instagram

Amy Gardner

 私の仕えるお嬢様は、ほんとうに愛らしい方だ。お屋敷勤めは初めてでとても緊張していた私にも、お嬢様はとても優しくしてくださる。メイド頭も、そして実際のところこの屋敷を取り仕切っている執事の方も、皆よくしてくださって、ほんとうにここに勤めることができて私は幸運だったと思う。
「エイミィ!」
 今日も私の姿を見つけたお嬢様は、腕いっぱいの花束を抱えて文字通り飛んでいらっしゃった。その可愛らしいさまに、私は知らず知らずのうちに頬が緩むのを感じる。
「まあ、どうなさったのです? そのお花」
「きれいでしょう? アンドリューのお土産なの」
 お嬢様があげた名は、この屋敷の執事のものだった。この大きな屋敷の一切を任されている、有能な執事。ウィザードリィ家の直系がまだ幼いお嬢様しかいらっしゃらないから、そのことでとやかく口さがなく噂を立てる人々がいることも私は知っているけれど、彼の様子を見ていれば、まさかこのお屋敷を乗っ取るつもりなど全くないのだってことがすぐにわかる。お嬢様の前では厳しい執事の顔をしているつもりなのだろうけれど、お嬢様を見ている彼の瞳ときたら、ほんとうに――まるで砂糖菓子のようなのだから。気付いていないのは当のお嬢様くらいのもので、「アンドリューが意地悪する!」とすぐに拗ねてしまわれるのだ。
「お土産?」
「そうよ。ほら、昨日お出掛けしていたでしょう? あたしがベッドで眠る時間になっても帰ってこなかったの」
 それがとんでもない罪悪だったかのようにお嬢様は語る。
「それで――アンドリュー様がお嬢様のためにこのお花を?」
「全く、子ども扱いしているわよね! あたしひとりで眠れるのに」
 胸を張り、強がるお嬢様。けれど、きっと本当はそうではないということを、彼は良くわかっているのだろう。だからこその花束、なのだ。
 みずみずしく咲き誇る赤やピンクの花は、まるでお嬢様そのもののよう。
「活けてまいりましょうか」
 私が言うと、お嬢様は大きく頷いた。
「ありがとう、エイミィ! あのね、ベッドの横に飾ってね。とってもいい匂いがするんだから! きっとよく眠れるわ」
 ――ああ、つまり。私は思わずこぼれそうになった笑いをかみ殺した。お嬢様は昨日眠れなかったらしい。いつもは彼がお嬢様を寝かしつけているらしいから。
「お嬢様は本当にアンドリュー様が大好きなのですね」
「……!!」
 お嬢様は顔を真っ赤に染めた。
「き、嫌いじゃないわ! 当たり前じゃない、ずっと一緒にいるんだし」
 ――あたしは、お父様のこともお母様のことも知らないんだもの。
 一瞬俯きかけたお嬢様だったけれど、すぐに顔を上げていつものように微笑んだ。花のような笑顔だった。
「お花。頼んだわね!」
「は、はい」
 お嬢様は元気良く私の前から駆け去ってしまった。私の両手の中に、大きな花束を残して。
 「とってもいい匂いがするんだから!」――私は顔を花束に近付ける。
「あれ?」
 いい匂いどころか、この花には何の香りも……むしろ……。
「エイミィ!」
 メイド頭のノラさんの声に、私は我に返った。
「ほら、早くそのお花を活けて。そろそろランチの仕度よ」
「は、はい!!」
 ――本当かどうかは知らないけれど、私の血筋は魔女の血筋と言われている。祖母の叔母だか何だかが魔女だったとか。まあ、魔術なんてものが信じられていたのは百年ほど前までのこと。今そんな伝説紛いのことを口にすれば笑われてしまうだろう。
 けれど、この花からは――何となく、「魔術」の匂いがするような。そんな気がした。何の根拠もない、ただの直感だけれど。

 この屋敷では、お嬢様と執事、そして庭師の少年が一緒に食事をとる。奇妙な光景ではあるが、お嬢様が望まれたのであれば仕方がないことだ。
 確かに、この広いダイニングテーブルでひとり食べる食事なんて、どんなにとびきりの高級食材だってきっと美味しく感じられないに違いない。
「アンドリューさあ、昨日どこ行っていたんだ?」
 庭師の少年――ローイの問いに、執事は一瞬だけぎろりと彼を睨んだ。きっとお嬢様には見せることのない、珍しい表情。
「王宮に、少しね」
「ああ、あのセシリアを異様に気に入っているっていう王子、か?」
「――お前」
 何故それを知っている、と言いたげな様子のアンドリューに、ローイはにやりと笑ってみせた。
「まあ、下っ端には下っ端の情報網ってやつがね」
「……過ぎた好奇心は身を滅ぼしますよ」
「リュミエール王子がどうかしたの?」
 お嬢様はきょとんとして、ふたりを見比べた。熟れたベリーのような色の赤い瞳が、ぱちぱちと瞬いている。
「あの男のことなら気になさることはありませんよ、お嬢様」
 アンドリューはにっこりと笑顔を浮かべた。
「ほんとうに、たいした用事ではないのですから」
「別にあれこれ根掘り葉掘り聞きはしないわよ」
 お嬢様は少し気分を害されたように頬を膨らませる。
「子ども扱いしないで、アンドリュー。あたし、ちゃんと昨日ひとりで眠れたんだから」
「お、おまえ眠れないからおれに遊んでくれって……」
「し、黙って!」
「ノラに聞きましたよ。ローイ、お嬢様が無理を言ってすまなかったね」
 アンドリューはすました顔でそう言うと、音も立てずにナイフとフォークを置いた。
「留守にしてすみませんでした、お嬢様」
「だ、だから、別にあたしは気にしてなんか……」
 ローイが何かを察したように私に目配せをして、するりと部屋を出て行った。ふたりにして差し上げよう、という算段だろうか。私もわかったわ、というように肩をすくめて、それでもメイドとしての役目を放棄するわけにはいかないから、扉のすぐ近くにまで身を引いた。
「そうですか? でも、わたくしはお嬢様が心配でなりませんでした」
「心配? 何がよ」
「昨日だけではありません。おそばにいないときは、いつだってお嬢様のことで心を砕いているのですよ」
「そんな必要ないわよ。みんないるもの。あたしはひとりじゃないわ」
「ええ、そのことはよくわかっておりますよ。けれどね、執事というのはそういうものなのです」
 アンドリューは本当のことと嘘とをうまく織り交ぜているのだと思う。彼がお嬢様を心配しているのは本当。執事がそういうものだから、というのはきっと嘘。――彼がお嬢様を心配しているのは、執事だからなんていう単純な理由ではきっとない。そこにはもっと他の、深い事情が……。
「エイミィ、ローイは?」
 突然お嬢様に名を呼ばれ、私は驚いて背筋を伸ばした。
「先に食べ終えて出て行かれましたよ」
「ええ? 行儀悪いなあ」
「今日はお嬢様が遅いのです。さあ、早く食べ終えてしまわないとエイミィの仕事が終わりませんよ」
「はあい」
 軽く叱咤しながら、アンドリューがちらりと私を見遣る。その金色の瞳に――何故か、首筋がひやりとした。

 お嬢様の寝室に飾ったお花は、萎れることなく咲き続けていた。そのことに気付いていたのは、もしかすると私だけかもしれない。いや、他にいるとしたら――それはお花を贈った当の本人だろう。
「…………」
 お水を取り換えるたびに、私は花に顔を寄せてみるのだが、お嬢様のいうところのいい香りなんて、少しも私には感じ取ることができなかった。
 まあ、これを持ってきたのがあの執事なのだから、別に私が心配するようなことでもないのだが……。
「エイミィ・ガードナー」
 その声に、私は花瓶をそっとサイドテーブルに戻して振り返った。――案の定、そこにはこの屋敷の執事アンドリュー・スコットがいる。
「先程からぼうっとしていたが、大丈夫か? 気分が悪いのなら少し休みを――」
「いえ、大丈夫ですわ。少しぼんやりしていただけです。申し訳ありません」
「そうか。それならいいのだが」
 彼の視線をたどった私は、慌てて自分の右手を左手でぎゅっと掴んだ。右手の小指。そこには代々伝わる指輪が嵌まっているのだ。例の魔女から伝わるのだという、銀でも金でもない不思議な金属でできた指輪が。
 そういえば、例の王子――リュミエール王子は「魔術」に興味があるんだって、一時そんな噂があったっけ。根も葉もない噂だと、王室はすぐに否定していたけれど。
「そんなに隠さなくてもいいでしょう?」
 彼は苦笑した。
「見慣れない材質だと思って。少し、見せてはもらえない?」
「……構いませんけれど」
 外れないものだから、仕方なく私は右手を彼に差し出した。彼は微笑んではいるけれど、目は笑っていない。長い指先が指輪をなぞり――。
「え?」
 私は思わず声を上げた。小指に一瞬ちりとした痛みが走ったかと思うと、指輪は一瞬で砂になって消えてしまったのだ。
「おや、失礼。古いものだったのでしょうか」
「え、ええ……まあ」
 さほど惜しいものではないし、目の前の彼は指先で指輪をつついただけなのだから、彼のせいではない。
 ――けれど、私が驚かされたことはもうひとつあった。
「匂いが、……」
「ああ、花の、ですか?」
 彼は穏やかに笑う。
「そうですね、良い匂いでしょう。花屋のお勧めだったのですよ」
「…………」
 何かがおかしい。胸にわだかまる違和感――けれど、その正体がわからない。もやもやと、甘い匂いの中に溶けて消えていってしまう。
 そう、まるでさっきの指輪と同じように。
 
 ――これはお守りだよ、エイミィ。
 
 今はもういない、なつかしい祖母の声。
 ――悪い魔法使いから、お前を守ってくれる。大事にしなさい。
 
 悪い、魔法使い……? 目の前の男を、私は見上げる。
「アンドリュー、様」
「はい、何か?」
 振り返る彼に、私は何も言えなかった。
 そんなはずない。魔法なんて、そんなもの。――『そんなものは、要らない』と。頭の奥で誰かが――金の目の誰かが、そう囁いた。
「今日はノラに言って早く休ませてもらいなさい。いいですね?」
 優しい声。私はぼんやりと頷いた。

  × × ×

「なあんか、きなくさいことやってるんだろ、お前」
「うるさいな、くそがき」
 アンドリューの私室で、ローイはふ、と笑った。
「お嬢様の前と随分な違いだよな。疲れねえの?」
「別に? あれもおれだからな」
 アンドリューはあっさりとそう言うと、デスクの上の紙の束に目を落とす。ローイは文字がほとんど読めないから、覗き込んでも内容はさっぱりだった。
「別にお前が何に巻き込まれてようが、おれは関係ないけどさあ」
 ――お前が強いのは、十分知ってるし?
 不意にローイは真剣な顔になって、アンドリューを見つめた。
「セシリア心配させんなよ?」
「…………」
 アンドリューは顔を上げた。そして――にやりと笑う。
「当たり前だ。あの子はおれのもんだし、おれもあの子のもんなんだよ」
「……なに、それ」
 絶句したローイを横目に、アンドリューは軽く右手の人差し指をはらう。奇妙な光沢の砂つぶが、きらきらと輝きながら宙に舞い散った。
「魔術の封印――簡単なことではないぞ、リュミエール」
 アンドリューは小さな声でつぶやく。ローイには、否、誰にも、その声は聞こえはしなかった。