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フォーヴィドゥン・セレブレイション

 その日、ハングマン城を訪れたルイス・ブラウンを出迎えたメイドのアリスは、胸を渦巻く複雑な感情を押し隠すことに完全に失敗していた。何故よりによって今日に、何故貴方が――しかも、「それ」を持ってきたのか。彼女の内心を何よりも雄弁に物語る、その深く澄んだアクアマリン色の眼差し。その奥に一片の凝りを見て取り、ルイスは顔を歪めた。彼女の気持ちはよくわかる、だがこれは仕事なのだ――私情を持ち込めるような類の話ではない。
 ルイスの持ち込んだ「それ」――すなわち若い女の死体は、既に地下に運び込まれている。自殺か、他殺か、ゼロ・ハングマン伯爵の手によってその別をつけるために。常識的に考えて警察が伯爵家に依頼するような話ではあり得ないが、ことゼロに関してはその異例が決して異例ではない。彼以上に死体から的確に情報を拾い上げられる存在が、今このロンドンには存在しないのだった。
 だが、それでもルイスは思う。何故、今日なのか。アリスのいうのは、確かにその通りだ。
 ゼロ・ハングマン、首つりの伯爵。
 死体を暴きそれを通して死を視る彼は、約三十年程前の今日、死母の血に塗れて産声を上げたのであった――。

  × × ×

 ルイスがアリスの入れたお茶を数杯ほど飲むうちに、ゼロはふらりと客間に姿を現した。今日が誕生日だからといって、彼は何も変わらない。不健康そうな顔色、黒尽くめのスーツと白いシャツ。その袖口からは、ふわりとソープの香りがした。よくよく見ると、そのぼさついた黒髪が少し濡れている。シャワーで血の臭いを落としてきたのだろうか――ルイスはソファに座り直し、背筋を伸ばす。
 ゼロは彼の真向かいに座った。その目の前に、執事のリデルがカップを置く。――給仕がアリスでないのは、今からの話を彼女には聞かせたくないからかもしれない。
「……彼女は、他殺の可能性が高いですね」
 ゼロは、口を開くなりそう言った。
「ほう!」
 ルイスは手帳を取り出して、先を促す。
「その女性は、深夜に階段から足を踏み外して落下したことによる転落死――と、そういう話でしたよね?」
「屋敷の主人は、そうじゃないかと言っていたな」
 亡くなったのは、裕福な商家に勤めるひとりの若いメイドであった。昨日の夜半過ぎ、大きな物音に気付いた他の使用人が駆けつけて、階段の下で血を流して倒れているその少女を発見した。不幸な事故死だろう、と警察もそう片付けようとした。しかし……。
「メイド仲間がな、口を揃えておかしいと言うんだ。彼女らの寝室は一階にあるのに、何故深夜わざわざ階段を上る必要があったのか、って……」
 もしかすると犯人の目星も付いているのではないか、そう思わせるほどの剣幕だった、とルイスは言う。そこで、念のためルイスはゼロにその少女の「解剖」を依頼することにしたのだった。
「誰が殺したかまではわかりませんが」
 ゼロは表情を変えることなく淡々と言った。
「うっすらとではありますけれど、頸部に――ちょうど頸(くび)の動脈の上に、圧迫痕がありました。誰かが彼女の首を絞め、気を失わせ――そして、頭から階段を突き落としたのでしょうね。頭蓋骨が派手に陥没していたし、それと、彼女のつま先には真新しくこすった様な傷、爪の割れ剥がれた痕もありました。引き摺られた時についたのかもしれませんから、床を調べてみてください」
「ふむ……」
「それから」
 ゼロは、ふ、と一息ついた。
「彼女は妊娠していました」
 思わぬ言葉に、ルイスは目を剥く。
「にっ……?!」
「はい。初期ですけれど」
 ゼロはあくまで淡々と言う。
「間違いありません。本人が気付いていたかどうかは、わかりませんが……」
「…………」
 ルイスは黙って手帳の面を睨む。――若いメイドの妊娠。屋敷内での、事故を装った他殺。それらの事実の指し示す方向は。
 屋敷内の誰かがそのメイドと関係を持ち、妊娠させた。彼女がそれを男に明かしたところ、事実を隠蔽するため自殺に見せ掛けて殺害した――それは、ただひとつの可能性に過ぎないものではある。しかし、追求する必要はありそうだ。少なくとも、ただの事故として扱っていいとは思えない。十分な捜査が必要そうだ――たとえば、メイドや使用人たちからの聞き込みだとか、そういったものが。
「わかった、助かる」
 パタンと手帳を閉じ、ルイスは頷いた。そして、小さく付け加える。
「悪いな、ゼロ」
「……何がです」
 平然を装ったゼロの言葉に、ルイスは返事をしなかった。
 ――政治力や経済力のある者の絡む事件や事故では、第三者の見解をいれる時でさえ彼らによる買収やもみ消しの可能性を常に考えておかねばならない。しかし、爵位もあり財産にも不自由しないゼロにはその心配がない。それで、ついつい彼を頼りがちになってしまう……無論、彼の「死体」への観察力を高く買っているからこそなのだが。
 まあ、そんなのは勝手な理屈さ、わかっている。
 ルイスは自嘲の笑みを浮かべ、アリスの目を避けるようにそそくさと城を離れたのであった。

  × × ×

 ひと月ほど前から、いや、ドライフルーツの準備を始めたのはもっともっと前だ。とにかく、この日のためにとアリスが念入りに仕込んだブランデーケーキ。それを切り分けながら、彼女は深くため息をついた。
 ――よりによって、ゼロ様の誕生日に「依頼」を持ってくるなんて。
 ルイスも好きでやっているのではないと知っているし、ゼロの助言によって死者は正しく悼まれ、或いは罪人は正しく裁かれる――それは歓迎されるべきことなのかもしれない。けれど――けれど、ゼロ様は。ゼロ様ご自身の、その心は。
 いつまでも人々に忌避され、「首つりの伯爵」などという二つ名で呼ばれる、ゼロ自身のことは。
「アリス」
「ひゃっ」
 アリスは飛び上がる。振り返ると、まさに今彼女の頭を占めていたその人――ゼロ・ハングマンが彼女の背後に立ち彼女の手元を見下ろしていた。そのぎょろりとした黒目がちの目は、いつも通りなんの感情も湛えていない……ように見える。
「美味しそうですね」
 ブランデーケーキに注がれたゼロの視線が、ふ、と和らいだ。この方は本当に甘いものがお好きだ、とアリスの心も少しほどける。
「食べるのが楽しみです」
 肩越しに覗き込むゼロの、その前髪が擦り寄るように彼女の頬に触れた。――ふわりと香る、ソープの匂い。
「!」
 アリスはくるりと身を翻し、僅かに背伸びをしてゼロの首にゆるく腕を回した。
「ゼロ様」
 囁くように漏らした、その声が掠れる。
「お誕生日、おめでとうございます」
「…………」
 ゼロの顔は見えない。それでも、その戸惑いの気配は伝わってきた。彼は手をだらりと下ろしたまま、ぼそりと呟く。
「……私を産む為に母は死に、父は母を手に掛けたことで心を病み自ら命を絶ち、祖母は私を憎んだその結果、やはり亡くなってしまいました」
 私が母の胎内に宿ったことで、三人もの人間が命を落とした――。
「それでも、私の生まれたことは祝うようなことなのでしょうか……」
 ――祝っても、良いことなのでしょうか。
「…………」
 アリスはゼロの肩にその額をあて、目を閉じる。
「それでも」
 たとえゼロ様ご自身が、自分のお生まれを悔いておられるとしても――それでも。
「私は、お祝いします。お祝いしたいです」
 ゼロ様は、たったひとり、私が心からお仕えしたいと――お傍にありたいと願う方だから。
 ――それに、とアリスは言った。
「ゼロ様のお母様もお父様も、何をおいてもゼロ様に生まれて欲しいと、生きて欲しいと……そう願ったからこそ、その決断をされたのではないでしょうか」
 たとえ、それがどんなに悲しく苦しい、やるせない決断であったとしても。
 ゼロ様が生きることを、きっとお二人は望まれていた。
「…………」
「だから、私――感謝しています」
 会ったこともないけれど、先の旦那様と、奥様に。
「ゼロ様をこの世に送り出してくださったことを、心から」
「…………」
 アリスは腕を解き、ゼロを見上げる。ゼロは、困惑もあらわに彼女を見つめ返した。その漆黒の瞳に、アリスの笑顔が――泣き出しそうな笑顔が、映っている。
 アリスは一歩退き、そして微笑(わら)った。
「メリー・クリスマス、ゼロ様」
 ――それから、
「ハッピー・バースデー!」

 何度でも言おう。
 何度でも祝おう。
 貴方が今まで受けた呪いの言葉の数だけ――貴方が圧し殺してきた悲しみの数だけ、何度だって。
 それが、私が貴方と巡り会えた意味であればいいと――そうであればどんなに嬉しいだろうかと、私は心からそう(ねが)ってやまないのだから。

 ハッピー・バースデー、ゼロ・ハングマン。
 私の愛しい、ご主人様。