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イノセント・ベスティアル

 ロンドン郊外に佇むハングマン城。そこに送り主の名のない小包が届いたのは、いつものように霧深い朝のことであった。
 それを受け取ったのは城に仕える執事、リデルである。主であるゼロ・ハングマン伯爵に心当たりがあるかどうかを確認し、念の為にこの城唯一のメイド、アリスにも尋ねた。彼ら三人がこの城の住人の全てであり、答えはいずれも否、であった。
 ――さてどうしたものでしょうか、とリデルは呟く。
 宛名は確かにゼロ・ハングマン伯爵、となっている。肉筆ではなく、タイプされた紙が貼り付けられていた。
「…………」
 ゼロは書斎のデスクの上に置かれたその小包を眺め、その漆黒の目をわずかに眇める。大きさはさほどでもなく、ティーポットが収まるであろう程度だった。
「……お開けになるのですか」
 リデルはいかにも気乗りしないといった様子で問い掛ける。その場にいるのは彼とその主、ゼロのみだ。
「振ってみても金属音はしないし、そもそもが軽い。いきなり爆発するようなこともないだろう」
 ゼロはこともなげにそう言ってのけた。しかし、リデルの表情は渋い。それもそのはずである――以前ハングマン城に届けられた送り主の名のない届け物は、「剥製」であった。動物ではない、人間の、である。これよりもよほど大きく重いものではあったのだが、届いた経緯はなんとなく似通っているし、何よりもあの時とどこか似通った胸騒ぎの存在は否定できない。
 当のゼロはというと、いつものように表情の読めない虚無色の眼差しで、じっとその小包を眺めているのだった。
 ――ご自分の存在が世間にどう曲解されて伝わっているものか、ご存知でないわけでもあるまいに。いや、むしろ知り過ぎているほど知っておられるからこそか。
 リデルは嘆息した。

 ゼロ・ハングマン――ひと呼んで「首つりの伯爵」。
 出産直前に突然体調を崩し、そのまま亡き人となった母の胎内から、父の手によってその腹を裂き取り出された血塗られた赤子。その子は、齢が十にもならない頃に父をも自死により喪った――その以前より、父は妻を喪った悲嘆のあまり、己の精神をどこかに手放してしまっていたのだという。程なくして、唯一の肉親であった祖母をも亡くし、ゼロは天涯孤独となった――その頃はまだ彼の家庭教師として雇われていた、リデルひとりを除いて。
 ゼロがひとびとから忌避されるのは何もその出生に纏わる血塗られた逸話だけが理由なのではない。彼は死体を暴く。物言わぬ体に隠された死因を、その生の最期の痕跡を、執拗なまでに辿り手繰り寄せ、死者の声に耳を傾けようとする。医師でも学者でもない、むしろ伯爵位にある彼がそういった特異な行動に手を染めること、その事実はやがて噂となって何重もの嘘を道連れにして世間に広まり、ひとびとを気味悪がらせた。特に信心深い者たちは神への冒涜であるとの義憤に駆られ、彼を表立って非難するものも少なからず存在するほどであった。
 だが、ゼロは少しも堪えない――少なくとも、堪えた様子は見せない。
 まれに城外に出た際に見も知らぬ市民から白眼を向けられても、劇場などで出逢う同じ貴族たちからあからさまに無視されても、勤めたメイドたちがひと月も保たずに辞意を告げても。彼はただその漆黒の瞳をぎょろつかせ、無表情に、無感情に、彼を取り巻く非情な世界を眺めているだけだ。
 だが、彼は決してひとを憎んではいないし、ひとに無関心というわけでもない。そのことは、リデルが誰よりも知っている。もしそうだとしたら、彼はわざわざ死体を、死を、暴きはしない。
 そしてまた、リデルはよくよく知っていた――彼の仕える主人は、一度言い出したことを決して取り下げない、頑固さを持ち合わせているということも。

 リデルは慎重に小包を開けた。少なくとも、封の下にカミソリの刃が仕込んであるといったような、ありきたりな嫌がらせの類は見受けられなかった。中にはひとつ、新聞紙の中に厳重に包まれた、オレンジほどの大きさの塊。
 ゼロが無造作に手を伸ばし、びりびりと破いてそれを開く。
「――――!!」
 リデルが大きく目を見開き、息を呑んだ。ゼロはただ静かな眼差しで、現れたそれをじっと見つめる。
 無造作に新聞紙の中にくるまれていたもの。それは、猫の生首ひとつであった。

  × × ×

 リデルが我に返ることのできぬうちに、ゼロは素早くそれを包みの中に戻した。その直後、ノックの音ともに書斎の扉が開き、メイドのアリスがティーセットを手にして現れる。なるほど彼女の目を気にしてか、とリデルはかろうじて衝撃の中から立ち直りつつ、そう思った。
「アリス」
 この城唯一無二のメイドである彼女の名をいたって平静な声で呼び、ゼロは小包をさりげなく手に取って腰を浮かせる。
「申し訳ありませんが、お茶はまた後で淹れ直して頂けますか」
「は、はい」
 アリスはブロンドの巻き毛を揺らして肯く。その眼差しが、ゼロの手の内の小包をちらと見た。
 彼女の足元にじゃれついている黒猫が、わずかに毛を逆立てている。――獣の勘で何かを感じ取っているのかもしれない、とリデルは思った。その横顔に、ゼロは短い言葉を投げる。
「少し、地下に降りる」
 ――地下。その言葉に、アリスがかすかに顔を青褪めさせる。
 ハングマン城の地下には、ゼロが古い地下牢を改修して作らせた「解剖室」がある。リデルに死体を運び込ませ、彼がそれを暴くための。血と、死の臭いの立ち込める場所。
「わかりました」
 リデルが軽く肯くと、ゼロは口早に付け加えた。
「それから――少し調べて欲しいことがある」
「何なりと。……アリス、先にさがっていて下さい」
 リデルは穏やかにアリスを促した。アリスはこくりと肯き、やや心配そうにゼロを見ながら、書斎を辞した。毛を逆立てたまま部屋の中に留まっている黒猫は、リデルがひょいと抱え上げてやる。
「最近、野良猫の死体が多く見つかっている場所がないか、どうか。調べてくれ」
 ――恐らく、あれを送りつけてきた人物は、あれが最初ではないはずだ。
 ゼロは静かに呟く。
 はじめは恐らく、ひとには知られぬよう、こっそり小動物を手に掛けていたのだろう。それが、次第にそれだけでは飽きたらなくなり、人目につくところにその亡骸を放置するようになって――さらにそれがエスカレートした結果、自分のようなやや名の知れた者に「自分の作品」を送りつけてきたのではないか、とゼロは類推していた。歪んだ、くだらない自己顕示欲だ、とゼロは吐き捨てる。
 リデルは尋ねた。
「警察には通報しますか?」
「通報したところで」
 ゼロは首を横に振る。
「この程度のこと、警察は動きようがあるまい。私を含めて、『ひと』には危害を加えていないからな」
「…………」
 リデルは何か言いたげに口元を動かしたが、やがて了承したというように肯いた。
「では、頼んだぞ」
 ゼロは小包を手にして、リデルの横をすり抜ける。その腕の中にいる、ふう、ふう、と荒い唸り声を立てている小さな獣――同胞の死の気配を悟ったのか。ひとの戯れによって命を奪われた、か弱き生命の無念を。ゼロはふとそれを見下ろし、そして目を伏せた。
「……すまないな」
 ――貴方が謝ることではない。しかしリデルが声を掛けるよりも早く、ゼロはその日頃から姿勢の悪い背中をますます丸めて、書斎を出て行ったのであった。

  × × ×

 リデルは己の居室に戻り、ここ一ヶ月分の新聞をどさりとデスクの上に積み上げた。なんとなく連れてきてしまった黒猫は、窓際に置かれた椅子の上に――きっと、そこは日当たりが良くて気持ちが良いのであろう――体を丸めている。
 日頃から、新聞には隅々まで目を通すようにしている。見識を深めるため、というだけではない。いつ何時、そこにゼロの興味を引く事件が載らぬとも限らないからだ。リデルが自らゼロに事件について働きかけるようなことはないが、ゼロがリデルに何かを命じることはしばしば起こり得る――それの最たるものが、事件に巻き込まれた「死体(ボディ)」の入手である。
 ゼロのもとに集まる死体には、彼自身が興味を持ち取り寄せさせる変死体の他、警察から持ち込まれるものもある――何らかの事件や事故に巻き込まれもので、捜査に当たった警察が死因に疑義を抱いたケースである。まったく、ゼロが断らぬのをいいことに、私の主人を体よく利用してくれるものだ――とリデルは内心そう思っていた。
 それはさておき――動物の死についての記事は、あまり気を付けて見ていなかったかもしれない。リデルは忙しくその翡翠色の視線を紙面に走らせた。
 ひと月分を遡り、目につくものはなかった。さらにもうひと月、もうひと月。
「…………?」
 リデルが首をひねった時、ドアから無造作なノックの音が響いてきた。この叩き方はゼロだろう。
 果たして、姿を見せたのはシャワーを浴びて髪を半ば濡らしたままのゼロ・ハングマンそのひとであった。猫の首の解剖は終わったのだろうか。限られた部位であったためか、彼が地下にいた時間は日頃よりずっと短いようである。
「リデル」
「ゼロ様……」
 新聞に目ぼしい記事はない、と伝えるより先に、ゼロはその指先に摘んだ紙片をリデルに差し出した。小さな紙片である。まるでノートブックの隅をちぎり取ったかのような。ところどころ赤黒く染みになっているのは、猫の血だろうか。
 リデルはそれを受け取り、さっと目を走らせた。
 そこに走り書きされていたのは、とある名門のパブリックスクールの名と、イニシャルらしき二つのアルファベットであった――「P. D.より、愛を込めて」。
「これは……?」
「あの口の中に詰め込まれていた」
 ゼロは淡々と告げる。
「口の中に?」
「そうだ。恐らく、絶命してから死後硬直が始まるまでの間に押し込んだのだろう。つまり――」
 これを入れたのは、猫を殺した犯人でしかあり得ない。
「このイニシャルは、ここの生徒のものでしょうか? それとも……」
「わからない。だが、もし舞台がその学校だとするならば」
 それは歴史のある、厳格なパブリックスクールである。たとえその内部で何か外聞の良くない事件があったとしても、学校の名誉を守る為に表沙汰にはならない可能性も考えられるのではないか――とゼロは言った。
「…………」
 リデルは少し考え、やがてぽつりと言った。
「それは、あり得るかもしれません」
 ゼロが怪訝そうにリデルを見上げる。彼は苦笑を浮かべてみせた。
「そこは、私の母校なのですよ。ゼロ様」
「……なるほど」
 ゼロは肯く。
「それは都合がいいな」
「ゼロ様、……」
「このイニシャルの者が差出人かどうか、確かめなくては」
「…………」
 ――にゃあ、と黒猫が鳴く。するりと椅子から降りてきたその猫は、甘えるようにゼロの脛にその身体を擦りつけた。
 それを静かな眼差しで見下ろしながら、ゼロは呟く。
「……血の臭いは、ちゃんと流れたようだな」
 先程、猫が唸り声を立てていたことを指しての言葉だろうか。
 リデルは手元の紙片をそっとハンカチーフに包んだ。――再び猫が気を荒げ、ゼロ様がそれに心を傷めることのないように。