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The Adelsheim

 アーデルハイムは大陸一有名なサーカス団だ。それがもうすぐこの街にやって来るらしいと聞いたあたしは、早速あたしの執事の元へと走った。あたしのスケジュールを管理しているのがこの男だってことくらい、あたしはとっくに理解しているからだ。
「見に行きたいわ!」
 執務室で書類をめくっていた彼は、その黄金色の瞳を細めてわざとらしく嘆息した。
「さて、そんなに高名なサーカス団でしたらば、チケットが取れますかどうか……」
「アンドリューがその気になれば、何だってできるでしょう?」
「買いかぶりですよ、お嬢様」
 苦笑いを浮かべ、彼は言う。
「お嬢様がサーカスにご興味がおありとは、存じ上げませんでした」
「見に行ったことないもの」
 庭師見習いのローイが、昔盗み見たというサーカス団の様子を教えてくれたのだ。もちろん、アーデルハイムほど大きなものではなかったというが、それでもとても面白そうだった。
「虎が火の輪をくぐったり、人が高いところを飛んだりするっていうわよ。まるで魔法みたいじゃない!」
「魔法ではありません、からくりがあるのです」
「同じことよ」
 彼は困ったように首をかしげた。
「……また別のサーカス団が来た時にでも、参りませんか。アーデルハイムは規模が大き過ぎます」
 彼の渋る口調を聞いていて、あたしはふと怪訝に思った。
「アンドリューは、アーデルハイムを知っているの?」
「……いいえ」
「本当に?」
「私がお嬢様に嘘をついたことが一度でもあったでしょうか?」
「…………」
 それなりにあったような気がするのだけど。あたしの沈黙をどう受け取ったのか、アンドリューは肩をすくめ、笑顔であたしを見つめた。
「まあ、善処致します」
「……お願いね?」
 あたしは念を押し、アンドリューの部屋を後にした。

 あたしの名前はセシリア・ウィザードリィ。ウィザードリィの姓を名乗っているのは、国中を探しても今はもうあたしだけらしい。あたしのお父様やお母様は、あたしがまだ小さい時に馬車の事故でお亡くなりになっていて、その頃のことを知るのはあたしの執事――アンドリューだけだ。
 でも、寂しくはない。あたしにはアンドリューもいるし、庭師見習いのローイもいる。メイド頭のノラもいるし、他にもたくさんのひとたちが、このお屋敷のために働いてくれている。それなのにあたしが寂しがったりしたら、きっとばちがあたるに違いない。
 庭に咲いている青い薔薇を一輪、届けてくれたローイに礼を言い、あたしはアンドリューとの交渉について話をした。
「何となくだけど、アンドリューはあたしをアーデルハイムに行かせたくないみたいなの」
「へえ?」
 ローイは褐色の瞳をぱちぱちと瞬いた。彼はこのお屋敷の中では唯一、あたしと年の近い存在だ。自然、あれこれといろいろな話をしてしまう。
「何でだろうな? あいつ、おまえには大概甘いのに」
「そんなことないわ。アンドリューは厳しいのよ。ローイは知らないだけ」
「厳しくしているのは、おまえのためにそうした方がいいってところだけだろう? おまえを甘やかしすぎて駄目にしないためにさ。おれから見ると、おまえはものすごく大事にされているよ」
「……うう」
 あたしは唇を噛みしめた。たぶん、ローイの言うのは正しいのだろう。ローイはあたしとふたつかみっつくらいしか年が変わらないはずなのに、時々妙に大人びてみえる。彼に言わせると、それは人生経験の差なんだそうだ。
「おれも見に行きたいなあ、アーデルハイム」
「じゃあ、アンドリューに頼んであげるわよ」
「い、いいよ! そんな」
 ローイは慌てたように手を振った。
「そういうつもりじゃないんだ。単純に、羨ましいなって思っただけで」
「いいじゃない。一緒に行きましょうよ。お出掛けは、大勢の方が楽しいわ」
 あたしがそういうと、ローイは目を大きく見開いて、やがてふうとため息をついた。
「アンドリュー、怒らねえかな……」
「怒らないわよ。あたしがお願いするんだもの、『ローイと一緒に行きたい』って。ローイは付き合わされる側なの」
「……悪いな」
「だから、ローイは悪くないんだってば」
 ローイをじっと見つめる。彼はやがてなぜだか少し顔を赤くして、目をふい、と逸らした。
「あ、ありがとう」
「ううん」
 善は急げだ。あたしはその足でアンドリューの元に向かい――そして、何も言う前にアンドリューから三枚のチケットを差し出され、思わず叫び声をあげることになった。チケットはあたしと、アンドリューと、そしてなんと、ローイの分だというのだ!
「アンドリューだいすき! ありがとう!!」
 抱きついてお礼を言うと、彼は少し笑ったようだった。
「どういたしまして」
 軽々とあたしを抱き上げてくれる彼の腕は、いつも通りに優しくて、あたたかい。あたしはすました顔の彼の頬に、小さくキスを落とした。

 アーデルハイムの公演最終日は月のない夜だった。
 あたしたちは馬車に乗り込んで出掛けていく。街の外れに、大きなテントが立っているんだそうだ。あたしとローイはわくわくして、馬車の中でも落ち着かない。アンドリューはそんなあたしたちを、苦笑いを浮かべて眺めていた。
 ローイはいつもよりもおめかしをしていて、それが結構良く似合っている。仕立ての良さそうな紺のブレザーを羽織った彼は、アンドリューを見上げた。
「なんか、悪いな。おれの分まで……チケットの金、おれの給料から引いてくれていいからさ」
「子供がそんな心配をする必要はありません」
 アンドリューはそう言い、そして少しばかり人の悪い笑みを浮かべた。
「それにあのチケットは、あなたの給料一か月分では到底足りませんよ?」
「ええ?!」
 ローイは青褪める。
「セシリア様を一般席に座らせるわけにはいかないでしょう? もちろん、特別席を用意してもらいましたからね」
「ううう、おれは一般席でも良かったのに……」
「お嬢様は、あなたと一緒に見たかったのですよ。ローイ」
 アンドリューはあたしに視線を投げた。あたしは大きく頷く。
「まあ、これはあなたへのボーナスということにしておきましょう」
 あたしは馬車の窓から外を覗き、あっと声を上げた。
「もしかして、あれがアーデルハイムのテント?」
 それは、あたしが思っていたよりもずっと大きなテントだった。まるで王冠のようなかたちをしたそのテントの先端は、この街で一番高く聳えている教会の尖塔と同じくらいか、それよりも少し高いかもしれない。ぐるりを囲むように灯火が立てられていて、テントの表面はその光を反射して七色の虹のような光沢を放っている。
「すげえな」
 ローイも隣で顔を覗かせ、感嘆の声を上げている。
「前に見たサーカスとは全然違う」
「楽しみね、アンドリュー!」
 くるりと振り返ると、アンドリューははっとしたように顔を上げ、にこりと微笑んでくれた。けれど、その表情の少し前に、一瞬アンドリューがものすごく真剣な顔をしていたのを、あたしは見逃してはいなかった。でも、どうしたのかと聞いても、アンドリューはきっと教えてくれないだろう。彼をいたずらに困らせたくはないから、あたしは何も聞かなかった。
「ローイ」
 馬車が止まると同時に、アンドリューはローイの名を呼んだ。
「決して、お嬢様の側を離れるな」
「え?」
「それから――」
 アンドリューは、ぽつりと付け加える。
「いざというとき、自分の身は自分で守れ」
「…………」
 あたしの手をとり、アンドリューは馬車から降りる。ローイとあたしは顔を見合わせ、どちらともなく首をかしげた。

 アーデルハイムの舞台は素晴らしかった。あたしたちの座席は舞台から近い特別席の中の、ちょうど正面から少し右に外れた場所で、真正面よりは迫力が劣るのかもしれないけれど、それでも十分過ぎるくらいで、あたしもローイも時々大声を上げてしまったくらいだ。あたしたちだけじゃなく、テントの中ではずっと観客が笑ったり驚いたりで、大騒ぎだった。
 たとえば――綺麗な女の人が男の人の肩の上に立ち上がったかと思うとひらりと舞い上がって、ちょうど頭上にわたされていた紐からぶらさがった男の人の手を取り、さらに宙高くへ飛んでいく。そうして天井からつりさげられていたブランコにひらりと座って、優雅にそれを漕いでみせるのだ。ちょうど背中に羽を思わせるような装飾がついていて、まるで天使が空を舞っているかのようだった。
 大きな虎が炎の輪をくぐり抜けたり、大人の背丈よりもずっと大きな直径のボールの上をピエロが走り回ったり。張り巡らされた紐と棒の隙間を縫って、男の人や女の人が縦横無尽に飛び回ったり、ピエロの掲げた空っぽの小さな鳥籠から、真っ白な鳩が何十羽も飛び出してきてあたしたちの頭上を飛び回り、そしてまた別の小さな籠の中へと帰って行ったり。舞台一面に一瞬で赤い薔薇が咲いて、ぱっと散った時には、あまりの鮮やかさになんだかくらくらするほどだった。
 次から次へと繰り出されるショーに、あたしたちの目は釘づけのまま時間が過ぎ、そして――ふ、とテントの中が暗闇に満ちたかと思うと、ぼんやりと舞台の上だけが薄明かりに照らされた。そこに佇んでいるのは、真っ黒なマントに身を包んだひとりの男性。腰まで届きそうな長い黒髪はまるで女性のようだけれど、あんな体格の女性はいないだろう。両目を隠すような仮面をつけた彼は軽く一礼して、そして――。
「…………?」
 不意に、あたしの手をアンドリューが強く握りしめた。
「どうしたの、アンドリュー?」
 声を押し殺して尋ねるが、彼は何も言わない。ただその横顔があまりに険しいので、あたしはあんなに夢中で見つめていた舞台のことを、一瞬忘れ去ってしまったくらいだった。
「アンドリュー?」
「消えた?!」
 叫び声は、左隣にいたローイのものだっただろうか。
 ――手が。
 アンドリューの手が、離れた。それに気付いた時は、既にあたしの視界は真っ黒に閉ざされていて。
『見つけたよ、お姫様』
 その声を最後に、あたしは気を失った。

  × × ×

「馬車のところに戻っていろ!」
 アンドリューの言葉に、ローイは青ざめた顔でうなずいた。
 舞台の上から、突然男が消えた。それと同時に彼らの前から、セシリア・ウィザードリィが姿を消してしまったのだ。その直前、舞台の上にいたはずの長髪の男の残像が、ローイの目の前を通り過ぎたような……。
「おまえはセシリアを探すんだろ?」
 アンドリューはちらりとローイを見て頷くと、そしてさっと観衆の中に姿を消してしまった。あの男が消えた直後、明かりは元に戻り、先程ショーの終了が宣言されたようである。
 ローイはぶるりと体を震わせた。途中まではセシリア同様、純粋に楽しんでいたのだが、ある時ふと疑問を抱いてしまったのである。
「……なんか、からくりとかのレベルじゃなかった気がするんだけど」
 ――まるで、魔術でも使ったかのような。
 ローイがウィザードリィ家に仕えるようになるきっかけとなった、例の「ヴァンパイア事件」を思い出す。それに遭遇するまでは、ローイも他の常識人同様、魔術など伝説かお伽話の一種に過ぎないと思っていた。だが、そうではない。この世には確実に、魔術師と呼ばれる人種たちがいて――そのうちのひとりが、あのアンドリューという男なのだ。
「もしかして、あの男も……?」
 最後に舞台の上に現れた、黒い男。あの男の気配はどこか――誰かに、似ていたような気がした。

 ローイがウィザードリィ家の馬車に戻った頃。
 テントの頂上には黒い筒のようなシルエットが伸びていた。舞台の上にいた、あの男である。長い黒髪が弱い風にちらちらと靡いていて、その腕の中では小さな少女が――セシリア・ウィザードリィが、深く眠りこんでいる。
「かえしてもらおうか」
 その声に、男はゆらりと振り向いた。彼の背後、正装に身を包んだアンドリューがふわりと宙に浮いている。
「アンドリュー・ウィザードリィ」
 男はその名をつぶやくと、片手でゆっくりと仮面を取り去った。冷たく光る青い眼差しが、アンドリューを見据える。
「人のものに手を出すのは行儀が悪いと、協会で習わなかったか?」
 アンドリューは薄笑いを浮かべながら、男を見下ろした。
「シャルル・レーゼ」
「ふん」
 シャルルと呼ばれた男は、アンドリューの言葉を鼻で笑った。
「おれは、おまえが協会から盗み出したものを返してもらいにきただけだ」
「へえ? そんなものがあったか?」
「ここにあるんだろう?」
 シャルルは腕の中の少女を示した。
「この人形の中に――な」
「それは人形じゃないし、その中には何もない」
「なら、ばらばらにして探し出してやろうか?」
「殺すぞ」
 シャルルの造りものめいた美貌に酷薄な笑みが浮かび、対峙するアンドリューの表情から笑みが消えた。
 シャルルは言う。
「このままでは、魔術は滅びてしまう――忌々しい科学者どもに思い知らせてやらねば」
 魔術への迫害を逃れるため、シャルルらはこうしてサーカスを隠れ蓑にして大陸を彷徨っているのだ。魔術の素養のないものには単なる奇術にしか見えないだろうが、魔術師ならばきっと気付くはず。そうやって隠れ棲む魔術師たちを引き入れ、少しずつ仲間を増やし、そしていつか……。
「興味がない」
 アンドリューはあっさりと遮った。
「どれほど強大な魔力を持った魔術師でも、科学には勝てない。勝てない以上、退場するより他あるまい。魔術の時代は終わりだ」
「なっ……?」
 シャルルは眉をつり上げる。
「おまえ、それでも本当にウィザードリィか?!」
「おれはアンドリュー・スコットだ。ウィザードリィじゃない」
 彼はそう言うと素早く上着の中から拳銃を取り出し、引き金を引いた。パン、と乾いた破裂音。シャルルは悲鳴を上げ、肩を抑えてがくりと膝をつく。
「頭を狙ったつもりだったが……外したな」
 アンドリューはゆっくりとシャルルに近付き、やがてその顎を強く蹴り上げた。
「がっ……!!」
 彼の腕からセシリアを奪い取り、アンドリューは這いつくばったシャルルをそのままに背を向ける。
「どれだけ魔術に長けていても、銃弾一発止められない。どれだけ急いで魔術師が魔術を展開するより、素人が発砲する方が早い」
「ぐ…………」
 シャルルは荒い息をつきながらアンドリューを睨みつけた。アンドリューはその視線に気付いているのかいないのか、わずかに振り返る。
「所詮、曲芸師がお似合いってことだよ――我々魔術師なんてのはな」
 そして、付け加える。
「次は、ないと思え」
「…………」
 テントの周囲の灯火が消えていく。暗闇の中、その頂上には――誰もいなかった。

 馬車の扉が開き、セシリアを両腕に抱いたアンドリューが乗り込んできた。ローイはぱっと顔を明るくする。
「良かった、無事なんだよな?!」
「当然だ」
 アンドリューはセシリアを膝に乗せて座席に座り、御者に馬車を出すよう指示した。
「おれがこいつに傷をつけることなど、許すと思うか?」
「……なんか、さ」
 ローイは不意にうつむいた。
「ごめんな。元はと言えば、セシリアにアーデルハイムのこと教えたの、おれだし。余計なこと言わなきゃ、セシリアが危険な目に遭うことも……」
「おまえのせいじゃない」
 アンドリューはローイの言葉を遮る。
「本当に行かせるべきではないと判断したなら、おれはそもそもチケットを取ったりはしない。最終的に許可を出したのはおれだ。責任はおれにある」
「…………」
「セシリアは、楽しそうにしていただろう?」
 ローイは顔を上げる。アンドリューはひどく優しい顔で、眠るセシリアの頬に触れていた。そうっと壊れ物を扱うように、その長い指で白い肌をたどる。
「う……うん」
「それなら、いいんだよ」
 ――怖い記憶は、ちゃんと忘れさせてやるから。
「それに……」
 アンドリューは言葉を切り、そして薄く微笑んだ。
 ――次の瞬間、ぱっ、と外が明るくなった。ローイは驚いて窓から外を覗く。
「あ……!」
 アーデルハイムのテントが、燃えていた。
「か、火事……?」
「…………」
 アンドリューは、少しも驚いていない。ただ少しだけ笑みを浮かべ、黙ってセシリアを抱いている。彼の腕の中、愛らしい少女は寝息を立てて眠っていた。
 月のない夜を焦がし尽くすかのような炎。アーデルハイムが、燃えていく。
 ――最初からそのつもりで? セシリアすらも、もしかすると囮に過ぎなかったとか……いや、まさか。
 遠ざかっていく炎を見つめながら、ローイはぶる、と体を震わせる。一番危険なのは、アーデルハイムでも魔術師でもなく――多分、目の前にいるこの執事に違いない。
「お目覚めになりましたか、お嬢様」
「う……」
 それでも、セシリアを見つめるその優しい眼差しにだけは、嘘はないと信じたい、いや、そう信じている。ローイは強く、そう思った。