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Roy Howell II

 とにかく、今日のおれはそわそわと落ち着かない。当たり前だ、なんだって元はストリートチルドレンだったおれが、こんな……こんなところに。こんな人の前に。
 大きなテーブルを隔てておれの向かいに座るその人物は、朗らかに笑って言った。
「ローイ・ハウエル、そんなに固くならなくても良いよ?」
 そう言われても。おれは困ったように引き攣った笑顔を浮かべて、そして隣に座るお嬢様をちらと眺めやった。彼女こそ、おれがこんな場違いなところに来る羽目になる原因の大元なのである。
 セシリア・ウィザードリィ。
 名家ウィザードリィ家の当主にして、おれの雇い主である。
「ローイ、どうしたの? 今日はあまりしゃべらないのね?」
 クッキーを頬張り、すました顔で首を傾げるセシリア。甘くいい匂いがしてはいるが、おれはもう、何も喉を通りそうにない。
「普段はもっとよく話すの?」
「ええ、そうですわ殿下」
 セシリアはすましたものである。お前も普段はもう少し砕けた話し方をするだろ――などとは言えるはずもなかった。
 殿下、と呼ばれているこの目の前の青年。彼はまさに殿下なのであって、つまりはどういうことかというと、彼の名はリュミエール・ド・エルシアン殿下、国王陛下のご子息で、ええと、彼はこの国の王子様、ということになる。
 王子様である。
 おれの目の前に、王子様。気後れするなという方が無理難題である。
「まあ、急に来てもらってしまったものね、驚いたかい?」
「え……ええ、まあ」
 おれはもごもごとつぶやいた。
 今朝突然あいつに――ウィザードリィ家の執事であるアンドリューに叩き起こされ、真新しい綺麗な洋服に着替えるよう言われ、おれはシリアとともに馬車に詰め込まれて、訳もわからず連れて来られたのが王宮である。無茶苦茶だ。おれにも心の準備ってものがある。だがその文句を言うべき相手、アンドリューはさっさと席を外してしまった。全く、どうなっているんだ。
 リュミエール殿下は長いブロンドをさらりと指先ではらい流した。当たり前だが、いちいち仕草が優雅だ。
「すまないね、ぼくがアンドリューに無理を言って連れてきてもらったんだ」
「アンドリュー……」
 おれはぽつりと呟いた。
 ――ウィザードリィ家の執事、アンドリュー・スコット。またの名、否、真の名をアンドリュー・ウィザードリィ。この王子は、彼の本当の名を知っているのだろうか。セシリアに仕える忠実な執事の顔の裏にある、傍若無人かつ強大な魔術師の顔を。
 きっと知っているのだろうな、とおれは思った。なんの根拠もない。おれの、それこそストリート時代に培われた勘である。
 リュミエール殿下は無理におれに話し掛けることはせず、セシリアと他愛もない会話を楽しんでいた。例えば、このクッキーはメイド頭のアメリアが祖母から教わったレシピで、リュミエールが幼い頃から少しも味が変わらないのだとか、この紅茶にはオレンジのジャムがとてもよく合うのだとか。ちなみに、セシリアの一番好きなのはブルーベリージャムで、いつもパンの上に零れそうなほどに載せている。
「昔一度、父上の真似をしてブランデーをひと匙紅茶に入れてみたら、ひどく酔っ払ってしまってね。ひどい目にあった」
 リュミエールはくく、と笑った。
「何が起こりましたの?」
「ぼく自身はあまり覚えていないのだけど……。何せ、随分部屋を散らかしたみたいだ。ひどく叱られたよ」
 今は少しくらいは飲めるようになったけどね、と付け加える。
 おれはというと、それなりに小さい頃からそのへんのおっさんに冗談混じりに安酒を舐めさせられたりはしていて、そんなに弱くはない。だが、わざわざそんなことを口に出す必要もないだろう。おれは黙って愛想笑いを浮かべていた。
「ぼくは母を早くに亡くしていてね」
 リュミエール殿下は不意に言った。悲劇的にではなく、ただ事実を語っているだけといった風の、淡々とした口調である。
「父は無論執務で多忙だから……、ぼくはこの城の皆に育てられたようなものなんだ」
「あら」
 とセシリアがおれを見た。鮮やかな赤い瞳が瞬く。
「じゃあ、あたしたち皆お揃いね? あたしもお母様たちを知らないし、ローイもそうだもの」
「…………」
 どこがだよ、という言葉はかろうじて飲み込んだ。リュミエール殿下と旧家のお嬢様であるセシリアはまあ、確かにお揃いと言ってもいいかもしれない。でも、さすがにおれは違うだろう。セシリアに悪気はないのはわかっているから腹は立たないが、ああ、やっぱりこの子は深窓のご令嬢なのだなあとつくづく思い知らされただけの話である。
「でも、君にはアンドリューがいるだろう?」
 リュミエールは微笑んだ。
「殿下はアンドリューのこと、昔からご存知なのですか?」
「……いや、」
 セシリアは興味津々といった様子だが、リュミエール殿下は眉一つ動かすことなく答えた。
「彼は長くウィザードリィ家に仕えているから、前から時々顔を合わせる機会があったのさ」
「…………」
 それだけのはずがない、とおれは思う。セシリアは騙せるかもしれないが、おれはそういう訳にはいかない――だからといって、おれに何かできるわけではないし、何かするわけでもないのだが。
 いや、もしリュミエール殿下がセシリアを、彼の何かしらの思惑に巻き込もうとしているのなら。もしもそうだとするなら、おれは……。
 
「ねえ、セシリア」
 リュミエール殿下は不意に彼女に話し掛けた。
「君にプレゼントがあるんだけれど」
「プレゼント?」
 セシリアが首を傾げる。
「お誕生日はまだ先……」
「ああ、そんな大層なものじゃないよ」
 リュミエール殿下は笑った。
「父が昔世界各地から集めた絵本なんだけれど、ぼくももうこの年だし、あまりそういった方面に造詣も深くなくてね――セシリアが気に入ったものがあれば、持ち帰ってもらえないかなと思ったんだ」
 どれもこれも、とても綺麗ではあるんだよ。それを聞いたセシリアは顔を輝かせる。
「ほんとう? 見てみたい!」
「そう、ならメイドに案内させるよ」
 リュミエール殿下は笑ってベルを鳴らした。すぐにメイドが現れて、お呼びでしょうかとうやうやしく腰をかがめる。
「セシリアに、父の絵本を見せてあげて。気に入ったものがあれば後で届けさせるから、その手配も」
「かしこまりました」
「ありがとうございます! リュミエール殿下」
 セシリアは椅子から降りて、丁寧なお辞儀をする。さすが、名家の子女に相応しい立ち居振る舞いである――アンドリューがきちんと躾けてきたんだよなあ、などとおれはぼんやり思った。
「じゃあ行ってくるわね、ローイ」
「お、おう」
 ちょっと待て、おれはこのまま放って置かれるのか――まさか、殿下と二人きりか?!
 内心で慌てふためくおれを他所に、セシリアはメイドに連れられて部屋を出て行ってしまった。
 ――まじかよ……。おれは呆然とその後ろ姿を見送る。
「さて、ローイ・ハウエル」
 リュミエール殿下に名を呼ばれ、おれはおそるおそる彼を見た。細められた碧眼には、先程までのような甘い色はない。口元は笑っている、けれどそれはどこか人を食ったような、それともこちらを試しているかのような……。
「今日の本題はここからだよ」
 リュミエール殿下はそうおれに告げ、にやりと人の悪い笑みを零してみせたのだった。
 ああ、さすがアンドリューの知り合いだわ、とおれは思う。どいつもこいつも、セシリアの前では猫を被りやがって……。

 リュミエール殿下は――いや、もうリュミエール、でいいだろう。彼は行儀悪く足を組んでふんぞり返ると、にやにや笑いながらおれを眺めた。
「で? 君はセシリアのことを――いや、ウィザードリィ家のことをどこまで知っている?」
「…………」
 おれは目まぐるしく頭を巡らせた。どう答えるのが正解だ? ただのカマかけかもしれない、安易なことを口にしてはセシリアやアンドリューに迷惑が掛かる……しかししらを切るのが正解かどうかもわからない。わざわざ王子自らがおれと話そうとしているのだ、きっとそこには思惑がある。それを知ることは、彼らにとってもマイナスではないのかもしれない。
 考えを巡らせ答えられないおれに、リュミエールは、ふ、と笑った。
「なるほど、アンドリューが番犬に選んだだけのことはあって馬鹿ではないようだ」
「…………」
 おれは黙ってリュミエールを見返す。随分な言われようではあるが。別に腹は立たない。いちいちこんなことで苛立つような、そんなぬるい人生を過ごしてきたわけではないのだ。
 しかしアンドリューにせよリュミエールにせよ、セシリアの前とおれの前とでよくもこう態度を変えられるものだ。
「お前はお人形遊びが好きか?」
 不意に、リュミエールが質問を変えた。おれは注意深く言葉を選び、答える。
「おれは……そういう遊びは、したことがないのでわかりませんが」
「へえ?」
 面白がるような相槌。おれは続ける。
「でも……人の形をしているものであれば、おれは人とみなしたい。それに、おれは馬鹿だから、人と人形との区別はつかないかもしれません」
 セシリアが本当は何であっても――その正体がたとえ魔術師アンドリュー・ウィザードリィによって作られた魔術人形であったとしても、それはおれには関係ない。
 セシリアは生きている。日々笑い、怒り、時には泣き――彼女は生きている。そこにはひとつも作り物なんかない。少なくともおれはそう思っている。
「…………」
 リュミエールはしばらくおれをじっと眺めていたが、やがてふっと笑って目を逸らした。
「そうか」
「…………」
 おれはこれ以上下手なことを言うまいと口を噤む。リュミエールは気にする様子もなく勝手に言葉を続けた。
「魔術の時代は終わりだ――ぼくが終わらせる」
 ――だが、そのためには魔術師の尽力が必要なのだ。
「この世に残る最後の魔術師とその人形」
 リュミエールはその目を細め、まるで独り言のように――しかし間違いなくそれはおれに聞かせるためのものだろうけど――言った。
「彼らの出方次第では、ぼくの目論見は失敗してしまうだろうね」
「…………」
 おれは何も言わない。リュミエールはそんなおれを眺め、ふふ、と笑った。
「まあ、あの男も馬鹿じゃない。ぼくをわざわざ敵に回すような行動は取らないだろうけど」
「……セシリアは」
 おれは思わず、それを口にしていた。
「彼女はただの、子供です」
「……ただの?」
「はい」
 寂しがりやで甘えん坊で、それなのに少し背伸びをしたがる、甘いものが好きで、好奇心と正義感の強い――そんな、ただの子供だ。
 魔術の行く末なんてどうだっていい。アンドリューの思惑も、リュミエールの思惑も、セシリアには関係ない。関係ないはずだ。
 生まれたものが普通に生きて、何が悪い。
 王子だろうが魔術師だろうがストリートチルドレンたろうが、そしてたとえ魔術人形であろうが。この世に縁あって生まれ落ちたのだ。生まれた限りは生きていい。そのはずだ。
「…………」
 リュミエールは軽く顎を撫でながら、宙を睨む。そして、ふ、と口元を緩めた。
「まあ、君がそのつもりならそれでいいか」
「…………」
 おれはじっと彼を見つめる。不躾であろうが知ったことか。リュミエールは、しかし気を悪くした様子もなかった。ふと、その澄んだ青い眼差しを翳らせる。
「……無条件に生きていていいと、そう認めてくれる存在があるということは……彼女は幸せだな」
「…………」
 王子様ともあろうものが、一体何を言っているのか。国を挙げて庇護され、国民からの敬愛を一身に集める、それこそおれたち明日をも知れぬ、誰にも見向きもされぬストリートチルドレンとは対極の、そういう存在ではないのか――。
 おれの眼差しに気付いたか、リュミエールは小さく笑った。
「まあ、ぼくにもいろいろあるということさ」
「……はあ」
 おれが何とも気の抜けた返事をしたその直後、部屋の扉が開いた。そこには興奮したのか頬を赤くしたセシリアと、その手を引いた執事、アンドリューの姿がある。アンドリューは控えめに口を開いた。
「殿下、本当によろしいのですか?」
 彼がセシリアにあげるといった絵本のことを言っているのだろう、リュミエールは微笑んだ。
「うん、いくらでもいいよ」
「ありがとうございます、殿下!」
 セシリアは丁寧にお辞儀をした。
「大切に読ませていただくわ」
「その方が、ここの書庫で埃をかぶるよりずっといいさ」
 ――その優しげな眼差しに嘘はない、ように見える。
「そろそろお暇致しましょうか、お嬢様」
「そうね」
 アンドリューに視線で呼ばれ、おれは一礼し椅子を降りて彼の側へと歩み寄った。
「ローイ」
 リュミエールは、何故かおれの名を呼ぶ。
「君はいい男だね」
 何故だかそんなことを言うと、彼は、また会おう、とそう言った。

  * * *

 ウィザードリィの屋敷に戻った後、アンドリューは私室におれを呼び出した。
「殿下に何か言われなかったか」
「……別に、たいしたことは言われてない」
 おれは正直に答える。
「ただ、おれは」
 ――セシリアはただの子供だって、そう言ったんだ。
「おれにとっては、おれを拾って雇ってくれた、優しいお嬢様だ。……それだけだ」
 アンドリューは少しだけ目を見開いておれを見下ろし、そしてやわらかに微笑んだ。
「そうか」
 その表情は、どこかあの時リュミエールが見せた笑みに似ているような――無条件に生きていていいと、そう認めてくれる存在があるということは……彼女は幸せだな。
「お前はそのままでいてやってくれ」
「……アンドリュー」
 おれは彼の名を呼ぶ。
「おれにとっちゃ、おまえも同じだ。おまえも、おれの恩人で――それで」
 ああ、そうだ。
 おれにとって――家族を知らぬおれにとっては、セシリアとアンドリューが、このウィザードリィ家が、おれの家族なのだ。
「……だから」
 失いたくない。
「…………」
 アンドリューは俯くおれを見下ろし、そしておれの頭を軽く撫でた。
「お前はいい男だな、ローイ・ハウエル」
 リュミエールと同じことを言う。おれは唇を噛んだ。
「だから……」
 アンドリューは目を細める。
「お前の期待に応えられるよう、尽力するよ」
 はっと顔を上げたおれの目の前で、アンドリューは呆れるほど透明な笑顔を浮かべて笑ってみせたのだった。