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Cecilia Wizardry

 しとしとと雨が降り続いている。ここ数日、ずっと雨だ。
 雨の日は嫌い。雨の日は憂鬱。
 あたしは窓から外を眺めながら、大きくため息をついた。
「――なんだあ、退屈か? セシリア」
 庭師見習いのローイは、雨の日は仕事がほとんどないという。そういう日のローイの仕事は多分、あたしの相手をすることだ。仕事、と言われると少しさびしいけれど。でも、きっとアンドリューに――あたしの執事のアンドリューに、彼はそうしろと言われているに違いない。そうでなければ、わざわざあたしを根気良く構ってくれるはずなんてないもの。あたしは話もうまくないし、世間知らずだし、それに――ああ、駄目だ。良くないことばかり考えてしまう……それもこれも、きっと雨のせい。
「アンドリューは留守だしなあ」
 と、ローイは首を捻る。
「こんな雨の中、どこに行ったんだろうな」
「知らないわ」
 思わず声が刺々しくなる。八つ当たりなの、わかっているのに。アンドリューがあたしを置いて出掛けることなんて、別に珍しくもない。子供のあたしと違ってアンドリューは忙しいのだ。
 ローイがあたしを見て、ふっと微笑む。その大人びた仕草が、あたしの胸を抉った――あたしはこんなにも子供で、我がままで、そしてどうしようもない。本当、情けない。
「まあ、雨って何となく気が塞ぐよなあ」
 けれど、ローイの声はひどく優しくて、穏やかで。あたしを責めるような調子なんて、少しもそこにはなかった。
「前までおれが寝てたところは、雨漏りが凄くてさ」
「雨漏り?」
「そう。屋根に小さな穴が開いてて、雨がそこから漏れてくるの」
「まあ!」
 あたしは仰天した。そんなの、屋根の意味がないじゃない。
「まともな家に住んだことなんてなかったからな……」
 ローイは目を細めた。
「ガキの頃は雨が嫌いでさ――いやまあ、アンドリューに言わせりゃ今も十分ガキなんだろうけど」
「がき?」
「子供ってこと」
 アンドリューがそんな乱暴な言葉を使うのなんて、あたしは聞いたことない。目を丸くするあたしに、ローイは慌てて、秘密だぞ、と人差し指を唇の前に立てた。
 あたしはしょんぼりと肩を落とす。
「ローイはアンドリューと仲が良いのね?」
「いや、仲良くはないぞ?」
「アンドリューはあたしに気を遣ってるもの。わかるの」
「そりゃ一応、セシリアはあいつの雇い主なんだからさ」
「……そういうんじゃないわ」
 お屋敷にはたくさんの人がいる。メイドたちに庭師、料理人たち、彼らはウィザードリィの屋敷に仕えているわけだから、つまりあたしに仕えている、ということになるのだろう。今、ウィザードリィの名を名乗っているのはあたしだけだから。
 ではアンドリューは? 彼は、他の人たちとは違う。別に、ウィザードリィ家の財政を彼が管理しているからとか、そういうことではない。根本的に、彼は他の人とは違う。
 アンドリューのことを疑ってるとか、信じていないとか、そういうんじゃないのだけれど……そう、多分、彼はきっとあたしに隠し事をしているのだ。ローイに対するよりもあたしへの嘘の方が、きっと多い。別にローイと数えあったわけではないけれど、あたしはそれになんとなく気付いてしまっていて、それで気が滅入るのだ。
「…………」
 ローイは少し困ったような顔をしていたが、ふと思いついたように口を開いた。
「知り合いに、靴磨きのじいさんがいたんだけどさ」
「靴磨き?」
「そう、道端で通りがかりの人の靴磨く仕事をしてたんだ」
 ローイは懐かしげに目を細める。
「そのじいさんにおれ、靴によって磨き方は違うんだって教わってさ」
 それなりに力をこめて磨いた方が良い靴、あまりこすり過ぎると傷んでしまう靴。大事に扱うべき高価な靴、履き潰すに任せてかえって味の出る靴。独りよがりの技術に意味はねえ、相手に合わせなきゃならねえんだよ、と。
「だからかな、街角の靴磨きにしちゃあ人気のじいさんだった」
 あたしは目をぱちくりとさせた。それとさっきまでの話と、どう繋がるのだろう?
「アンドリューの接し方も一緒だと思う。アンドリューにとって、セシリアは大事に扱いたい存在なのさ。俺はそうでもないから、あまり気を遣ってない。相手によって、使い分けてるだけなんだよ」
「……大事に、」
 あたしは俯いた。
「それは、あたしがウィザードリィだから……?」
「…………」
 ローイは大きくため息をついた。
「じゃあさ、セシリア。セシリアは、アンドリューが自分の執事だから好きなのか?」
「…………」
 首を横に振る。それは関係ない。アンドリューにはずっと側にいてほしいけど、でもそれは執事としてでなくたって――。
 あたしはふと背筋が凍りつくのをかんじた。アンドリューが、執事でなくなる? そんなことってあり得るのかしら。あたしの記憶のある限り、ずっとあたしの側にいてくれたアンドリュー。お父様もお母様も知らないあたしの、唯一の家族。そんな彼がいなくなってしまったら、あたしは……無理だわ、考えられない。そんなの、絶対に考えられない。
「セシリア?」
 ローイの声がひどく遠く聞こえる。あたしはつぶやいた。
「アンドリューは、ずっとあたしの側にいてくれるって言ったもの……ずっとずっと、一緒にいてくれるって」
 約束したわ。何度も約束した。アンドリューはいつだって、笑って約束してくれたんだから。
「セシリア、」
 ローイがぐいとあたしの肩を揺らした。
「大丈夫か? 顔色が酷いぞ」
「大丈夫よ」
 あたしは顔を上げて肯いた。
「……あたしは、大丈夫」
「…………」
 あたしは、信じているから。アンドリューのこと、何よりも誰よりも――きっとあたし自身のことよりも、ずっと信じている。
 だから、大丈夫。アンドリューはあたしを置いていなくなりはしない。あたしを悲しませる真似なんて、彼がするはずがない。
 それでもローイがあんまり心配そうにあたしを見ているから、あたしは話を変えることした。
「ねえ、さっき言ってた靴磨きのおじいさんって、今はどうされているの?」
 良かったらお呼びできないかしら、一度お会いしてみたいわ。
 ローイは目を丸くして、やがて困ったように笑った。
「気持ちは嬉しいよ。うん。きっとじいさんも喜ぶ」
「じゃあ!」
「……けど、ごめん」
 ぱちぱちと瞬き、ローイは言う。何かを堪えるように少し、俯いて。
「じいさん――二年前に、さ。亡くなったんだ」
「…………」
 あたしは息を呑んだ。
「真っ赤な血吐いて、あっという間に……逝っちまって」
 ローイは涙目で笑う。
「じいさんらしい、豪快な最期だったよ」
「……あの、ごめんなさい」
 あたしは小さく謝った。ローイは首を横に振る。
「セシリアは何も悪くねえ」
「……でも」
 ローイの口振りから、本当に仲が良かったのだと――大切な存在だったことがわかるから。
 あたしはつぶやく。
「どうして生きものには寿命があるのかしら」
 以前この庭先に埋めた、小さな愛らしい獣を思い出していた。
「死ぬことなんて、なければいいのに……」
「そういうわけにはいかないよ、セシリア」
 ローイは首を横に振った。
「不老不死なんて望むもんじゃない」
「ふろう、ふし?」
 あたしは首を傾げる。ローイは少しだけ厳しい顔をしていた。
「昔からそういうの、皆考えるんだよ。いつまでも若く元気で病気もせず、死ぬこともなければいいなってさ」
 特に魔法なんて迷信が幅を利かせてた頃はな、とローイは言った。
「魔法って迷信なの?」
 あたしが尋ねると、ローイはそうさ、と頷く。
「でもローイ、この前アンドリューはまじゅつしかもしれないって……」
 ローイの顔がぴくりとひきつる。
「そりゃ冗談だよセシリア。魔法とか魔術ってやつは迷信だ」
「……そうなの?」
 あたしは目を丸くした。
「あたし、アンドリューはてっきり魔法使いなんだと思っていたわ」
「…………」
 ローイが困ったように目を逸らして口元をもごもごとうごめかせた。
 ――あ。
 あたしはすうっと胸の奥が冷えるのを感じる。これは、嘘の気配。あたしが時々アンドリューからも感じる、嘘の匂い……誤魔化しの匂い。だけどあたしがそれを追求できないのは、きっとそこに優しさを感じるからだ。彼らは彼らなりにあたしを思いやってくれていて、だからこそ言えないことがあるのだろう。それは確かに残念だし不満でもあるけど、でもあたしはローイのことを信じているし、ローイが好きだから。あたしはローイを困らせたくない。
「…………」
 そうはいっても言葉が出てこなくて――あたしは雨音に耳を傾けた。しとしとと続くそれはやっぱり憂鬱で、でもそれだけじゃない。多分それがなければ、きっと二人の間には気まずい沈黙が満ちることになっただろう。雨の降るせいで、それが何となく穏やかな、切なくも優しい気配に満ちているようだった。
「あ」
 その雨音に、聞き慣れた音が混じる。馬車の音。
「アンドリューだわ」
 ぱっと立ち上がり、駆け出す。その背後でローイが何となくほっとしたようにため息をついたのには、あたしは気付かなったふりをした。
 
 
  × × ×

 メイドに濡れたコートを手渡したばかりのアンドリューに、あたしは手を広げて飛びついた。アンドリューはおやおや、とつぶやきながらあたしを抱きとめてくれる。ふわりと香る、彼のコロン。
「どうされました、セシリアお嬢様」
「別にどうもしないわ?」
「そうですか」
 あたしの嘘なんて、アンドリューには絶対にばれているだろう。
 アンドリューがいなくて寂しかった、あたしを留守番させてどこに行っていたの、ねえ、本当はあたしに何を隠しているの――でもあたしは尋ねない。アンドリューも何も言わない。
 それでもいい。アンドリューはちゃんとあたしをこうして受け止めてくれるから。
「失礼」
 アンドリューは小さく言い、あたしを軽々と抱き上げた。あたしは彼の首ねっこにぎゅっとしがみつく。
「明日にはきっと、雨もやみますよ」
 耳元に響く穏やかな声。
 ――ほら、やっぱり。あたしは彼の肩に頭を預け、ぼんやりと思う。
 アンドリューはやっぱり魔法使いだ。だって、何も言わないのにあたしの思っていることをちゃんとわかってくれる。

 ねえアンドリュー。
 あたし、あなたの魔法に掛けられていたいの。ずっとずっと醒めないでいたいの。
 
 だから、あたしずっと気付かないふりをしているわ――アンドリューから漂うこの、どこか金属が錆びたような嫌な匂いには。
 
 それが血の匂いだってことくらい、世間知らずのあたしだって本当は知っているのだから。