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Untersuchung

 その施設は――それが何であるか知らされていない以上、彼はそれを「施設」としか呼びようがなかったのだが――都市中心部においてひときわ目立っていた。現代的な直線で構築された外観、つるりとした壁に窓は少ない。まるで鉄の箱のようだ、と彼は思った。
 敷地に入る手前で警備員(ガードマン)によるチェックを受ける――彼は運転席に乗ったまま、指紋認証と虹彩チェックを受けた。振り向きはしないが、後部座席の二人も同様の手順を踏んでいるのだろう。照合が終わったところで地下の駐車場へと案内される。ゲートを潜って急勾配の坂を下りると、その広い駐車場フロアにはほとんど車は停められていなかった。地下にしては随分天井も高い。特別な駐車場なのかもしれない――と思って、彼は当然のことだと思い直す。彼が後部座席に乗せてきた、いや運んできたのは「疑似戦闘司令官(PCC)」なのである。厳重な警戒態勢が敷かれていて当然だ。

 「疑似戦闘司令官(PCC)」――この現実世界から戦場を一掃する代わりに設置された「擬似戦闘空間(ヴォイド)」、そのヴァーチャルな戦場における戦闘を専門とする特殊技能者である。どのようなものがその任務に就いているのか、各国・各組織何名のPCCを擁しているのか、そういったことは一切が軍事機密となっていて一般市民の知るところではない。ただ市民に知らされるのは、多国籍政府組織である「ヴォイド」の運営者から政府を通じてマス・コミュニケーションの手により発表される「戦果」のみ。そのことに異を唱える声も決して少なくはないのだが、「ヴォイド・システム」が戦場を地上から消し去ったという功績の大きさにはかなうはずもなかった。
 彼、ナハトはその「PCC」のうちのひとりを護衛する「擬似戦闘指揮官護衛官(PSP)」のひとりである。元傭兵として戦場に生きる術しか持たない彼にとっては、願ってもない任務であった。
 「PCC」は常に狙われている。「ヴォイド」での戦果を左右する彼らを暗殺すること、それが「ヴォイド」に干渉できない者たちによって戦況を動かす唯一の方策だからだ。そしてその暗殺任務は、「包括的三次元軍事行動禁止条約(CTCBT)」によって禁止されている「戦闘行為」とは見做されないのが半ば公然と通例となっているのだった――。

 車から降りた彼らを、迎えのものが取り囲んだ。皆あつらえたかのようにダークトーンのスーツを着込んでいるが、その身のこなしは軍人訓練を受けたものの動きではないな、とナハトは判断した。
 後部座席から最初に降り立ったのは、ナハトの同僚であるもうひとりの「PSP」、リヒト。彼に続いて姿を現したのは、小柄な子供だった――人工的なまでに赤く短い髪、同色の瞳。手の爪も同じ色に塗られている――塗っている場面をナハトは見たことはないが、きっと塗っているのだろう、と思う。その子供こそが「PCC」のひとり、レインであり、彼らが命を懸けて護衛すべき警護対象なのであった。
「やあ、お迎えご苦労様です」
 リヒトは人を食ったような慇懃無礼な態度で周囲の人々を見回す。彼らはその言葉を無視するように、レインに声を掛けた。
「お待ちしていました。こちらに、どうぞ」
「…………」
 レインは無表情に迎えの者を見上げる。
「このふたりは、どうすんの」
「後程案内の者が参ります。先にレイン様をご案内するようにと」
「いってらっしゃい、レイン」
 リヒトは笑顔を浮かべ、ひらひらと手を振る。ナハトは黙ったままそんな彼らを眺めていた。
「定期検診、頑張ってね」
「…………」
 レインはちらと彼ら二人を見ると、ふう、とため息をつく。
「行ってくる」
「……ああ」
 ナハトが呻くように返事をしたのを、リヒトは少し驚いたような、面白がるような目つきで眺めていた。

 程なく、リヒトやナハトも建物の中へと案内された。極端に案内表示の少ない建物だ、とナハトは思う。未だにこの建物の名称はわからないし、さっきレインを迎えに来た者たちも、今彼らを案内している者も、名札のようなものはつけていないし、それどころか所属を示すバッチの類もない。政府機関であることは間違いないだろうが、かなり上位にある組織なのだろう、とナハトは類推した。
 廊下を移動する間も特に誰ともすれ違うことはなく、エレベータで上階へと運ばれる。やがて通されたのは、広々とした応接室であった。中央にはソファとローテーブルが置かれ、壁際にはミニバーが設置されている。彼らが普段泊まり歩いているホテルのVIPフロアに勝るとも劣らぬ調度品であった。リヒトは軽く口笛を吹く。
「こちらでお待ちください」
 案内の男はそれだけを告げ、彼らふたりを残して部屋を出ていく。ナハトが耳を澄ませると、かちゃりと鍵の閉まる音がした。恐らく室内からは開けられない類の鍵なのだろう、確認のためナハトはドアノブを握ったが、やはり想定した通りだった。
「……何なんだここは」
 ぼそりとナハトが呟くと、リヒトは、さあ、と軽い調子で答えた。彼はというと、早速冷蔵庫の中を物色している。
「何か飲むかい?」
「……水」
「ガスあり? なし?」
「ありで」
 リヒトはグラスに氷をいくつか放り込み、ボトルから水を注いでナハトに手渡した。
「僕が聞いたのは、レインは定期的にここで検診を受けないといけないってことだ」
 政府との連絡は、リヒトにほぼ一任している。
「じゃあここは病院なのか」
「病院だとしても、いわゆる普通の病院じゃないのは確かでしょう」
 リヒトは苦笑を浮かべる。その手には、鮮やかなブラッドオレンジジュースの入ったグラスがあった。
「ま……、今僕らにできることは待つことだけさ」
「……ああ」
 リヒトはそのままかすかに唇だけを動かした――ナハトはそれに気付き、その動きを読み取る。
(ここも、録画や盗聴されている可能性は十分あるからね)
 ナハトは小さく鼻を鳴らした。――別に聞かれてまずいことなど何もない。しかし、雇い主に「好奇心が強い」と判断されるのはあまり好ましいことではない。知る必要のないこと、知っていけないことに対して徹底的に無関心を貫くのも、傭兵にとっては大切なことである。
「ここにいれば(モイゼ)による襲撃の心配もないだろうし」
 リヒトはソファに座って大きく伸びをした。
「ゆっくり待つとしようよ」
「……ああ」
 ナハトは頷く。その時、ドアの鍵がかちりと音を立てた。
「!」
 ナハトは咄嗟に靴底に忍ばせてあるナイフ――ここに来るまでに武器の類は全て預けさせられたのだが、その中で彼が唯一その身から離さなかった非金属性の武器である――を抜き手に取ろうとして、やめた。目の前のリヒトが平然としていたから、ではない。切り札を出すべき時は今ではない、と判断したまでだった。この部屋には果物ナイフもアイスピックもある。まだ、手の内を明かすには惜しい。
 開いたドアから姿を見せたのは壮年の男性と、その背後に従う秘書のような女性がひとりであった。
「やあ、はじめまして」
 快活に笑う男は、リヒトとナハトを順に眺めた。その仕立ての良さそうなスーツから、彼がそれなりの地位にある人物であることがわかる。
「君がナハトで……君がリヒトだね? 私は、」
「フリッツ・レオンハルト」
 と言ったのはリヒトだった。
「ですね?」
「……知られていたか」
 男は――フリッツは顔色一つ変えずにそう言う。秘書の女性はあからさまにぎょっとした顔をしていた。
「俺は知らなかったぞ」
 ナハトはぼそりと呟く。フリッツは笑みを浮かべたまま言った。
「まあ、私の名前などはどうでもいいことだ。ようは君たちを雇っている者のうちのひとりだ、ということさえ知っていてくれればね」
「なるほど」
 ナハトは呟き、そして問い掛けた。
「用件は、何か?」
「君たちに会えるのもそうはない機会だからねえ」
 フリッツは言い、秘書に言いつけてコーヒーを淹れさせた。全自動のコーヒーマシンが豆を挽き始め、香ばしい匂いを部屋に漂わせる。
「君たちの成績は非常に優秀だ。我が国におけるトップ・チームだと言ってもいいだろう。是非一度お目にかかりたいものだと思っていたのだよ」
「それはそれは」
 リヒトが微笑を浮かべる。
「お褒めにあずかり光栄の極み」
「……俺たちはただ仕事をしているだけだ」
 ナハトはためいき混じりに言った。
「戦っているのはレインだろう」
「まあ、そうとも言えるがね」
 フリッツは苦笑する。
「『PCC』に対する暗殺行動は激化を辿っている。無論、条約があるからそう過激なことはできないはずだが、それにしても『PSP』の役割が非常に重要であることに代わりはないよ」
「……そうか」
 ナハトは言ってグラスの水を飲み干した。炭酸の泡が、ぐうっと彼の食道を押し広げる感覚。
「せいぜい、レインを壊されて(・・・・)しまわないよう尽力することにしましょう」
 リヒトの言葉に、フリッツはかすかに動揺を見せた――眉のあたりが、ひくりと動く。
「ねえ、ナハト?」
「……ああ」
 ナハトはそんなフリッツの様子を眺めながら、言葉少なに頷いた。
 ――レインが壊されないように。
 リヒトがああ言ったのは、きっとわざとだ。だがそこにどんな意図があるのか、そしてフリッツは彼の言葉をどう受け取ったのか。ナハトにはわからない。
「……そろそろお時間です、レオンハルト議長」
 秘書の声に、フリッツは、ああ、と首肯した。
「それでは失礼するよ――これからも、君たちには期待している」
「こちらこそ」
 リヒトは立ち上がり、恭しく一礼する。
「これからもどうぞ、ご贔屓に」

 フリッツが立ち去った後、ナハトは深々とため息をついた。
「……食えないやつだな、お前は」
「そうかな?」
 リヒトは笑いつつ、長い脚を組み替える。
「これもひとつの生存戦略だよ、ナハト」
「…………」
 ナハトはじっとリヒトのその蜜色の瞳を見つめる。
 ――傭兵は、組織から切り捨てられることの多い立場でもあった。無能だという理由ばかりではない、たとえば何かを知り過ぎたとき、そしてそれと同じくらい、何も知らなさ過ぎたとき。
 リヒトはフリッツにアピールしてみせたのだろう。自分は「ある程度」知っているのだ、と。それが何なのかナハトにはわからないし、教えてもらおうとも思わない。そういう戦術は彼の得意とするところではない。彼はただ、自分の腕ひとつで戦場を切り抜けてきたのだ――きっと、これからもそうして生きていくだろう。それだけのことだ。リヒトがナハトを切り捨てる日が来たとしても、それはそれで構わない。
 だが、リヒトはまるで彼の思考を読んだかのように言った。
「僕らはチームだ」
「…………」
「そうだろう?」
「…………」
 ナハトは黙って彼を見返すことしかしない。ふと、彼は引っかかった言葉を口に出した。
「……『チーム』?」
 リヒトは小さく笑う。そして、その薄い唇を蠢かせた。
(そうみなされているということさ)
「…………」
 何かが引っかかる。ナハトは軽くこめかみを押さえた。――あのフリッツとかいう男、まるでレインの「PCC」としての戦果が彼ら「チーム」のものであるかのような言い方をしていたような……考え過ぎだろうか。レインが「PCC」として生存することこそが彼らの最大の戦果なのだと、そう言いたかっただけだろうか。それにしては、あまりにも……。
 再び鍵の開く音がして、部屋に数名が入ってきた。その先頭にいたのはレインで、恐らく周囲のものはその付き添いなのだろう。やはり軍人には見えない――と、ナハトは思った。さらに言うならば、彼らは医療者というよりも何か技術者のような……。
「終わったよ」
 パーカーのポケットに手を突っ込み、憮然とした顔でレインは言う。
「やあ、お疲れ様」
 リヒトが笑顔で迎えると、レインは何とも言えない表情になって彼らを見回した。
「随分とくつろいでいたみたいじゃない?」
「気のせいだよ」
「どうだか」
 肩をすくめたレインは、不意ににやりと笑った。
「ま、大丈夫だよ。まだまだ私は壊れたりしないからさ」
「…………」
 リヒトはその言葉に微笑みを深め、ナハトはレインの背後の者たちの顔色を観察する――そのうちの何名かは、明らかに動揺していた。
(この「ヴォイド・システム」には)
 リヒトが唇を動かす。
(多分、とんでもないからくりがある)
 ナハトはリヒトから目を反らした。――何にしても、彼らは勝ち続けなければならない……それが、彼ら「チーム」に課せられた使命なのだから。それだけ分かっていれば、今は十分だ。
「帰るぞ」
 レインに促すように声を掛け、ナハトは部屋の扉に向かう。
「……うん」
 後を追ったレインが、ナハトのジャケットの裾を軽く摘まんだ。ナハトはそれをちらと見遣りながらも、振り払おうとはしない。今は邪魔にはならない、と判断してのことだった。
「帰る……ねえ」
 リヒトはゆっくりと息を吐きだしながら呟く。
「――どこに?」
 その疑問符に答えるものは、どこにも存在しなかった。