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第二章 双璧之王 – 四

 新月の夜。奏陽の葬儀が盛大に行われていた。巨大な陵墓の中に担ぎ込まれていく棺は金で装飾が施され、闇夜においてなお光り輝いている。興の国力を見せつけているかのようだった。
 土毅は国賓の席に列しながら、じっと皇族たちのいる場所を眺めていた。多分、あのどこかに華星がいる。ところどころに灯されている松明程度の光では、誰がどこにいるのか判然としない。それでもすぐ近くに彼女がいるという事実に代わりはなく、土毅は胸が高鳴るのを感じていた。
 不意に、暗がりから低い声が掛かった。
「そなたが、広陵の土毅どのか」
 振り向くと、壮年の男が、土毅と同じく席に座している。視線は葬儀に注がれたままだが、彼が土毅に呼び掛けたのに間違いはなかった。
「はい」
 短く答えると、男はひとつ、うなずいた。
「わたしは蒐原の長、衛邦(エイホウ)だ。そなたの父君には世話になった」
「土毅です。はじめまして」
 土毅は軽く頭を下げ、衛邦の表情を見守る。その視線の先で、彼はただ一言、つぶやいた。
「戒絽は、ひとを寄越さなかったようですな」
「…………」
 土毅は返事をしなかった。衛邦の言葉の真意を、はかりかねたのである。
「何か事情があったのか、或いは――」
 衛邦は一度言葉を切り、そして初めて土毅を見た。静かな瞳だった。その奥にどんな思考が潜んでいたとしても、決して悟らせはしない。そのつもりの、瞳だった。
「どなたかが病であるならば、見舞いを出さねばなりませぬな」
「…………」
 ――なるほど、蒐原は独自に戒絽と連絡を取るつもりだ、と言っているのか。それと察した土毅は、考えを忙しく巡らせた。戒絽が皇帝の葬儀にひとを寄越さなかったのは、実際にのっぴきならぬ事情があったせいかもしれない。だが、新しく皇帝となる伶明を軽んじてのことかもしれない。これまでのような、半属国のような関係に甘んじるつもりはないという、その意志の現れとみることもできる。蒐原もまた、同じ意志を持っているのだろうか……。
 だが、土毅はにこりと微笑んだだけであった。
「それなら、太子どのにお聞きしておきましょうか。戒絽は何故、欠席されたのかと」
「…………」
 衛邦は暫し土毅を見つめていたが、やがてふと視線を逸らした。
「なるほど、太子どのであらばご存知でしょうな」
 あからさまに、気のない返事であった。土毅は内心苦笑する。――さて、衛邦はおれを臆病で愚昧な男であると思っただろうか。それはそれで構わない。何も今すぐ、自分は興に対して事を起こすつもりはないのだ。だが――戒絽や蒐原が起つのなら、面白いことになりそうだ。
「…………」
 土毅は独り、そのおもてに穏やかな微笑を湛えていた。

  × × ×

 葬儀が終わり、賓客らは宮殿の離れにある迎賓館に帰された。二週間後の満月の夜が皇帝の戴冠式の日取りであり、彼らはそれが終わるまで都に逗留せざるを得ない。毎日豪華な宴でもてなされてはいるが、結局のところ興がその国力でもって周辺諸国の長たちを呼びつけているという構図にかわりはない。皇帝が変わったからといって妙な気を起こすなという、無言の脅迫なのかもしれなかった。
 深夜。土毅は独り、館を抜け出した。夜目のきく彼は、二度も華星と出会うことができた、あの中庭を目指して進んでいく。三度、彼女に会えるかどうかはわからない。それでも試す前から諦めるのは、土毅の性分ではなかった。
 もし見咎められれば、美酒に酔い過ぎたとでも言えばいいだろう――と。そう考えた時。
「だれ?!」
 若い女の声。だが、華星の声ではない。土毅はぴたりと足を止めた。振り返ると、侍女らしき格好の女が灯りを持って立っていた。
「異国の方ですね? 何故このような場所に?」
「いや、おれは……」
 何とか誤魔化そうと、一歩踏み出す。彼の右の耳朶につけていた耳飾りが、侍女の持つ炎を受けてきらりと反射した。
「あ!」
 侍女は小さく息を呑む。その視線の先は、彼の右耳に向いていた。
「あなたは、土毅さま?!」
 今度は、土毅が息を呑む番だった。咄嗟に答えが出ない彼を、侍女は腕を引っ張って物影へと引きずり込む。
「あなた、土毅さまでしょう? その耳飾り、華星とお揃いですもの」
「お、おまえはいったい」
 かろうじて声を絞り出した土毅に、侍女は強張った笑顔を向けた。
「わたしは、璃春。華星の幼馴染よ」
「璃春……か」
 土毅はほう、とため息をつく。
「あなた、華星を探していたの?」
「……ああ、そうだ」
 一瞬の逡巡の後、土毅は正直に答えることにした。
「華星に会いたかった」
 璃春は目を細める。
「会って……どうなさるおつもりです?」
「…………」
 土毅は彼女を見つめた。先ほど跳ね上がった脈は、既に落ち着きを取り戻しつつある。
「昔、おれと華星は約束をした」
「約束……?」
「そうだ。簡単には果たせないけれど、それでもいつかは果たすつもりでいる」
 土毅は微笑んだ。
「信じてくれ。おれは華星を泣かせたりはしない。苦しめたりもしない。ただ、今は会えるだけで……それだけでいい」
「…………」
 璃春は迷っているようだった。彼女の揺れる眼差しを、土毅は真っ直ぐに見つめる。逸らしてはいけない、と思った。
「華星は……」
 やがて、璃春はぽつりとつぶやいた。
「あなたのその耳飾りを、とても大切にしている」
 土毅は右耳に手をやる。先日華星の手に無理やり握らせたのは、その片割れだ。今はただ遠くから想うことしかできないが、せめてどこかで繋がっていたい――そんな、自分でも驚くほど感傷的な考えから、土毅はそれを彼女に託した。
「初めてだった。華星が何かに執着するなんて」
 まるで独り言のように、璃春は続ける。
「あなたは、変えてくれるのかもしれない」
「何を、だ?」
「華星の、運命を」
 ――呪われた星の元に生まれたとされる、彼女の運命を。彼女のものでありながら、彼女ではない別の誰かの手で紡がれていく、そのさだめ。
「わたしは」
 璃春は顔を上げ、土毅を見返した。もう、彼女の瞳は揺れていなかった。
「変えて欲しい」
「…………」
 土毅はゆっくりと、深く、うなずき返した。

  × × ×

 戒絽の長は、葬儀に列席しなかった――張皓に指摘されるまでもなく、伶明もまたそのことに気が付いていた。表向きは王の体調が優れぬためとの返答であったが、代理すらも立てないのは不自然だ。
「我々の出方を推し量っているのでしょうな」
 背中から聞こえてくる張皓の言葉に、伶明はうなずいた。
「令尊は戒絽にもかなり厳しく貢物を迫っていた。逃れるものなら逃れたいのだろうな」
「逃れていくだけではなく、牙を剥くやもしれませぬ」
 張皓はひたり、と言う。伶明は振り返った。
「侮られることは、避けなければ」
「……そうだな」
 伶明はため息をつく。
「さて、どうするか」
「即位の記念の品を、手厚く賜られませ」
「記念の品……?」
 伶明は怪訝そうに眉を顰める。
「来なかった者にもか?」
「はい。礼を尽くすことは、時に相手への圧力となります」
「ふむ……」
 伶明は暫し考え、やがて小さく笑った。
「なるほど。それでは即位の式後、使者を出そう」
「そして、もうひとつ」
 張皓は静かに付け加えた。
「他国同士の連絡に、注意を払った方が良いかと」
「そうだな。牙を剥く時は、連合するだろうから」
 伶明はため息をつく。
「やれやれ、先が思い遣られる……」
「太子さま」
 いつの間にか、張皓は視線を上げて彼をじっと見つめていた。
「太子さまには、妹君が三人おられまするな」
「……ああ」
 伶明はうなずく。すべて母親は違っているが、上から順に華星、晶香(ショウコウ)凛玲(リンレイ)である。晶香は華星よりもふたつ年若く十五歳、凛玲はまだ十にも満たない。ふたりの母親はともに正式に後宮にも招き入れられていないような、身分の低い女であった。
「その三人の姫君――特に華星さまと晶香さまは、すぐにでも太子さまのお役に立つかと」
「……どういうことだ?」
 聞き返しかけて、伶明はさっと顔色を変えた。
「わたしは、ひとを道具のように扱うことを好まぬ」
 伶明は、張皓の言った意味を理解した。――妹たちを、他国との関係を強化する道具として使えと。かつて広妃が広陵から興へ嫁いできたのと同じように、今度は彼女らを嫁がせよと。張皓はそう言ったのである。
「それに――華星は、わたしの妃にする。令尊にも赦しを得ていたことだ。喪が明けさえすれば、すぐにでも婚儀を挙げる」
「では、晶香さまは」
「晶香なら良いというものではない!」
 伶明は声を荒げた。
「晶香も、凛玲も、わたしの妹だ。遠い異国の地で独り涙を流すような、そんな生き方をさせたくはない!」
「…………」
 張皓のあくまで静かな瞳を、伶明はじっと睨みつける。……やがて、張皓はすっと頭を下げた。
「太子さまのお考えはわかりました」
「……怒鳴ってすまなかったな」
 落ち着きを取り戻して謝罪する伶明に、張皓は首を横に振る。
「いいえ。しかし――またいずれ、お話を」
 伶明に何か言う暇も与えず、張皓は背を向けて去っていく。
「…………」
 伶明はただじっと、前屈みに歩いていく張皓を見送っていた。