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der Morgen

 ――血と硝煙の臭いが鼻をつく。
 それだけが、この現実味のない「現実」の中での確かな感覚だった。
 
 インナーフォンからはひっきりなしのアラート、右目に嵌めたコンタクトレンズ型スコープには敵の存在を示す無数の点滅――彼はそれを、無感動にただひたすらに撃ち抜いていく。廃墟と化した街は、身を隠す壁に事欠かない。だがそれは敵も同じこと。その手に握るアサルトライフルへ次々にカートリッジを詰め替え、彼は撃ち続ける。銃口の先で次々に倒れていく敵。敵。敵。
 敵の名も、地位も、無論顔も知らない。彼にとってはただの光の明滅だ。
 どれほど有能な大量破壊兵器を開発したところで、兵士の需要がなくなる訳ではない。スコープ越しの視野の隅でカウントが続く――今彼の生産しつつある死体の数である。己で確認するまでもない。この数が多ければ多いほど傭兵である彼の受け取る報酬の額は増えるのだから、悪趣味で滑稽なまでに効率的だ、と彼は思った。
 一際大きく鳴り響いたアラート――ミサイルだ、と彼は身を低くして駆け出し、その場を離れた。アラートの刻む時間ぎりぎりまで走り、前方へ飛んで地に伏す。ライフルは身体の下に。両手で耳を塞ぎ、口を開けた。
 轟音。地響き。
 熱風が彼の髪と肌を煽る。
「…………」
 衝撃の余韻が消える前に、彼は身体を起こして振り返った。
 視界の端に小さく表示される文字、そしてインナーフォンから流れる無感情な機械音声。
 ――Mission Complete.
 ああ、あれは味方の攻撃だったのか、と彼は思った。あわよくば彼諸共殺戮しても構わないと……警告は発した、避けきれなければそれは即ち彼の無能、というわけだ。
 だからといって、彼は特に気分を害しはしない。
 そんなものだ、俺達傭兵など。
 何の為の戦争か、これがいつ始まったものか、いつまで続くのか。何も知らぬままに俺達は殺し、殺される。
 彼は小さく笑う。防塵防毒マスクの下の、誰にも聞こえぬ笑い声。
 俺たちは武器だ。消費される数だ。そのことが、俺はこんなにも心地良い。
 このままずっと戦場に居られればいい――誰とも言葉など交わす必要はない、ただ飛び交う銃弾を潜り、飛来するミサイルを避け、眼前で明滅する生命を撃ち殺す。それだけでいい。いつか殺される側に周る日が来るまで、俺はひたすらに殺し続ける。それだけの存在になれたなら、俺は……俺は。

「ナハト」

 ――ぶる、と世界が揺れた。
 ナハト。俺の名。
「起きて、ナハト」
 彼は飛び起きた。清潔なシーツ、ふんわりとした掛け布団。身体を起こすと同時に薫る、芳しいエスプレッソの匂い。
 ――そうだ。ここは戦場ではない。

 否、もはやどこにも戦場などないのだった。

 ナハトは彼を起こした声の主を見上げる。――起こされるまで気配に気付けなかった己に失望し、思わず顔が歪んだ。
「おはよう」
 そんなナハトの表情など無視して、にこりと微笑む黒髪の男。年格好はナハトとほぼ似通っている。しかし、ナハトは微笑みなど返さない。そんな表情の作り方など、彼は知らない。
「魘されていたみたいだけど、気分はどう?」
「別に」
 ナハトはベッドに腰掛け、くしゃりとサンディブロンドの前髪を掴んだ。
「『あれ』は?」
「『あれ』?」
 鸚鵡返しに聞き返した後で、男はああ、と言った。
「レインのことかい。まだ眠っているよ」
「……そうか」
 ナハトはじろりと男を見上げる。
「で、わざわざ俺を起こした理由は?」
「朝食だよ。それから」
 男はにこやかな表情を変えぬままに言った。
「怪しい者たちが数人、このホテルに侵入したらしい」
「……リヒト」
 ナハトは立ち上がり、男の名を呼んだ。
「詳しく聞かせろ」
「勿論」
 ――窓に映る己の顔。一対の群青が、無表情に彼を見つめていた。

 政府要人しか泊まることのないVIPルーム、否、VIPフロア。その一角で、ナハトとリヒトは朝食を取った。スーツを着込んだ体格のいい男がふたり向き合っているのは奇妙な光景だろうが、致し方ない。
 ルームサービスで運ばれてきたのは分厚いトースト、かりかりに焼かれたベーコン、そしてとろりとしたオムレツ。みずみずしいサラダの入ったボールと、ポテトのビシソワーズのカップも添えられている。エスプレッソは部屋備え付けのマシーンを用いてリヒトが淹れたらしい。
 ナハトはそれらを味わうでもなくがつがつと口に入れる。彼に味の好みは特にない、腹が満ちればそれで良い。ミネラルウォーターのボトルを開け、冷えたそれを喉へと流し込んだ。
「それで? 不審な者とは」
 唇を拭ってナハトが言うと、リヒトは手にしていたマグカップから顔を上げた。エスプレッソにたっぷりのフォームミルクを加えたカフェ・ラテ。ナハトと同じ傭兵上がりのくせに、どことなく上品な物腰の男である。
 その色素のごく薄い瞳を瞬かせながら、リヒトは口を開いた。
「早朝に連絡が来たんだよ。『(モイゼ)』だ、とね」
「……やはりあれを狙っているのか」
 ナハトは視線を奥のメインベッドルームへと向ける。リヒトは頷いた。
「恐らくは」
「あんな子供をな」
「…………」
 リヒトは笑う。
「同情かい?」
「……いや」
 ナハトはきっぱりと否定した。
「あれは化け物(ゲシュペンスト)だ」
 リヒトは困ったように笑って、そして立ち上がった。てきぱきと空になった食器を片付けていく。
「化け物でも何でも、僕らはあの子を守らないといけないからね」
「わかっている。仕事はする」
「『夜の客人(ナハト・ベズーハ)』」
 リヒトはつぶやき、すっと目を細めた。そこにぎらつくのは、まるで炎色。
「おもてなしの準備はどう?」
「いつでも」
 ナハトはすらりと腰のホルターからシースナイフを抜く。
 それとほぼ同時、部屋の扉が勢い良く開いた。先ほどルームサービスを運んできたボーイの身体が勢い良く投げ込まれる。ナハトはそれを難なく避け、ナイフを構えて突進した。ボーイの遺体に続いて部屋に侵入した鼠は――五匹。
「ふッ!」
 ナハトは気を吐き、ナイフを突き出した。思い掛けぬナハトの速さに不意を打たれたか、先頭の男は彼のナイフに顔面を抉られ悲鳴をあげる。続く男が構える銃を左手に掴み、ナハトはそれを思い切り振り回した。得物を離すまいとして体勢を崩した男の腰を横からリヒトが蹴り飛ばし、同時にスローイングダガーを放つ。
 宙を斬り裂いたそれは、三人目の男の胸に根本までずぶりと埋まった。物腰によらず腕力のある男だ、とナハトは横目で冷静に観察しながら、飛び掛かってきた四人目の拳を躱し、ブーツナイフの仕込まれたハイキックを右手のナイフで受けた。力を受け流しつつ、左手にもう一本のナイフを取り出す。五人目をそれで牽制しながら、四人目に足払いを掛け、倒れ込んだその男の急所をナハトは己の全体重を載せて踏み抜いた。
 絶叫。
 うるさいな、とナハトは顔を顰め、残りの鼠の行方を確認する。――いずれも、リヒトによって無力化されたようだ。
 腹を貫くダガーで壁に縫い止められている男、顔をめちゃくちゃに殴り潰されている男。彼と共に働くようになってひと月程が経つが、相変わらず見た目によらずえぐい手を使うな、とナハトは他人事のように思った。
 ――部屋は血と異臭とでひどい有様になっている。時折上がる呻き声も耳障りだ。
「レインはまだ寝ているのかな?」
 返り血に塗れた拳を拭いながら、リヒトが平然と呟く。さすがに移動しなきゃいけないよねえ、と呑気に付け加えて。
 ナハトは肩を竦めた。
「起こすか?」
「起きているよ」
 その声とともにベッドルームのドアが開き、小柄な人影が姿を見せた。
 レイン。
 歳は彼らよりも十以上は下だろう――ロウティーンともミドルティーンともつかない。短く切られた髪と目は鮮やかな赤で、その手足の爪も、真っ赤に塗られていた。その色が天然のものか人工のものかはわからない。そして、その姿は少年のようにも少女のようにも見える。
「レイン、突然ドアを開けると危ないよ?」
 まだ敵がいたらどうするんだい。
 リヒトが笑顔でたしなめる。レインは静かにリヒトを見つめた。その身にまとうのは、まるで白い病衣のような服だ。足元は裸足である。
 レインは答えた。
「そんなへまはしない」
「あ、そう?」
 ならいいけど、とリヒトはあっさり引き下がった。一応は気遣った、というだけのポーズのようにも見える。
「ナハト」
 名を呼ばれ、ナハトは顔を向ける。
 レインの赤い目が、じっと彼を探るように見つめていた。にっ、とその口元が笑う。
「私はゲシュペンストじゃないよ」
 ――いつから聞いていたのか。思わず息を呑むナハトに構わず、レインは笑顔のままぱたりと扉を閉めたのだった。

 「包括的三次元軍事行動禁止条約(CTCBT:Comprehensive Three Dimensional Conflict-Ban-Treaty)」が国際社会で批准されてから、既に七年が経過している。条約加盟国は続々と増加しており、それはもはや一部の先進国や欧米諸国だけのものではない。そのネットワークは早くも世界中を覆わんとしている。
 はじめてその概念を耳にしたとき、一体どういうことかとナハトは驚いたものだった。今でもまだ、完全に理解できているわけではない。戦場に生きる傭兵だった彼ですらそうなのだ、軍と関わりのない一般市民にとってはますますもって理解し難い概念であろう。
 とはいえ、十年程前から非戦の機運はかつてないほどの盛り上がりを見せてはいた。増加し続けるものと思われていた世界人口が、まるでバブルが弾けるかのように減少の一途を辿り始めたのは既に前世紀のこと。その原因は次々に流行した新規伝染病だけではなく、徐々に大規模化、無差別化したテロリズムとその報復を名目とした他国家間戦争にあることはもはや誰の目にも明らかであった。
 戦争は、その勝敗に関係なく貴重な資源を――人命を含めて――失わせる。この二、三世紀の間に、あまりにも軍事兵器は強力化してしまった。
 ――そこで考案されたのが、「CTCBT」だ。
 曰く、現実世界での軍事行動を一切禁じる。その代わりとなる仮想的な「擬似戦闘空間(ヴォイド:Virtual Psudo-Conflict Void)」を設置し、第三者機関が運営すると定められた。各国で「擬似戦闘指揮官(PCC:Pseudo-Conflict Commander)」が育成、選出され、彼らが「ヴォイド」にアクセスすることによって、仮想の兵器、兵士、或いは財源を用いた戦争が行われるのである。仮想的とはいえ、その戦争における軍事力にはそれぞれの国家の軍事予算等の規模がそのまま反映される。そして、仮想空間での戦争の結果は現実世界に反映される。「PCC」によって行われた「擬似戦闘(VPC:Virtual Pseudo-Conflict)」の結果によって停戦条約が結ばれ、新たな条約が批准され、時に国境すらも書き換えられる。ただし、この戦争では兵士も民間人も死なず、都市も破壊されない。何とまあ人道的で効率的な戦争か、と学者たちは皮肉ったが、現時点では思惑通りにシステムは機能していた。今のところ大きな問題は起こっていない――と一般的には思われている。
 問題はある。「PCC」という存在そのものが、問題だった。彼らの腕一つで戦争の結果が決まる――そう言っても過言ではないからだ。その存在によって国家を大きく揺るがす、新たなキーマンたち。
 「CTCBT」以降の国家戦略において何よりも重要となったのは、有能な「PCC」の育成――そしてもう一つが、敵国の「PCC」の暗殺であった。
 ――暗殺は軍事行動に含まれない。
 それは詭弁だと非難する声も当然ながらあったが、しかし、そもそも暗殺は表だって行われるものではない。その事実は衆目に晒されることのないまま、「PCC」の暗殺は横行した。小規模の暗殺部隊によって、常に「PCC」の命は狙われている。
 無論、ただ暗殺されるに任せるほど国家も愚かではない。これもまた軍事行動には含まれぬ規模の少人数の精鋭部隊によって、「PCC」は暗殺から保護されることとなった。
 そのための「擬似戦闘指揮官護衛官(PSP:PCC Seculity Police)」として雇われたうちのひとりが、数年前まで確かに戦場で傭兵として戦っていたナハトであり、リヒトなのだった。

 すなわち――レインは「PCC」なのである。

 レインが再び部屋から出てきた時には、既に着替えと荷造りを済ませていた。そう大層な荷物ではなく、スーツケースひとつである。細身のジーンズにTシャツという軽装。相変わらず少年だか少女だかよくわからない。ナハトは確かめたことはないし、きっとリヒトもそうだろう。
 血塗れの室内に少し眉を顰めた後、床に転がって喘いでいる鼠を見下ろし、レインは呟く。
「まだ生きているのもいるんだ?」
「勿論拘束はしているよ? あとの処分は政府に任せるさ」
 リヒトが場違いな快活さで答えた。ナハトはレインに尋ねる。
「……殺してみたいのか?」
「ナハト」
 やや咎めるような響きを帯びたリヒトの問いを、ナハトは無視する。レインはじっと彼を見上げた。
「――遠慮しておく」
 私はあくまで「PCC」だから。
 死体をひょいと飛び越え、レインはちらと振り向き笑った。
「人は殺しちゃいけないんだよ」
「…………」
 ナハトは目を背け、リヒトは苦笑する。僕らにそう言われてもねえ、と呟くのが聞こえた。僕らはそれが仕事だから。
 ナハトは思う。

 ――じゃあ、お前が擬似戦闘空間で殺している「兵士」は一体何なんだ?

 しかしナハトはその疑問を口にすることなく、頬に飛んだままの返り血を指先で拭う。もはや、そこから体温を感じることはない。
 ただ血の匂いだけが、色濃く漂っている――それならば、ここはまだ戦場と言ってもいいのではないだろうか。どうだろう。
 戦場のない世界――本当に? それならこの匂いは?
 行く宛のない疑問符を噛み殺し、ナハトは血塗れのナイフをテーブル上のナフキンでゆっくりと拭った。