instagram

Karussell

 ――軽快なマーチ・サウンドに合わせて、木馬がゆっくりと上下している。決して乗り心地の良くはないそれに腰掛けながら、ナハトは深い深いため息をついた。
 なぜ俺はこんなところにいるのだ。
 彼の視線の先には、ニット帽を被った華奢な子供――といってもロウティーンかミドルティーンぐらいだろうが――がいる。うなじのあたりでは、鮮やかな赤い髪が野放図に跳ねていた。まったく、なんだってあいつはわざわざあんなに目立つ色をしているのだろう。自分の立場を理解しているのだろうか。
『ナハト、顔がこわいよ』
 耳に嵌めたインナーフォンから笑みを含んだ男の声がして、ナハトをさらに苛立たせる。
「黙れ」
 ぼそりと、口中のマイクを噛みしめるようにして言う。
『せっかくの回転木馬(メリーゴーランド)なんだから、楽しめば?』
「黙ってろ、リヒト」
 くすくすと笑う声が、ひどく耳障りだった。

 ――ことは一時間ほど前に遡る。
 ナハトはホテルの一室で、いつも通りに護衛の任務についていた。すなわち、この赤い髪の子供、レインを暗殺から守るという任務である。同僚はリヒトという名の男。互いに今や必要のなくなった傭兵あがり――或いは、傭兵崩れだ。ナハトの向かいに座り、新聞を広げている。
 レインは奥のベッドルームで眠っている。明け方まで「擬似戦闘(VPC)」を行っていたのだ、無理もあるまい。
 ――戦場にいた頃の俺はどうだったろうか、とふとナハトは思った。泥に塗れて血と硝煙の臭いに全身を包まれて、そんな戦地で俺は熟睡することなどできなかった。うつらうつらと仮眠を取るのが精一杯、虫の羽音にすら眠りを妨げられる、それくらいに神経は張り詰めていた。常に、死は彼の肩にその爪先を引っ掛けていたのだから。
 しかし、レインは「擬似戦闘空間(ヴォイド)」から離脱するなり、ベッドに倒れ込み熟睡する。ヴォイドにいる兵士たちは、誰もレインを追いかけては来ない。眠りから覚めたなら、さっぱりと熱いシャワーでも浴びるのだろう。現実(ここ)での戦闘は――戦争とすら呼べないそれは、レインの仕事ではない。彼の、或いは彼らの仕事である。
 とはいえ、レインがこの世界に置いて常に付け狙われている存在であることにも、やはり変わりはない。そういう意味で、レインもまた死神の鎌の下にあるのだ――それでも、レインは何食わぬ顔で眠る。それが危機感の薄いゆえのことか、底抜けに神経が図太く脳天気なのか、もしくは護衛である彼らの腕に信頼を寄せているゆえなのか――いや、そうではあるまい。
「なに難しい顔してるのさ、ナハト」
 新聞を閉じたリヒトが、ソファの向かいからちらとナハトを見遣り、うっすらと笑んだ。ナハトはいつも通り、無愛想に応対する。
「別に、何も」
「そう」
 リヒトはその粗悪な質の紙の束をロウテーブルに放り、その長い脚をゆったりと組み合わせた。ナハトは見るともなくその紙面を視線で撫でる――その見出しの中に「PCC」という文字があった気もしたが、わざわざ引き寄せて確認はしなかった。
 ――ふと思う。目の前のこの男は、戦場にあって眠ることのできる男だったのだろうか、と。
「リヒト」
「なに?」
「お前は、」
 だがその質問は唐突に遮られた。
「ああ、よく寝た」
 ベッドルームの扉が開き、赤で飾られた子供が姿を見せる。愛想良くリヒトが声を掛けた。
「おはよう、レイン」
 ――もう昼過ぎだがな、とナハトは思うが何も言わない。
「新聞?」
 レインはリヒトの手元を見遣り、その口元を綻ばせた。
「そんな前時代的なもの、まだ売ってるんだ。ニュースなんて言っても紙に刷られた時点でもはや何も新しくないでしょう」
 オンラインで見るほうが速くて効率的だし、選択も容易。
「僕らは前時代的な人間だからねえ」
 さりげなくナハトを自分の側に含めたリヒトは、気分を害する様子もなく――そういえば、俺はこいつが不機嫌そうにするところをまだ見たことはない――肩を竦めた。
「だからほら、人の殺し方も僕らは前時代的だろう」
「ジョークのつもり? あまり面白くないね」
 レインはあっさりと言い捨てると、ところで、と話題を替えた。
「きっと新聞には載っていないニュースだと思うんだけど、そこの広場に移動遊園地が来ているんだって」
「移動遊園地?」
 ナハトが眉を顰める。リヒトはその向日葵色の瞳を大きく見開いた。
「へえ、レインがそういうものに興味があるとはね」
「行ったことがあるひと?」
 挙手を促すレインに、ふたりは顔を見合わせ――リヒトだけが苦笑しつつ手を挙げたのだった。

 移動遊園地を見に行きたい。レインの希望に難色を示したのはナハトだった。
「ああいう人の多いところは『(モイゼ)』が紛れ込みやすい。狙ってくれと言っているようなものだ」
「そうかもね」
 シャワーを浴び終えたレインは、その華奢な骨格にはやや大きめのモノトーン・ストライプのパーカーと、ジーンズを身に纏った。赤いネイルが目を引く。
「でも、それを護衛するのが貴方たちの仕事なんでしょう?」
「だから留めている。仕事でなければ好きにさせているさ」
 仕事でさえなければ、おまえが殺されようがどうなろうが知ったことか――とは言わなかったが、レインはナハトの内心を察したのだろう、ひどいなあ、わかってはいるけど、と呟きつつ肩を竦めた。両手をパーカーのポケットに突っ込み、じっとふたりを見上げる。
「別に、私が殺されたら貴方たちに何か罰があるとか、賠償責任が生じるとか、そういうわけではないんでしょう」
「まあね」
 答えたのはリヒトである。
「でも、対象者を守りきれなかった護衛っていうレッテルが貼られると、次の仕事に支障を来すかも」
「それってつまり」
 レインは首を傾げた。
「私がいなくなった後の、再就職先に困るってこと?」
「まあ、そういうことかな」
 リヒトはふざけたような口調でそういった後、まあいいか、と呟いた。
「少しの時間なら構わないんじゃない」
「おいリヒト、」
 抗議の声を上げかけたナハトに、リヒトは笑ってみせた。
「クライアントの要望に応えるのも大切なことだろう? ただでさえレインは窮屈な生活を強いられているんだ。ストレスためて自暴自棄になられでもしたら大変だよ」
 ――知ったことか、そこまでの面倒は見られない。脳裏に浮かんだ言葉を飲み込み、ナハトはそれを溜め息に変えて吐き出した。
「好きにしろ」
「……ごめんね」
 レインは眉を下げて微笑んだ。
「ありがと」
「…………」
 ナハトは無言で目を逸らす。確かに――レインには自由がない。学校にも通っていないし、友人などもいない。四六時中リヒトとナハトに護衛され、決まった時間が来ると戦闘に没入する。暗殺者に狙われながら、ホテルを転々とする生活だ。家族もいるのかいないのか、ナハトは見たことがない。連絡をとっている姿すら知らない。
 まるで部品だ。「ヴォイド」という装置の為の、部品。
 そのレインが、初めて――そうだ、おそらくは初めて――彼らに伝えた小さなわがまま。
 ――仕方ない。
 ナハトは立ち上がり、上着に袖を通したのだった。

 そして、リヒトとのコイントスの賭けに負けたナハトは、レインを見守るため木馬に乗ることとなったのである。
 木馬にまたがったレインが、柵の外に立つリヒトに手を振っている。リヒトは呑気に微笑んで、手を振り返していた。レインは、この回転木馬を心底楽しんでいるのだろうか。あのくらいの年齢の子供といったものがどういう生き物なのか、かつては確かにナハトも過ごした年代であったはずなのに、今となってはもはや少しも思い出せなかった。
 いや、おれの少年時代などどうでもいい。過去の褪せた記憶などよりも今の任務だ。ナハトは感覚を研ぎ澄ます。視覚や聴覚に頼る必要はない。五感のいずれかに頼ると、情報が偏ってしまう。直感――言葉にするとひどくつまらないが、そこを突き詰めることに意味はない。空気の揺らぎ。ちょっとした断裂。綻び。連続性のある均質な空間に入り混じる、異質な棘。
 ――それは、まさに、今!
 ナハトは木馬の上から飛び降り、突進してレインを抱え地に転がった。レインが地面で頭を打たぬよう、体を捻りつつ肩からぐるりと回る。ぴしり、と耳に障る小さな音。ちらと顔を上げると、レインの載っていた木馬の支柱に弾丸が突き刺さっていた。
 ――「(モイゼ)」!!
「リヒト」
 ナハトは小さくその名を呼び、レインを自分の身体でさっと抱え込むようにしてその場を離れた。
「なに?!」
 腕の中から声を上げるレインに、狙撃だと短く伝える。レインは一瞬息を呑み、そしてすぐにおとなしくなった。
 先ほどの弾丸は、ある程度離れた高所から――たとえば広場の周りに立つ建造物からだとか、そのあたりから狙って撃たれたものだろう。大した精度だが、回転木馬の屋根と支柱の角度とを考えれば狙撃手の居場所の想像はつく。だが、それを突き止めるのは彼の仕事ではない。
 今はまだ、彼らの挙動にさほど目を止めるものも少ない。騒ぎになる前に、この場を立ち去らなければ。幸い、広場は人で溢れている。人混みに紛れればうまく撒ける可能性が高い。
「ナハト、こっち」
 リヒトが手招く方へと、ナハトはレインを庇ったまま歩み寄る。
「狙撃された?」
 リヒトの問いに、ナハトは肯く。回転木馬から離れた場所でレインを下ろし、彼はその手を引いた。レインはおとなしくされるがままになっている。
「二発目が来る前にさっさと戻るぞ」
 幸い、宿泊しているホテルは広場の一角に面している。しかし、
「――そうはいかなさそうだ」
 リヒトが低く呟いた。ナハトははっと辺りを見回す。ちりちりと肌を刺す違和感――なるほど、刺客はまだ周囲に潜んでいるらしい。すれ違いざまに攻撃されれば、全てを防ぐのは困難かもしれない。例えば毒針であるとか、小口径の短銃であるとか。二人の護衛をかいくぐって子供一人を暗殺する方法など、いくらでもある。
「厄介だなあ」
 リヒトはかすかに眉をひそめ、ぼそり、とナハトに言った。
「合図したら、レインを抱えて走って」
「しかし――」
「いいから」
「…………」
 ナハトは少し考え、わかった、と呟いた。リヒトにはどうやら事態を打開する案がある。自分にはない。それならば、彼に従ったほうが良い。迷う時間はない、手をこまねいていれば状況は悪くなりこそすれ、良くなることはないのだから。
「それじゃ」
 リヒトはゆっくりとした動きで、チェスターコートの内側に手を入れ、彼の大きな掌に収まるようなサイズの目立たぬ拳銃を取り出した。使い込まれた金属は、鈍く輝いている。
 おまえ、なにを――ナハトははっと口を噤み、レインの華奢な体を己の胸で包むようにして抱き上げた。レインはまるでなんの意志もない人形のように、なされるがままになっている。その顔をふと見下ろして、ナハトはぎょっとした。
 レインは、無表情だった。怯えるでもなく、慌てるでもない。ただ、ぼんやりとその紅い瞳で宙を見ていた。その生気のなさといったら、まるで死体のような――。
 ぱん、と聞き慣れた銃声がナハトを我に返らせる。それと同時、
「ナハト!」
 リヒトが彼の名を呼んだ。ナハトは弾かれたように走り始める。ちらと振り返ると、リヒトがひとりの男の頭を撃ち抜く光景が見えた。
 あっ、と悲鳴が上がる。広場の空気は一気に騒然とした。
 どういうことだ、と怪訝に思いながらも、ナハトは言われたとおりに体を動かす。思考と行動を分離させることは、かつての傭兵生活で慣れていた。指示に納得する必要はない、そのとおりの動きができればそれでいい。
 レインの身体をできるだけ表に晒さぬように気を付けながら、彼はホテルの正面玄関へと疾走する。リヒトがすぐに並んだ。
 背後の広場では早々に騒動を収めるべく、警笛の音が響いている。リヒトは訝しんだ。警官が騒ぎを聞きつけて到着したにしては、早すぎる――もともと警官たちがいたのか。何故? 何のために? 誰の指示で? だが、今のナハトにその疑問符を片付けるだけの余裕は残されていなかった。

 ナハトらはそのままホテルに駆け込むと、専用エレベータに乗り、特別フロアにアクセスするためのカードをスリットに差し込んだ。
「…………」
 大きく息をついて、ナハトはレインをやや乱暴に床に下ろす。レインはふらつくこともなく立ち上がると、じっとリヒトを見上げた。
「……何をした?」
 まるで詰問するような、妙に厳しい声音だった。
「うん?」
 リヒトは気にする様子もなく、あついあつい、とでも言うように首元のタイをゆるめ、ぱたぱたと手で仰いでいる。だが、その額には少しの汗も浮いていなかった。
 レインは問いを重ねる。
「さっき、撃った相手は誰。敵?」
「ああ、あれか」
 エレベータがフロアに到着し、彼らは揃って降りた。
「あれは、『(モイゼ)』だったのか?」
 ナハトが尋ねると、リヒトは肩を竦めた。
「多分ね」
「多分?」
「なんとなく、怪しかった。直感てやつ?」
「…………」
 ナハトは唖然とする。
「もし、違っていたら……」
「どうしよう。謝ろうか。許してもらえると思う?」
 軽い調子で言い、リヒトは肩を竦めた。
「でも、レインは無事だったんだから良いだろう?」
「……なるほど」
 レインがぽつりと言った。その瞳は、宙を見据え昏く瞬いている。
「リヒトが、あの広場に警官を紛れ込ませていたんだ」
「ご名答」
 リヒトが微笑む。
「さすがだ」
「……あっ」
 ナハトは思わず声を上げ、そのまま喉の奥で低く呻いた。
 ――なるほど、理解した。
 レインが移動遊園地に遊びに行きたいと言い出して、それを了承したリヒトはすぐに「上」に連絡を取った。広場に私服警官ら――それも、恐らく公安かどこかの精鋭部隊だろう――を紛れ込ませ、何かトラブルが起こった際には彼の指示で動かせるようにした。だからこそ、リヒトはレインのわがままを許したのだ。発砲は、私服警官らへの合図。空砲でも良かったはずだが、リヒトの撃ったのは本当に「(モイゼ)」だったのかもしれない、しかし証拠はない。ただの一市民だったかもしれない。今となっては、もはや確かめようもない。
 先ほど自分は、「もし違っていたら」と尋ねた。だが違っていたところで、全ては彼らの預かり知らぬところで揉み消されるのだろう。レインは「擬似戦闘指揮官(PCC)」である。レインには、それだけの国家戦略的価値がある。
「…………」
 当のレインは黙って、ホテルの部屋の窓から下を見下ろしている。ちょうど眼下には先ほどの広場が見えるだろう。現場はまだ混乱しているのだろうか、それともまるで何事もなかったかのように、回転木馬が回っているのだろうか。
「で、どう?」
 その小さな背中に向けて、リヒトがやや投げやりな声を放った。
「暇つぶしにはなったかい?」
「……そうだね」
 レインの声音はひどく投げやりな色だった。
「勉強になったよ」
「それは何より」
「…………」
 ナハトは深くため息をつき、そしてぽつりと言った。
「遊びたければ、カードゲームくらいなら付き合ってやれるぞ」
 ――暇だったんだろう?
「…………」
 振り返り、言葉を失う様子のレインと、小さく噴き出すリヒト。
「そりゃあいい、何より安全だものね!」
「私をカモにする気じゃないだろうね」
 笑いながらもぼやくレインに、ナハトは首を横に振る。
「賭け事に興味はない」
 ――命は常にボードの上。これ以上賭けるべきものを、彼は持っていない。
「ただの、暇つぶしだ」
 そう、全てはただそれだけの。
 ――彼を載せて無意味に廻り続けていた回転木馬を思い出し、ナハトはぽつりと呟いたのだった。