃあね、ばいばい」
「……気を付けて帰るんだよ」
 声を掛けたわたしに、少しだけ振り返って――彼は玄関を開けることもなく、その閉じた扉の前ですうっと消えていったのだった。

「おい馬鹿」
 ごつ、と脳天から響いた衝撃に、思わずわたしは声を上げてうずくまった。どうやら伊織那にしこたま頭を殴られたらしい。
「何する……!」
「それはこっちの台詞だ。毎度毎度ほいほい妙なものを引きつれてきて」
 伊織那は腕組みをしてわたしを見下ろしている。
「一度憑り殺されてみたいのか?!」
「あ」
 伊織那の台詞に、はっとわたしは顔を上げる。――あの子供、もしや。
「もしかして、あの子供は……」
「あれがまともな人間のわけないだろう?」
「幽霊の類か?!」
「多分な」
 ――万聖節とは、異国における死者の日なのだという。伊織那に言わせると、我が国でいう盆にあたるのだそうだ。だから、死者が「こちら側」に来ることができたのだろう。何故、その風習のないこの国で、と不思議には思うが、少年の言っていたように「あちら」には、つまり「あの世」には境い目などないのだろう。
 わたしは慨嘆した。
「道理で、変わったものを着ているなとは思ったのだが」
 あの死装束は、彼自身のものだったというのか。あのような幼い子供が、と思うと胸が痛む。
「…………」
 伊織那が呆れたような顔つきになり、口を噤んだ。そんな顔をされても、普通の人間にはそうそう幽霊を見分けることなんて、できはしないと思う。わたしだけじゃない。
「まあ、いいじゃないか」
 わたしはのんびりとそう言った。足元に散らばった飴をひとつ拾い上げ、包み紙を剥がして口の中に放り込む。――そういえば、何故あの時伊織那は菓子を買いに外に出ていたのだろう。何故、菓子が要るようになると――あの少年がわたしに菓子を要求してくるとわかったのだろう。
 考えてもわかるはずもない。世の中は得てして不思議なことだらけ――特に、伊織那に関してはそうなのだから。
「お菓子くらい、安いものだ」
 それで彼らが――死者の魂が満足して「帰って」いくのなら、それはそれでいいのではないかと、わたしは思う。treat――死者への「もてなし」そのものは、決して悪いことではあるまい。

 彼らはわたしたちの先達。
 いつか、わたしたちも皆、彼岸の向こう側に渡る日が来るのだから。

 伊織那がわたしに倣ったかのように、飴玉を口に含んだ。だが短慮にも、がり、がり、と噛み砕く。
「おまえは本当に脳天気なお人好しだなあ」
「何を今更」
 ――だが、それに付き合ってくれるおまえも相当なお人好しだと思うぜ。
 そのことばは、飴玉と一緒に舌の上で転がすに留め置いたのだった。