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セレスチアル・ブレット

 門柱に打ち込まれた銀の弾丸。それを目にしたリデルは眉根を寄せ、ため息をついた。
 どうやっても、それは掘り出せそうにない。いっそ上から塗り込めてしまうしかないか、と彼は思案する。
 誰がやったのか、などとは考える必要がない。こんなことをする人物像は決まりきっているからだ――。

  × × ×

「『銀の弾丸』?」
 ハングマン城唯一のメイド、アリス・ウェーバーは鸚鵡返しに聞き返した。突然、主人のゼロ・ハングマン伯爵にその存在を知っているかと尋ねられたのである。
 知識としては知っている。いわゆる、ヴァンパイアなどのアンデッドを滅ぼすために用いられるという、特殊な銃弾のことだろう。だが……。
「それって、お伽話とか伝説とかに出てくるもの、じゃないんですか?」
「そうだったら良かったのですがね」
 ゼロは不健康な顔色をますます悪くして、つぶやく。テーブルの上に置かれていた白い封筒を親指と人差し指でつまみ上げる。気に入らないものに触れる時のやり方だ、とアリスは思った。中からぱらぱらと零れ落ちたのは、銀の弾丸が三つ。
「どうやらこの相手は、私のことをアンデッドか何かだと思っているらしい」
「え……?」
 死体を暴く「首つりの伯爵」――彼にまつわる根も葉もない噂は数知れずではあるが、さすがにアンデッドとは。時代錯誤というべきか、何というか。
 ゼロはロッキングチェアの上に片足を上げ、その曲げた膝の上に頬を置いた。
「どうやら私は『銀の銃弾』に狙われているらしいのです」
「え? え?」
 アリスは混乱してその弾丸を見つめる。鈍く光るその白銀は、何も語りはしない。封筒には署名があった。――ジョーク・クロスフィールド。アリスはその名を知らない。
「簡潔に言うと、やや特殊な宗教家たちの集まりです。対立する立場のターゲットに対しては暴力も辞さないとか」
 ゼロは口早に続けた。
「ですから、アリスはしばらく孤児院のお世話になってはどうでしょうか。警察には通報していますが、普段の様子を考えると多分これだけでは動いてくれないでしょう。万が一、貴方が巻き添えになったら――」
「嫌です」
 アリスは顔を上げ、きっぱりと言った。
「は?」
 今度はゼロがきょとんとする番だった。
「お暇を出されるのでしたら仕方がありませんが、私がこのお城のメイドである限りは、そんな、ゼロ様を置いて自分だけが避難するなんて」
 アリスは怒っている。頬は赤く染まっていたが、唇は逆に白く色を失っていた。
「そんなこと、できるはずありません!!」
「……しかし、アリス」
「どうしてもというのなら」
 アリスの顔が一瞬、泣き出しそうに歪んだ。
「お暇を出してください。逃げ出しておいておめおめ戻ってくるなんて、できませんから」
「…………」
 ゼロは言葉を失っている。
 凍りついたその場の空気を変えたのは、にゃあ、と鳴いた猫の声だった。アリスの足元に体を擦り寄せる黒猫。アリスは慣れた手つきでひょいと抱え上げた。
「ミルクをあげなければならないので、失礼します」
「…………」
 アリスはゼロと目を合わせないようにして、猫を抱いたまま部屋を辞した。
「…………」
 ゼロの半開きになった唇は結局なんの言葉も生み出せないまま、力なく閉じられたのだった。

 死体解剖――その行為は、多くの人々から神に背くものだと忌み嫌われている。伯爵という家柄の者がそういった行為に手を染めている、ということがより一層反発を招いているという側面もあるだろう。事実、数百年前から一部の学者たちの間で人体解剖は行われているのだが、そこにはあくまで学問的、科学的な大義があることが前提だった。ゼロ・ハングマン伯爵にはそれがない。一貴族の猟奇的な趣味、と捕えられても致し方がないし、ゼロ自身それに対して言明することはなかった。
 だが、時に一部の人々はゼロのその知識を利用する。それは例えば警察や医師であって、つまりは学問的な探究心とは別に、死因の特定を望む者たちなのだった。
 きっといずれは死体解剖そのものが司法の中で重要な位置を占めるようになる、とはゼロの旧知の医師、デミアン・ロスチャイルドの意見である。――だが、今は違う。
 ゼロの書斎を訪れたリデルはその散らかりように眉を寄せたが、口に出したのは別のことだった。
「『彼』はやはり、今ロンドンにいるそうです。一応、ルイスに行方を追ってもらってはいますが……」
 ゼロはリデルにぎょろりとした黒目を向けた。
「お前は……ああ、聞くまでもない、か」
「何を、でしょうか」
 リデルはゼロの内心などお見通しなのだろう、薄い笑みを湛えている。そして、静かに口を開いた。
「ゼロ様。欲しいものは欲しいと言わなければ」
「?」
「わたくしは欲しがられなくともお側におりますけれども」
 リデルは澄ました顔でゼロに歩み寄り、その痩せた顎に指を掛けた。
「貴方が他人に対して臆病なのは、相変わらずですね」
「…………」
 リデルの翡翠の瞳に映るゼロは、強張った無表情であった。
「貴方が誰かを求めるように、貴方を求める誰かもいるのですよ? 貴方が思う以上に――」
 リデルの口調はひどく優しい。それなのに、ゼロの眼差しはどこか怯えている。
「貴方は、愛されている」
 ゼロはリデルを振り払い、目を伏せた。
「少し――ひとりにしてくれ」
「ゼロ様」
「頼む」
「…………」
 リデルは小さくため息を付き、主人に背を向けた。
「あまり、アリスを泣かせないでくださいね」
 扉を締める前、リデルはぽつりとそう言った。

「…………」
 リデルが去った後、ゼロは窓に歩み寄った。視界の隅で、何かがきらりと光る。何だろうと目を凝らした、その瞬間――。
 耳を打つ破裂音と、砕け散るガラス。降り注ぐ小さな痛み――脳裏に浮かぶ、泣き顔。潤んだ青い瞳は自分を映して……そこに映った自分は……。
「ゼロ様!!」
 ゼロは蹲るようにして、その場に崩れ落ちた。

  × × ×

「ゼロ・ハングマン」
 つぶやく声には、憎悪が滲む。
「肉体の破壊は魂への陵辱に等しい」
 握りしめた銃は、彼の掌の熱で灼けている。
「お前が生ける化物であろうが彷徨える亡者であろうが、そんなことは関係ない」
 ――おれは、赦さない。
「誰かがやらねばならないのだ、誰かが……」
 ――おれたちは、赦さない。
 これ以上「首つりの伯爵」による犠牲者が増える前に、誰かが彼を……。
「神の御名の元に」
 彼の名は、ジョーク・クロスフィールドという。

  × × ×

 誰かが、彼の頭上で言葉を交わしていた。
「さすがにこれは洒落になりませんよ。何とか捕まえられないんですか」
「証拠がない。確かに銀の弾丸は落ちていたが、これが本当にクロスフィールドのものかどうかなんてわからない」
「…………」
「そんな顔で俺を睨んでもどうしようもないだろ、リデル。視線で人が殺せるなら俺はもう数回死んでいるぞ」
「しかし、このままでは!」
「公権力が表だってゼロを庇うのも限界がある。わかるだろう? ゼロの解剖はあくまで非合法なもので――」
「ふたりとも、お静かに」
 遮ったのは、深みのある低い声。彼はその響きに促されるように、ゆっくりと目を開けた。
「目が覚めましたか、ゼロ君」
 視界に映ったのは、長いプラチナブロンドの髪と薄氷色の瞳。ゼロはぼんやりとつぶやいた。
「ドクター……来ていたのか」
「怪我はたいしたことありませんよ。良かったですね」
 デミアン・ロスチャイルドは穏やかに笑って身を引いた。ゼロが辺りを見回すと、そこは見慣れた自分の寝室であった。徐々に、気を失う前のことを思い出す。
「そうか、窓……」
「ゼロ様」
 その声に顔を上げると、強張った表情のリデルと目が合う。
「ご気分はいかがですか。水をお持ちしましょうか」
「そうだね、頼みます」
 答えたのはゼロではなくデミアンだった。
「それと、あとで少し、何か口にした方がいい。最近あまり食べていなかったんだろう? 倒れたのは、どちらかというとそちらが原因です」
「…………」
 ゼロは目を伏せる。
「……『銀の銃弾』」
 ぽつり、とつぶやいた。
「神に背くものに処罰をくだすという――過激な僧侶たちの組織だ」
 そう続けたのは、ルイス・ブラウンである。これもまた、ゼロの数少ない知人のひとりであった。彼の身分はそのまとう制服が示す通り、警察官である。
「大陸の方で暗躍しているらしいとは聞いていた。うちのひとり、ジョーク・クロスフィールドがロンドンに潜伏しているらしいという噂はあって、警察もマークはしていたんだが……」
「私を殺害するため、ですね?」
 ゼロの言葉に、その場にいた三名の間に緊張が走る。
 
 異端の伯爵を排除するという、明確な意志――鈍く光る「銀の銃弾」を視界にとらえながら、ゼロはただ黙って宙を見つめていた。