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シックネス・アントゥ・デス

 ある朝早く、けたたましく鳴るドアベルの音にリデルは不審な面持ちで城の扉を開けた。はて、城の門は閉ざしていたはずだが、と訝しむ。
「どなたです?」
「ハングマン伯爵はいらっしゃる?」
 リデルは思いがけぬ来訪者に、目を瞬いた。
「……ええと、貴方は?」
 彼を見上げていたのは、まだ十代半ばであろう少女だった。このような明け方に外を出歩くような、そんな素行の悪い子供には見えない。身なりは華美ではないがきちんと整っているし、はすっぱな雰囲気でもない。服が汚れているのは、もしかして門か壁を乗り越えてきたせいだろうか。大きなヘーゼル色の瞳が、じっとリデルを見つめていた。
「私、伯爵様に会いに来たの」
 リデルはため息を噛み殺す。彼の主、ゼロ・ハングマン伯爵は何かと良くない噂に事欠かない人物であり、時折それを真に受けた風変わりな人物の訪問を受けることがある。この少女もその類ではないか、と彼はそう思ったのであった。
「……御用は? わたくしは執事です、貴方が何者か、何のためにここに来たのかがわからなくては、取り次いで差し上げることなどできるはずがありません」
「……それもそうね」
 彼女はあっさり納得し、そして勢い良く言った。
「伯爵様に、私を殺して欲しいの!」
「……お引き取りください」
 リデルは問答無用で扉を閉めようとした。そこに、少女が慌てて飛びつく。
「ここの伯爵様は死体を集めておられるんでしょ! 私は自分で死体になりたいって言ってるのよ!」
「お引き取りを」
 リデルは頑として譲らなかった。少女はしかし扉に掛けた手を離さない。
「せめて、話だけでも!」
「お引き取りください。警察を呼びますよ」
「それはやめて!」
「では、お引き取りを」
「……何をやってる?」
 不意に背後から聞こえた主の声に、リデルは振り返った。その隙をついて、少女がするりと扉の内側に飛び込む。
「あっ」
 と声を上げるリデルを制止し、ゼロは床に転び四つん這いになって肩で息をつくその少女を、いつも通りの無表情で見下ろした。
「ようこそ、ハングマン城へ」
 言葉とは裏腹に、その声音に歓迎の色は一切ない。招かれざる客もさすがに気が引けたものか、引き攣った笑顔を浮かべて彼を見上げたのだった。

 少女は、名をキャサリンと言った。家名を名乗らなかったのは、親に連絡されることを恐れてだろうか。盛大に腹の音を鳴らした彼女に、ゼロはパンとお茶を出すよう言った。何の気まぐれかと訝しむリデルに、ゼロは小声で言う。
「城の周りで騒ぎ立てられたり、アリスが街へ出る時に付きまとわれたりしては困るだろう」
「……まあ、確かに」
 恐らく、ゼロが主に危惧したのは後者だろう。この城唯一のメイド、アリス・ウェーバー。ゼロ・ハングマンのいささか特殊な「趣味」を知って尚仕えてくれている、稀有な存在である。だが、ゼロが彼女をどこか過剰なほど丁重に扱うのは、それだけが理由ではないはずだ――無論、リデルはそれを追及するような不躾な真似はしない。彼らの間にある繊細でうつくしい絆は、決して損なわれてはならないものだと思っている。
 キャサリンはパンにかじりつきながらもヘーゼル色の目をきょろきょろさせ、応接間を無遠慮に眺め回している。ゼロはそんな少女の様子を眺めながら、ゆっくりとカップを口に運んだ。
「何か珍しいものでもありますか?」
「ん……ううん」
 キャサリンは首を横に振る。
「もっとこう、おどろおどろしいものがたくさんあるのかと思ってた」
「ご期待に添えず申し訳ありませんね」
 口先だけの言葉を返し、ゼロは彼女に問い掛ける。
「ところで、私に何の用です?」
「あ、あの」
 彼女はパンの最後のひとかけを口に押し込み、ミルクをたっぷり注いだ紅茶を飲み干した。
「伯爵様に、お願いがあって」
「はあ、なんでしょう」
 ゼロはすっとぼけたように尋ねる。その背後に控えるリデルが聞こえよがしに咳払いをしたが、ゼロはそれを無視した。
 キャサリンは身を乗り出す。
「私を、死体にして下さい!」
「…………」
 ゼロはぎょろりとした黒目がちの目を数回瞬き、じっとキャサリンを眺めた。その表情はほとんど動いていない。ぽつり、と聞き返した。
「死体、ですか」
「そうよ!」
「それはつまり……私に、貴方を、殺して欲しいということですか?」
「ゼロ様」
 見兼ねて口を挟もうとするリデルを遮り、ゼロは再度尋ねる。
「そういうことで間違いないですか?」
「ええ。ただ、痛いのや苦しいのは嫌。できるだけ楽に、一瞬で、綺麗に死ねる方法でお願いするわ」
 きっと、ハングマン伯爵様ならご存知よね? きらきらと曇りない目で見つめてくるキャサリンに、ゼロは気のない眼差しを投げた。
「さあ、それはどうでしょうね。私がいつも扱うのは、死んでしまった後の死体ですから……死ぬまでの過程については、さほど詳しくはないのですよ」
「ええっ、そんな!」
 キャサリンはいささか大袈裟に仰け反り、その顔にあからさまな落胆の色を浮かべた。ゼロはかすかに苦笑する。
「それに、私がわざわざ貴方を殺す、そのメリットは? 罪に問われるリスクまで冒して、何のためにそんなことをしなくてはならないのです?」
「う……」
 キャサリンは言葉に詰まったようだった。
「で、でも、伯爵様なら、警察くらい何とでも」
「なりませんよ」
「うう」
 キャサリンは困ったように呻き、俯く。ゼロは重ねて告げた。
「とにかく私はお役に立てそうにありません。ひとまずお家に帰られては? 送らせましょう」
「……家には、帰れないわ」
 キャサリンは下を向いたまま首を横に振った。
「帰れない?」
 ゼロが怪訝そうに尋ねる。
「それは、どういう――」
「伯爵様が私を殺してくれないのなら」
 膝の上に置いた拳を小さく震わせながら、キャサリンは蒼白な顔で呟いた。
「どうにかして、自分で……」
「…………」
 決して短くはない、しかしそう長くもない沈黙を挟んで、ゼロは深くため息をつく。
「わかりました」
「え?」
 顔を上げたキャサリンの目の縁には、涙が浮いていた。ゼロはしぶしぶといった様子で呟く。
「見も知らない他人とはいえ、自殺まで考えている人間を放り出すのも寝覚めが悪い。殺して差し上げるわけにはいきませんが、事情くらいは聞きましょうか?」
「…………」
 口ごもる彼女に、ゼロは淡々と告げた。
「それとも、死体を集める『首つりの伯爵』にできる話などありませんか?」
「ち、違います!」
 キャサリンは大きく首を横に振った。
「そうじゃなくって」
 くしゃり、と顔を歪めた。
「そういえば、こんなふうに、話を聞くって言ってもらえたの……初めてだなって……」
 大粒の涙をこぼす彼女の足元に擦り寄っていった黒猫が、にゃあ、と小さく鳴いた。

  × × ×

 キャサリンは――ここでもなお、彼女はがんとして家名を明かさなかったのだが――とある商家に生まれた。大富豪というわけではないが、どちらかといえば富裕層に入るだろう。母親はその跡取り娘で、父親はその婿であった。
「だからかしら。私が十の時にお父様が亡くなったあと、お母様はすぐに再婚したの。きっと、後継ぎになる男手が要ったんだと思う」
 ゼロは静かに耳を傾けている。
「でも、私は……その男が、はじめから、好きになれなかった」
 何がどうとも言えないが、直感的に嫌だ、と思ってしまったのだった。
「お父様、なんて口が裂けても呼べなかったわ」
 それでも母親が彼と再婚して幸せだというのなら、それで構わない。そう思っていた。
「でも」
 キャサリンの体が小さく震え出す。
「私が十四になった頃のことよ……」
 ――おいで、キャシー。いい子だ。
「あの男は、私のことを初めてそう呼んだ」
 母親が友人たちとの会食に出掛け、遅くまで帰らないと判っていた日。
「そして……」
 ――あの男は、私を、無理矢理に。
 キャサリンはぽろぽろと泣き出した。ゼロは身じろぎもせず、その視線を彼らの間に横たわるテーブルの上に落としている。
「一度では済まなかった。私、お母様に知られるのが怖くて、お母様だけは幸せでいて欲しくて」
 私さえ、我慢すればいいのだと。
「でも」
 昨日、ついにお母様に知られてしまった。
「そうしたら、お母様は」
 キャサリンは青紫色の唇を歪め、奇妙な笑みとも怒りとも悲しみともつかない、或いはそのすべての入り混じったような、ひどく苦しげな表情を見せた。
「私を詰って――私を、追い出してしまわれたのよ」
「…………」
 ゼロはぴくりとその眉を動かした。
「一度だって、あの男には声を荒げなかったわ……あの男はただ、お母様の隣でにやにや笑って……」
 だから、私は。
「あの家にはもう、帰れない――帰りたくない」
 キャサリンは顔を両手で覆った。
「もう……死んでしまいたい……って……そう、思って」
 でも、自分で死ぬのはどうしても怖かったから。
「明け方までうろうろしているうちに、ふと、伯爵様の噂を思い出したの」
 「首つりの城」には死体が集まる。――それなら、私もその死体の仲間入りをさせてもらいたい、と。
 指の間から、ちらとゼロを見遣る。
「ごめんなさい……ご迷惑でしたよね……」
「まあ、どちらかといえばね」
 ゼロはあっさりとそう答えてから、けれど、と付け加えた。
「貴方がその想いを抱えたままひっそりと死ぬかもしれなかったことを思えば、たいした迷惑でもありません」
「え?」
「貴方は――貴方だけでもありませんが、私についてひとつ、大きな勘違いをされている」
 ゼロは静かな眼差しでキャサリンを見据えた。
「私は確かに死に興味があります――死体にも。死因にも。けれど、それは誰かの死をねがうこととイコールではない」
「…………」
 キャサリンは息を呑み、ゼロを見つめる。
「むしろ――死を畏れるからこそ。私は、それを知りたいのです」
 生きとし生けるもの、皆にいずれ等しく訪れる死。それは、ひとの魂を、言葉を、夢を、根こそぎ奪い取っていく。遺されるのはただ物言わぬ死体のみ――いや、そうではない。死体とは、生物に許された唯一にして最大の遺言なのだ。声にならぬ、言葉にならぬ遺言。
「それを、私は聞きたい。それだけです」
 ゼロはぽつりと言い、そしてその薄い唇を閉ざした。
「…………」
 キャサリンはぽかんとした様子でゼロを見つめている。ゼロはその視線を受けてやや居心地悪そうに身動ぎし、背後でまるで家具と同化しているかのように気配もなく佇んでいるリデルの方を向いた。
「……アリスに言って、空き部屋をどこか用意してやってくれ」
「え?」
 言葉を発したのはリデルではなく、キャサリンであった。ゼロはちらと彼女を見遣る。
「とにかく、私は貴方を殺して差し上げるわけにはいきません。ですが、話を聞いた以上、そうですかではさようならというわけにもいかないでしょう」
「…………」
「わけもなく長居させてあげるわけにはいきませんが、貴方には少し時間が必要なのではないかと思うのですよ」
「……い、いいの?」
 おそるおそる尋ねたキャサリンに、ゼロは頷いた。
「貴方がこの、『首つりの城』にいることが平気なら、ですけれど」
「――どんなところだって、家よりよほどましよ」
 ああ、失礼なことを言うつもりじゃないの、ごめんなさい。キャサリンは頭を下げる。
「私、伯爵様のこと、いろいろと誤解していたわ……ごめんなさい」
「別に謝ることではありませんよ。全てが事実無根の噂というわけではなく真実も含まれているし、何より」
 ゼロは小首を傾げ、かすかに唇を歪めた。
「――慣れていますから」