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The Wizardry

 おれのかざした銃口は、細かく震えている。震えて、震えて、定まらない。
 おれは泣いている。泣きながら、それでも銃口を逸らせない。
「しっかりしろ、ローイ・ハウエル」
 なのに、なぜ、こんな時に。
「そんなことではお嬢様を託せないぞ」
 柔らかく、包み込むような、穏やかな声。
「……な、なんっ、で」
 おれは嗚咽を噛み殺し、もう何度も問い掛けた質問をまた、口にした。
「なんで……!」
「それが」
 男は笑っている。こんな時でも、普段と少しも変わらぬ笑顔で。
「おれの望みだからだ」

 銃声。

 男の胸から血が噴き出し、その長身はゆっくりと地面に向かって落ちていった。

  × × ×

 シャルル・レーゼという名の男が捕えられ、第一王子暗殺の罪で収監、程なく処刑された。――そのニュースは、少し前から街中でもちきりになっている。おれも最近は新聞がさほど苦もなく読めるようになったから、じっくりすみずみまで記事に目を通した。
 第一王子が暗殺されたのは、もう随分前のことになる。おれはまだ幼かったが、それでも街が騒然としていたのはうっすらと記憶にある。第一王子――ということは、あのリュミエール・ド・エルシアン王子の兄、ということか。あの王子、実は兄を殺されていたとは……。
 ともあれ、おれが気になったのは、シャルル・レーゼが「魔術」を信奉する地下組織の一員であった、と報じられている点である。新聞ではそう言っているけれど、きっと彼は魔術師だったのだ。そうに違いない。魔術の存在が認められていない以上、表だって彼を魔術師とは言えないから、そういうことになっているのだろう。
 ――魔術とは、ひとびとがそう信じているような伝説の類じゃない。魔術は存在するし、魔術師だってそうだ。ただ、禁じられただけ。おれはそうと知っている。何度か魔術師に遭遇したし、それに――それに。

 街のあわただしさをよそに、ウィザードリィ邸には特に変化はなかった。むしろ、執事のアンドリューは日頃よりも屋敷にいる時間が増えて、セシリアはひどく上機嫌だった。
「最近出掛けてばかりだったもの。アンドリューも少しは休まないといけないわ」
 その目の前のテーブルには、彼のお手製のケーキに、彼が手ずから淹れた紅茶。
「……休んでることになるのかあ? これ」
 そのお相伴にあずかりながら言うことでもないかもしれないが、おれは思わずそう口をはさんだ。
「ローイ、それどういう意味?」
 陶器のようにつるりとなめらかな頬をぷうっと膨らませ、この家の幼き――いやうら若き当主であるセシリア・ウィザードリィはおれを睨んだ。
「お気になさらず、お嬢様」
 アンドリューは澄ました顔で笑いながら、セシリアの髪を撫でる。
「でも、私が留守にしていても、何も困ることなどなかったでしょう?」
 確かに、この屋敷にはたくさんの使用人がいるし、その誰もがセシリアを心から慕い、その世話に余念がない。――けれど。
「困る困らないの問題じゃないわ」
 セシリアは唇を尖らせた。
「アンドリューはあたしの執事でしょ。ちゃんといてくれなきゃだめ」
「おやおや」
 アンドリューは少し困ったように微笑む。
「お嬢様はもう十分大きくなられたと思っておりましたが、まだ甘え足りませんか?」
「…………」
 セシリアはその真紅の眼差しをふと伏せた。長い睫毛が細かく震える。
「だって……アンドリュー、いつか、どこかにいってしまいそうな気がして」
「どこか?」
 黙っているアンドリューにかわって、おれは尋ねた。
「アンドリューが、どこに行っちまうっていうんだよ」
「そんなことわかんないわ! ……でも」
 セシリアはフォークを投げ出すと、椅子から降りてアンドリューの腰にその細腕を巻き付け、抱き着いた。
「お嬢様?」
「アンドリュー」
 セシリアは真剣な声で訴えた。
「約束して。あたしを置いて、どこにも行かないって」
「お嬢様……」
 アンドリューはその蜂蜜色の瞳を少し見開いて、そして笑った。
「大丈夫ですよ、セシリアお嬢様」
 ――大丈夫、と。アンドリューは繰り返しそう言った。
「…………」
 セシリアは彼に抱き着いて顔を伏せたまま、何も言わない。
 セシリアは気付いていたのだろうか――このとき、アンドリューが決してセシリアの望む約束を口にしなかったことに。
 おれは勘付いてはいたのだけれど、それでも何も言わなかった。言えなかった。そのことを後悔しているかと問われれば、きっとその答えはYESだ。だが、おれが問い掛けたところで何も変わらなかっただろう……。
 いつ頃からか、アンドリューはきっとそのつもりでいたのだと思うから。

 結局のところ、おれはきちんと確かめたことはなかった。何をって、セシリアのことだ。セシリアが普通の人間でないことくらいは、おれにもわかっている。だが、人間でないのなら一体何なのか――それはよくわからない。人形、というような言葉を耳にしたことがあるような気もするが、セシリアは到底人形などには見えないし。何かの比喩なのかもしれない。
 アンドリューは――アンドリュー・スコットというのはどうやら偽名のようなのだが――魔術師だ。多分、それは間違いのないことだった。
 おれも、セシリアやアンドリューに出会うまで魔術の存在なんか信じちゃいなかった。だが、今は違う。魔術は確かにこの世界にあって、魔術師はそれを行使できる者たちで。同じように伝説とされていた妖精だって、本当はこの世界に棲んでいる。ただ、魔術の素養のないおれたちには見えないだけ。感じられないだけ。
 多分、それでいいのだ。おれたちは限られた人間しか使えない魔術の代わりに、科学の力を手に入れつつある。それは仕組みさえ理解すれば――或いはそれに基づく装置さえ手に入れれば、誰にも平等に使えるものらしいから。
 おれたちの世界は、魔術に背を向けて歩き出している。

 ある日の夜、アンドリューがおれを呼び出した。それ自体は珍しいことじゃない。おれは庭師見習いで、ついで年の近いセシリアの話し相手――遊び相手も兼ねている。そんなおれに、アンドリューはよくこまごまとした頼みごとをしてくるのだった。
 だが、その時は様子が違った。
 アンドリューの部屋に入ると、そこは妙にがらんとしていた。何度も来たはずの部屋なのに、随分と印象が――。
「どうした? ローイ・ハウエル」
 おれははっと顔を上げた。そこにはアンドリューがいて、いつものとおりに静かに笑っている。
「……いや、なんか」
 違和感を口にできずに口ごもると、アンドリューが、ああ、とあっさり肯いた。
「魔術関連の本をどっさり処分したのでな」
「処分……?」
「不要なものだ」
 部屋には十分な灯りが点されているというのに、アンドリューの周りだけが何故か影を纏っているかのように薄暗い。
「用ってなんだよ」
 おれはできるだけ明るい口調で問いかけた。どうせくだらない要件なんだろう? と笑い飛ばしてやるくらいの勢いで。
「頼みがある」
 アンドリューは壁際に立って、おれをじっと見下ろしていた。その口元は、やはりゆるやかに笑っている。
「セシリアのことか?」
「ああ」
 彼はあっさりと認めた。
「あいつは……」

 ――魔術人形なんだ。

「は?」
 おれはぽかんと聞き返した。
「魔術……なんだって?」
「人形。おれが枠組みを作り上げ、魔術を掛けて人間みたいに動かしている人形なんだ」
「え……え? アンドリュー、おまえ何言って、」
「お前が信じられるかどうかは問題じゃない」
 アンドリューは冷たく言い放つ。
「事実だ」
「は……」
 おれは酸素の足りない魚みたいに、はくはくと口を開閉させることしかできなかった。
 セシリアがただの人間ではないことなら、薄々感づいていた――だが、こうも突然突きつけられると、おれの貧弱な頭では理解が追いつかない。
 それに、そもそも何故アンドリューはおれにこんな話を……。
「魔術で生命は作れない。セシリアの命も、紛い物に過ぎない――だが、よくできた紛い物だろう?」
 アンドリューはおれの混乱になど無頓着だった。ああ、確かにこいつはこういうやつだ。傲岸不遜で、自分勝手で、裏表が激しくて。
「彼女は生きている――食事もするし眠りもする。時間が経てば成長もする。それらは全て、膨大な量の魔力を消費しているからだ」
 アンドリューはおれから視線を外し、目を細めた。
「『魔術人形』は魔術師を破滅させると言われてきた――まあ、理由は簡単だ。最も近い魔力の媒体はその魔術師自身なのだからな。人形は無意識のうちに魔術師を魔力の増幅器として利用する。魔術師自身も自覚しないうちに彼らの魔力は消費され、擦り切れ、枯渇して――運にも見放され、やがて破滅する。おれの兄がそうだったように」
「…………」
「セシリアは自力で魔力を吸収できる――魔術師を媒介にすることなくな。ただし、効率は悪い。この世界中にうっすらと満ちている魔力を、彼女はひとりで消費していくだろう」
 そのために――競合して魔力を消費する恐れのある魔術師は、全て滅ぼした。
「この世の魔力の全てはセシリアのために。魔術師は不要だ」
「…………」
 おれは息を呑む。――最近世間を騒がせていた、魔術師を名乗る者たちの投獄、地下組織の摘発。もしかすると、それらに関わっているのはこの目の前の男なのではないか……。
 ただ、その理由は何も世の中の為だとか、科学の発展がどうとか、そんな理由ではなくて。
 全てはあの少女、ただひとりのために。
「……セシリアは、」
「無論何も知らないさ。知る必要などない」
 アンドリューはあっさりと言った。
「セシリアは――お嬢様は」
 ふっ、と表情が和らいだ。
「皆に愛され、しあわせに――いつかそのいのちの尽きるまで」
 生きてくれれば、それで。
「そ……それで、おれに頼みって……?」
 おれは震える声で尋ねた。ばくばくと心臓が脈打ち、耳の奥ではごうごうと血の流れる音がする。
「ああ――」
 アンドリューはデスクの引き出しを開け、中から取り出したものを、ぽん、とおれに放った。咄嗟に受け取るが、思いの外ずしりと重い。驚いてよく見ると、それは――。
「?!」
 取り落としそうになる。
「危ないぞ」
 アンドリューは笑い出しそうな声で、そう警告した。
「暴発してお前が怪我でもしたら困る。まあ、怪我程度なら何とか治してやれるだろうが……」
「な……なん……」
 声が上ずる。
 おれの手の中でくろぐろと輝く、危険な金属の塊――それは、拳銃だった。
「なんだよ! これ?!」
「大声を出すな」
 ――ひとが来たらまずいか、と慌てて口を噤むおれに、アンドリューは笑って首を横に振った。
「ひと避けはしてある」
「…………」
 全く、便利なものだ。魔術というのは。
 ――だが、同時にひどく不公平なものでもある。
「いいか――もうこの世に魔術師は不要なんだ」
 アンドリューはその口元に微笑みを湛えたまま、淡々とそう言った。
「今後もし魔術の素養を持ったものが生まれても、魔術に関する書が手に入ることはないし、そもそも世界に満ちる魔力そのものが非常に薄いものになる――セシリアがほとんど使い尽くすだろうからな。いずれ彼女がいなくなる日が来ても、そう簡単に、世界に満ちる魔力は回復しない」
 妖精たちも、既にほとんどひととの関わりは絶っているしな。
「セシリアの内部に満ちた魔力は、ただ彼女の為に消費される。――唯一、それを横取りできるものがいるとしたら」
 彼女の魔力の媒体になり得るのは、それは。

「おれだ」

 アンドリューが呟き、くい、と指を躍らせた。おれの腕が、びく、と震えて勝手に動き出す。
 魔術。
 おれの意志とは無関係に、銃を持った腕が持ち上がり、銃口がアンドリューの左胸に向いた。
「やめろ!!」
 おれは叫ぶ。アンドリューは困ったように眉を下げた。
「仕方ねえだろ? おれがいる限り、セシリアは自由にはなれないし――いずれ王家は唯一の魔術師となったおれに牙を向くだろう」
 約束など、反故にされるためにあるものだ。おれはそもそもリュミエールを信用していない。アンドリューは苦笑を浮かべながら、兄を魔術師の手によって失った王子の名を口にする。
「もし王家がおれと敵対することになったなら、彼女にも累が及ぶ。それだけは、避けたい」
 あいつは、何も知らないで――自分は普通の人間なのだと信じて、周囲の人々に愛されて、世界の祝福を受けて。生きて欲しい。
「あ、あんなに、セシリアはお前を慕っているのに、か……?!」
 その言葉にも、アンドリューは少しも表情を動かさなかった。
「おれが死ねば、自動的に肉体も存在も世界から消滅するような魔術を掛けてある。おれに関する記憶は全部――あいつの記憶も、おまえの記憶も、消えるような術を掛けてあるから心配するな」
 ――おれの、最後の魔術だ。
 おれは必死で抵抗しようとした。しかしできない。銃を構え、アンドリューに狙いを定める。
 おれは叫んだ。
「なんで、……なんでおれにこんなことさせるんだよ……!!」
「あ?」
 アンドリューは笑みの質を変えた。にやり、と口の端を持ち上げて。
「決まってんだろ……?」

 ひとりでこっそり逝くなんて、寂しいだろうが。

「だから、付き合ってくれ。――まあ、おれの最期のわがままだよ」
 いくら忘れてしまうとはいえ、セシリアにやらせるわけにもいかねえからな。
「だからって……そんな」
 おれのかざした銃口は、細かく震えている。震えて、震えて、定まらない。
 おれは泣いている。泣きながら、それでも銃口を逸らせない。
「しっかりしろ、ローイ」
 なのに、なぜ、こんな時に。
「そんなことではお嬢様を託せないぞ」
 柔らかく、包み込むような、穏やかな声。
「……な、なんっ、で」
 おれは嗚咽を噛み殺し、もう何度も問い掛けた質問をまた、口にした。
「なんで……!」
「それが」
 男は笑っている。こんな時でも、普段と少しも変わらぬ笑顔で。
「おれの望みだからだ」
 ――おれの指が、勝手に動き出す。

 やめろ!!

 銃声。

 男の胸から血が噴き出し、その長身はゆっくりと地面に向かって落ちていった。