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The Wizardries

 ――呪われし魔術師よ。

 突然、少年の声が響いた。
 それと同時に、おれの目の前に見慣れた小さな背中が現れる。
「……セ」
 少女のその金の巻き毛を見下ろして、おれは茫然とつぶやいた。
「セシリア――?」
 彼女は振り返らない。おれははっと息を呑む。その場に現れたのは彼女だけではなかった。白銀の髪、浅黒い肌、みどりの瞳。どこかで見たような、少年の姿。その細い首や手足には金や銀、翡翠、その他おれにはよくわからないきらきらした宝石の類のついた輪っかがたくさん嵌っていて、彼はそれをしゃんしゃんと鳴らしながらうつくしい、しなやかなステップを踏むのだった。

 ――お前も、我らの愛子(いとしご)に変わりはないのだよ。

「アンドリュー」
 セシリアがぽつりと呟いた。意外にもその声は泣いてはいないようで、むしろひどく落ち着いたものだった。
「何度もお願いしたのに」

 ――あたしをひとりにしないで。

 ――ずっと一緒にいて。

 ――あたしを、おいて行かないで。

 セシリアはおれに背を向けたまましゃがみこみ、血溜まりの中に伏せたアンドリューの蒼白な頬をそうっと、その掌で撫でた。
「オーベロン」
 それが少年の名なのだろうか。セシリアはアンドリューを見下ろしながら、言葉を続ける。
「アンドリューはまだ息をしているわ……だから」
 ――彼に、あなたたち妖精の魔法を掛けて。
「彼に流れる時間だけを、極端に遅く」
「それはいいけどさ、セシリア」
 オーベロンが思案するように首を傾げた。しゃらり、と耳飾りが鳴る。
「所詮は時間の流れが遅くなるだけだよ? 不死になるわけじゃない、いつかは死んでしまう」
「うん」
 セシリアは立ち上がり、頷いた。
「わかってる」
 きっぱりと、彼女は言った。
「生き物ってそういうものよね。知ってるわ」
 ――あの猫……ルナがそうだったように。
「だけど、アンドリューはあたしのために死のうとした。それは間違いよ」
「じゃあ、どうする?」
 オーベロンに問われ、セシリアは即答した。
「あたしの中にある魔力を、使って」
 そうして、アンドリューの死までの時間を引き伸ばして欲しいの。彼女はそう言った。
「ええー? でもそれじゃあきみもそう長くはもたなくなるよ?」
 オーベロンは声を上げる。
 魔術人形の維持には膨大な魔力が必要になる。世界中から魔力をかき集め、きみに費やすシステムをアンドリューはきみの内に遺した。それを他のことにも――アンドリューを生かすために使うとなれば。
「いつまでもつか、ぼくらにだってわからない」
「いいのよ」
 セシリアは言った。
「アンドリューは『ずっと死にかけたまま』だから、魔術なんて到底使えない。あたしの中の魔力が尽きたら、その時は」
 あたしも、アンドリューも、おしまい。
「それがいつのことかは、あたしにはわからないけれど……」
 セシリアは振り向いた。おれは息を呑む――彼女は、わらっている。
「いつだっていいわ。その日が来るまで、アンドリューと一緒にいられるのなら」
 熟れた果実のような瞳を潤ませて。セシリアは、わらっている。
「ねえ、ローイ」
 あなたなら、きっとわかってくれるわよね。
「あたしが守りたいもの――」
 ただ、当たり前のようにあった日常。
 ローイがいて、屋敷の皆がいて。アンドリューがいて。
 それだけでよかった――他には何も、いらなかった。
「セシリア……」
「だから」
 セシリアはくるりとおれに背を向けた。
「妖精の王、オーベロン。ウィザードリィ家最後の当主として――代々受け継がれてきた契約の名のもとに願う」
 その小柄な背中が、こんなにも頼もしく見えたことはない。
 ――アンドリュー。
 おれは目を擦り、思った。
 ――あんたのお嬢様は、立派だよ。あんたが、立派に育てたんだ……この、お嬢様を。
「アンドリューを、」
 セシリアは言う。
「死なせないで――」
「…………」
 オーベロンはひとつ頷くと、その長い手足でひらりと舞った。
 その指先がセシリアの胸元をとんと突き、それを地面に横たわるアンドリューの胸元へ。
「?!」
 まばゆい光の帯がその間を繋ぐように流れ出して、おれは目を瞑る。それと同時に、オーベロンの……いや、妖精たちの合唱が辺りを満たした。何を謳っているものか、おれにその言葉はわからない。だが、それはきっとセシリアの望みを叶えてくれるものだ。
「……アンドリュー」
 セシリアのつぶやきが、ぽつんと溶けた。
「あなたが、あたしを『人形』ではいられなくさせたのよ」
 あたしは創造主の意図を超えてしまった。
 「人形」ではいられなかった。
 ――魔術師(あなた)の破滅を、見てはいられなかった。

 セシリアはいつから知っていたのだろう。自分のこと。アンドリューのこと。自覚はなくとも、無意識では知っていたのだろうか――自分が人間ではないこと。人形であること。アンドリューに創られた存在であったということ……。アンドリューの死を眼前にして彼女の意識の奥底に眠っていたそれらの箍が外れ、溢れ出したのだろうか。そしてそれが、妖精の王を呼んだのか。
 おれにはわからない。わからないけれど、それでも。
 おそるおそる目を開けてみると、そこは一面の光の洪水。セシリアはその渦の中、身じろぎもせずに立ち尽くしている。俯いているのは、きっとアンドリューを見つめているからだ。
 おれは気の抜けたような笑みを零す。
「こんなお嬢様、おれの手に余るに決まってんだろ」
 馬鹿執事。
 さっさと、

「目を覚ませ!」

  × × ×

 いつの間にか見慣れてしまった、王宮の一室。
 話を聞いていたリュミエール殿下はため息をつき、ふかふかのソファに並んで座るあたしとアンドリューを交互に眺めた。
「なるほどね? それで、アンドリューは魔術師でなくなった……と」
「そういうことだ」
 アンドリューは素っ気なくそう答えた。多分、照れているのだと思う。殿下は、あれ、と声に出した。
「セシリアの前で猫かぶらなくていいの」
「もう無駄だ」
「そうなの」
 あたしは澄ました顔で言った。
「あたしとアンドリューは魔力を通して繋がっているから……まあ、プライバシーは尊重されるべきではあるんだけど」
「そのつもりになれば腹の中が筒抜けだ」
 アンドリューは困ったように――だが決して本気で嫌がってはいない。
「勝手に死のうとするアンドリューがいけないのよ」
「言い返す言葉もございません」
 執事のモードに切り替わり、アンドリューがあたしを見下ろす。その眼差しが変わらず甘い蜜色をしていることに、あたしは安堵した。

 あの夜――オーベロンがあたしを起こしに来たのだ。
「もうひとりのウィザードリィが良からぬことを企んでいるよ」
 と。
 もうひとりのウィザードリィ、とは何のことだろう。思うより先に、あたしの頭の中に映像が流れ込んできた――今よりもっと若い顔のアンドリュー、肖像画でしか見たことのないお父様、お母様。そして……アンドリューが創り上げた「人形」。あたし。あたしの中の、魔力。
 最後に、アンドリューの思惑。泣き叫ぶローイ。
「彼を、助けに行く?」
 オーベロンに尋ねられたあたしは、すぐに頷いた。
「もちろんよ」
 ――あたしが何だって、アンドリューが誰だって、そんなことはどうでも良かった。ただ、あたしは。
 あの優しくて意地悪で嘘つきな、そんなあたしの執事を、どうしようもなく愛していた。

「じゃあ――ふたりの寿命はお揃いってことかい?」
「そうね」
 あたしは頷く。
 アンドリューは黙って、その左の鎖骨の下あたりにある赤い薔薇の形の痣を見せた。その花びらのうちの一つに、ぽつんと黒い点がある。あたしにも、それと全く同じものがある。あの夜、アンドリューが目を覚ますと同時にぽっと浮き出てきて咲いたものだ。
「これが全部黒く染まったら――魔力の終わりだ。おれは死ぬし、セシリアもまた、元の姿にかえる」
「元の姿?」
「ああ」
 あたしはじっと黙っていた。自分が人間ではなかったということ――それはなかなかに衝撃的な事実のはずなのだけど、今となってはどうでも良かった。
 アンドリューがいて、うちにはローイがいて。みんながいる。そのことが変わらなければ、それでいい。
「そう……」
 殿下は目を伏せて小さく呟いた。
「……まさか、こんなことになるなんてね」
 ――ぼくはただ、兄を殺した魔術師が、魔術が憎くて。
「お前のせいじゃない」
 アンドリューはあっさりとそう言った。
「魔術は終わるべくして終わる、そのはずだったんだ。そもそも『魔術人形』を作り出したのはおれだし、それに――」
 アンドリューはあたしの頭を優しく撫でる。その掌は、昔から少しも変わらない。
「おれは後悔していない」

 セシリアを創ったこと。
 セシリアと出会えたこと。生きたこと。
 セシリアに生かされたこと。
 これからも、共に生きること。

「……いつか、」
 共に死ぬことも。

 あたしは微笑んで、そして言った。
「殿下。これからも、あたしたちと仲良くしてくださる?」
「…………」
 殿下は驚いたように目を見開いて、そうしてあたしの差し出した手をそっと握る。
「……無論だ」
 君たちが、そう望んでくれるのなら。
 あたしは頷いた。

 あたしはセシリア・ウィザードリィ。
 あたしが生きて死ぬその日まで。あたしを取り巻くこの世界を愛してやまないだろう――。