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ロッティン・ビューティ

 城門に止まった鴉が、けたたましく鳴いていた。
 固く閉ざされた黒い鉄柵に立てかけるようにして、箱がひとつ置かれている。大人の背の丈ほどもある、大きな黒い箱である。紅いベルベットのリボンが、暗いおもてに十字に巻きついていた。
 早朝。鴉がぱっと飛び離れるのとほぼ同時、ひとりの男が門の中から現れてその箱の隣に佇んだ。アッシュグレイの髪、翡翠の瞳――このハングマン城につとめる執事、リデルである。
「…………」
 彼は眉を顰め、じっとそれを眺めていた。……やがて、彼は踵を返して城の中へと戻っていく。箱は、そこに置かれたままであった。

「不審な箱?」
 城の――リデルの主、ゼロ・ハングマン伯爵はソファに体を埋めたままリデルを見上げた。
「はい。ルイスを呼びましょうか」
 ルイス――ルイス・ブラウン。ゼロやリデルらと浅からぬ因縁のある警察官である。
「…………」
 ゼロは親指の先端をその薄い唇に咥えた。がり、と爪と歯が当たる硬い音。
「ゼロ様」
 リデルに強い口調で名を呼ばれ、ゼロはぱっと手を口元から離した。服の裾でぐいと指を拭く。――すっかり直ったものと思っていた幼い頃のゼロの癖を、リデルは久しぶりに目にした。あれをやめさせるまでには、随分時間が掛かったっけ……。彼の親指の爪の縁がきれいになるまで、リデルは何度となく注意を重ねたものだった。今はもう、彼の爪はすっかり治ってしまっているが、放っておくとまたかじり出して汚くなるかもしれない。メイドのアリスにも言って、気を付けてもらわねば……。
 ゼロは考え込むように視線を落とした。
「……差出人の名はなかったんだな?」
「はい。小さなカードに『親愛なるハングマン伯爵へ』との走り書きがありましたが……」
「誰が何を、何の目的で置いたのかはわからない……か」
 ゼロはふう、と息をついた。
「ルイスに連絡を」
「はい」
 ――リデルは己の主人の顔をじっと見つめた。彼に仕えはじめてから、もう何年か……十年以上にはなる。少年の頃と同じ、漆黒の髪と瞳。ほとんど色のない、無表情な顔。背丈はあの頃よりは少しは伸びたのだろうが、猫背のせいもあって、小柄で華奢に見える。
 ゼロ・ハングマン。
 父により死母の腹を裂いて生み出された、血塗られた伯爵家最後の一人。父は彼が幼い頃に自ら死を選び、祖母はそれゆえに孫を憎んで彼を殺そうとした――そして――。
「リデル?」
 ゼロの声に、リデルははっとした。ゼロはじっと彼を見つめている。
「顔色が悪い……少し休め。ルイスへの連絡は、別に急がない」
「いえ、別に体調に問題は……」
「無理をするな」
 ゼロは目を逸らした。
「お前の代わりは――リデルの代わりは、いないのだから」
「ゼロ様」
「…………」
 ゼロは黙って俯いた。小さな声で、つぶやく。
「――わたしは……」
「問題ありません、ゼロ様」
 それ以上言わせてはならない気がして、リデルは強く言い切った。
「ルイスに連絡して参ります」
「……ああ」
 ゼロの何か言いたげな瞳から顔を背け、リデルは部屋を出る。――ゼロには、自分をこの城に縛り付けていて欲しかった。そうでなければ……自らの罪に、きっと耐えられないだろうから。
 ――自分は、確かに、人を殺した。
 わたしは、自分の贖罪のためにゼロ様を利用しているのだ……。
「申し訳ありません、ゼロ様」
 リデルはそっと、つぶやいた。

  × × ×

 箱はずっしりと重く、城を訪れたルイスとリデルが二人がかりでどうにか台車に乗せ、厩へと運び込まれた。ゼロは乗馬をしない。厩に繋がれているのは、馬車馬のみである。
「心当たりはないんだよな?」
 汗を拭きながら、ルイスが言った。ゼロは即座にうなずく。そんな彼に、リデルは静かな声を掛けた。
「ゼロ様、何も立ち会われなくともよろしいのでは? 何か危険があるかもしれませんし」
「ひとを呼びつけておいてよく言うねお前」
「貴方は警察ですからね」
「――構わない」
 ルイスとリデルの声を、ゼロは遮った。小さくはあるが、芯の通った声だった。
「私宛のものだ。私が受け取る」
 ――たとえそれが何であっても。
 ゼロの吸い込まれそうに昏く透き通った瞳に、リデルは息をのむ。ルイスはやれやれ、といったように首を横に振った。
「そんな大層なことか? 単なる悪戯か何かだと思うがなあ」
「では、開けましょうか」
 リボンに手を掛けようと近寄ったゼロを、リデルがとどめた。
「私が致します」
「しかし」
「私は」
 リデルはゼロを見下ろし、穏やかに微笑む。
「貴方の執事ですから。私の務めです」
「…………」
 ゼロはじっと彼を見つめていたが、やがて一歩、後ずさった。
 ルイスが先ほどまでの口調よりも厳しい顔つきになって、箱を見つめる。リデルはリボンを解き、箱の蓋に手を掛けた――。
「…………っ」
 声を上げたのは、誰だっただろうか。リデルは体を引き、ルイスが口元を覆った。ゼロは――目を見開いた。遠ざかろうとするふたりとは反対に、その中身を露わにした箱の方へと近寄る。
 誰も、何も言えぬうちに。ゼロは箱の中へと手を伸ばした。骨ばった指先が――白い「肌」に触れる。
「リデル」
 ゼロの硬質な声が、凍りついた空気を揺らした。
「『これ』を、地下へ運べ」
「は……」
「『これ』は」
 ゼロの両の拳が、固く握りしめられている。そのことにリデルは気付いた。――ゼロは、怒っている。この箱の送り主に。そしておそらくは――「これ」を作り出したものに。
 殺人者に。
「死体です」
 箱の中におさめられていたのは、若い娘だった。白い布を血色のない肌に巻きつけ、長い金髪があらわな肩や胸を覆っている。ほっそりとした長い手足は優美な曲線を描いたまま静止していた。青い瞳は瞬くこともなく虚空を見つめ、赤い唇は不自然なカーヴを描いたまま、微笑むことも、泣きだすことも許されない。まるで彫刻か何かのような――しかし、これは彫刻などではない。そのことは誰の目にも明らかだった。
「ルイス」
 ゼロは淡々という。
「署へ報告してください。それから、この年代の方で行方不明になっているもののリストをこちらへ。この方の身元を判明させなければなりません」
 はっ、とルイスが息をのんだ。
「まさか……」
「ルイスも気付きましたか」
 ゼロは冷たい熱のこもった眼差しを彼に投げ、うなずいてみせた。
「『これ』は――人間の、剥製です」
「…………」
 絶句するルイス。体を強張らせるリデル。ふたりを後に、ゼロは踵を返した。城に戻っていくその丸められた背中は、何も語らない。
「だ、誰が……こんな」
 ルイスは怒りを滲ませ、箱に駆け寄った。娘が佇む姿は天使のように美しく、それでいてひどく退廃的だった。どこか死の匂いがするからだろうか。
「許せねえ……ッ」
「――何故」
 リデルはつぶやく。その表情はルイスと同じく沈鬱なものだったが、視線は娘の方ではなくゼロの背中を追っていた。
「何故、ゼロ様の元へこれを……?」
 いったい誰が。何のために。
 いやな、予感がした。

  × × ×

 ハングマン城唯一のメイド、アリス・ウエーバーが応接間に入るのと、ルイスが深いため息をつくのとはほぼ同時だった。ゼロは彼女に背を向けて座っていて、その表情は見えない。
「失礼いたします」
 ティーカップをふたりの前に置く。ゼロからはほのかにソープの匂いがした。アリスはその意味に気付きながらも、あえてその事実を頭から追いやった。最近では上手に気を逸らすことができるようになったと思う。ゼロが解剖を――死体を解剖する、シャワーを浴びるのはその直後である、という事実から。
 ルイスは置かれたばかりのカップをぐいと取り上げ、一気に飲み干した。熱くはなかっただろうか、とアリスは少し心配になる。
「……とりあえず、今日のところは帰る」
「はい」
 ゼロは長い前髪に表情を隠すようにして、浅いうなずきを返した。
「何か情報が入ればまた連絡する」
「お願いします」
 何か込み入った話のようだ。アリスはそそくさと部屋を立ち去ろうとした――背中越しに、ルイスの咳ばらいが聞こえた。
「何度も確認して悪いが、本当に心当たりはないんだな? そういう技術を持ったやつとか……何でもいい、手掛かりになりそうなことは」
「ありません」
「…………」
「ルイス」
 ゼロの声。いつもと変わらない――ように聞こえた。
「類は友を呼ぶ――とでも?」
「そんなつもりはない」
 ルイスはすぐに否定の言葉を口にした。
「だが……そうとられたのなら、すまない」
「いえ……妙なことを言いました。お気になさらず」
 アリスは少し急ぎ足になって、ぱたんと扉を閉じる。――類は友を呼ぶ。何のことだろう?

「アリス」
 ルイスが城から去った後、ゼロがふらりと城の厨房に現れた。
「はい?」
 ディナーのためのデザートを作っている最中だったアリスは、主の声に振り返った。そんな彼女の顔を見たゼロは、少し笑ったようだった。恐らく彼のことをよく知らない人間には、ふだんの無表情とほとんど変わらないように見えるだろう。だが、アリスにとっては――そしてきっとリデルにとっても、これは彼なりの笑顔なのである。
「頬に粉砂糖がついていますよ、アリス」
「えっ?」
 頬を拭おうとして気付く。自分の両手は今、粉まみれである。
「あ、後で顔を洗います……!」
 恥ずかしくなって顔を背けるアリスに、ゼロは静かに近付いた。
「アリス」
 名を呼ばれ、おそるおそる振り返る。――その頬に。
「…………!!」
「あまい」
 ゼロは薄い唇を舌で――恐らく彼女の頬を拭っていったそれで、ぺろりと舐めた。
「アリス」
 硬直して動けなくなった彼女に、ゼロは穏やかな無表情で告げた。
「白い砂糖の下は、きれいな赤色ですね」
「…………」
「美味しそうです」
 ゼロはそれだけを言い残し、厨房を去っていった。アリスは手を粉まみれにしたまま、茫然と立ち尽くす。――ただ、彼の触れた頬が、燃えるように熱かった。