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ブレイキン・スイート

 ヘレナ・ノースウッドが死んだ。殺された。彼女はある日突然、忽然と消えてしまったのだった。
 それでは何故殺されたとわかったか。ある男が、あっさりと自白したからである。
「おれが彼女を殺した。彼女の毛の一筋だって、お前らには返すつもりはない」
 ――と。
 男はヒース・モロウ。ノースウッド家に雇われていた庭師であった。
 うら若き令嬢への道ならぬ横恋慕か、それともノースウッド家への怨恨なのか。市民の関心は専らそういったゴシップに向かったが、警察にとっては彼の動機などはさしあたっての問題ではなかった――ヘレナの居場所を、或いは彼女の死体の在り処を、どうしても聞き出さなければならなかったのである。
 自ら罪を認めているヒースを有罪にすることは容易いであろう。しかしうら若き令嬢の行方が知れないままであってはならない。彼女の父母はあくまでヘレナが生きているものと信じ、奇跡を祈り続けているのだ。ヒースははっきりと、ヘレナを殺した、と口にしているにも関わらずである。再びこの腕に抱きしめるまでは諦められない、とは母である夫人の言葉であったが、一家に対して、こんな残酷な仕打ちがあるだろうか、とノースウッド家に近しい人々は皆胸を痛めた。

  × × ×
 

 ルイス・ブラウンがゼロ・ハングマン伯爵のもとを訪れたのは、ノースウッド家にまつわるゴシップがやや下火になってきた頃だった。それはつまり、事態に何の進展もないのと同じ意味だった。
 ヘレナは見つからない。そして、ヒースは口を割らない。
 ハングマン城――通称「首つりの城」は今日もひとけなく静まり返っている。住人が主を含めて三人しかいないのだから、無理もないことだ。
 伯爵と、昔から仕えている執事と、そしてしばらく前からここで暮らしている住み込みのメイドと。ルイスはそのいずれとも顔見知りであった。彼はこの城に現れる数少ない客人のうちのひとりなのである。
 ゼロ・ハングマンはいつもながら血色の悪い頬を軽く掻いて、ルイスを眺めた。痩身をモノトーンの衣服に包み、ぎょろりとした黒目がちの目でルイスを映している。ハングマン伯爵はほとんど社交界から遠ざかっているが、時にはそういった場に姿を見せなければならないこともあり、彼を見掛けた口さがない貴族の間では、彼を「死神」などと呼ぶ者さえあるという。まったく失礼な輩だ、とルイスは憤ったものだった。
「死体の見つからない事件に、私の出番はないでしょう?」
「まあ、そう言うなよ」
 ルイスはくだけた口調でいい、紅茶の満たされたカップに口をつけた。
「お前に会うためだけにここに来たっていいだろう?」
「はあ……」
 うろんな眼差しを向けながら、ゼロは手元のビスケットにたっぷりの生クリームとジャムを塗りつけ、頬張った。咀嚼して嚥下し、首をかしげる。
「リデルに、ではなくて?」
 リデル、とはルイスの旧友であり、ハングマン家の執事でもある男だ。だが、ルイスは首を横に振った。
「違う。ゼロに、会いに来たんだよ」
 ルイスの言葉に、ゼロは当惑の表情を浮かべた。彼は昔から人と関わることを避けて――いや、人に避けられて生きてきた。ルイスの言う意味がよくわからない。
「はあ、まあ……、そうですか」
 ゼロはそうつぶやくと、黙り込んだ。彼の方ではルイスに何も話すべきことはない。
 死体があれば――と、ゼロは思った。ルイスがここに来るときは、大抵身元不明の死体か、死因の分からない死体を連れてくる。それらはゼロによって暴かれ、そうしてルイスは情報を得て帰っていく。そういった彼の行動は、警察内部でも暗黙の了解事項となっていた。結局のところ、ゼロほど人体についての――特に死体についての――知識を持つ者が他にいないのである。その事実がゼロをこの城の外の世界から遠ざけてきた原因であるのは間違いのないところなのだが、ゼロは別に構わないと思っていた。自分はこういうにしか生きられないし、変えるつもりもない。
 「首つりの伯爵」は死体を集めている。その噂は間違ってはいない。だが、時に警察が彼に協力を求めていることは、ほとんど誰も知らないのだ――これまでも、きっとこれからも。
 ルイスはジャムを少しビスケットにのせ、かじった。あまずっぱいベリーの香りが口いっぱいに広がる。素朴ではあるがさわやかで、雑味がない。
「うまい」
「アリスが作ったジャムなのですよ」
「アリスちゃんは料理上手だな」
 メイドの名を口にした瞬間、ゼロの無表情がほんのわずかに色づく。ルイスは気付かないふりをした。
 この伯爵はとんでもなく不器用で、それでいて純粋だ。そんな彼が、ルイスは自分でも少し意外なくらい気に入っている。
 アリスという名のメイドは、これまでになく長くハングマン城に勤め続けている。ゼロの「趣味」――死体解剖を知ってなお、辞めなかった唯一のメイドだ。何しろ、本当に良い娘で、数度しか会ったことのないルイスも、彼女のことは気に入っている。それをあからさまに態度に示すと、ゼロがやや不機嫌になるのが面白いのだった。
「……そういえば」
 不意に、ゼロは顔を上げた。その表情は、既に固い。
「なかなか、口を割らないようですね?」
「ヒース・モロウのことか」
 ルイスは顔をしかめた。
「あいつ、ちょっとおかしいんじゃないか」
「おかしい、とは?」
「殺人容疑で捕まって、容疑は認めていて……それでいて遺体の場所を絶対にはかないってのは普通じゃないだろ」
「遺体が見つからなければ、引き伸ばせると思っているのでは?」
 冷ややかなゼロの言葉に、ルイスは頷かなった。
「それなら捕まる前にさっさと高飛びすればよかったんじゃないか。やつは逃げも隠れもせずにじっとノースウッド邸に留まっていたんだ。捕まりたくない、罰されたくない、という意志は彼から伝わっては来ない」
「……そうですか」
「しかも、気味悪いくらいに上機嫌なんだよな……。物証もないのにあいつが捕まったのも、その異様な様子に注目が集まったからだ」
「最初から捕まるつもりだった、とでも?」
「そうとしか思えない。現状が全て自分の思い通りにいっているとでもいうような」
「動機は怨恨でしょうか。それとも」
「恨みではない、と思う。恐らく……」
 ――ヘレナへの、歪んだ恋情。
「手に入らない高嶺の花なら、いっそ手折ってやろうと思ったのかねえ」
「…………」
 ルイスは大きなため息をつく。ゼロは黙って何かをじっと考えているようだった。
「いろんなアクセサリーをジプシーみたいにじゃらじゃらとつけていて、まあ自傷他害の恐れのないようなものばかりではあるから放置しているんだが、どう見てもちょっと普通の様子じゃあない。イカれちまってるのかもしれん」
「アクセサリー?」
 ゼロがぴくり、と反応した。
「ああ」
「たとえば、どんな?」
「ピアスだ。石……そうだな、象牙のような材質のものだったか。両方の耳たぶと、後は舌にも刺さっていた」
 舌、と言った後ルイスは顔をしかめた。ゼロは顔色一つ変えずに耳を傾けている。
「あと、皮製のブレスレットを何本か。編み糸のものも手首や足首に結んでいたと思う」
「…………」
「それがどうかしたか?」
 ゼロはふう、と息をつき、既に冷めているであろう紅茶を一気に飲み干した。
「……この件で、私の出番はなさそうです」
「え? そうか? けど」
 ルイスは目を瞬いた。
「遺体が見つかったら……」
「…………」
 ゼロは肩をすくめる。
「ものは試し、ですが……ヒース・モロウにその『アクセサリー』とやらを全部外すように強要してみてください」
「え?」
「どんな反応がかえってきたか。教えていただければ」
「……それで、何かわかるのか?」
 ゼロは答えない。
 ルイスはため息交じりにうなずいた。
「わかった。やってみる」

  × × ×

 ルイスが帰った後、ティーセットを片付けようと応接間を訪れたアリスは、窓際に佇むゼロに気付いて足を止めた。彼の顔は、アリスからは見えない。華奢な背中がどことなく寂しげで、アリスは思わず彼の名を呼んでいた。
「ゼロ様」
「…………」
 振り返ったゼロは、いつも通りの静かな無表情だった。そのことに、アリスはほっと安堵する。
 ゼロはふらりと彼女に歩み寄ると、そのブロンドの髪をそっと手に取った。――細い。力を入れればちぎれてしまいそうだ。
「ゼロ様?」
 髪をいじっていた骨ばった手が、す、と彼女の頬を滑る。なめらかな肌。彼が触れると、うっすらと血色を浮かび上がらせる。
「どうされましたか? 私の顔に、何か……」
 アリスが問い掛けると、ゼロは首を横に振った。
「何でもありません、アリス。失礼しました」
「ゼロ様!」
 離した手を、アリスはぎゅっと握った。ゼロは驚いたように立ちすくむ。
 アリスは真っ赤な顔で、彼をじっと見上げた。勢い良く力説する。
「私、そんなにやわにできていませんから! 大丈夫です、そんなに簡単に壊れたりしません!」
「え?」
 ゼロは問い返し、やがて思い当たったように目を見開いた。――私がアリスに触れる時、いつも恐る恐る手を伸ばすから。少しでも力を入れて壊してしまいはしないかと、怖くて。だから、アリスはこんなことを?
「…………」
 アリスの頬は相変わらず真っ赤で、ゼロの片手は意外なほど強い力で握りしめられている。
 ゼロはふう、と息を吐いて肩から力を抜いた。
「そうですね。アリスは強い子でした」
「はい! 下町育ちですから、芯は強いんです」
 ――細い髪、薄い肌。小さな体。そこに強靭さはなくとも。
 ゼロは彼女の赤い頬に己のそれを寄せた。
「ありがとう、アリス」
 ――私は彼女の強さに、何度救われてきただろう。
 
 だから――私にはわからない。
 何故、ヒースがヘレナを壊したのか。
 わからない。