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Lumielina La Elucian

 この世にどうして魔力なんてものが生じたのだろう。
 魔術師ならぬ我が身にはわかるはずもないことなのだけれど、それでもふと恨みがましく考えてしまう。
 魔力さえなければ――そして、それを扱う魔術師さえなければ。
 わたしの運命は今と随分違ったものになっていたのではないかと……。

  × × ×

 わたしには年の離れた兄がいた。しかし、もういない。彼は第一位王位継承者であった――アレクシス・ド・エルシアン。
 わたしは兄が大好きだった。聡明で、快活で。贔屓目なんかじゃなく、次期王に相応しい人格だったと思うし、きっと周りの皆もそう思っていた。
 兄は、わたしの誇りだった。
 その兄が、呆気なく病に倒れた――二十一の頃だった。
 父は憤り嘆き悲しみ、治癒の方法を手を尽くして探させた。母は半狂乱だったように思う――あっという間に痩けてゆく頬、熱に浮かされ罅割れた唇。しかし目だけは。兄の両目の力は、決して失われはしなかった。
 兄は病に打ち克つと誓った。決して病魔には屈しないと。窪んだ目をぎらつかせ、焼けるように熱い拳を握り、彼は耐えた。
 そのさまを目の当たりにして苦悩する父の前に、二人の男が現れた。
 一人は大陸でもっとも著名な医師だった――もう一人は、魔術師と名乗った。

 魔術の存在は、数世紀ほど前から公言が禁じられていた。強力な魔術師らの増長、権力抗争、目を覆わんばかりの残虐無比な魔術の研究、それらが原因となったと言われている――しかし禁じられたからといって、魔術そのものが失われてしまったわけではなかった。限られた者たちの間では脈々と受け継がれていて、それは一部の者の間では半ば公然の秘密であった。社会に影響を与えない範囲に留まるのであれば、わざわざ探し出して根絶やしにすることもあるまい、というのが各国の権力者の考えだったのだ。そもそも魔術師という人種自体、非常に限られた数しかいない。少しずつ、社会から魔術の匂いを消していけばいい……そう思っていたのだろう。しかし。
 父の前に現れた魔術師は、兄を魔術で快癒させてみせると言った。その代わり、魔術師の保護を国策にせよと。
「……私は魔術よりも医術を信頼しておる」
 彼を警戒し、近衛兵をずらりと並ばせた謁見の間。玉座に座した父は、その魔術師に告げた。
「しかし息子を救おうとしてくれた、その心持ちに免じて魔術師と名乗ったことは不問に付そう」
 目深に被ったフードの下から、鋭い眼光が覗く。厚い外套の裾が、風もないのにゆらりと揺れた。
「魔術師を敵に回すおつもりか……?」
「敵とは思っておらん。ただ」
 父はあくまで冷静であった。
「信用してはいない。医術は門外漢である私にもその仕組みを、生命の営みを理解させてくれる。医術だけではない、科学とはそういうものだ。この世の複雑な仕組みを解き明かし、人の目に明らかにしていくもの。魔術はそうではない。生来の、天賦の才のみがその力量を定め、魔力の動作、魔術の働きは魔術師にしかわからぬのだという――ならば私には理解できるはずもないし、その真偽の見極めもできない」
「…………」
「松明がランプに代わったように。弓が銃に代わりゆくように。魔術の力を借りずとも、科学がそれに取って代わる時代が来る――もはや来ていると言っても過言ではなかろう。魔術は、この世に不要なのだ」
「……ほう」
 魔術師の男は、ニィと唇を歪めた。
「一国の王に二言はありますまいな。――そう、そこの『お姫様』に証人になっていただきましょうか? 王は魔術を不要なものと言った。蔑んだ!」
 こっそりと玉座の後ろに隠れて様子を窺い見ていたわたしを指差し、男は挑発的に宣言した。まるでそれは、呪詛のように。
「魔術師を――『協会』を甘く見るな。悔いても遅いぞ!」
「その者を捕らえよ!」
 父王が叫んだ次の瞬間。男は外套をその両腕で翻した――そのまま彼は灰色の煙になり、影も残さず忽然と姿を消してしまった。近衛兵たちは、持ち場を動くこともできなかった。わたしはそいつの溶け消えた煙の入り混じった空気を吸いたくなくて、思わず手で口元を覆う。
「お父様……」
 わたしのつぶやきを耳にしてか、父が振り返る。その顔色は、ひどく青褪めていた。わたしもそれと同じだったかもしれない。
「エリーナ」
 父は無理に笑みを浮かべ、わたしの愛称を呼んだ。
「心配ない。部屋に下がっていなさい」
「…………」
 心配ない。それは嘘だ――そう思ったけれど、わたしは黙って父の言うとおりにした。
 だって、他にどうすることができただろう?

 兄の病は、医師の治療によって後遺症もなく治癒した。父は安堵し、母は喜び、無論わたしもとても嬉しかった。だがこの胸の何処かに、あの魔術師の吐いた呪詛が澱み続けている。「魔術師を甘く見るな」――恐らく父も同じだったろう。時折、ふと険しい顔をして宙を睨んでいることがあった。
 とはいえ、魔術の気配なんてこの日常のどこにもない。魔術なんてなくとも何も困らない。父の言うとおりだ、魔術を必要としていた時代は終わった。本当にそんな時代があったのだろうか、と思わせるほどに。
 何事もなかったかのように兄は元通りの生活に戻り、そしてそのひと月後――兄、アレクシス・ド・エルシアンは突如命を落としたのだった。
 ……その時のことは、あまり思い出したくはない。
 ある朝、兄は起きてこなかった。起こしに向かったメイドが、ベッドの中で眠るように息を引き取っている兄を見つけたというのだ。兄にはなんの外傷もなかった。ただ、奇妙な文様がその両の掌に描かれていたという。きっと、それが魔術師の掛けた呪詛だったのだろう。
 そう、それは間違いなく魔術師の仕業だった。それが以前父に謁見した魔術師かどうかはわからない。だが事実、魔術師は誰にも気付かれることなく警備の網目を潜って兄の寝室に忍び込み、そして兄を殺し、騒がれることもなく立ち去ったのだ。
 母は半狂乱になって体調を崩し、そのまま悲嘆のうちに命を落とした。父もひどく塞ぎ込んだ――あの時、魔術師に兄を託すべきだったのか。そうしていれば、兄は、母は死なずに済んだのか。悪魔に魂を売り渡してでも、父は兄を救いたかった、守りたかった、亡くしたくなかった、そうに違いない。
 アレクシスという世継ぎを失った王家は、そういった意味でも痛手だった。わたしを次の女王にする手もないではないけれど、わたしは父が老いてからの子であったし、年若い女王を立てる羽目になっては周辺諸国への抑えがきかないのではないか。重臣らの心配は、当のわたしにすらよく理解できるものだった。
 ――リュミエリーナ様が男子であったなら。その声に一番強く同意したのは、きっとわたしだったろうと思う。

 兄がいなくなって二年ほどが経った頃、父の前にひとりの青年が現れた――それが、アンドリュー・ウィザードリィであった。
「魔術を滅ぼしたいのなら、おれと手を組まないか」
 傲岸不遜なその青年は、その髪色と同じ漆黒のフロックコートのポケットに両手を突っ込んだまま、父王の前でそう言い放った。
「魔術師協会を滅ぼせるのは――魔術を封じることができるのは、魔術師だけだ」
 父は怪訝そうに問い返した。
「しかし、おまえ自身も魔術師なのだろう?」
「その通り」
「おまえ以外の魔術師をすべて滅ぼした後、おまえ自身はどうするつもりだ」
 父の疑問はもっともだった。父は兄を亡くして以来、ひどく痩せて老け込んではいたけれど――それでもやはり、一国の王だった。亡き兄の父、亡き母の夫、そしてわたしの父であるより先に、国民の父でなければならない人なのだ。
「そう、それが問題だな」
 悪びれもせず、アンドリューは笑った。
「だから――王家と手を組みたいのさ」
 協会を滅ぼすだけでなく、王家も守ってやる。だが、おれとその魔術道具には手を出さないことが条件だ。
「魔術道具?」
「『人形』さ」
 ふと真顔になって、彼はぽつりと言った。
「これ以上は言えない。詳細を聞きたければ、おれと組むことだ」
「…………」
 父は迷っているようだった。その横顔を見ていたわたしは、おそるおそる口を開いた。
「魔術で、わたしを王子に変えることはできる?」
「エリーナ?」
 驚いたように父がわたしの名を呼ぶ。でも、わたしは真剣だった。
「……できるの? どう?」
 アンドリューはひょいと肩をすくめる。
「できる。そう難しいことでもないな」
「それなら――」
「エリーナ!!」
 父がわたしの腕を掴んだ。でも、その手にはさほどの力はなかった。わかっている。父が弱っていることなら、わたしが一番よく知っている。
「お父様」
 だから、わたしは振り向かない。アンドリューをじっと見据えたまま、言葉を紡いだ。
「わたしは、お兄様の無念を晴らしたい」
 そのためには力が要る――魔術師を圧倒する力が。そして、国を安定させるための国力、政治力。その全てが欲しい。
「なるほど」
 アンドリューはその黄金色の瞳を細めた。
「なかなか肝の据わったお姫様だ」
「お姫様は、もう辞める」
「おい、エリーナ――」
 わたしは腕を広げ、父の言葉を遮った。こんな真似をするのは、初めてのことだった。そして、アンドリューの両目をじっと見据えたままはっきりと告げる。
「リュミエリーナ・ラ・エルシアンを消して」
「…………」
 いいだろう、とアンドリューは言った。
「それなら、次の国王様と契約を結ぶとしようか」
 アンドリューは恭しく――とはいえ慇懃無礼な態度であることに変わりはなかったけれど――片膝をついて、わたしの手をとった。
「リュミエリーナ・ラ・エルシアン――いや」
 少し考えるように首を傾げ、アンドリューは言った。
「リュミエール・ド・エルシアン殿下、でよろしいですか?」
「それで結構」
 わたしはじっとアンドリューを見下ろす。
「必ず、魔術師を滅ぼせ――必ず」
「言われずとも」
 アンドリューは俯き加減のまま、不穏にうっそりと微笑む。
「殿下とわたしは、これから共犯者だ」

  × × ×

 アンドリューは約束通り、わたしを――いや、ぼくを「王子」に変えた。大したことじゃない、いちから生命を作り出すことに比べれば。アンドリューはぽつりとそう言っていた。
 その言葉の意味が、今ならわかる。実際、アンドリューは「魔術人形(ドール)」という名の禁呪に手を染めていたのだから。
 リュミエリーナという名は、その記録も記憶も、アンドリューの魔術によって消され、リュミエールに置換された。あれだけ大きな態度をとるだけあって、彼は確かに大した魔術使いであった。それと同時に、やはり魔術師に力を持たせてはならないと――魔力なんてものは封じなければならないのだと、ぼくはその想いを新たにする。
 兄のような悲劇は、二度とは。
 そのためなら、ぼくは「わたし」を捨てる――それはぼくの望んだことだ。悔いはない。
 父は日に日に弱っているし、ぼくもまだ若くはあるけれど、それでも姫君であるよりは王子であるほうが国の安定という意味ではずっと良い。
 それに――鏡を覗くと、そこには兄に似た男が映っている。
 アレクシス・ド・エルシアン。
 これなら、ぼくはあなたを忘れない――。

「協会はみるみる弱体化している」
 アンドリューはぼくの部屋の窓枠に腰掛け、その眼差しを黄昏色に染まる城下町へと向けていた。薄い唇が、弓なりにつりあがっている。
「片っ端から魔術師から魔力を引き出しセシリアに食わせているからな」
 ――セシリア・ウィザードリィ。アンドリューに生み出された「魔術人形」。あかあかと燃える夕陽よりもなお赤い瞳を持つ、己の運命も知らぬ無垢で赤子のような、愛らしい少女。彼女は何も知らぬまま、その器の中に魔術師らから奪い取った魔力を蓄えている。
 アンドリューに言わせると、この世界をうっすらと覆う靄のようなもの、それが魔力だそうだ。魔術師以外にはそれは見ることも、触れることも、感じることすらできないのだからもちろん使うこともできない。魔術師だけが、その靄をたぐりよせ魔術を編むことができる。
 それは神様のえこひいきかい? かつて尋ねたぼくに、アンドリューは噴き出してみせた。全く、失礼な男だ。
「まさか」
 むしろ、あれは神の呪いだろう――神なんてものがいるとすれば、だがな。
「…………」
 ぼくはアンドリューの横顔をじっと見つめる。
 ――おまえ以外の魔術師をすべて滅ぼした後、おまえ自身はどうするつもりだ。
 それはかつて、父王がアンドリューに投げ掛けた問い。その問いに、彼はまだ答えていない。
 だが、ぼくはまるきり別のことを問い掛けた。
「兄を殺した魔術師はどうしている?」
「シャルル・レーゼ、か」
 アンドリューは面白くもなさそうにその名をつぶやいた。
「どうする? 捕えるか? それともこっちで殺しておくか?」
 まだ逃げ回っているようだが、そろそろ魔力を奪いに行かなければならないとは思っていたんだ。こともなげに言うアンドリューに、ぼくの背筋がぞわりと震える。だが、ぼくはできるだけ平静を装って言った。
「……考えておく」
「ああ、どちらでもいい」
 だが、早めに決めろよ。
 アンドリューはそう言って、振り返った。その逆光になった表情は――意外なほど、穏やかで優しい。
「セシリアが魔力を蓄え終わったら、その時は――」
「その時は?」
「…………」
 アンドリューは答えない。
「おい――」
「ああ、そうだ」
 それから、とアンドリューはぼくを遮った。
「元に戻りたいと思うのなら、それも早めに言えよ」
「元に?」
「リュミエリーナに戻りたいなら、な」
「…………」
 ぼくは無言で首を横に振る。――その願いは、あり得ない。
「そうか」
 アンドリューはつぶやき、そして目を逸らした。
「……おれ以外に、おまえを戻してやれる者はいないからな」
 まるで独り言のようにつぶやかれた、その言葉。そして、

 ――心配ない。セシリアには、ローイがいる。

 アンドリューは、確かにそう言った。かすかな声で、それでも迷いのない様子で。

 ――自分以外の魔術師をすべて滅ぼした後、彼は。

 ぼくは息を呑む。
 まさか、彼は――もしそうだとしたら、セシリアは。あの、全身全霊を掛けてアンドリューを愛してやまない少女は。
 だが、ぼくは何も言えなかった。ぼくに、アンドリューを止める権利はない。リュミエリーナを殺した、ぼくには。
 アンドリューはリュミエール(ぼく)を見て、ただ静かに笑っていた。