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Auberon

 ごとごとと揺れながら、馬車は走る。窓から差し込む日差しは暖かく、おれはあくびをかみ殺した。目の前に座っている少女は既にうつらうつらと居眠りをしている。昨晩は興奮してなかなか寝付けなかったという話だから、無理もないのだろう。少女の頭を膝に載せている青年は、すました顔で彼女の細い金髪を指ですいている。
 このふたりは――いや、一応この少女の方こそが、おれの雇い主だ。セシリア・ウィザードリィ。青年はアンドリュー・スコットといい、表向きは彼女の執事である。その実態は両親のいない彼女の親代わりであり、兄のような存在でもあり、しかしそれだけでは表すことのできない奇妙な絆でもあるような――。
「人の顔をそんなにまじまじと見るな」
 アンドリューは不意に顔を上げた。やや長めの黒髪の下から覗く鮮やかなゴールドの視線に、おれは内心たじろいだ。
「セシリア見てるよりはいいだろう」
「お前なら少しくらい見ても構わんがな」
 鷹揚に微笑んでみせるが、その表情には妙に凄みがある。おれはちらりとだけセシリアを見遣った。
「良く寝てるね」
「昨夜は大はしゃぎだったから」
 アンドリューは表情を和らげた。
「初めてなのか? その別荘」
「そうだな。これまではあまり連れ歩かないようにしていたし」
 今おれたちが向かっているのはウィザードリィ家の別荘だという。専属の管理人がいるらしいのだが、たまには見に来てくれとアンドリューに連絡があったとか。セシリアの代になって以降しばらく放っていたから、とアンドリューは言う。
 セシリア・ウィザードリィ――名家ウィザードリィ家の幼き当主。噂によると、先代は夫婦で若くして事故死したのだという。遺された幼いセシリアを執事のアンドリューが支える形で、ウィザードリィ家は存続している。アンドリューの出自は良くわからない。先代から仕えていたのか、どうなのか。そもそも、おれは何度か聞いたことがあるのだ。アンドリューの本当の名――アンドリュー・ウィザードリィ、という名を。何故彼が姓を変えて生きているのか、セシリアが「人間ではない」という話は本当なのか。謎の多いウィザードリィ家ではあるが、しかしここはおれの大切な場所だ。素直で愛らしいセシリアも、腹黒くて裏表が激しいが結局のところセシリアを溺愛しているのには違いないアンドリューも、孤児であるおれには唯一無二の「家族」だ――おれがこっそりそう思っているだけではあるけれど。
「ん、んぅ……」
 セシリアが僅かに身じろぎする。ぷくりとした小さな唇から涎が垂れて、アンドリューのズボンの膝を汚した。
「仕様がないお嬢様だ」
 アンドリューは小さく笑って、ハンカチを彼女の顎の下に敷く。
「なんか夢でも見てるのかな」
 おれの言葉に、アンドリューはさあな、とつぶやいた。
 ごとん、と馬車が大きく揺れる。窓に当たる葉や枝の音。いつしかおれたちは郊外の森を通る、小道へと進み入っていた。

  × × ×

 あたしは目を覚まし、あたりを見渡した。あたしが寝ていたのはじっとりと湿った土の上。いけない、服を汚したらアンドリューに叱られてしまう。あたしは慌てて立ち上がり、ふらりとふらついた。
「……ここ、どこ?」
 土を払いながらつぶやく。
 あたりは一面もやがかかったように白い。その隙間から、くろぐろとした太い木の幹が覗いている。通り抜ける風と、揺られた葉がこすれ合う音。けれど、人の気配はない。
「アンドリュー?」
 あたしは名を呼ぶ。あたしが今までで一番たくさん呼んだ名前。一番大好きな名前。
 ついさっきまで一緒にいたはずなのに……そう、ローイだっていたはず。あたしはひとりじゃなかった。みんな、一緒にいたはず……なのに。
 足元が冷たい。見下ろすと、あたしは裸足だった。おかしい。アンドリューが、家を出る前に靴を履かせてくれたはずなのに。――少しきつくなってまいりましたね。そろそろ作り直しましょうか。そうつぶやいたアンドリューの声は本当に優しくて、きっとあたしの成長を心から喜んでくれているんだって、すごく嬉しかった。最近あたしは背も伸びてきた。ちゃんと、あたしは大人になっていく。いつまでも子供ではいられない。いつまでも、アンドリューに心配を掛けていてはいけない。あたしはセシリア・ウィザードリィ。ちゃんとウィザードリィの名にふさわしいレディになってみせるから――だから見ていて、アンドリュー。あたしの側にいて、まだもう少し、あたしを守って。
 震える唇を噛み締め、無理やりあたしは声を振り絞った。
「だれか、いないの?」
 泣かない。怖いけど――この森は怖いけど、でも泣くものか。
「ねえ、だれか――」
 ふふふ、と小さな笑い声が聞こえて、あたしは凍りついた。可愛らしい声。でも、あたしの知っている声じゃ、ない。
「だれ?」
『かわいいお嬢さん、いらっしゃい』
 耳元で囁く声に、あたしは恐る恐る振り向いた。視界いっぱいに広がる緑の目。
「――――っ」
 後ずさるあたしを見つめてにこにこと笑っているのは、あたしより少し年上の――ローイと同じくらいの、男の子だった。髪は白くてふわふわと長く伸びている。肌は浅黒い。白い布を巻きつけたような服に、手首や足、首や耳元などに金の装飾がついている。
『驚いた?』
 声はするけれど、彼の唇は動いていない。あたしはこくこくと頷く。
『ここは妖精の森だ。ようこそ、ウィザードリィの娘』
 ひらりと舞うように長い腕を回し、彼は一礼する。
 あたしはおどおどと尋ねた。
「あなたは、妖精なの……?」
『そのとおりさ!』
「あの、あたし」
 悪い人ではないみたい。あたしは少し安心する。
「みんなとはぐれちゃったの。執事のアンドリューと、ローイって子と一緒だったはずなんだけど……」
『ふふふ、大丈夫。あとでちゃんと返すから』
 彼は何が楽しいのか、上機嫌に笑っていた。
『きみを攫ったりなんかしたら、ぼくはあの魔術師に八つ裂きにされちゃう』
「…………?」
 魔術師、とは誰のことだろう。首を傾げるあたしを、彼は目を細めて見つめる。緑の目の中で金色に光る何か――あたしは何となくアンドリューの瞳を思い出した。
『でも、見ておきたかったんだ。魔術師の愛子(いとしご)というやつを、ね』
 彼の言っている意味がわからなくて、あたしはぽかんとしたまま彼を見つめ返した。
『よくできている』
 彼の指先があたしの髪に、頬に触れる。
『ウィザードリィはぼくらの保護を――この森の守護を約束した。それが果たされる限り、ぼくたちはきみたちを祝福する』
「よ、よくわからないけど、ありがとう」
  あたしはアンドリューに教えられたとおり、膝を折って丁寧なお辞儀をした。
「あたしはセシリア・ウィザードリィ。はじめまして」
『わあ、かわいい!』
 彼は無邪気にきゃっ、きゃっ、と笑い声を立てた。
『ねえセシリア、これから先困ったことがあったら僕らを思い出して』
 踊るように軽やかなステップを踏む少年。その動きに合わせて、しゃらしゃらとアクセサリが音を立てる。まるで、ダンスのリズムを刻むように――。
『僕は妖精の王、オーベロン』
 瞳が眩しいくらいに輝く。
『君を祝福するよ。たとえ――』

 君が、呪われた生命(いのち)だとしても、ね。

  × × ×

「この森は、妖精の森と呼ばれている」
 突然、アンドリューがぽつりと口を開いた。おれは驚いて顔を上げる。
「妖精?」
「ただの伝承と思うか?」
 彼の問いに、おれは黙り込む。――ウィザードリィ家の人々に出会う前のおれなら、迷わず頷いていただろう。魔術だとか、妖精だとか、そんなものは全部古臭い伝説、あるいは迷信に過ぎないものだと。けれど目の前に座るこの男はれっきとした魔術師だし、その膝の上で眠っているお嬢様はその魔術師が何らかの方法で作り上げた生命体とでもいうのだろうか、そういった存在だ。だとすると、妖精が存在してもなんの不思議もない。
「かつてある魔術師の一派が、妖精たちを魔力源として利用しようとしたことがあったらしい。なかなかに酷い方法を使って、な」
 アンドリューの手はゆっくりとセシリアの髪を撫でている。
「それを見兼ねた当時のウィザードリィが、妖精たちをこの森に保護したんだ」
「それで、ここに別荘があるのか」
「そういうことだ。妖精たちは屋敷の中にあるウィザードリィ家の資産を守る代わり、他の魔術師の目からは逃れられるようになっている」
「……ん?」
 おれはふと気になった。
「じゃあ、別荘の管理人って」
「そんなものはいない」
 アンドリューはあっさりと言った。
「妖精たちが会いたがったのさ。セシリアに」
「……なんで?」
「ウィザードリィだから、だろう」
 目を伏せ、セシリアの寝顔を眺める。
「妖精との契約はウィザードリィの当主が担うものだ」
「セシリアが?」
 おれは目を瞬いた。
「そんなこと、セシリアにできるのか?」
「…………」
 アンドリューは微笑む。答える気のないときの笑みだ、とおれは察して身を引いた。窓の外に目をやると、そこは鬱蒼と茂る森と、ちらちらと煌めく木漏れ日――。

 ふふっ。

「!!」
 俺は思わず叫びそうになる。窓から緑色の目が一瞬覗き込み、そうしてすぐに消えていった。白銀の髪の残像。
 声の出ないおれを一瞥して、アンドリューは気のない調子でつぶやく。
「相変わらずのようだな、オーベロン」

『きみの愛子(いとしご)を祝福しよう、呪われし魔術師よ』

 声が降る。
『彼女を守ってあげるよ。きみの呪いから』
「…………」
 アンドリューは黙っている。おれは一言も発することができなかった。――呪い、って何だ? アンドリューが、セシリアを? そんなこと、あり得ない。しかし……。
「――よかった」
 アンドリューはふ、と息を吐いた。
「おまえはふざけているが、嘘はつかない」
『ぼくはきみのことも好きなんだけどな』
 軽い調子で飄々と語るその声は若く聞こえるのだが、それでもどこか老成したような響きもある。
『きみたちのしあわせを、ぼくは祈っているよ――』
 アンドリューは答えない。ただ膝の上のセシリアの頬をそうっと撫でていた。
 その謎の気配が消えた後、おれは恐る恐るアンドリューに尋ねた。
「……なあ」
「なんだ」
「おまえは、セシリアの味方、だよな?」
「…………」
 アンドリューは顔を上げた。うっすらと微笑む。
「当たり前だ。おれはこいつを守るためなら全てを犠牲にしてみせる――たとえ、それがおれ自身であっても」
「……セシリアはそんなこと望まないと思うけど」
 おれの言葉を無視して、アンドリューはつぶやく。
「向こうについたら、お茶にしよう。庭でハーブを摘んで香りづけに使って」
 おれは小さくため息をついて、アンドリューのあからさまな話題を逸らそうとする思惑にのってやることにした。
「それがいい。腹も空いたし」
 ちょうどその時、セシリアの目がぱちりと開いた。熟したクランベリーのような鮮やかな赤が、頭上のアンドリューを捉えてぱっと華やぐ。
「あたし、眠っていたの……?」
「そうですね、ぐっすりと。何か、夢でも?」
「……覚えていないわ。なんだか、誰かに会ったような気もするのだけど……」
 起き上がり、首を振るセシリア。その乱れた細い髪を、アンドリューは優しく撫でつけてやる。
「もうすぐ着きますよ、お嬢様。持ってきたケーキを切って、お茶にしましょうね」
 そう言って笑うアンドリューの顔は、本当に――。
 
 おれには何の力もないけれど――やはりおれだって、おまえたちのしあわせを祈っているんだぜ。
 
 揺れる馬車の中、おれはそう思うのだった。