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スプリッタ・グリッタ

 ハングマン城に慌ただしく一台の馬車が走り込んできた。警察の所有であるそれから飛び降りてきたのは城で働く唯一のメイド、アリス・ウェーバーであった。彼女はわき目もふらずに城主、ゼロ・ハングマンの部屋へと駆け込んでいく。
「ゼロ様っ!!」
 常のようにソファに腰掛けていた彼に、彼女は迷うことなく飛びついた。
「?!」
 ゼロは両腕を肩の横に拡げたまま凍りつく。ぎょろりとした黒い大きな眼は、いつも以上に大きく見開かれていた。
「う……」
 アリスの細い肩は小刻みに震えている。ゼロは体を硬直させたまま、視線だけを彼女の方に下ろした。
「アリス……? どうかしたのですか?」
「ゼロ!」
 アリスが開けたままだった扉から、大柄な男が顔を出した。ルイス・ブラウンである。ゼロにすがりついているアリスの姿に、ルイスは一瞬驚いたような表情を見せた。
 ゼロはルイスの顔を見上げ、尋ねる。
「ルイス? これはいったい……」
「アリスちゃんは、見てしまったんだよ」
 アリスはただ、ゼロの足元にうずくまり、その腰に両腕を回してしがみついている。その表情は見えない。
「何を、ですか」
 ゼロの瞳の中に、暗い光が点った。ルイスは目をそらし、答える。
「かなり細かく切断された人間の死体の、一部だ」
「…………」
 ゼロは目を細め、ようやく上げたままだった両腕を下ろした。
「アリス」
「…………」
 顔を上げない彼女の頭に、彼はそっと掌をのせる。そのまま、そうっと手を前後に動かした。
「……怖いものを見たのですね」
 ゼロは静かにつぶやく。
「私はデミアンのようにうまく話はできません。でも、これは以前あなたが教えてくれたから……」
 頭を撫でるという行為を、かつてアリスはゼロに教えてくれた。その時自分にもたらされた心理的効果を、ゼロは今でもはっきりと覚えている。
 ゼロの大きな手が、不器用に彼女の髪を撫でる。――やがてアリスの体の震えが、止まった。
「大丈夫ですか? アリス」
「…………」
 アリスは顔を上げないまま、頷いた。
「ごめんなさい、ゼロ様」
「え?」
「でも……もう少し」
 ブロンドの髪の間から、耳の端が除く。それはひどく真っ赤に染まっていた。
「もう少し、このままでいさせてください……」
「…………」
 ゼロはわずかに――長い付き合いのルイスにすら、本当にそうなのだろうかと思わせるくらいにわずかに――微笑んだ。
「どうぞ」
 突然、ルイスは背後からぐいと引っ張られた。抗議の声を上げようとして振り向いた先にはこの城の執事、リデルの有無を言わせぬ笑顔がある。
「詳しいお話は、後で伺うことにしましょうか。それと、先に――」
 ルイスが持参したはずの、「ボディ」の処理。
「……そうだな」
 ルイスは頷き、リデルに従って歩き出す。リデルが扉を閉じるその隙間から、まだゼロがアリスの髪を撫でている光景がちらりと見えた。

 街に買い物に出たアリスは、市場から少し離れた場所で、妙に吠え猛る犬の声に気付いたのだという。不審に思ったアリスがその声の方向に足を向けたところ、一匹の犬が大きな木の根元に向かって吠え、前足で土を掘り返していた。土の中からは白く細長いものが見えていて、目を凝らしたアリスは、やがてその正体に気付いた――。
「たぶん、女。若い女の、腕だな」
 ルイスはリデルの淹れた茶を一口飲み、溜息をついた。
「そりゃあ、あんなもん見りゃあショックも受けるよ……」
「そうでしょうね」
 リデルはうなずいた。
「アリスちゃんの叫び声に気付いたひとが警察に通報してくれてな。駆けつけたおれたちも、正直腰を抜かしそうになったよ」
 掘り返して出てきたのは、切断された人体。しかも、一部分が足りなかったり、重複していたりするのだった。――それが意味するところはつまり、
「被害者は複数人ってことだ。見たところ、女っぽかったな」
「身元の心当たりは?」
「まだこれからだよ。……おそらく他にも埋められているところがあるはずだから、それも探している」
「そうですか……」
「おれは捜査に戻らなくちゃならん。とりあえず、ゼロに伝えておいてくれないか」
 ルイスは言った。
「とにかくヒントが欲しい。あの切り刻まれた死体から、あいつ以外に情報を拾えるやつはいないだろう」
「わかりました。お伝えします」
 落ち着いた表情のリデルに、ルイスは苦笑した。
「お前も、あいつといるとこういうのに慣れちまうんだな」
「……ええ、まあ」
 リデルはつられて苦笑いを浮かべた。確かに、ルイスの言うとおりだった。先ほどから彼の語る凄惨な内容にも、自分は眉ひとつ動かさず聞き入っていた。
 しかし、それだけではない。ゼロの側にいたリデルが、いつしか気付いたこと。
「恐ろしいのは、死体ではありません。死体を作り出す、生きている人間の方です」
「…………」
 ルイスは一瞬黙り込み、やがてうなずいた。
「……それもそうだな」
 カップの中に揺れる赤い水面を一気に啜り込み、ルイスは立ち上がった。
「ゼロと、アリスちゃんによろしくな」
「はい」
 リデルは穏やかに微笑み、一礼した。

  × × ×

「…………」
 アリスが目を覚ました時、既に部屋には燭台に火が灯されていた。
 ベッドに起き上がり、額に手を当てる。じんわりと汗がにじんでいた。
 どうやって自分の部屋に戻ってきたのか、アリスは良く覚えていない。とにかく怖くて、体が震えて――でもゼロに会って、しがみついて、頭を撫でてもらっているうちに気分が落ち着いてきて――気を失うように眠り込んでしまったような気がする。その後は、良く分からない。
 ――ノックの音がして、扉が開いた。一瞬ゼロかと思ったが、姿を見せたのはリデルだった。
「おや、目が覚めましたか」
 穏やかな口調に、ほっと体の力が抜ける。
「さっきはすみませんでした……取り乱してしまって。ご迷惑をお掛けしました」
「私は別に何の迷惑もかけられてはいませんよ?」
 リデルはいつものように飄々とした調子で答えた。
「あなたをここに運んできたのもゼロ様ですし」
「ゼロ様が?」
「あまりによろよろしているのでお手伝いをしようかと申し出たのですけど、断られてしまって」
「…………」
 顔に血が上る。リデルはふふ、と笑った。
「少しゼロ様も体を鍛えなくてはなりませんね」
「……あの、ゼロ様は」
「今、ちょうどシャワーを浴びておられますよ」
 その返答に、アリスは体を強張らせた。――つまり、ゼロはアリスの見つけた死体の、解剖を……。彼女の脳裏にフラッシュバックしそうになった映像を、リデルの声がかき消した。
「アリス」
「はい?」
「私の勝手なお願いですけれど……」
 彼は慎重に言葉を選んでいるようだった。
「貴方には、ずっと、ここにいて欲しいです」
「え……?」
「貴方は、なくてはならない存在だと思うので」
「えっと、それは、このお城にとって……ですか?」
「…………」
 リデルはその問いには答えなかった。
「今日はお仕事はしなくてかまいません。ゆっくり休んでください」
「え、でも」
「ゼロ様からの伝言ですよ。それでは」
 有無を言わせぬ笑顔で押しきり、リデルは静かにアリスの部屋の扉を閉めた。

  × × ×

 その後一週間の間に、数ヶ所から同様の切断遺体が発見された。それらはすべてハングマン城に運ばれ、ゼロの手によって丹念に調べられている。
 世間では「バラバラ切断事件」などと呼ばれてセンセーショナルに扱われていたが、身元は不明のままであった。複数人の女性の遺体が細かく刻まれ、複数の場所に分けられていたため、ルイスの言った通り警察がそこから情報を拾うのは難しかったのである。
 最後の遺体が見つかってから、二日後。ルイスはハングマン城を訪れた。
「女性。十代後半から二十代前半程度で、若い。足をみると、バレリーナにも見えます」
 ゼロからそれを告げられたルイスは、身を乗り出して尋ねた。
「結局何人分だったんだ?」
「……それが非常に難しいのです」
 ゼロは困ったように頭をかいた。
「骨格に至るまで、それぞれの特徴が非常に似通っている。切断面をあてにしようにも、損傷もひどいし……」
「そういえば、頭部は」
「一応三つありましたが、遺体の量は三人分以上です。そして、顔面の損傷は他の部分より激しい。まだ発見されていない部分があるのかもしれませんね……」
「五人分ってことはないか?」
「え?」
 ゼロは顔を上げた。ルイスは一枚の紙を彼に差し出した。五人分の名前がずらりと並んでいる。
「実は、五つ子のバレリーナが二週間ほど前に失踪していたんだ」
「五つ子……?」
「ああ、まだ学生だがな。学校には故郷の田舎に帰るとの書置きを残していたらしいんだが、前日まで何のそぶりも見せていなかったし、ご両親に連絡を取っても帰ってきていないという。事件に巻き込まれたんじゃないかって、数日前に警察に届けがあった」
「なるほど……」
 ゼロはその紙をつまみ上げた。
「彼女らの写真か、何かありませんか。参考にしたいのですが」
「わかった、急いで届けさせる」
「それから、もう一度詳しく調べてみます。何か追加でわかったことがあればお知らせしますので」
「わかった。助かるよ」
 帽子をかぶって立ち上がったルイスは、ふとゼロに尋ねた。
「アリスちゃんは、大丈夫か? いやなもん見ちまったな」
「ええ、元気にしていますよ」
 あっさり答えたゼロに、ルイスはたたみかける。
「無理してるのかもしれん。夜に悪い夢を見てうなされてないかどうかとか、気をつけてやれよ」
「はい、わかりました」
 素直にうなずいたゼロに、ルイスは拍子抜けしたようだった。
「……お前、そういう方面は疎いんだろうなあ」
「そういう方面?」
「何でもない。じゃあな」
 ルイスはひらひらと手を振る。
「はい。また」

 ゼロはルイスを見送った後、自分の膝を見下ろした。胸に埋められた彼女の髪。腰に回された腕。膝にもたれかかっていた体。彼の知らない、柔らかな感触。温度。甘い匂い。
 ――辺りの気温が急に上がったような気がして、ゼロはきょろきょろと周りを見回した。部屋のどこにも異常はない。
「異常なのは……私ですか」
 ほう、とため息をつく。無性に、アリスの淹れたお茶が飲みたかった。