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ホーンテッド・メイデン

 アリス・ウェーバーがジュリエット・ノーマンと再会したのは、買い物に出た街の中だった。
「アリス?」
 呼び掛けられて振り返り、驚いて声を上げる。
「もしかして、ジュリー?」
「ええ、私よ」
 アリスを呼び止めたのは短い金髪の、まるで少年のようななりをした少女だった。年はアリスと同じくらいだろう。アリスは少女に駆け寄り、懐かしげに目を細めた。ジュリエットとは同じ孤児院の出だが、彼女に会うのはアリスが一年前にそこを離れて以来である。
「見違えたわ。髪、切ったのね?」
「ええ」
 ジュリエットは笑った。
「今のお屋敷に勤める前に、切って欲しいと言われたの」
 ジュリエットの言葉に、アリスは自分の勤める城を思った。無表情で、無愛想で、風変わりな主人の顔──だが、髪を切らされることはない。
 ジュリエットは風に頬を撫でられ、心地よさげに目を細めた。
「久しぶりに外に出られて、嬉しい……」
「厳しいお屋敷なの?」
「厳しいというか……でも、お給料はいいのよ」
 ジュリエットは肩をすくめる。
「ある程度貯まったらやめるつもり──あとちょっとの我慢だから」
「そう……」
 ちらりとアリスの胸に疑念がよぎった。ジュリエットは何の仕事をしているのだろう。多分、自分のようなただのメイドではない。髪を男の子のように短くしなければならず、めったに外に出られないとは──ふつうではない、と思った。だからこそ給料が高いのだ。
 ジュリエットは広場の時計に視線を投げ、小さく声を上げた。
「もう戻らないと……。じゃあ私、行くわね」
「ええ……元気で、ね」
 ジュリエットはにこりと微笑んで、ひらひらとアリスに手を振る。アリスは漠然とした不安を胸に、遠ざかる後ろ姿を見送った。

  × × ×

「使用人に髪を切らせる?」
 アリスの話を聞いたハングマン城の主──ゼロ・ハングマン伯爵は積みあげていたカードから目を上げ、ぎょろりとした黒目で彼女を見つめた。
「変わった趣味の主人ですね」
 トランプタワーの作成に興じるのも変わった趣味ではないのだろうかと思いつつ、アリスは紅茶を給仕する。ゼロは湯気のたつカップに口を付けた。
「長い髪がスープに入っていて、嫌な思いをしたことでもあるんでしょうか」
「そうかもしれませんけど……」
「何か、気に掛かることが?」
 ゼロに尋ねられ、アリスは困ったように笑った。何となくジュリエットが心配だ、などと言える訳もない。
「いえ、何でも」
「そうですか」
 ゼロは完成したトランプタワーを眺めていたが、やがて最下段をぴんと指で弾いた。
「あっ」
 思わず声を上げるアリスの目の前で、タワーはばらばらに崩れ去る。床に散らばったカードには目もくれず、ゼロはスコーンをかじった。
「せっかく作られたのに」
 アリスが言うと、ゼロは軽く肩をすくめる。
「いつまでも積み上げておく訳にはいかないでしょう? いつかは崩さないと」
「でも……」
 アリスは静かに言った。
「片付けるまで、お茶のお代わりは入れませんよ?」
「え?」
 ゼロがぎくりとしたようにアリスを見た。アリスはことさらに微笑みを浮かべる。
「リデルさんに言われているんです。ゼロさまにあまり部屋を散らかさせないようにって」
「リデルが……」
 長く勤める執事の名を出すと、ゼロはやや怯んだようだった。
「とにかく、先に片付けましょう。私も手伝いますから」
「…………」
 しばらくぽりぽりと頭を掻いていたゼロだが、やがてため息をついて立ち上がった。
「わかりました。片付けます」
「分かっていただけて嬉しいです」
「ところで……」
 床にしゃがみこんだゼロが、尋ねた。
「貴女も、お金が貯まればここをやめるのですか?」
「え?」
 意外な問いに、アリスは思わず聞き返す。
「いえ。何でもありません」
 ゼロはそれ以上聞こうとはせず、ただカードを拾うことに熱中しているようだった。

  × × ×

 アリスがジュリエットと出会ってから十日後。ゼロがのそりとアリスの部屋を訪れた。
「アリス。この前街で会ったお友達ですが――」
 床に座り込もうとする彼に、アリスは慌てて椅子を用意する。だが、結局ゼロはずるずると壁に背中をつけて床の上に腰を下ろした。
「特徴を教えていただきたいのです。髪は短いということでしたけど、年齢は貴方と同じくらいですか?」
「え、ええ」
 アリスは頷く。
「金髪で……えっと、目は濃げ茶色、だったかな? 背は私より少し高いくらいで」
「髪の短さはどれくらいです?」
「どれくらいって……」
 口ごもるアリスに、ゼロは重ねて問い掛けた。
「私やリデルと比べると、どうですか?」
 リデルはプラチナブロンドの短髪、ゼロは無精なせいで目や首筋を覆う程度には伸びた黒髪だ。アリスはううん、と唸った。
「リデルさんよりは長いけど、ゼロ様よりは少し短いくらい……だったと思いますけど」
 ――それがどうかしたんですか、と問う前に、ゼロは床から立ち上がっていた。
「ありがとうございます。失礼しました」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
 背を向けて出て行こうとするゼロの腕を、とっさに掴む。彼は小さく肩を揺らし、立ち止まった。
「ジュリー……ジュリエットがどうかしたんですか? どうしていきなり彼女のことを……」
「…………」
 ゼロの横顔を覗き込むと、彼は困ったように眉をわずかに寄せていた。薄い唇を小さく開け、何か言い澱んでいるようにも見える。
「ゼロ様……?」
「……落ち着いて聞いて下さい」
 ゼロの大きく広がった闇のような瞳が、アリスを映した。彼女は小さく頷く。
「今朝、ひとつの死体が城に運び込まれました。普通では考えられないほど短い髪の、若い女性でした。身元は不明だそうです」
「……え?」
 ゼロを掴むアリスの手が、細かく震え出した。
「ま、まさか……」
「はい。貴方に聞いたジュリエットさんの特徴と、一致します」
「…………」
「死因は不明だそうですので、少し調べてみましょう」
 言葉を切り、ゼロはアリスをじっと見つめる。
「大丈夫ですか? 気分が悪いならリデルを呼びますが……」
「い、いいえ……」
 強張った唇を無理やりに動かし、アリスは言う。――ジュリエットが、死んだ……? その意味が、わからない。
「大丈夫、です」
「無理はしないで下さい。仕事は明日に回してもらっても構いませんから」
 相変わらずの淡々とした調子でゼロは言い、やがて彼女の手を取って自分の腕から引き剥がした。立ち尽くすアリスの目の前で、音を立てて扉が閉まる。
「ジュリー……」
 やがて、彼女はへたり込むようにベッドに腰掛けた。体がぶるぶると震えている。凍えそうな全身の中で、彼女に触れたゼロの手の感触だけが温かかった。

 ロンドン郊外に佇むハングマン城、通称「首つりの城」に住まうのはゼロ・ハングマン伯爵とその執事リデル、そしてメイドであるアリス・ウェーバーの三人である。それ以外にひとを雇っていないのはハングマン家が没落しているからではなく、城がその通称が示すとおりの怪談じみた噂に付きまとわれているためだった。アリスはそのほとんどが根も葉もないものだと知っている。だが、その噂の中にはひとつだけ真実があった。曰く――「首つりの城」には死体が集まる。
 死体なら何でも、というわけではない。病死や明らかな事故死であれば、そのまま遺族の手によって埋葬される。ただし、身元や死因のわからないいわゆる「変死体」が発見された場合、ロンドン警察を通じて秘密裏にリデルの元へと連絡が届く。すると彼は馬車を駆り、死体を引き取りに向かうのである。引き取られた死体は城の地下でゼロの手により「解剖」される。何故伯爵である彼がわざわざそのような忌まわしい行為に手を染めるのか――アリスはその理由を知らない。ゼロがアリスに解剖に関する話をすることはほとんどなかったし、そもそもいつ彼が地下に向かっているのか、それすらもアリスは知らないし、知らない方が良いことだと思っていた。多分、ゼロもそう思っているのだろう。
 だが、今回ばかりはそういうわけにはいかない。今朝の死体がジュリエットならば、アリスは彼女が何故死んだのかを知りたい。病気か、事故か、それとも殺されたのか――。
 ゼロがアリスの部屋を訪れてから数時間後、彼女は彼の書斎に向かった。木製の扉に向かい、ノックする。
「はい?」
「アリスです。少しお話したくて……」
 わずかな時間を置いて、扉は開けられた。ゼロの髪は濡れている。シャワーを浴びたのだろう、とアリスは思った。つまり、解剖はもう終わったということだ……。
「先ほどは驚かせてしまってすみませんでした」
 彼女をソファに座らせ、ゼロは落ち着きなく部屋を歩き回る。
「貴方のいた孤児院に連絡を取りました。どうやら、死体の身元はジュリエット・ノーマンで間違いがないようです」
「……そう、ですか……」
 アリスは目を閉じ、膝の上でぎゅっと手を握りしめた。ジュリー、何故……?
「死因が、気になりますか?」
「……はい」
「彼女に外傷はありませんでしたので警察は病死か何かかと思ったそうです。しかし、髪の短い若い女性の死体に見覚えのあった古参の警察官が、こちらに連絡を取ってくれました」
「……どういうことですか?」
「数年前から、半年に一度程度の割合で同じような死体が見つかっていたようですね。今まではずっと自然死として扱われていたそうですが……」
 ゼロはとつとつと語った。
「死体の身元も不明で、該当するような者の捜索願いも出てこない。ですから、警察も深く追求はして来なかったと」
「結局、ジュリーはどうして……?」
 ――死んでしまったのか。その言葉が出ずに、アリスは俯いた。
「結論から言うと、他殺です」
 ゼロはぽつりと言った。アリスは息を飲む。
「右の鼓膜に小さな穴が開き、そこから傷が脳に達していました。それが死因です」
「……え?」
「つまり――耳の奥には脳があるんです。しかも、かなり重要な機能を持つ部分が。耳を通じて、そこを破壊した。一見、外傷は残りません」
「……だ、誰が、そんな」
 唇が震える。頭に血が上った。何故、ジュリーが殺されなければならかったのだろう。悲しいのか、悔しいのか、それとも怒っているのか――自分の中を渦巻く感情に、上手く名前が付けられない。
「それは、もうすぐわかると思います」
「え……?」
 思いのほか近い場所で聞こえたゼロの静かな声に、アリスは顔をあげる。目の前に立っているゼロは、アリスの髪をさわさわと撫でていた。アリスが気付くと、ゼロは慌てて手を引く。シャツの袖に指先まで隠れていて、どうやら彼は袖越しに彼女に触れていたらしい。
「すみません」
 何故ゼロが謝るのか、アリスには良くわからなかった。彼が背を向けると同時に、扉がノックされる。
「入れ」
 相手がわかっているからだろう、ゼロはすぐにそう言った。――アリスには不必要なほど礼儀正しいゼロだが、そういえばリデルに対してはかなりくだけた言葉遣いで接している。私にもそうしてくれればいいのに、とアリスは思った。
「失礼します」
 部屋に足を踏み入れたリデルはアリスの姿を見て少し驚いたようだったが、すぐにゼロの元へと歩み寄った。
「この一ヶ月間に出た、求人の新聞広告です」
 差し出された紙数枚を受け取り、ゼロは次々に目を走らせていく。――やがて、視線が一箇所に止まった。
「……なるほど」
 ゼロは紙をはらりと床の上に落とす。ソファに座り込んだままのアリスへと振り返り、ゼロは言った。
「今日はもうお休みなさい」
「で、でも」
「命令ですよ、アリス」
「……はい」
 俯いた彼女の髪に、再びさらりとしたものが触れた。また、袖だろうか。何故、直接触れようとはしないのだろう。触れたくはないからだろうか。アリスは顔をあげ、そっとゼロのシャツの袖をめくりあげた。
「アリス?」
「…………」
 あらわになった彼の骨ばった手が、宙をさまよう。
「袖が長いと、汚してしまいますから」
 アリスは弱々しく微笑み、立ち上がった。
「お邪魔しました」
 視界にリデルの苦笑を捕えながら、アリスはゼロの書斎を後にした。