instagram

スプリッタ・グリッタ

 アリスが街で切断された遺体を発見した日から、半月が過ぎた。
 彼女はあの日のことなどなかったかのようにいつも通りに振る舞っていたし、ゼロやリデルも敢えて口にしようとはしなかった。――だが、ゼロは新聞を自分で片づけるようになった。かつてはどんなにリデルに口やかましく言われても、すぐに投げ散らかしていたのに。紙面に躍る「バラバラ切断事件」の文字、それがアリスの目に触れないようにと考えてのことだった。
 人は、目にしたことをそう簡単には忘れられない。それでも、時間の力を借りて少しずつ、記憶の層の奥深くに埋めていくことはできる。そうやって、人は乗り越えていく――少なくとも、乗り越えたふりができるようになる。それを、ゼロもリデルも己の経験から知っていた。
 同時に、一度負った傷が決して消せないことも、彼らは良く知っていた。

  × × ×

 その日、ルイス・ブラウンがハングマン城を再訪した。お茶を運んできたのはアリスではなくリデルで、ルイスも彼女のことは何も言わなかった。
「写真は残っていなかったが、一枚だけ肖像画があった」
 ルイスは一枚の画を取り出した。そう大きなものではない。ひとりの娘の、ちょうど胸元から上が描かれているのだが、青い瞳はやや伏せられていて画を見るものが視線を合わせることはできない。栗毛色の豊かな髪は頭頂部にまとめられていて、幾筋かの後れ毛が白い額に、薄く色づいた頬に零れ落ちていた。赤い唇はかすかな微笑みを浮かべている。ルイスは最初見たとき画に描かれた彼女の美しさに嘆息したものだが、ゼロはただぎょろぎょろとした眼で無遠慮に眺めただけだった。やがて、ため息をついて目を逸らす。
「ルイス。私は、顔が知りたいのではないのですが」
「うん?」
「顔は損傷が激しくて、わかったものではありませんでした。どちらかというと、骨格や体のパーツの特徴が知りたいのですよ」
「そう言われてもなあ」
 ルイスは頭を掻いた。
「庶民がそう簡単に写真なんか撮るかよ……」
「では何故、ひとり分だけ画があったのです? 姉たちの分は?」
 シーマス姉妹は、実のところ本当の五つ子ではない。彼女らが互いに良く似ていたことから、学校内では彼女らをそう呼ぶものがいたというだけのことである。
 そんな中、末の妹、ヴァニラ・シーマスの画だけがあった理由。
「五人揃った画もあったらしいんだけどな。妹がこの画を描いてもらった時、画家に頼み込んでその画を譲ってもらったそうだ」
「そうでしたか」
「ヴァニラが改めて画に描かれた理由ってのは、まあ簡単なんだ。同じバレリーナ、同時にロンドンに出てきて、学校に入った。一番若いのが将来を嘱目されたというわけ。年は上から順に二十三、二十二、双子が十九、で一番下が十七だったかな」
「でも良く似ていたのでしょう? 五つ子と呼ばれたほどですから」
「舞台上じゃ見分けはつかなかったらしいぜ。踊りも別に誰かが飛び抜けて上手いとか下手とかいう訳ではなかった」
「そうですか」
 ゼロは興味があるのかないのかあいまいな返事をして、ソファに深く体をうずめた。
「ところで、遺体の身元はシーマス姉妹と確定して良さそうか?」
「他人同士とするには、細かなあまりにも特徴が似通っています。ほかに、同年代で失踪した血縁関係のある女性たち数名がいますか?」
「いない」
 言い切るルイスに、ゼロはそれなら――と言った。
「ほぼ間違いはないでしょう。シーマス姉妹です」
「全員が、殺されたと? じゃあ犯人は一体……」
「全員?」
 ゼロは右眉を上げた。
「誰が、遺体は五人分だと言いましたか?」
「え?」
 ルイスは思わず聞き返した。
「じゃ、じゃあ、五人分じゃないのか?」
 ゼロはソファから立ち上がり、ゆっくりと窓際へと歩み寄った。その表情は逆光になって、ルイスには良く見えない。
「切り離された身体を継ぎ合せる――まるで、パズルを組み立てるような作業でしたよ」
 静かに語られる、その内容は凄惨だった。
「どんなにトライしても、一体分も完全にはなりませんでしたけれど……まあ欠けた部分はそれはそれとして、元々遺体が幾つあったのかは推測できました。恐らく間違いないと思います」
 ルイスはごくりと唾を呑んだ。
「殺されたのは、何人だったんだ」
 ゼロは振り返る。いつも通りの、無表情だった。
「遺体は、四人分です」
「四人……?」
 ルイスは眉を寄せた。
「あと一人分、見つかっていないと? そう言いたいのか」
「いいえ」
 ゼロは首を横に振る。
「確かに、四人の体の中にもそれぞれまだ見つかっていない部位はあります。しかし、四人はバラバラにされた後、互いにパーツを混ぜられた状態で埋められています。五人目のパーツは、どこからも見つかっていません」
 ゼロは言う。わざわざ遺体をバラバラに刻み、四人分を混ぜ合わせて遺棄したのは、殺した人数を知られたくなかったからではないか、と。実際、ゼロが詳しく調べなければ、一体何人分の遺体なのかは断定できなかったはずだ。遅かれ早かれシーマス姉妹の失踪が明らかになって事件と結びついただろうから、いなくなった姉妹全員が惨殺されたものと警察が決めつけた可能性は多分にある。
 確実に死んでいるのは四人。しかし、犯人はそれを五人と思わせたかったのではないか……。
「ええと、つまり……どういうことだ? 一体何のためにこんなことを?」
 頭を抱えるルイスに、ゼロはゆっくりと説明した。
「遺体がシーマス姉妹のものだとします。今まだ見つかっていないひとりの所在に関しては、可能性が幾つかある」
 ルイスは視線でゼロに続きを促した。
「ひとつ、犯人によって誘拐され、今も捕らわれている。もしくは姉妹とは別の場所や時間に殺され、既に捨てられている」
「他に、あるのか?」
 ゼロは目を伏せ、かすかに笑った。
「ひとつ、姉妹の残りのひとりこそが――犯人である」
「なんだって?」
 ルイスは声を上げた。
「幾ら何でも、それは……」
「確かに、人間の解体は女性にとって骨の折れる仕事ですね。力が入ります。でも、不可能じゃない。共犯がいたかもしれませんよ」
「ううん」
 唸るルイスを横目に、ゼロはソファに座りなおした。華奢な足を組み、すっかり冷えてしまったティーカップに手を伸ばす。
「まあ、私は犯人には興味がありません。捜査するのは貴方がた警察の仕事でしょう」
「それもそうだ」
 ルイスはため息をついた。
「参考のために、教えてくれ。もし姉妹のうちのひとりが犯人だとしたら――動機は一体何だと思う?」
「さあ?」
 ゼロは首を傾げた。
「でも、邪魔だったんじゃないですか?」
「え?」
 ルイスは聞き返す。
「バレリーナとして成功しようとしたなら、五人似たようなのがいても、頭角を表せない。かろうじて若さが武器になるか、どうか」
「じゃあ、末の妹以外の誰かが……?」
 彼女を妬んで、と言いかけたところで、ゼロは静かに言い放った。
「もしくは、彼女自身が」
 ゼロの視線を追って、ルイスは手元の画に目を落とす。美しく、若い娘。その伏せられた青い瞳は一体何を映すのか――ルイスはぶるりと身震いした。ゼロの示唆した可能性を否定したくて、口を開く。
「けど、こんなことになったらもうバレリーナとしてはやっていけないじゃないか。実際、学校も辞めてしまったんだし」
「ロンドンを離れればいいだけです。たとえば、パリに行くとか」
「全てを捨てて……か?」
 両親の元を離れ、姉妹を殺し、祖国を出奔して、そうまでしても名声を手に入れたいのか。ルイスに、ゼロは肩をすくめてみせた。
「私にはわかりません。興味もない」
 ――そう、ゼロにはわからない。ヴァニラ・シーマスが五人姉妹の画をわざわざ画家に譲って持って帰った理由など、わかるはずもない。だがきっと、それは今でも彼女の傍らにあるのではないか。何の根拠もなく、ゼロはそう思った。

  × × ×

 数日後の昼下がり。ゼロのもとにお茶を運んできたアリスに、彼はぽつりと言葉を漏らした。
「画を」
「はい?」
「画を、描いてもらう気はありませんか。アリス」
「何の画ですか?」
「貴方の、ですよ」
「私の?!」
 アリスは顔を赤らめて、ゼロを見つめた。彼はいつも通りの澄ました顔で、彼女の焼いた洋ナシのパイにフォークを突き刺している。
「写真もいいけれど、やはり色がついていた方が良いかと思いまして」
 上手な画家を知っているんですよ、とゼロは言う。アリスは面食らった。
「で、でもどうして私の……」
「画は、残るでしょう?」
 ゼロが、彼女を見た。虚ろにも似た漆黒の瞳が、彼女を映している。
「でも……」
 アリスは戸惑いながら俯いた。――それは、違う。画は嫌いではない。でも、何かが違う。
 ――ゼロ様は、まるで私が去った後も画は残るから、と言っているみたいだ。
 それは、違う。確かに、この城にきて怖いこともあった。今でも死体や解剖は怖いし、この間の光景もまだ忘れられない。けれど、あの事件の後、「少しの間孤児院で休暇を過ごしてきてもいい」というゼロの提案をアリスは断った。ゼロやリデルと離れてしまうのが嫌だった。彼らの側にいる方が、きっと彼女は安心できるし怖くない。何かあっても、きっと彼らが助けてくれる。いつの間にか、アリスの心の中はそうなってしまっていたのだった。
 アリスは指先でエプロンを握りしめながら、ぼそぼそと言う。
「お菓子もお茶も、作り立てが一番なんです。置いておいても、冷えちゃうし……固くなるし」
 脈絡のない彼女の言葉を、ゼロは黙って聞いている。
「だから、画も……喋らないし、動かないから。それは、私じゃないと思うんです。それに」
 アリスは少しだけ、顔を上げた。きっと、今の彼女の顔は真っ赤だろう。
「毎日顔を合わせているのに、画は要らないと思うんです……」
「…………」
 ゼロはふ、と息を吐いた。
「ええ、確かにそうかもしれませんね」
 ゼロは手を伸ばし、アリスの頬に触れた。
「それに――」
 ――貴方がいなくなったら、私はとても困る。
 それはひどく小さな呟きで、聞き間違いかとアリスは疑ったほどだった。
「では」
 ゼロがもう一度口を開き、今度ははっきりと言った。彼の瞳に吸い寄せられて、アリスは目を離せない。
「ずっとここにいて下さいね。アリス」
「……は、い」
 アリスは頷く。
「ありがとう、アリス」
 ゼロが、笑った。穏やかな瞳、少しだけ朱のさした頬、柔らかな弧を描く薄い唇。いつもの硬質な印象が、あたたかく和らぐ。
 ――あ。
 アリスは息を呑んだ。今この瞬間の、画が欲しい。そう思った。
「アリス?」
 名を呼んで、首を傾げるゼロ。アリスは慌てて目を逸らした。顔がひどく熱い。彼女はぱたぱたと手で仰いだ。
「何だかこのお部屋、暑いですね」
「……貴方も?」
 ゼロはシャツの首元を緩める。
「それなら、やはりこの部屋の暖炉かどこかがおかしいのでしょうか……」
「リデルさんに見てもらいましょうか」
「そうですね」
 顔を見合わせて頷き合うふたり。――その頬は、確かに上気していた。

 部屋を見に来たリデルに、おふたりでいるとお暑いのでしょう、と一蹴されるのはその数分後のことだった。