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Andrew Wizardry

 おれはウィザードリィ家の末子として生まれた。ウィザードリィ家は、代々続く魔術師の家系で――きっと、おれを最後に絶えるだろう。
 おれは化け物だった。誰もそうとは口にしなかったが、きっとそうだった。おれを産み落としてすぐ、母親は死んだ。後から口の軽い使用人たちの噂で聞いたのだが、おれをその胎内に宿した時から母はみるみるうちにやつれ萎れていったのだという。きっと、おれの魔力にあてられたのだろう。おれはそう思っているし、きっと父も兄もそうだったに違いない。それは間違いのないことだった。
 父親は厳格で、恐ろしかった――殊に、おれが自分の魔力を制御できるようになるまでは。何世紀か前から、魔術は既に公には使うことを禁じられていたし、その締め付けは年々強くなっていた。科学の発展に伴って、魔術は社会から追放され、神や悪魔、妖精たちと同じ伝説や伝承の中へと閉じ込められようとしている。事実、魔術などなくても科学の力で火は灯るようになったし、熱病も癒えるようになった。ひとはまだ空は飛べないが、それでもいつか飛べるようになるだろう。地を駆けるのは、車輪やら何やらの力で大分速くなったのだし。
 とにかく、そんな時代であったから、父はきっと、おれが自分の魔力でもって身を滅ぼさぬように、他を害さぬように……父は父なりにおれを想ってくれていたのかもしれない。だが、馬鹿なおれには伝わらなかった。おれは誰からも愛される、人の良い兄を憎み、父親を疎み、おれの魔力を恐れて近寄ろうとはせぬ使用人たちに心を閉ざし、まだ少年の歳の頃――そうだ、ちょうど今のローイと同じくらいの歳の頃、家を出た。魔術師協会のつてを使い、雇われ魔術師として転々と各地を周って、力をつけ、名を挙げ、そうしているうちにおれはいつの間にか十八になった。一度も家には帰らなかったし、連絡もしなかった。そうすることを望まれているとも思わなかった。事実、家からはなんの音沙汰もなかった。探されている気配すらなかった。魔術師の世界にいればウィザードリィ家の話も聞こえてきそうなものではあるけれど、おれはできる限りそれらから目を背け、耳を塞ぎ、まあ、ようは逃げていたのだ。結局はそれだけのことだ。
 おれは持ち前の魔力を生かしてそこそこ名の知られた魔術師になり、そうしてある時ふと――本当にふと、父親はどうしているか、兄は元気か、と思ったのだった。全く薄情な人間だ。
 家の噂は、すぐに聞こえてきた――その気になりさえすれば、知ることができた。父親は、二年程前に病没していた。兄が家を継いでいて、どうやら既に妻もいるらしい。それを聞いた時、おれはひどく安堵したのを憶えている。ウィザードリィ家におれは不要だ。兄がいさえすれば、それでいい。いつだってそうだった。兄だけで十分だったのだ。おれは、余分だった。
 ところが――おれが家の近況を耳にした直後。おれの元に、兄が来た。どうやって居場所を掴んだかは知らない。協会に問い合わせたのかもしれないし、そうでないかもしれない。その頃の俺はまだ堂々とウィザードリィの姓を名乗っていたし、利用してもいた。仕事で会う相手が「あのウィザードリィか」とたじろぐのを目の前にして、さあどうだろうな、なんて煙に巻いて。そのことが――流れの魔術師がウィザードリィの名を名乗ること、そして協会の内部抗争に首を突っ込むこと。それがどれほど家に迷惑をかけるかも考えずに。おれはそんなこと、なんとも思っていなかった。馬鹿げた、子供じみた所業だと思う。我ながら、おれは粋がった、考えなしの子供(ガキ)だったのだ。
「久しぶりだな、アンドリュー」
 兄はその頃おれが住んでいた小さなアパルトマンの部屋に入り、コートを脱いだ。どこか服装が乱れているのは、そんなにも急いでやってきたということだろうか。何を急ぐことがあったのだろう、とおれは訝しむ。
「元気そうで何よりだ」
 おれと同じ黒髪に、おれとは違うブルーの瞳。記憶の中の父と、兄は良く似ていた。昔はずっと兄のほうが長身だったのに、今はもうほとんど変わらない。それだけの年月が過ぎ去った、そういうことだった。
「……何か用か」
 素っ気なく応えるおれに、兄は苦笑する。
「急に、すまなかったな。実は、おまえに頼みがあって来た」
「頼み……?」
 おれは怪訝そうに眉を上げる。兄は――この時、おれは数年ぶりに、兄の顔を正面から見つめたのだった。
 その時感じた違和感を、どう表現すればいいのだろうか。
 兄の目は、妙にぎらついて、まるで油膜に覆われているかのようだった。口元は笑っている、頬の筋肉は確かに兄の口角を吊り上げている。だが、兄は笑ってなどいなかった。少しも、笑ってなどいないのだった。もしも役者が笑顔の演技だといってこの顔を見せたならば、下手くそだと罵倒されるだろう、そのくらい不自然な表情だったのだ。
「頼みって?」
 おれは平静を装って尋ねた。兄はおれの淹れた茶に手を付けようともせず、身を乗り出してきた。
「わたしの子供を、取り戻してくれ」
「……は?」
 おれは唖然とした。
「子供? 子供がいるのか、兄さん」
「いる――いや、たしかにいたんだ。いたのに、……それなのに、」
「落ち着いて、兄さん。話が見えない」
 取り乱す兄を静止し、おれは内心で首を傾げた。子供がいた、とはどういうことだ。今はいないのか? 取り戻す、とは?
「…………」
 兄はしばらく口を噤み、ぽつんと言った。
「……おまえは、今もわたしを兄さんと呼んでくれるんだな」
「…………」
 おれは言葉に詰まる。
「父さんは、おまえを心配していた――ずっと、行方を追わせていたし、動向も本当は知っていた。だが、一度たりともおまえ本人に接触することはできなかった。……拒絶されるのが怖かったんだな」
「……そんな話、」
 おれは黙って首を横に振る。
「今更だよ、兄さん」
「……そうだな」
 そして、兄の目に狂気の光が――ああそうだ、あれは確かに狂気だった。
「わたしには子がいた――妻のオフィリアの腹の中で確かに動いていた! 一週間前まで、確かに! 間違いなく! 全ては順調だった……それなのに」
 兄は、がくり、と首を折る。まるで、糸の切れた操り人形のように。
「一週間前、オフィリアは腹が痛いと言い出した。そして……」
 そして、と絶え入りそうな声で兄はつぶやく。
「……おれたちの子は、死んだ。オフィリアは一命を取り留めたが、もう二度と子を成せぬと医師に言い渡された……信じられるか、アンドリュー。おれは、」
 兄は俯いたまま、ごくりと唾を飲む。
「信じられなかった。オフィリアはなおのこと、だ。当たり前だろう、ほんの数時間前まで己の腹の中で元気に動いていた子が、……突然……」
 と、兄が不意に体を起こす。おれは思わずびくりとのけぞった。
「だから、おまえに頼みに来たのだ。大陸一の魔術師となったおまえに! おれの弟であるおまえに!」
「……兄さん、」
「どうか、どうか」
 兄は泣いていた。ふつふつと瞳を滾らせながら、涙を零していた。
「おれとオフィリアに、子を……子を取り戻してくれ」
「死者は蘇らないよ、兄さん……」
 おれは辛うじて言葉を絞り出した。
「無理だ。兄さんだって魔術師なのだから、わかるだろう? どんな魔術を使っても、死は元には戻らない。そればっかりは、どうにもならない」
 魔術は時に人を殺す。たとえば、つい先日も魔術の禁止に異を唱える魔術師らの一派が、一国の王子を暗殺した――そんなことをしても逆効果だろうとおれなどは思うのだが――だが、その王子を魔術で生き返らせることはできない。命とは、そういうものだ。魔術で作り出せぬ、唯一といっていいほどのもの。
 そんなことなど、兄はもとより知っているだろうに……。
「『人形』なら、」
 兄の言葉に、おれは息を呑む。――「人形」だって?
 兄はぎりぎりと、まるで歯車で巻き上げられるかのように顔を持ち上げていった。
「『魔術人形(ドール)』なら、作れるか?」
「兄さん、それは――」
「わたしたちは子の体をまだ保存している。女の子だ」
 兄は――狂っている。おれはそう思った。「魔術人形」が禁呪に類するものであることなど、とうに知っているはずであるのに。魔術師らを破滅に導くと言われる「魔術人形」。それを創ることが、おれに――兄たちに、何を齎すか。
「わたしたちに、子を」
 兄はおれを見つめている。だが、その眼差しはおれを見てはいなかった。
「頼む、アンドリュー」
 ――ああ、そうか。
 おれは合点して、思わず口元を緩めた。この年月の間、兄にとっておれの存在はどんどん薄れていったのだろう。その代わりというのでもないが、兄には妻ができ、子ができた。兄にとってはそれが全てなのだ。それらを守るためなら、疎遠だった弟の魔術も利用する、その身が破滅しようが知ったことか――なるほどな、とおれは思う。自然だ。それはとても自然なことだ。
 だからこそ、兄は今。
「……銃を下ろして、兄さん」
 おれはつぶやいた。しかそ、兄は震えることもなくおれに突きつけていた銃口を逸らそうとはしない。
 魔術を展開してこれを防ぐより、おれの頭がぶち抜かれる方が早いだろうな、とおれは妙に冷静に思った。
「わかったよ」
 おれは言う。
「わかった」
 どうでもいい。
 おれはひどく投げやりな気分で、そう告げた。
「『人形』を作ればいいんだろう? やるよ」
「……アンドリュー……」
 兄が唇をわななかせている。そこにあるのは歓喜と――不信。
 おれは笑った。己を、(わら)った。
「兄さんたちの子供を、おれが作ってあげるよ――」
 それでおれがどうなったところで、あんたたちはなんとも思いやしないのだろうから。
 「魔術人形」は破滅を運ぶ。
 呪われればいい。おれも、兄さんたちも。
 でもね、兄さん。
 兄さんはもうおれのことなんて愛していないのだろうけど、それでも。
 おれは。
 おれは少し、うれしかったんだ。兄さんの姿をこのアパルトマンの下で見かけた時。うれしかったんだよ。おれに会いに来てくれたのかと、探してくれたのかと――
 おれは余分ではなかったのではないかと、ほんの少しでも、「あんた」の弟として必要とされていたのではないかと。

 うれしかったんだよ。

 そうして、おれはセシリア・ウィザードリィを作った。
 マシュー・ウィザードリィと、オフィリア・ウィザードリィの子供として。小さな小さな亡骸を元に、複雑で強力な魔術を念入りに念入りに掛けて……世の(ことわり)を捻じ曲げ、背いて。おれは生ける人形を作ったのだった。どこからどう見ても普通の赤子にしか見えぬ、精巧な「魔術人形」を。
 兄たちは狂喜し、口々におれに感謝の言葉を浴びせたが、おれにとってはもはやどうでもよかった。どうしてもと請われたために「セシリア」と名を付けたが、それだけだ。おれは姪を作ったのではない。おれはただ、人形を作っただけだ。魔術師としての仕事を、こなしただけ。
 仕事を終えたおれは、名を変えることにした――ウィザードリィの名はもう名乗るまい、そう思ったのだ。
 アンドリュー・スコット。
 それがおれの名となり、おれはウィザードリィの邸を離れた。今度こそ二度と戻るまい、そう心に誓って。
 それなのに――何故。
 何故、セシリアを遺して逝ったのか。兄さん、いや、マシュー。
 馬車の事故だった。幼いセシリアを乳母に預けて観劇に出掛けていたというマシューとオフィリアは、即死だったという。
 ――「魔術人形」は破滅を呼ぶ。魔術師を呪う。そうだ、兄は確かに魔術師だった。
 魔術人形の行く末を案じて戻ったおれに、まだ物心つかぬセシリアはその小さな手を伸ばし、微笑みを浮かべ言ったのだ。
「……あんどりゅー、」
 と。
 何故彼女がおれの名を知っていたのか、そんなことはどうだって良かった。ただ――ああ、そうだ。こんなにも無垢な笑顔を向けられたのは、きっと生まれて初めてだった。
 乳母の元を離れ、セシリアはとてとてとたどたどしく歩いてくる。おれのもとに。鮮やかな金の巻毛を揺らしながら、赤い瞳を細めて。迷うことなく、彼女はおれの脚に抱きついた。
「あんどりゅー」
 繰り返し言いながら、顔を擦り寄せる。おれはおそるおそる、その小さな人形を抱き上げた。
「随分とあなたに懐いていますね」
 乳母は微笑ましげに、おれとセシリアを見守っている。彼女は少しも疑っていないのだろう――マシュー・ウィザードリィの旧友だと名乗った、おれのことを。
 セシリアはおれの腕の中におとなしく抱かれていた。そして――その小さく温かな掌が、そっとおれの頬に触れる。何が面白いのか、きゃっ、きゃっ、と彼女は笑い声を立てた。
「あんどりゅー」
「……セシリア、」
 おれはぽつりと名を呼んで、そして不意に思った。
 この子はおれのものだ。おれの――おれのセシリアだ、と。おれが作った、おれの生み出した、おれのものだ。
 この笑顔を、この温もりを、おれは決して失いたくない。側にいたい。
 ――そして、アンドリュー・スコットはウィザードリィ家の執事となった。

  × × ×

 ウィザードリィ家代々の墓は、綺麗に清掃されていた。黒のワンピースに身を包んだセシリアが、白い花束を手向ける。
 教会の鐘の音が響いていた。
 吹き抜ける風が、彼女の髪を乱す。
 セシリアはおれの手を片手でぎゅっと握りしめながら、両親の――そしておれの代々の先祖の眠る、石造りの墓標を見つめていた。
 ウィザードリィの名を捨てたおれが、そこに眠ることはない。
「ねえ、アンドリュー」
 振り仰ぐセシリア。……ああ、大きくなったな、などとおれは柄でもない感慨に浸る。
「なんです、お嬢様」
「あたしを、育ててくれてありがとう」
 セシリアは、唐突にそう言った。
「側にいてくれて――ありがとう」
「…………」
 おれは言葉を失った。なんと言えばいいのかわからなかった。
 違うんだ、セシリア。貴方は本当は人形で、兄の妄執をおれが勝手に魔術で、しかも禁呪の類でもって具現化したもの、それだけなんだ。そうさ、あれはただの兄への八つ当たりだったんだ。だが、作ってしまった限りは責任を持たねば、そういうことで、だから、……。
「お嬢様」
 おれはぽつりといった。
「お礼を言うのはわたしのほうですよ」
 ――あの時、セシリアがおれを呼んでくれたから。
「アンドリュー?」
 ああ、その少し舌足らずな甘い声。
 変わらない。あの時と、少しも変わらない。
「お嬢様」
 おれは跪き、その小さな手の甲に唇を押し当てた。柔らかな肌。人形だなどとは到底思えない。
「わたしはあなたにお仕えしますよ、セシリア。この命の尽きるまで」
 この子は、あなた達には返さない。おれは胸中につぶやく――兄さん、この子はおれのものだ。
「ふふっ」
 その時、小さくセシリアが笑った。くっ、と握り返される手。その力は、驚くほどに強く――。
「大丈夫よ、アンドリュー」
 笑みを含んだ声音は、まるで楽器のように。
「どちらかが死んでしまった後だって、あたしあなたを離さないから」
「…………」
 おれは顔を伏せたまま、それを聞く。
 ――この世界に遺った魔力を吸収し、その身に蓄え続けている「魔術人形」。
 おれが彼女を支配しているのか、それともその逆なのか。
 ああ、そんなことはどちらだっていい。
 おれは恭しく答えた。
「――お嬢様の御心のままに」