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Eine Familie

 傭兵仲間同士の間であっても、くだらない質問というのはどこにでも存在していた。それの最たるものが、これだ――
「お前、何故傭兵になったんだ?」
 その質問はうんざりするほど繰り返されてきたものだったから、ナハトはそれにどう答えるかも決めていた。
「――お前は?」
 短い返答だが、これで十分だ。こうすれば、相手の反応は二通りに分かれる。ひとつめの場合は、馬鹿正直に自分が傭兵になった理由を語り出す。当然、ナハトがそれに耳を傾けてやる義理はない。もうひとつはナハトに答えるつもりがないのだと察するケースで、その場合は沈黙がその場を支配する。それを気まずいと思うような感性はナハトにはないから、別に相手の反応がどちらであってもナハトは構わなかった。そういったくだらない質問が口を突いて出てくる場面というのはたいていが作戦行動と作戦行動の合間で、まあありていに言うと暇を持て余しているということなのだった。だが、永遠に続く暇などない――生きている限りは、あり得ない。いずれイヤカフからの指示を受け、彼らはまた動き出すことになる。そうすれば、どんなにくだらない質問だって口を噤むのだ。
(おれは質問が嫌いだ)
 ナハトは思う。昔からそうだった。両親からの質問、教師からの質問、友人からの質問。すべてが厭わしく、煩わしかった。それに理由などない。理由を求める行為こそが、彼の嫌うものなのだから。
(だから、多分)
 だからこそ――ナハトは傭兵になったのだろう。理由を問うことのない職業。理由を問われることの少ない職業。それは今でも変わらない――現実(リアル)から戦場が消えてしまった今でも。

 初めてそれを耳にした時、ふざけた条約だと思った。正直、ナハトは今でもそう思っている。
 「包括的三次元軍事行動禁止条約(CTCBT)」――現実世界から戦場を一掃し、仮想現実(ヴァーチャル)の中に閉じ込めることに成功した条約。大半の学者の予想を裏切るペースで人口が減少し、社会の維持のため人間を資源として確保する必要に迫られた現在にあっては、戦争――それが古い大戦のようなものでなく、テロ行為を主としたものであっても――は何をおいても避けるべきものとなったのだ。そのために考案されたのが「ヴォイド・システム」である。仮想現実空間に設置された「擬似戦闘空間(ヴォイド)」で行われる「戦争」、当然ながらそこに人間の兵士は存在しない。あるのはすべて擬似的な軍隊、兵器、そして戦場である。「ヴォイド」にアクセスし、「ヴォイド」上の軍隊を動かせる人間は「疑似戦闘司令官(PCC)」と呼ばれていて、各国・各組織のトップシークレットであった――トップシークレットであるということは、すなわち知る人ぞ知る存在であって、つまりはこっそりと狙う価値のある存在だということだ。現実に、「PCC」は常に暗殺の危険に晒されている。どこのサーバにあるかもわからない、どんなセキュリティシステムによって守られているかもわからない「ヴォイド・システム」を切り崩すよりも、敵対する相手の「PCC」を暗殺する方がよほど楽だし確実だ、というわけだ。その点に関しては、ナハトも完全に同意である。さいわい――と言っていいのかどうかはわからないが、「PCC」の暗殺は例のふざけた「条約」違反行為にはあたらない、もしくはあたらないように行われている。まるで、最初からそこが風穴として開けられていたかのような――まあ、ナハトにとってはどうでもいい話だが。
 ナハトは「PCC」の護衛、「擬似戦闘指揮官護衛官(PSP)」である。戦場がなくなることで傭兵としての仕事も尽きていた彼はスカウトされ、この任務に就いた。ようは、「PCC」を狙って現れる暗殺者――「(モイゼ)」たちを片っ端から倒せばいい、それだけの仕事だ。当然、「PCC」の守護が最優先ではあるのだが、いずれにせよ「PCC」が殺されるより先に相手を殺してしまえばいいということにかわりはなかった。「条約」の制限があるから、相手もそう大規模な武器は使えない。たとえばミサイルであるとか、ロケット弾であるとか、無差別にひとを殺傷する可能性のある武器はご法度だ。小型の爆弾――たとえば郵便爆弾のようなものがどうなのかはナハトは知らないが、住所不定の「PCC」が郵便を受け取ることはあり得ないから現実的ではない策なのだろう。結局のところ、暗殺者の襲撃はほとんどの場合がナイフのような近接戦闘用の武器を使ったもの、せいぜいが拳銃ということになるのだった。そのことに対して、ナハトは不満はない。まだ現実世界に戦場が存在していた頃にも最終的には自分の拳で相手を打ち倒す必要に迫られたことは何度もあったし、結局のところ戦争なんていうものは殴り合いなのだと彼は思う。自分の拳を使って殴るか、他人の拳を使って殴るか、あるいは拳ごと吹き飛ばすか――あるいは、拳を「仮想現実(ヴァーチャル)」へと移すか。

 ――とりとめのない思考に覆われていた意識が、急に覚醒した。どうやら自分はうつらうつらとしていたらしい、とナハトは認める。ここは滞在中のホテル(当然最上級のVIPフロアだ)、自分はソファに座っていて、そしていつもより深く腰掛け過ぎた。まったく、相方がいるとはいえ護衛任務中にうっかり意識を飛ばすとは……首を振って反省したところで、彼を見つめる一対の視線に気が付いた。
「レイン?」
 名を呼ぶと、「それ」は呼ばれることなど想定外だったというように目を丸くして見せた。子供である。少年とも少女ともつかないのは、いつもぶかぶかの服を着ているせいだろう。特徴的な赤い目、赤い髪、そして赤い爪。その子供こそが、ナハトの守るべき「PCC」なのであった。
「何か用か。リヒトなら――」
 相方の名前を出すが、レインは首を横に振った。
「別に用事はないし、リヒトなら隣の部屋にいるよ。ナハトが少し眠ってたことも知ってる」
「……そうか」
 あのすかした相方の顔を思い浮かべて思わず苦い表情になるが、ナハトはそれをどうにか押し殺した。
「じゃあ、どうしてここに居る?」
「別にいいじゃん、ここにいたって」
 レインは肩をすくめた。
「安心しなよ、別にナハトの寝顔を観察してたってわけじゃないからさ」
「…………」
 別に観察されたところで、とナハトは思ったが、口に出しては何も言わなかった。眠ってしまっていたという負い目もある。レインは別段その負い目に漬け込むつもりでもなかったのだろうが――。
「……ナハトって、家族いるの」
「…………」
 くだらない質問の類だな、とナハトは思った。だが、答える。
「いない」
「最初から? それとも捨てた?」
「…………」
 ナハトはため息をついた。
「それを聞いてどうする?」
「単なる興味。リヒトにも聞いた」
「……そうか」
 あの男は何と答えたのだろう。ちらと興味がよぎるが、だからといってレインにそれを問うことはしなかった。その代わりに、いつもの短い単語を投げつける。
「――お前は?」
「…………」
 聞き返されたレインは、困ったように首を傾げた。
「わからない」
「わからない?」
 さすがのナハトも思わず聞き返した。
「そう。覚えていない。私の記憶の中に、その存在に該当する人物に関するものがないから」
「…………」
 ナハトはため息をついた。
「俺やリヒトに聞いたところで思い出せるものでもないだろう」
「まあ、そりゃそうなんだけどね」
 レインは笑った。
「でも――この前、リヒトに『家族ってこのチームみたいなもん?』って聞いたらめちゃくちゃ笑った後、『そうなんじゃないかな』って言われたから」
「…………」
 ――家族。あいつと、俺と、こいつが。
 ナハトは頭を抱えた。
「笑えない冗談だな……」
「確かにね」
 レインは同意して立ち上がる。時計をちらと見たところをみると、きっと「戦闘」の時間なのだろう。
「でも、」
 と付け加えた。
「悪くない冗談だと思う」
「…………」
 ナハトが何も言えずにいるうちに、レインは自分にあてがわれているベッドルームへと向かった。ぱたん、と扉が閉まる。これから数時間、レインはあそこから出てこない。
「…………」
 ナハトは深々と息をついた。
 レインは普通の人間ではない。多分、それは間違いない。以前リヒトに見せられた古い新聞記事を読むまでもなく、彼は直観的にそれを感じ取っていた。だが、それがなんだ? とナハトは思う。別にレインの正体が何であろうが、彼の仕事には何も関係がない。たとえレインが普通の人間ではないとしても、普通の人間と同じように護衛する。それが彼の仕事だ。
 ただ、それだけのことだ――。
「懐かれちゃったね、ナハト」
 からかうような声と共に、別の部屋のドアが開いた。姿を見せたのは彼の相方、リヒトである。蜜色の瞳を細め、にやにやと笑っている。ナハトは軽く手を振って言い返した。
「俺じゃない――というか、それを言うならお前もだろう」
「まあ、そうかも」
 リヒトはあっさりと認めた。
「……どうする?」
「別に、どうも」
 ナハトは即答した。その上で、質問を付け加える――無論、くだらない質問だ。
「むしろ、どうにかする必要が?」
「…………」
 リヒトは、いいや、と首を振った。そして笑みを深める。
「とりあえず、今どうにかする必要があるのは――」
(モイゼ)、だな」
 言いながらナハトは部屋の入口へと奔った。内側に開いた重厚な木の扉を、渾身の力で思い切り蹴り飛ばす。勢い良く閉まった扉の向こうで鈍い音が響いた――敵の一人が頭でもぶつけてくれていればいいが、とナハトは思う。扉の陰に身を隠しながらそれを開けると、蹲っている男を飛び越えるようにして敵が飛び込んできた。
「それにしても」
 振り回されるナイフを身軽に見切って避けながら、リヒトがのんびりと呟いた。
「こんなに毎回毎回ホテルのVIPフロアを駄目にして……、そろそろ泊まるところがなくなるんじゃないかなあ」
 突然、リヒトは片脚をぐっとまげて身を沈める。ナイフに空を切らせると同時、もう片方の脚で強烈な足払いを掛けた。たまらず転がる男の喉首を躊躇なく踏みつける。
 ナハトはその独り言には答えなかった――銃を向けてくる別の男に向かって、部屋に置かれていたガラス製の灰皿を投げつける。狙い違わず男の顔面にぶつかったそれを追うようにナハトは距離を詰め、その鳩尾に拳を埋めた。折れた歯と血反吐を撒き散らしながら、男は昏倒する。
 ――行く宛がなくなるのが先か、(モイゼ)がいなくなるのが先か?
 くだらない、とナハトは思った。思いながら、彼の目を狙って突き出された敵の指を避け、それと同時に蹴り出された足を片肘でガードして、隠し持ったナイフを死角から突き入れる。肋の隙間から深々と抉ったそれを軽く捻り、胸郭に空気を入れて片肺を潰した。くずおれる男の躰の向こうで、リヒトが敵の指を切断しているのが見えた。絶叫。
「しっ、あの子の邪魔になる」
 リヒトは面白そうに笑いながら、ナイフの柄で男のこめかみを抉った。
「……ならんだろ」
 ナハトは一息つくと同時に言った。この部屋に、もはや動ける(モイゼ)はいない。
「そうだっけ」
 リヒトはとぼけた調子でしらばっくれると、さて、と言った。
「レインが戦闘中は動けないからね。お掃除だけでもしてもらおうか」
「……ああ」
 連絡をすれば――恐らくは連絡をしなくても――(モイゼ)の襲撃を把握した彼らの雇い主が、事後処理のための人員を派遣してくる。そうして、次の滞在先などの指示をくれるはずだ。
 リヒトは洗面所に向かい、血に染まった手指を洗い流していた。軽く鼻歌すら唄っていて、いつも通りの上機嫌だ。彼が機嫌を悪くしているところを、まだナハトは見たことがない。
「お先。ナハトも手を洗いなよ」
「…………」
 ナハトはレインの閉じこもる部屋の扉をちらと見遣った。――こんな家族があってたまるか、おい。
「……やはり、くだらんな」
 首を振って、洗面所に向かう。すれ違ったリヒトは、ホテルの備え付けのタオルで手を拭っていた。多分、彼らの「雇い主」に連絡を取るのだろう。ナハトはふと鏡を見て息を呑む――己の顔に点々と散った赤、サンディブロンドの前髪にこびり付いた赤。その赤に重なったレインの顔を、彼は殊更無視をした。