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インバランスド・ラバーズ

 その年のクリスマス前夜。ロンドン郊外に聳え立つハングマン城に、ふたりの訪問者が馬車で乗り付けた。ひとりは私立探偵であるジェイムズ・ワインハウス。もうひとりは、彼よりも少し若いくらいの年代の青年である。
 応対した執事のリデルは突然の訪問者にやや訝しげな表情を見せたが、ジェイムズの押しに負けてか、或いは同行者の悲壮な顔つきに同情してか、ともかく城の主である伯爵に取り次ぐことにした。
「すみませんね、こんな夜遅くに」
 ジェイムズは大して悪いとも思っていない口調でそう語る。応接室に現れたゼロ・ハングマン伯爵は、彼らを見比べて首を傾げた。ジェイムズの隣に座るその男の顔は、外の寒さの影響を鑑みたとしてもなお真っ青である。
「……この方に、何かあったのですか」
「アンの……」
 この方、と呼ばれた男は震える唇を開く。
「アンの冤罪を、晴らしてください……!」
「アン?」
「アンダーソンさん、それじゃわかりませんよ」
 ジェイムズが苦笑を浮かべ、男を遮った。
「ゼロ、こちらはダニエル・アンダーソン氏。彼の養父であるブレア・アンダーソン氏が、今日の午後突然お亡くなりになった」
「それはそれは」
「問題は、それが他殺なのかそうでないのかってことなんだ」
「……他殺を疑われているのですか?」
 ゼロはわずかに目を見開いた。
「そう。ちょうど午後のお茶を飲んだ直後に倒れられたそうでね。何かが床に落ちたような大きな音に気付いた家のものが駆けつけると、ブレア氏は既に意識なく床に崩れ落ちておられたそうだ。必死の手当ての甲斐もなく、そのまま……」
 ジェイムズが言葉をきると、ダニエルが胸の前で十字をきり言葉を添えた。
「父のことはもちろんショックでした。しかし、驚いたのは屋敷のメイドたちが皆口を揃えてアンが父を殺したと言い出したことです」
「その、アンというのはどなたですか?」
 ゼロが尋ねたちょうどそのとき、リデルがティーセットを携えて現れた。夜も遅いから、以前見掛けたあのメイドの少女は先に休ませたのかもしれないな――などとジェイムズは思う。
 ゼロの問いにはダニエルが答えた。
「アンは、うちの一番若いメイドです。それでも、勤めてもう数年になりますか……。彼女がそんな恐ろしいことをするはずがないのに」
「具体的には、どうやって殺したというのです?」
 次に口を開いたのはジェイムズだった。
「毒殺だよ」
「毒?」
「そう。毎日午後、ブレア氏にお茶を入れるのはアンの役目だった。その日、アンがお茶に見慣れぬものを入れているのを見た――という使用人が数人いたのだよ」
「何故その時に止めなかったのでしょうね?」
「まさか毒とは思わなかった、と言っている」
「違います!」
 ダニエルは席を立って叫んだ。
「アンじゃない……アンがそんなことをするはずありません!!」
「…………」
 ゼロは黙ってダニエルを見上げていたが、やがて小さなため息をついた。
「しかし、警察は彼女を引っ張って行った……ということですね?」
「そういうことだ」
 ジェイムズは肩をすくめる。
「それで、ダニエル・アンダーソン氏が僕のところに来た、というわけさ」
「なるほど。……で?」
 ゼロはぎょろりとその黒目がちのまなこをうごめかせる。
「私のところにいらしたのは、ブレア氏のご遺体を調べて欲しい――ということでしょうか?」
「そう。実際、目撃証言以外に毒殺の証拠は何一つ上がっていない。当然、目立った外傷もない。僕もさっき調べてきたが、ブレア氏の部屋や屋敷に不審な点は何もなかった。ああ、遺体については警察にもちゃんと許可は貰ってきた……無論、公式なものじゃないが」
 きっと、ルイス・ブラウンに無理を言って運ばせたのだろう、とゼロは思う。澄ました顔でお茶を啜るジェイムズの隣で、ダニエルは深く俯いていた。
「……よろしいのですか?」
 ゼロが確かめるようにダニエルに声をかける。死体の解剖は、決して一般的なことではない。しかも、それが急死した父の躰ともなれば――。ダニエルは俯いたまま肩を震わせた。
「私は……父上の実子ではありません。両親は子供に恵まれず、遠縁の私を養子にし、愛情を注いで何不自由なく育ててくれました。母を三年前に病で亡くしてからは、父子ふたりで仲良く暮らしてきたつもりでしたのに……」
「…………」
「どうして、こんなことに……」
 ソファに座り込み頭を抱え込んだダニエルに、ジェームズは静かに声を掛けた。
「ダニエルさん。このままではアンさんの冤罪は解けないし、真犯人だって見つからない」
「……『冤罪』、ですか」
 ゼロが問うと、ジェイムズは苦笑いを浮かべて頷いた。
「その目撃証言とやら、実にいい加減なものだった。僕がひとりひとりばらばらによくよく話を聞いてみると、みんなてんで違ったことを言っている。お茶の葉に何か混ぜていたというもの、カップに入れるところを見たというもの、ティーポットの中に注いでいたというもの、めちゃくちゃさ。大して口裏合わせもしていなかったんだろうね」
 だが、それじゃ警察の決定は覆せなかった、とジェイムズは言う。
「細かいところは、あの警察の言うところの『思い違い』とやらをしていても、やったのはアンだと皆が口を揃えている。警察はそれを無視できない」
「その、アン本人はなんと?」
「彼女は何も言わないのです」
 ダニエルが振り絞るような声で言った。
「ただ、黙っていて……まともに否定もしない」
「…………」
「なぜ……なぜ、何も言わないのでしょう。このままでは殺人犯として扱われてしまうというのに……」
「…………」
「なぜ……」
 ゼロはそれ以上何も言わず、すくと立ち上がった。
「引き受けてくれるのかい?」
 ぱっとエンペラー・グリーンの目を輝かせるジェイムズに向かい、ゼロは頷く。そして、ちらとダニエルに目をやった。
「ダニエルさんは、一度お帰りになりますか?」
「は……はい、家のこともありますので……」
「悪いけど、僕は残るので。ダニエルさん、またご連絡しますよ」
 彼らがハングマン城に乗りつけた馬車はアンダーソン家のものだろうに、ジェイムズはどうやって帰るつもりなのか。
 ダニエルは強張った顔で深々と頭を下げた。
「わかりました。どうか、よろしくお願いします」
 ゼロはリデルを呼ぶと、鋭く囁いた。
「――『ボディ』を地下へ」

  ✕ ✕ ✕

 地下へ向かう階段を、ジェイムズは軽い足取りで降りていく。先導するゼロに向かって、彼は不意に話し掛けた。
「君にもわかったかもしれないが、ダニエルとアンは、恋仲だったんだよ」
「…………」
 ゼロは振り向くこともなく、足を止めようともしない。ジェイムズは特に気にする様子もなく話を続けた。
「身分の違いを気にしてブレア氏には打ち明けられなかったようだが、屋敷のものは皆知っていたそうだ」
「そうでしたか」
「アンダーソン家は旧家だからね。まあ、ハングマン家ほどじゃないが」
「…………」
 地下室の扉の前、ゼロは立ち止まる。
「もし本当に冤罪なのだとしたら、何故アンは何も言わないのでしょうか」
「さあね、でも……」
 ジェイムズはわずかに首をもたげて暗い天井を眺めた。もしかすると、もう夜半過ぎかもしれない。
「彼女なりに、ダニエルを守るつもりなのかもな」
「守る?」
「使用人たちがアンを陥れようとした、その理由がダニエルとの交際によるものだとしたら? そもそもダニエルは養子だ、その彼が名家の嫡子としての立場をなげうってメイドと結婚するなどと言い出したら、さて周りの目はどうなるか。それならいっそ、このまま自分が身を引いた方がダニエルのためだと考えたのかもしれない」
 この事件が起こる前、アンと他の使用人たちとの関係はどうだったのだろうか。元々そこに隔たりはあったのか、それとも今回のことを契機に一気に表面化したのか。そして、ダニエルは次代の当主として慕われていたのか、それとも。
 ――確実なのは、身分違いの恋に落ちたふたりを取り囲む周りの目は、決してなまやさしいものではなかったということだ。
「…………」
 なるほど、とゼロは小さくつぶやいた。
「まあ、僕はそういった自己犠牲の精神は好きではないがね。ダニエルがそれを望んでいるとも思えないし」
「……それはそれとして、ブレア氏の死因は明らかにしなければなりません」
「そう、その通りだ」
 ジェイムズは屈託なくゼロに微笑みかける。
「よろしく、伯爵様?」
「…………」
 ゼロはわずかに苦笑を浮かべると、目の前の重たげな扉に手を掛けた。