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チェルビック・レイジ

「リック・ドナルドは何故教会に現れたのでしょうか」
 城を再訪したルイスに、ゼロは突然問いかけた。
「何故って……告解のため、だろ?」
「リックはそう信心深い若者とは思えません。彼が何か罪を犯したとして、わざわざ深夜に教会の戸を叩くでしょうか? 彼が神の許しを求めるようなキャラクタとは思えない」
「まあ、不自然といえば不自然だよな」
 ルイスは認め、目の前に置かれたティーカップに手を伸ばした。
「じゃあ、何故彼は教会に行ったんだ? まさか、神父によって拉致されたとでも?」
「いえ、それは考えにくい。リックは体格の良い若者です。神父は壮年ですし、ひとりで彼を制圧するのは難しいでしょう。不意打ちを食らわせたにしても、わざわざ自分の教会まで連れて行ってからことに及ぶのはリスクを高めているだけです。彼の手には拘束された痕跡や防御創もありせんでしたしね」
「じゃあ……」
 ルイスは少し考え、やがて口を開いた。
「リックは、神父に呼び出された……?」
「その可能性が高いでしょう」
 ゼロは頷いた。
「リックは特に警戒することもなく礼拝堂を訪れたのでしょうね。神父ではなくとも、誰か知り合いに呼び出されたのではないでしょうか。落ち合う場所に教会を指定することそのものは、さほど不自然なことではありませんしね」
「それで……」
「神父はリックに会い、椅子に座らせて話をした」
「その背後から襲った? 犯人はやはり神父ではないのか?」
「リックの頭には殴られてできた傷がありましたね。頭蓋骨が陥没していて彼の致命傷になったのですが、実はあれは数回以上殴られてできたものです。ひとつひとつは意外に浅くて、一撃では殺せなかった」
「死ぬまで何度も殴ったのか……」
「そうですね。明確な殺意と強い怒りがあってのことでしょう」
 顔をしかめるルイスに、ゼロは無表情に告げる。
「傷の場所は意外に低いところ……後頭部に近いところに集まっていた。倒れた後であればそこに傷がつくのもわかりますが、最初リックが座位であったであろうことと神父の身長を考え合わせれば、普通に燭台を振り下ろせばもっと頭頂に近いところに当たるはずなのです」
 ルイスは首をひねる。
「……つまり、どういうことだ?」
「リックを殺したのは、神父よりかなり身長の低い人物だと推測できます」
 ゼロは淡々と言った。
「そうですね、まだ子供と言ってもいいくらいの……だからこそ、何度も振り下ろしたのです」
「…………」
 ルイスは言葉を失った。
「そんな……そんなばかな……、子供が……?」
「ジムに頼んで少し調べてもらいました」
 ゼロは旧知の探偵の名を口にした。
「リックは、貴方が思う以上にかなりたちの悪い男だったようですよ……家出少女たちを脅して身売りさせ、金を巻き上げるような、女衒にも似た真似をしていたようです」
「じゃあ、神父はそれを知って……?」
「教会に助けを求めた少女がいたのかもしれません。神父がその少女を匿ってやることは簡単ですが、それでは他の被害者を救えない。最も確実なのは、リックを消してしまうこと――まあ、最初から殺すつもりだったわけではないかもしれません。神父はリックを呼び出して、そういったことはやめるよう説いたのかも……まあ、言って聞くような相手だったとも思えませんが」
 ルイスは軽く眉間を押さえた。
「神父は……リックを殺した子供を……少女を庇っているんだな……?」
「何故『天使』などと口走ったのはわかりませんがね。さすがに殺人の罪まで被る覚悟はなかったのか、それとも他に意味があるのか……案外、動転して何とか誤魔化そうと妙なことを口走っただけなのかもしれませんし」
「…………」
 ルイスは少し口をつぐんだあと、深くため息をついた。
「実は……神父からおまえに言伝があるんだ」
「私に?」
 ゼロは驚いたように顔を上げた。
「何故です?」
「どうやら、彼の教会にはアリスちゃんが通っていたようでな。昔馴染みらしい」
「……アリスが?」
 ゼロは目を見開いたままぽつんとつぶやく。ルイスは胸元のポケットから紙片を取り出し、読み上げた。
「『アリスさんに申し訳ないと伝えて下さい』……だと。それから」
 紙片を指先でぱたんと二つに折り畳み、ルイスは続ける。
「『どうか、あなた方のことを祈らせて欲しい』……」
「…………」
 ゼロはルイスを見つめ返し、静かに告げた。
「……私は祈りを必要とはしませんが、ひとが何をどう祈ろうが、それは自由です」
 お前らしい、とでもいうようにルイスは肩をすくめた。
「それで? ルイスは――警察としてはこれからどうするのです?」
 ゼロに尋ねられたルイスは、軽く咳払いした。
「とりあえず、実際に殺したのは神父ではなさそうなんだよな?」
「ええ。死体からは、その可能性がきわめて高いかと」
「実際、神父の衣服には返り血のひとつもついていない。床や燭台はあんなに汚れていたのに、だ。もう十分なんじゃないか」
「十分、とは?」
「リックの背後から、小柄な――殺人者が忍び寄って殺した。神父はそれが誰かはわからなかったが、天使のように見えた。そういうことなんだろ」
 ゼロは珍しく食い下がった。
「……殺人者は野放しのままでいいのですか? 私が先程語ったことはあくまで憶測にすぎませんよ?」
 リックが殺された理由はもっと別のところにあるのかもしれないし、殺した者の人物像も異なっているかもしれない。たとえどんな事情があったとしても、ひとがひとり殺された、ひとがひとを殺した、その事実は変わらない。
 悪人なら殺されても良いのか。弱者なら殺しても良いのか。善人や弱者は、悪人や強者を裁く権利を持つのか。それは一体、誰が誰に与えた権利なのか――。
「それなら」
 ルイスはゼロを真っ直ぐに見据えた。
「お前が神父と――ジョージ・ウェストと話してみてくれないか」
「私が?」
 ゼロは驚いたように聞き返した。
「ああ」
 ルイスはうなずく。
「お前になら、神父も真実を打ち明けるかもしれない」
 ゼロは顔をしかめた。
「私は聖職者ではありません。そんな、告解のような真似など」
「そんな気負ったもんじゃなくていいんだ。ただ……何となく、ウェスト神父もそれを望んでいるんじゃないかと思ってな」
 ――だからこそ、わざわざゼロの名前を出してルイスに言伝を頼んだのではないか。
「…………」
 ゼロはしばし黙考し、やがて深々とため息をついた。
「また貸しですよ、ルイス」
「取り立てはリデル以外で頼むぞ」
 彼に仕える敏腕執事の名を上げたルイスに、ゼロは唇の端だけで小さく笑った。

  × × ×

 数日後――ジョージ・ウェストは釈放された。リック・ドナルドを殺したのは彼ではない第三者で、暗がりの中で彼はその殺人者を視認することはできなかった。殺人者はしばらくの間捜索されるだろう、しかし恐らく逮捕には至らないだろう……。
 ウェスト神父――元神父は教会を離れ、親戚を頼って地方に移り住むという。アリスはゼロを通じて彼からの謝罪を聞いたのだった。
「神父様がそんな恐ろしいことに巻き込まれていらしたなんて」
 小さく肩を震わせるアリスを見遣りながら、ゼロは彼女の入れたお茶を口に運んだ。
「ねえ、アリス」
「はい?」
「子供は皆天使なのだと、貴方は以前言いましたよね」
「……はい」
 ゼロは目を伏せる。
「では、ひとはいつ天使でなくなってしまうのでしょうか」
 生まれ落ちたときは皆天使だったのだとして、いつ、ひとは世俗に塗れ堕ちてしまうのか。神の僕であったはずのジョージ・ウェストまでもが、事情があったとはいえ罪に手を染めた。たとえ彼自身が手をくだしたのではないとしても、殺人を犯した者を庇うのは、やはり罪といっていいだろう。
 彼がゼロに語ったのは、概ね彼の推測通りのことであった。それでも彼は決して「天使」の名を口にしなかったし、ゼロもそれ以上は追及しなかった。彼にその権利はない。ただ願わくば、「天使」が再び地獄に堕ちることのないように……彼のことだ、恐らく何かしらの手配をしてはあるのだろうが。たとえば――信頼できるシスターのいる孤児院に預けるだとか。
「いつまでも、ですよ。きっと」
 ゼロの内心を知るよしもないアリスは、朗らかにそう言った。ゼロは眼を細めて彼女を見つめる。ジョージ・ウェストがゼロに語ったのは、きっとアリスを知っていたからだろう。アリスを通じて、彼はゼロを信じた。そしてゼロは……彼が罪を罪として受け入れながらも、その重さをおそれながらも、それでも「天使」を守りたいのだと知った。
 アリスは、まるで祈りのように言葉を紡いだ。
「神様にとって、私たちは永遠に神の子らですから。大人になっても、姿かたちがどんなに変わっても、たとえどんな罪を犯しても、きっとそれは変わらなくて――私たちがたとえそうであったことを忘れてしまったとしても、神様はお見捨てにはならずに導いて下さる。私はそう信じています」
 胸元で握りしめられた、ほっそりとした両の手。
「…………」
 ゼロの口元が蠢いたような気がして、アリスは瞬いた。
「何かおっしゃいましたか、ゼロ様?」
「いいえ」
 ゼロは首を横に振る。
「何も」

 ――天使は貴方だ、アリス。
 ゼロは思う。
 神を信じない私でも、それでも。
 貴方の言葉ならば、信じられる。信じるふりをしていたいと願う。
 本当は、私たちを見守り導く神などいないのだと知っていても、それでも。
 貴方には神がいればいいと思う。神の加護があるようにと願う。
 その背に負う純白の翼が、この地を覆う忌まわしいものたちで染められてしまわぬように。

 ゼロは思い出す。ウェスト神父と交わした、最後の会話。
「貴方にとって、私は罪深き者ですか?」
 席を立ちながら不意にそう尋ねた彼に、神父は首を横に振って見せた。
「いいえ、そうは思いません」
「…………」
「原罪は皆等しく背負うものだとしても、産まれながらにして特別罪深き者など存在しません。罪は産まれた後、生きていく過程で得るものだ……そう、ちょうど私のように」
 ゼロ・ハングマンの出生が母を殺め、父を狂わせ、祖母を殺意に染めた――しかしそれは彼の罪ではない。
「貴方が死に近しいところにいることが罪かどうか、私には判別できませんが……少なくとも」
 彼は優しく眼を細める。
「アリスは……彼女は、貴方の城で愛し愛されている。貴方に仕えてから、彼女はずっと幸せそうだ」
「…………」
「私は祈りましょう。これからも、彼女の幸せが続くように――」
 そして、と彼は付け加えた。
「貴方も共に幸せであるように――」

「だから、ゼロ様も……」
 アリスの声を遮るように、ゼロは彼女の手をとって恭しく捧げ持つ。
 ――私には神も、誰かの祈りも必要ない。ただ、貴方がこの世に在れば。
 息をのむ彼女の気配を頭上で感じながら、彼はその爪先にそっと唇を寄せた。