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ベイビ・オブセション

 男。年齢は二十代から三十代の可能性が高いが、四十代以降も否定はできない。独身、あるいは独居。資産家。身長はあまり高くないが、やや肥満。
 ――少女の身に着けていた衣服の購入者を探すうえで、ゼロとジェイムズとは以上の特徴で一致した。体格は少女の頸についていた指の圧痕から割り出し、年齢は少女の身に着けていた衣服から類推した。「あまりクラシックなものじゃない、流行りを取り入れた型だ」と言ったのはジェイムズであった。「流行りに敏感なのは圧倒的に若者だね――まあ、中には当てはまらないものもいるが」というわけだ。
 三日もしないうちに、ジェイムズは購買者候補をひとりの男に絞り込んだ。トバイアス・エリントン。エリントン子爵家の末子で、独身。ロンドン郊外に屋敷を持ち、老執事ひとり、通いのメイド数人と暮らしている。
「あまりいい噂は聞かないね。話を聞いたメイドは、ひどく主人を毛嫌いしていた」
 とジェイムズは言う。その日、ハングマン城にルイスの姿はなかった。
「仕事だから世話はするが、あまり深く関わりたくない――といった様子だったよ」
「なるほど」
 ゼロは頷く。
「実際に服を買いに出ていたのは執事の方だ。わざわざ偽名まで使っていたから、ちょっと手間取ったが」
 その執事が子供用の衣服を買っていったのは、一度や二度のことではなかった。数年前から何度となく購入しており、その頻度の高さ――そのくせ、親が子に買うのなら衣服は徐々にサイズアップするはずが、この数年来彼の購入した衣服のサイズはほとんど変わっていなかった――からも、絞り込みは比較的容易だったのだとジェイムズは言う。その洋品店の店主も、当の子供を連れてくることなく服だけを購入していく初老の男性を、どこか奇妙には思っていたらしい。
「つまり、こういうことですか」
 トバイアス・エリントン邸には定期的に幼い少女が下町から連れ去られていたのではないか……。
「メイドはともかく、執事の方はある程度深く関わっている可能性が高いですね?」
「ああ、恐らくは全部知っているんじゃないかな」
 執事の名はオルセン。トバイアスが幼い頃からエリントン伯爵家に仕えている。
「しかし、この後どうするんだ?」
 ジェイムズは尋ねる。
「さすがに現状では証拠が少なすぎる。相手も相手だし、ある程度明確な証拠がないと……」
「トバイアスは、恐らくこれまで何人もの少女を殺しています」
 ゼロはその台詞を冷静に言い放った。
「その遺体がどこにあるのか、ですが――恐らくは、邸宅の敷地の中かと」
 執事は共犯でしょうしね、とゼロは言う。ジェイムズは少し目をみはった。
「まさか、それを掘り起こそうっていうのか?」
「メイドの近付かない場所――或いは近付かせないようにしている場所。下は土。時々新しい死体を埋める為に掘り返されているから、さほど草は生えていないはずです。メイドに知られないよう少女を閉じ込めるのに適しているのは、地下か離れ……」
「まあ、ある程度絞り込むことはできそうだな」
 ジェイムズは言った。
「それで? ……もしかして、伯爵様自ら一肌脱ぐつもりかい?」
「? 別に脱ぎはしませんが」
 ゼロはきょとんと眼を瞬いた。
「ただ、トバイアスと面会し、その間執事をも引き付けておくには私が適任でしょう。ですからその間に」
「……わかった」
 ジェイムズは軽く両手を挙げた。
「ここまで来たら協力するさ、ゼロ」
「お願いします」
 ゼロは頷き、呟く。
「何にせよ、彼をこのまま放置しておくことはできませんから――」

  × × ×

 トバイアス・エリントンは仰天した。突然の訪問者、ゼロ・ハングマン伯爵とは全く面識もない。何の事前の約束もなく、かといって追い返すには相手の爵位が問題だった。いくら彼が「首つりの伯爵」として忌み嫌われていたとしても、彼はまごうことなく伯爵なのである――子爵家の末弟であり、資産こそあれ継ぐ爵位を持たないトバイアスとは違う。
 執事、オルセンに言いつけて彼を応接室に通させる。――何故このタイミングなのだろう、とトバイアスは訝った。数日前の、あの事件のことで、何か……いや、まさか。トバイアスの額から汗が噴き出し、彼は慌ててハンカチーフでそれを拭った。
 ゼロ・ハングマン伯爵は、既に白髪のオルセンよりもずっと若い執事を伴っていた。伯爵自身はトバイアスよりも少し年下であろう。かなり痩せている――ようにトバイアスには見えた。ぎょろぎょろとした黒目がちの目と同色の蓬髪、そして猫背。どうも不吉な印象を与える奇妙な男だ、というのがトバイアスの彼に対する第一印象であった。
 応接室に入ったトバイアスは一礼してゼロの向かいにどっかと腰掛け、口早に尋ねる。
「今日はいったいどういうご用件で……?」
「はい。実は、この屋敷を私にお売りいただけないものかと思いまして」
 唐突な申し出に、トバイアスは目を白黒させた。
「はい?」
「こちらはエリントン家の別邸だと伺いました」
 ゼロはあくまで落ち着き払った口調である。彼の背後に立つ執事は、全くその表情を動かさなかった。
「ふとこの邸宅をお見掛けして、すっかり気に入ってしまいましてね。もしよろしければ、お売りいただけませんでしょうか――当然、代金はそれ相応に」
「い、いや、それは」
 思いもよらぬ話に、トバイアスは動揺して背後のオルセンを振り返った。オルセンはわかっているというように頷いて、恭しく口を開く。
「それは、トバイアス様の一存では何とも……。エリントン子爵に話を通していただきませんと」
「ですが、実際ここに長くお住まいなのは貴方なのでしょう? 貴方がここを手放したくないというのであれば、最初からこの話は成立しませんし」
「わ、私は」
 トバイアスは汗を拭った。
「できれば……ここに住み続けたいと願っています。ですが、あくまで決定権はエリントン家当主に――兄にある。やはり先に兄に話を通していただくのが良いのではないかと」
「なるほど」
 ゼロは頷いた。
「では、エリントン子爵が構わないというのであれば、貴方はここを売ることもやぶさかではない……そういうことですね?」
「ええ……まあ」
 トバイアスは湿ったハンカチーフを握り締めた。――実際にそんなことになったら、どうしようか。兄はトバイアスにここを立ち退けというだろうか。ハングマン伯爵家に恩義を着せるためだ、売れと言うかもしれない。そもそも兄はずっと彼を嫌っている……結婚してからは猶更だった。あのいけ好かない兄嫁と一緒になって、兄はトバイアスを虐めた。こんな郊外の古ぼけた屋敷にトバイアスを体よく閉じ込め、子爵家の体裁のために金だけは与えて飼い殺しにしている。嫌いだ。兄も兄嫁も、その息子である甥も大嫌いだ。幼いながらにトバイアスを見下す、あの眼つき。小さい頃の兄にそっくりでぞっとする。唯一心が癒してくれるのはその妹である姪なのだが、兄嫁はトバイアスを嫌って姪を近付けさせなかった。一度たりとも抱かせてもらったことはないし、そもそももう何年も会っていない。会いたい。だが、会うことはできない。ここを追い出されたとしたら、トバイアスはどこにやられるのだろう。さらに田舎に行かされるのだろうか。そうなったら……そうなったら、「調達」は難しくなるだろう。幼い頃から彼には甘いオルセンも、いつまで彼に協力してくれるかわからない。ただでさえ、最近のオルセンはトバイアスの所業にあまりいい顔をしていないのだから。オルセンが彼を見捨てるようなことがあったら、彼は――彼にはもはや、絶望しか残らない。
 ぼうっとしているトバイアスの背後で、オルセンがややわざとらしく咳払いをした。
「そういうことですので、伯爵様――まずはエリントン子爵とご相談なされたほうがよろしいかと」
「そうですか……」
 ゼロは呟き、不意にトバイアスに問い掛けた。
「そういえば、このお屋敷には地下室がありますか?」
「は? はあ」
 面食らって間抜けな答えを返すトバイアスに、ゼロは真顔で言う。
「私はいろいろと趣味に地下を使用するものでね。地下室の有無はとても大切なのです」
「地下は……一応……」
 もごもごと言うトバイアスに、ゼロは畳み掛けた。
「良ければ一度見せて頂けませんか? せっかくの機会ですし」
「お言葉ですが伯爵様」
 オルセンがぴしゃりと言った。
「突然のご来訪でしたので、我が家は荒れ放題。到底伯爵様にお見せできるような状況ではありません」
 慇懃ではあったが、しかし取り付く島もない拒絶であった。ゼロは軽く顎を撫でる。
「そうですか? 良く片付けられていると思いますが……それに」
 続けられた言葉に、トバイアスの息が止まった。

「今なら、『地下室の住人』もいないでしょう?」

 オルセンが身じろぎするよりも先に、応接室のドアが勢いよく開いた。
「ゼロ、見つかった」
 そこに立っていたのは、オールバックにまとめたブロンズとエンペラー・グリーンの瞳の男――ジェイムズ・ワインハウスであった。その衣服は、ひどく泥に汚れている。オルセンが彼を止める前に、ジェイムズは一歩踏み入った。その顔はいつになくひどく強張っている。
「骨だ」
 ジェイムズは短く言った。
「恐らくは子供の骨。ざっと十数はあるぞ――」
「わかりました。では、ルイスに連絡を」
「貴方たちはいったい、」
 声を荒げたオルセンを、トバイアスは片手を挙げて制した。彼の屋敷の敷地から、子供の骨が多数発見されてしまったのだ。もはや言い逃れようもないだろう……。もう片方の手で顔を覆い、呻く。
「何故……」
 ――何故、気付かれたのか。それに、何故伯爵が。頭に浮かぶ疑問はまともな文章にならず、ただトバイアスは「何故」と繰り返した。
「数日前、辻馬車に轢かれた身元不明の少女がいました」
 ゼロが低く言う。
「ここから逃げ出した少女ですね?」
「…………」
 トバイアスはよろよろと立ち上がり、窓の外を眺める――そこにはいつの間にか数名の男たちがいて、シャベルを手に持ち中庭を掘り返していた。メイドたちはそれを止めるでもなく、遠巻きに見守っている。当然、彼はそのような許可は出していないし、男たちが誰なのかもわからない。だが、今更それを咎める気にもなれなかった。
「トバイアス様……」
 オルセンが彼を呼ぶ。だが、トバイアスは振り返らなかった。
「オルセンは悪くない……悪いのは、僕だ。僕が悪いんだ」
「悪いかどうかはともかく、私は事実が知りたいのです」
 ゼロは淡々と言う。
「貴方は街から少女を攫い、地下室に閉じ込めていた――やがて騒がれたり逃げ出そうとされたりすると、その子供たちを殺して庭に埋めた。そういうことですね?」
「……僕は」
 トバイアスは唸る。
「いつだって可愛がってあげた……かわいい服を着せて、美味しいものを食べさせて、愉しいゲームをして。最初はみんな喜んでくれていたんだ」
 ――それなのに。
「それなのに、みんないつか帰りたいって言い出す。家のないような、食べるものに困っていたような子でも、帰りたいって言うんだ。もうここにはいたくない、バイバイって。だから……だから!」
「だから、殺した?」
「だって」
 トバイアスはぼろぼろと涙を零した。
「だって、あの子たちが、僕を……僕を裏切るから……!」
 だから――あの朝、僕は夜通し帰りたいとぐずったあの子の――シャロンの首を絞めた。ぐったりとしたシャロン。いつもはそうやって静かになった体に欲情をぶつけるのだけれど、あの朝はそんな気にもなれなくて、すぐにオルセンを起こしに行った。いつものように死体を処理してもらうつもりで。だがトバイアスがオルセンを伴って地下に戻ると、シャロンの姿は既になかった。シャロンが死んだものと思っていたトバイアスは、地下室の鍵を掛けていなかったのだ。
 泣きじゃくるトバイアスを庇うように腕で抱きしめ、オルセンは声をわななかせた。
「ハングマン伯爵。貴方はいったい、何の権利があって……!」
「別に、何の権利もありませんよ」
 ゼロはあっさりとそう言った。
「でも」
 ――貴方たちにだって、あの少女たちに対しては何の権利もなかったはずだ。攫う権利も、閉じ込める権利も、殺す権利も。
「私はたまたまあの少女の死体と巡り合った。巡り合って、その痕跡から貴方に辿り着いた。すべてはあの少女の導きです」
 結果的に、彼女は守ったのだ――この先の未来で、トバイアスにかどわかされ、殺されたかもしれない少女たちの命を。
「それでも」
 ゼロは呟く。
「彼女自身の命は」
 無惨に摘み取られてしまったのだけれど。
 ――警察が到着したのか、屋敷の内外が慌ただしくなる。うずくまるトバイアスと彼を抱くオルセンを一瞥して、ゼロはリデルを伴いその場を立ち去ったのであった。

  × × ×

 トバイアス・エリントンの引き起こした事件は、しばらくの間ロンドン中の話題を浚った。例の少女、シャロンの遺体は共同墓地に葬られた――彼女の名は判明したものの、やはり彼女に身寄りはなかったのである。

 数日ぶりに良く晴れた日の朝。ハングマン城のメイド、アリスは窓を開けて掃除に励んでいた。本の多い主の書斎は、すぐに埃っぽく、かび臭くなってしまう。放っておいても空気を入れ替えるような心がけを持つ主人ではないから、アリスが何かと気を配らなくてはならないのだ。それが彼女の仕事である。
 ぱたぱたとはたきを掛けるアリスをよそに、ゼロは椅子の上で背中を丸めて新聞を読んでいた。その紙の向こうから、独り言のような声が漏れてくる。
「どんなに着飾らせても……美味しい食事を与えても……彼には少女たちを満たすことなどできるはずがなかったんですよね……」
「…………」
 それが例の事件を指していることは、アリスにもすぐにわかった。彼女は少し手を止め、そして呟く。
「そりゃあそうですよ。愛情と執着の違いくらい、子供にだってわかります」
 孤児院出身のアリスだからこそ、殺された少女たちの身の上は痛いほどに理解できた。ゼロが新聞から顔を上げる。
「そのひとは子供たちを愛していたつもりかもしれないけれど、でもそんなのは愛情じゃない……ただの執着、妄執ですよ」
 しかも、結果的に自分の言いなりにならなければ殺してしまうなんて――ペットや家畜に向ける情以下だ、とアリスは珍しく強い口調で言った。その横顔には静かな怒りが見える。
「愛情と執着……ですか」
 ゼロは呟く。そしてぱさりと新聞を床に投げ落とすと、アリスの側へとぼとぼと歩み寄った。はたきを握り締める彼女の両手にそっと片手を添え、肩に自分の頭を乗せるようにして、囁く。
「もし、私がそれらをはき違えそうになったら――」
 ――私が、貴方に「執着」してしまいそうになったなら。
 アリスの耳朶に触れる、やわらかな吐息。頬をかすめる、しなやかな髪の感触。それらはアリスの鼓動を否が応でも高める……。
「貴方は、ちゃんと逃げて下さいね?」
「……ゼロ様?」
 アリスが目を瞬かせる。――それは、一体どういう……?
 だがゼロはすぐにアリスの手を離し、再び新聞を床から拾って椅子の上に丸まった。その顔は、新聞紙に隠れて見えない。
「…………」
 アリスはぼんやりと思う。私は、もしかするとゼロ様に執着してしまっているのかもしれない。でも、その執着がゼロ様を不幸にするくらいなら、私は喜んでこの身を擲つだろう。私がゼロ様を不幸にしてしまうのなら、私は喜んで消えてなくなろう。
 だから――アリスは何かを振り切ろうとするかのように、はたきを思い切り振る。
 だから、どうか――この想いが、貴方を傷つけることのないように。貴方を傷つけるものに変わってしまわないように。アリスは改めて、そう祈らずにはいられないのだった。