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Andrew Scott II

 廊下をばたばたと駆け回る足音。おれは扉に視線を投げ、内鍵を施した。どうせ走り回っているのはセシリアとローイだろうし、おれの部屋にノックもせずに入り込んでくるのはセシリアくらいのものだ。ローイは聡いガキだから――しかも、ストリートで培われた野生動物めいた勘の良さもある。つまり、おれのことを警戒している。
 おれは再び目の前の書類の山に視線を落とした。国内で起きた魔術に関すると思われる事象及びその人物に関する報告書である。数百枚ある。これを一気に送りつけ処理を命じた馬鹿王子は今度〆るとして――おれはすう、と深く息を吸い込んだ。
 言葉を媒介に、魔術を編む。緻密に、かつ大胆に。この狭い部屋いっぱいに、魔力を満たす。
 おれが指先で描く通りの軌跡で、積み上げられていた書類が宙に舞った。それらはまるで意思あるもののように身を翻し、二手に分かれてデスクの上に積み上がっていく。
 紙の上の文字ひとつひとつから、もしくはその組み合わせから、書き手の意識や記憶を遡り、魔術の痕跡を洗い出して探す。言葉にするとごく簡単なことなのだが、そのための魔術の構成はなかなかに難しい、らしい。おれにはよくわからない。おれにとって、魔術を使うのは空気を吸ったり履いたりすることと同じくらい、当たり前のことだ。
 おれは二手にわかれた紙のうち、片方を手にとった。数百あった報告書が、数十に減っている。これが、本物。他はガセだ。おれは残りの紙に視線をやった。ぼっ、と音を立てて燃える。勿論、魔術の炎だから机は燃えない。焦げ臭くもならない。
 この数十の報告書にまつわる魔術を、おれは封じなければならない。道具ならそこに込められた魔術を吸い上げて壊すなり封じるなりすればいいし、人間なら叩きのめした上で、魔力と魔術に関する記憶を取り上げてしまえばいい。そう難しい話ではない、ただ、手間がかかって面倒くさいだけだ。
 問題は、魔術師協会がおれの動向に気付きつつあるということ。彼らは全力で抵抗するだろう。一方、リュミエール王子の目的は彼らの殲滅である。魔術師から魔力を奪い、魔術をただの迷信へと完全に封じ込めること。魔術の時代の幕引きをすること。おれは、自分の目的のために、王子側につくことにしたのだ。
 おれは椅子に座り、足を組んだ。
 魔術師であったおれが、魔術を封じる役割を負うとは笑える話だが、それでおれの罪が赦されるというのなら――まあ、悪い話ではない。
 それに、「彼女」を維持するためには、膨大な魔力がいる。大陸中からかき集めてきた魔力をすべて注ぎ込んで、ちょうどいいくらいの。

 おれはもう、魔術師アンドリュー・ウィザードリィではない。アンドリュー・スコットだ。
 
 舌で、唇を湿す。
 ――ああ、甘いものが欲しい、と思った。

  × × ×

 デスクを片付け、私は鍵をあける。書斎を一歩踏み出したところで、私の脇腹に少女が激突した。
「ごめんなさい!」
 頬を上気させた、ウィザードリィ家のお嬢様。息を切らせているのは、走り回っていたせいだろう。
「お嬢様」
 私は腰をかがめ、彼女を抱き上げる。彼女は慣れた様子で、私の腕に抱きついた。
「廊下は走り回るものではありません。食器を持ったメイドにぶつかったりでもしたら、互いに怪我をします」
「だって」
 セシリアは頬を膨らませた。
「おにごっこ、っていうの、してみたかったんだもの!」
「またローイの入れ知恵ですか。せめて庭でおやりなさい」
 私はやれやれと首を横に振る。このウィザードリィ邸の敷地の中が、セシリアにとって世界のほとんどである。ローイ・ハウエルは外からの風だ。同年代の話し相手のいないセシリアには、いい刺激になると思ったのだが……時に度が過ぎる。
 まあ、良い。
「ローイを叱らないでね、アンドリュー。これからは気を付けるわ」
 私の首にしがみつき、神妙な顔をするセシリア。私はくすりと笑ってみせた。
「ではそのお言葉に免じて、今回は大目に見ますよ、お嬢様」
「良かった。ね、かくれんぼなら良い? 走らないから」
「……人の机の中やクローゼットを探らないとお約束できるならね」
 やはり、ちゃんと鍵をかけておかなければ。背後の書斎の中のいくつかの鍵を、こっそり魔術で掛けておいた。デスクの引き出しの一部と、本棚の一部。全て鍵を掛ければ怪しまれるかもしれないから、見られても構わないところは敢えて開けておくことにした。
 私はセシリアを抱いたまま、応接間へと移動する。
「お茶にしましょうか、セシリアお嬢様」
 そして、そのあたりに潜んでいるであろう少年へと、声を掛けた。
「ローイも、叱らないから出てきなさい」
「……お、おう」
 廊下の隅から、ひょこりと顔を出す小柄な少年。私の表情を伺ってから、おそるおそる近付いてくる。本当にまるで動物のようだ、と私は思った。彼がセシリアを守る忠犬となってくれれば――まあ、今でもそれに近いものはあるが。
「ねえ、今日のおやつはなあに?」
 セシリアは私の首にその細い腕を巻き、甘えるように頬と頬を擦り寄せてくる。
 彼女は甘い。その言葉も、気配も、声も、肌も、何もかもが甘い。彼女の存在そのものが、魔術師にとっての媚薬だ。
 私の全てを傾けて作り上げた、「魔術人形(ドール)」。膨大な魔力を必要とし、時に主たる魔術師を支配するその存在は、過去何人もの魔術師を破滅させてきた。だからこそ、ドールの作成は禁呪であった――私はそれと知りながら、彼女を作った。私の破滅など、どうでも良かった。ただどうしても、私は彼女を作らなければならなかった、それだけだったのだ。だが私は支配されることもなく、破滅させられることもなく、ドールの作製に成功した。その代わり、彼女は私の周囲に別の破滅を呼んだ……。
 彼女がこの大陸の魔術すべてを吸い尽くすのなら、それはそれで良い。彼女に魔術を封じることができたなら、まさに王子の思惑通りとなる。彼女には――ドールには、自分が吸収した魔力を自ら魔術として行使し、放出することはできない。
 だが、王子は知らない。私だけは、彼女から自在に魔力を引き出すことができるのだということ。私にとってのみ、彼女は無限の魔術増幅器となるのだということ。
 ――私がこの大陸唯一の魔術師となったなら、もはや名実ともに誰も私を止めることなどできなくなるのだということ。
 無論、セシリアも知らない。そもそも、彼女は己が人間であると疑ってもいないだろう。

 何も知らなくていい。セシリア、お前は何も。

「アンドリュー?」
 セシリアが、舌足らずに私を呼んだ。
「何ですか、お嬢様」
 セシリアのルビーの瞳が、私をじっと映している。そしてその小さな唇が、に、と笑んだ。
「あたし、絶対アンドリューを逃さないわ。どこに隠れたって、見つけ出してみせるんだから!」
 彼女の言うのは、他愛ない子供の遊びの話だ。そうとはわかってはいたが――それでも、ぞくり、とした。それがどういった感情から来たものなのか、説明するのは難しい。だが、それは間違いなく愉悦と快楽の匂いのする、甘ったるい予感であった。
「ええ、セシリアお嬢様」
 私は微笑む。
「どうぞ、私は貴方の執事ですから」
 どちらかが死ぬまで、私を縛りつければいい。逃れられないように、その鎖で繋ぎ止めればいい。この身の全てを、心の全てを、砂糖漬けにして閉じ込めて――。

 いつか、
 彼女がおれを滅ぼすのだろうか、
 おれが彼女を滅ぼすのだろうか。

「楽しみです、お嬢様」
 私はそっと、囁いた。