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Andrew Scott

 アンドリュー・スコットは魔法使いだ。きっと、そうにちがいない。
「どうぞ、お嬢様」
 彼は静かに微笑みながら、あたしの目の前に真っ白なケーキを差し出す。あたしの大好きな、ブルーベリーのたっぷり入ったレアチーズケーキ。あたしはできるだけ顔色を変えないようにして――だってあたしはもうレディなのだから、ケーキひとつで喜ぶような真似ははたしないでしょ?――あたしの執事に指図した。
「……切って。六分の一よ? それから、お茶も飲みたい」
「準備しておりますとも、お嬢様」
 すました顔で答えると、彼はさっきまで切れ目などひとつもなかったはずのケーキを、しかも六分の一だけ、きれいに切り分けて小皿の上に置いた。お皿の横にはちゃんと、湯気の立ったティーカップが置かれている。いつの間に用意したのだか、全然気がつかなかった。――まあ、いつものことなのだけど。
 ばらのもようのカップを手に取る。お茶は、あたしの舌にあわせてほどよく冷ましてあった。銀のフォークを手に取り、あたしはケーキにつきさした。
「お口にあうとよろしいのですが」
 彼と目が合ったけれど、あたしはふいと横を向いた。
「……おいしゅうございますか、お嬢様」
 やさしい、おだやかな口調。けれどあたしは知ってる。アンドリューの細い体の中身は、とびきりいじわるなものでできているってこと。今もほら、ため息まじりにこんなことを言うのだ。
「おいしいと言っていただけないのなら、もうこのチーズケーキは二度と作りますまい――」
「……おいしいわよ」
「え? 何ですってお嬢様」
 彼はわざとらしく、その黄金色の目を、ぱちくりとまたたいてみせた。
「申し訳ありませんが聞き逃してしまいました。一体なんと――」
「だから」
 あたしはアンドリューをにらんだ。口の中に広がるサワークリームの味が、たまらなく、
「おいしいって、言ったの!!」
「それはようございました」
 アンドリューは微笑み、あたしの髪を撫でた。
「そう言っていただければ腕を振るった甲斐があるというものですよ――私のセシリアお嬢様」
「…………」
 あたしは無言でケーキを食べ続けた。
 アンドリューは魔法使いだ。しかもきっと、わるものの魔法使いに違いない。

 あたしの名は、セシリア。セシリア・ウィザードリィという。ウィザードリィ家といえば、いわゆる「旧家」で「名家」――「貴族」、とでもいえばいいのだろうか。実は、あたしにはよくわからない。たしかなのは、あたしは物心ついたときから、アンドリューと、そしてたくさんのメイドたちに囲まれていた、ということ。メイドたちは、時々誰かが暇をとったり、新入りがきたりして、顔ぶれが変わるのだけれど、アンドリューはずっと変わらずあたしの執事なのだった。
 お父様とお母様は壁に掛かった額の中にいらっしゃって、何でもあたしがまだ小さい頃に馬車の事故でお亡くなりになったんだそう。あたしは、ふたりのことを何も覚えていない。たまに、メイドがあたしを哀れんで涙ぐんでいるけれど、あたしは寂しくはない。多分、あたしがふたりのことを覚えていたら――そうね、きっと寂しくなったかもしれない。例えばアンドリューがいなくなったら、あたしはとても……いや、やめておこう。
 アンドリューがいつからウィザードリィに仕えているのか、あたしは知らない。うちで一番古いメイドよりも前から、彼はここにいるらしい。彼は一体いくつなのかしら? 見た目は、そうね、絵に描かれたお父様よりも若いようなのだけれど。
「セシリアお嬢様?」
 つらつらと物思いにふけっていたあたしの頬を、アンドリューが羽ペンの羽でつついた。くすぐったいからやめてほしい。
「ほら、先程から手が止まっておりますよ」
「……わかっているわ」
 あたしは手元の紙に目を落とした。あたしは今、文法のお勉強中だ。
 あたしの先生はアンドリューで、これがなかなかに厳しい。何しろお茶もケーキも食事も、何もかもが彼のさじ加減ひとつで決まるのだもの――「三時までに終わらなければ、今日のお茶の時間はなしですね。あまり遅い時間に召し上がられては、ディナーに差し支えますでしょう?」なんてことを涼しい顔で言うのだ、この男は!
「ねえ、アンドリュー」
 あたしは不意に、彼の名を呼んだ。
「あなたはいつまで、ここにいてくれるのかしら」
 ゆるゆると流れていく毎日は、まるで彼の淹れてくれるはちみついりのホットミルクのよう。あたたかくて、おだやかで、やさしくて。それがアンドリューの魔術で作られているってことくらい、あたしにはわかっているのだ。だから、だから――。
「……どうされました、セシリアお嬢様」
 アンドリューが優しくあたしの頭を撫でる。あたしは頭を横に振り、むっと唇をとがらせた。いけない、うっかり彼に隙を見せるところだったわ。
「あまり子供扱いするものではなくてよ、アンドリュー」
「お嬢様はまだ幼くていらっしゃいますよ」
「あら、もう十になるのよ――あと二ヶ月で、ね!」
「確かにその通りですね、お嬢様」
「アンドリューは」
 あたしはうわめづかいで、彼の表情を盗み見た。
「何歳なの?」
「……さあ」
 ぬれたような黒髪が、さらりとこぼれる。
「忘れてしまいました。いやですね、年をとると忘れっぽくて」
「……そう」
 アンドリューは、嘘つきだ。あたしはちゃあんと、知っている。

 新しいメイドがきた。エヴァというのだそうだ。最初の挨拶を聞いてからしばらくは見かけることすらなかったのだけれど――新人とはそういうものらしい――ある日、あたしの着替えを手伝ってくれた彼女は、くしをとってあたしの髪を梳いた。
「本当にお可愛らしいですわ、お嬢様」
 その青く澄んだ目を細め、エヴァは鏡の中のあたしをうっとりと見つめる。
「なめらかな白い肌、薔薇の花びらのような唇。この髪も、まるで月の光でできているようですわ」
 あたしは顔が赤らむのを感じた。
「そ、そんなことはないわ。エヴァ。言い過ぎよ」
「まあ」
 エヴァはただでさえ丸い瞳をさらに大きく見開いた。
「私なぞの名前を覚えていて下さったのですね!」
「…………」
 ――あたしがエヴァの名前を覚えていた理由は、簡単だった。エヴァはどこか、アンドリューと似ているのだ。髪の色のせいだろうか。でも、エヴァは青い瞳だけれど、アンドリューは金色の目だ。顔の作りだって全然違う。なのに、何故あたしにはふたりが似て見えるのだろう。
「セシリアお嬢様の瞳はルビーのようですわね」
 エヴァが甘くささやく。
「まるで」

 ――神様がお作りになった「人形」のよう――

「…………!!」
 あたしは、エヴァの手を髪から払いのけた。彼女は驚いた顔をして、やがてお菓子のような、ふわふわとした笑みを取り戻す。
「引っかかりましたか? 申し訳ございません」
「……大丈夫よ。だからもう、さがって」
 あたしの言うとおりに、エヴァはくしをおいて深く一礼し、あたしの部屋を出て行った。
 ――人形のよう、ですって? 冗談じゃないわ。
 鏡の中のあたしは、顔をしかめていた。
「あたしは、人形じゃない」
 あたしは誰の指図も受けない。何にも縛られない。誰もあたしに命令することなんてできやしない。あのアンドリューだって、そこのところはちゃんとわきまえている。当たり前だ。あたしは、セシリア・ウィザードリィなのだから。ばかにしないで。あたしはもう、十にもなろうっていうのよ!
 その日から、あたしはエヴァを遠ざけた。できるだけふたりきりにはならないように、しかしあんまりあからさまに嫌ってみせると、アンドリューが気付いて彼女をくびにしてしまうだろうから、あたしはできるだけ悟られないように気をつけた。たぶん、うまくやれたと思う。だって、あたしのわがままのせいでエヴァがくびになったら、あたしの寝覚めが悪いもの。
 それにしたって、なぜ、あたしはアンドリューとエヴァが似ているだなんて思ったのだろう。少しも似てなどいない。彼に似ているひとなんて、きっといない。

 午後のお茶を飲んだあとはたいてい眠くなって、うとうとと寝てしまう。いつもアンドリューはあたしを起こさぬようにベッドにうつして、そしてしばらく時間がたった頃に起こしに来てくれる。お勉強を再開しましょうか、と言って、冷たいお水をあたしに差し出すのだ。
「お嬢様」
 でもその日、あたしを起こしたのは――アンドリューではなくて、あの、エヴァだった。
「な、何」
 見上げた先で、彼女は微笑んだ。――なんだか、嫌な気持ちがした。本当は笑っていないんだ、そんな気がしてならない。認めたくはなかったけれど、たぶん、あたしは彼女が怖いのだ。
「お嬢様、悪く思わないでくださいませね」
「な、何を」
「少しの間、止まっていてくださいな」
 うふふ、とエヴァは愛らしく笑う。それがとても――怖い。
「アンドリューはどこ? アンドリューを呼んで」
 きっと、エヴァはあたしの言うことを聞いてくれない。アンドリューなら、彼だったら……。
「…………」
 エヴァはゆるく微笑むだけで、やはりあたしの言葉を無視した。そして、彼女の手がゆっくりとあたしに伸びて――。
 彼女の赤いくちびるが、聞き慣れない言葉を刻んだ。以前、アンドリューがあたしを連れて行ってくれたオペラで歌われていた、異国の言葉みたいだ。あのときはたしか、あたしは途中で少しだけ眠ってしまって、アンドリューに笑われてしまったのだっけ。勘違いしないでほしいのだけれど、あたしはオペラがわからなくって眠くなったのではない。外出をするのは本当に珍しいことだから、馬車に揺られることに疲れて、眠くなってしまったのだ。
 ああ、ねむたいな。
 まぶたが重くって、重くって。
「お眠りなさいな、可愛いお人形さん」
 エヴァの声が、遠くから響いた。――また、人形って言った! あんまりむかむかしたので、あたしは心に誓った。目を覚ましたら、あたし、あんたをくびにするわ。もうがまんしない。きっと、それはわがままじゃないって、アンドリューも言ってくれると思うもの。
 アンドリューはあたしを叱るし、いじめるし、いじわるだし……だけど絶対にあたしをばかにしないし、見下したりもしない。だからあたしは、かれを、

  × × ×

「何やってんだ、おまえ」
 背後から響いた声に、エヴァは体を強張らせた。
「それに指一本でも触れてみろ。殺すぞ」
「……アンドリュー・スコット」
 エヴァは振り向き、嫣然と微笑む。
「これが、貴方の最高傑作ね?」
「…………」
 アンドリューは舌打ちをした。エヴァの陰に隠れるように、小柄な人影が――ちょうど子供くらいの大きさの、美しい人形がことりと倒れている。
「おまえ……魔術師か」
「貴方にはかなわないけれどね? 私は貴方みたいにこんな精巧な魔術人形を作ることなどできないわ」
「そいつは人形じゃねえよ」
 アンドリューはつぶやいた。金色の瞳が、薄く曇る。
「そいつを人形なんて、呼ぶんじゃねえ」
「魔術師の世界の中で貴方の名前を知らないものなんていないわ、アンドリュー・スコット――いえ、以前はアンドリュー・ウィザードリィと名乗っていたはずよ」
「黙れ」
「その、絵」
 エヴァは壁に掛かった肖像画を指差す。
「この子の両親じゃないでしょう? だって少しも似ていないもの。目の色だって、髪の色だって違ってるわ。どちらかといえば、似ているのは貴方――」
「だから黙れといっているだろうが」
 アンドリューはきっぱりと、エヴァを遮った。
「おれの名はアンドリュー・スコットだ。アンドリュー・ウィザードリィなんて名の人間は知らねえな」
「あんた、」
 アンドリューは手のひらをエヴァの眼前に突き出した。エヴァはぴたりと動きを止め、眉を寄せた。動きを止めたのではない。動けないのだった。
 アンドリューは彼女の横を通り過ぎ、人形を――セシリア・ウィザードリィをそうっと抱き上げた。
「おれはウィザードリィの人間じゃねえ。この家の財産のすべては、このお嬢様のものだ」
「同じことじゃなくて? だってそのお嬢様は、あんたのものなんでしょう? あんたは何らかの原因でウィザードリィ家から勘当されて――だけどこの家の財産を手放すのは嫌で。それで、そんなお嬢様を作り上げて、すべてをわがものにしたのでしょう? そうではなくて?」
「で? おまえはおれの代わりにこのお嬢様をものにしようとしたのか」
 アンドリューは唇を歪め、嘲笑した。
「何にもわかってねえな。あんた、セシリアと話したことは?」
「……あるけれど?」
「こいつは、人形じゃねえ。人間だ」
 アンドリューは腕の中の小さな顔に視線を落とす――「セシリア、か。素晴らしい名前だよ、アンドリュー。お前はこの子のゴッド・ファザーになるわけだ」「本当にありがとう。どうぞあなたも可愛がってやってね。この子はあなたの姪になるのだし」「なあ、アンドリュー。ウィザードリィ家に戻ってくる気はないのかい? お父様も、きっと天国でおまえをお赦しになっているよ」「そうですとも。わたしたちにこの子をくだすったことで、何もかも帳消しになったわよ」――とんでもない、おれは罪を重ねただけだ。だから、兄貴たちは。過去の記憶の奔流は、しかしエヴァの声で遮られた。
「人間を作ることなど、神様はお赦しになっていないわ」
「知ったことか」
 アンドリューは吐き捨てる。
「おれはこの子のためにこの家を守るんだ。――そう、決めたんだ」
「自分の作った人形のために生きるっていうの? 馬鹿げている」
「そう思うならそう思っておけよ。おれの勝手だろう」
「そんなことを言って、本当は財産を」
「いい加減、目障りだ」
 アンドリューはぽつり、と言った。エヴァは息を呑む。彼女の体は、まだ動かない。アンドリューのひとさし指が、彼女のこめかみに近付いた。
「全部忘れろ。おれのことも、こいつのことも――魔術師であったことすら、忘れてしまえ」
「――――ッ」
 声にならない悲鳴。
 アンドリューは、笑っていた。ただひたすらに、声を殺して、笑っていた。

  × × ×

「セシリアお嬢様」
「ん……?」
 目を覚ますと、いつものようにアンドリューがあたしのベッドのそばにひざまずいていて、水の入ったコップを手にしていた。
「お昼寝の時間は終わりですよ」
「う、うん」
 何だか頭がぼうっとしていたけれど、アンドリューの差し出した水を口に含むと気分がすっきりした。
「さあ、ディナーの準備ができましたよ。今夜はセシリア様の好物ばかりです」
「……どうしたの、アンドリュー」
 あたしはアンドリューを見つめる。
「気持ち悪いくらい、やさしいんだけど」
「おや」
 アンドリューはくす、と笑った。
「それではわたしがいつもはやさしくないみたいではないですか?」
「……そういうわけでは、ないのよ」
 あたしは困って――なんとなくそうしないといられなくなって、アンドリューの首にぐいと腕を回して抱きついた。
「お嬢様?」
「アンドリューって、魔法使いみたい」
 彼の広い肩に頬を置き、あたしはつぶやく。
「……そうですか?」
 アンドリューは笑ってあたしの髪をなでた。
「ではさしずめ、お嬢様は悪い魔法使いに囚われたお姫様といったところでしょうか」
「そんなの、あたし許さないわよ」
 あたしは顔を上げて彼の顔を覗き込み、こつん、と額を合わせた。
「アンドリューはあたしを守る魔法使いなの。そうでしょう?」
 ――そうじゃなきゃ、ぶつから。
 言うあたしに、アンドリューは真面目くさってうなずいた。
「かしこまりました、セシリアお嬢様」
 ――わたくしの大事な、お嬢様。
 
 アンドリュー・スコットは魔法使いだ。そしてあたしはそんな彼がほんとうは――だいすきなのだ。