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Lumiere De Elucian

 あたしは怒っている。ものすごく怒っているのだ。
「お嬢様」
 メイド頭のノラが、困ったようにあたしを呼ぶ。
「アンドリューさんは決して、お嬢様を蔑ろにするつもりなどではないと」
「…………」
 あたしは返事をしない。
 そう。あたしが怒っているのは、我が家の執事――アンドリューに対してだ。あたしが物心ついたときから、ずっとあたしに――いや、ウィザードリィ家に仕えている執事、アンドリュー・スコット。両親を知らないあたしにとって、一番近しい大人は彼だ。あたしは彼を信頼しているし、彼を疑うくらいなら自分を疑った方がいいと思っている。だけど、やっぱり許せないことは、許せない。
「お嬢様」
 ノラはため息をついた。
「そりゃあせっかくお城で開かれる晩餐会ですものね? 参加なさりたいお気持ちはわかりますけれど……」
「わかっちゃいないわよ」
 あたしはぼそっとつぶやいた。――別に、あたしは本気でお城に行きたくて仕方がないわけじゃあない。主賓の王子様とやらにも興味はない。あたしが怒っているのは、アンドリューがあたしに隠し事をしたからだ。嘘をついたからだ。王室からあたしに届いた親書を、あたしに内緒で処理しようとしていたなんて。郵便係のメイドがうっかり口を滑らせてくれたからわかったものの、そうでなければあたしの知らないところで全てが終わってしまうところだった。そういうのは、嫌なのだ。もしアンドリューがあたしを行かせたくないのなら、そう言って欲しかった。ちゃんと話してくれれば、きっとあたしは納得できたと思う。あたしは子供だけど、そこまで聞き分けのないお子様ではないつもりだ。それなのに……。
「お嬢様――」
「セシリアお嬢様」
 聞き慣れた、低い声。あたしはそれに背を向ける。
「ノラ、下がっていいですよ」
「は、はい」
 ノラ、行かないで。言うより先に、背後で扉が閉まる音がした。――アンドリューとふたりきりになってしまった。あたしは焦る。アンドリュー相手にどこまで威勢を張ることができるのか、正直自信がなかった。
「お嬢様」
 ぐるりと回り込んできたアンドリューから、顔を背ける。だが、あたしの目の前にひざまずいたアンドリューは、その両手であたしの頬にそっと触れた。――ぴく、と体が震える。おそるおそる目をあわせると、アンドリューはひどく優しい目であたしを見つめていた。彼の手の触れている場所に、熱が集まる。
「あ、あのね、アンドリュー」
 うわずった声。あたしは口早に言った。
「あたし、怒ってるのよ。今回ばっかりは謝ったりしないから。悪いのは、」
「申し訳ございませんでした」
「アンドリューなん……え?」
 思わず聞き返す。アンドリューは真っ直ぐにあたしを見て、そして繰り返した。
「わたしが間違っておりました。申し訳ありませんでした」
「…………」
 どうしよう。この展開は予想していなかった。
 言葉を失ったあたしに、アンドリューは優しく微笑みかけた。
「お嬢様を甘く見ておりましたね。あなたはまだ幼いけれど、立派なウィザードリィ家のご当主だ」
「そうよ。だってもうすぐ十になるんだもの」
「ええ、そうですね」
 アンドリューはそう言って頷いた後、あたしの膝の上にはい、と一通の封書を置いた。特徴的な封蝋――王家の紋章がくっきりと浮かび上がっている。
「これは、あなたにきたものです。リュミエール・ド・エルシアン王子から、あなたへ。晩餐会のお誘いです」
「……行かない方が良いの?」
 あたしの問いに、アンドリューは意外そうにその金色の目を見開いた。――あたしはそこまであさはかではないのだ。アンドリューがあたしに知らせる前に断ってしまおうと考えたのには、それなりの理由があるはずだ。アンドリューのあたしへの忠誠心を、あたしはちっとも疑ってなどいない。
「あたし、アンドリューがやめておけというならお断りのお返事をするわ。別に、あたしは王子なんかに興味ないもの」
 あたしの言葉を聞いて、アンドリューは笑った。
「殿下がその言葉をお耳にされたら、きっと悲しまれるでしょうね」
「あら、アンドリューは王子と知り合いなの?」
「……少しね」
 アンドリューは一瞬だけしまった、というような表情を見せたが、すぐにいつもの飄々とした顔に戻った。アンドリューに隠し事があるのは今に始まったことじゃないから、別に今更驚かない。全部教えてくれなきゃいや、って駄々をこねるほど、あたしは子供ではない。あたしにだってアンドリューに秘密にしていることくらいはある。――アンドリューが本当に気付いていないかどうかは別問題だけれど、でもお互いに知らない顔をしている。おとなの付き合いってそういうものでしょう?
 あたしはアンドリューに尋ねた。
「じゃあ、もしあたしが行きたいって言ったら、どうするの? 行かせたくないから、あたしに秘密にしたんでしょう?」
「……ええ、まあ」
 アンドリューは少し目を伏せた。何かを考え込んでいるようだ。
「しかし、いつまでも断り続けるわけには参りません……そうですね、セシリア様も立派にご成長しておられますし……」
「何をごちゃごちゃ言ってるの」
 あたしはとん、とアンドリューの腕の中に飛び込んだ。彼は慣れた様子で危なげなくあたしを受け止め、抱き上げる。――子供じみている、とは言わないで欲しい。
「どっちでもいいわ、アンドリューが決めて。それから」
 美味しいケーキとお茶を用意して。
 あたしを見たアンドリューは、やわらかく微笑んだ。
「かしこまりました、お嬢様」

 それからひとつきほど後のこと。あたしはアンドリューと一緒に馬車に乗っていた。お城へ向かっているのである。
 結局、アンドリューはあたしを晩餐会に連れて行くことに決めたようだった。今日のためにと新調したパステルグリーンのドレスは、さらさらの生地なのにふわふわに仕立て上がっていて、あたしはとても気に入っている。メイドたちもとても褒めてくれたし、アンドリューも髪を撫でてくれて、しかもモスグリーンのリボンをあたしの髪に結んでくれた。まるでおまもりみたいね、というとアンドリューはお嬢様は賢いですね、と言って困ったように笑っていた。。
 アンドリューはというと、シンプルなタキシードを着込んでいる。どこか表情がかたいようだけれど、何か心配事があるのだろうか。目が合うと、アンドリューはいつも通りに笑ってくれるのだけれど。
「お嬢様、お手を」
 城の中に入るとき、彼はそう言ってあたしに恭しく手を差し出した。あたしは素直にそれを握る。
 きらびやかな晩餐会場の中。アンドリューはひどく堂々としていた。あたしは知らないが、すれ違う人々はきっと皆貴族だとか、名だたる人ばかりなのだろう。だが、アンドリューは落ち着き払って挨拶を交わしている。周りの人々は皆あたしを見下ろすと声を揃えて「なんて、可愛らしいお嬢様!」というものだから、あたしはくすぐったいような、恥ずかしいような、なんだか用に居心地の悪い思いをした。ありがとう、なんて言葉は唇の内側で消えてしまう。
 しばらく歩き回って、アンドリューが持ってきてくれた甘くて口当たりのいい飲みものを口にしていたとき。
「やあ、アンドリュー!」
 背後から一際目立つ快活な声がして、あたしの手を握るアンドリューの指先がぴくりと震えた。あたしはくるりと振り返る。そこに立っていたのは、たぶんまだ二十歳は超えていないくらいの、若い男の人だった。長い金髪をゆるくゆわえ、高価そうな宝石で飾られた真っ白なタキシードを着ている。周りの人々が恭しく会釈していくのに対して、鷹揚に手を挙げてこたえていた。もしかすると、彼が――。
「リュミエール・ド・エルシアン殿下」
 アンドリューは慇懃に頭を下げた。
「ご無沙汰しております」
「久しぶり! ところで、その子が」
 彼の蒼い目が、あたしを見下ろして細められた。
「君のお嬢様かい? アンドリュー」
「はじめまして、殿下」
 あたしは膝を折り曲げてお辞儀をした。とびきりの笑顔を浮かべる。――アンドリューの躾がなっていないと、思われるわけにはいかなかった。
「セシリア・ウィザードリィと申します。お招きいただき光栄ですわ」
「…………」
 リュミエールはぽかん、と口を開けた。
「か……」
 きらきら、とその眼が輝いたような――気がした。
「かっわいいー!!」
 瞬間、あたしの体はひょいと抱え上げられていた。
「アンドリュー?!」
 背後から腕を伸ばしたのは、アンドリューである。宙に浮いたあたしの足元では、腕を広げた王子が、勢い良く床につんのめっていた。
「な、何だよ、少しくらい抱っこさせてくれても良いだろう……」
「お嬢様は犬猫の子ではありません、殿下」
「ちぇ」
 王子は行儀悪くぼやきながら体勢を立て直し、アンドリューに抱え上げられているあたしを見上げた。満面の笑みを浮かべる。何だか、不思議な輝きを持っているひとだ。
「何はともあれ、よろしくね! 『魔術師の姫君』。ぼくはきみに会えて本当にうれしいんだから」
「…………」
 変なひと。きょとんとしたあたしの頭上で、アンドリューのため息の音がした。

  × × ×

 弦楽の音を遠く聞きながら、リュミエールは夜風にその長い金髪をなぶられていた。
「主賓がこんなところで何をしている? 今夜はもう満足か?」
 その声は彼のものではない。リュミエールは振り向くこともなく笑みを浮かべる。
「うん。ようやく彼女に会えたからね」
「…………」
 背後に佇んでいるその男に、彼は声を掛けた。
「アンドリュー・ウィザードリィ。ぼくは約束は守るよ」
 年齢よりも大人びた笑顔を浮かべ、リュミエールは空を仰ぐ。
「セシリア・ウィザードリィの存在は、エルシアン王家の名誉にかけて必ず守ってやる」
「約束?」
 小さく笑う声がした。
「契約の間違いだろう? 王子様」
「なんだって?」
 聞き返すリュミエールに、アンドリューは剣呑な笑みを見せた。
「忘れたふりなどしなくてもいいさ。おれが王家を守ることが交換条件だったろう?」
「…………」
 アンドリューの腕の中では、愛らしい小さな少女がすやすやと寝息を立てている。リュミエールは目を細めた。驚くべき力だ。まさか、この少女が……。
 アンドリューはきっぱりと言い切る。
「衰退した『協会』など、おれの敵ではない」
「……また、会いたいな」
 リュミエールはぽつり、と言った。
「セシリアに。会わせてくれる?」
「――嫁にはやらねえぞ」
 小さくつぶやかれたアンドリューのその答えを聞いて、王子は声もなく噴き出した。