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Mother and Daughter

不調和な二つが一つの束にならざるをえないこと、悩める意識のなかでこの正反対の二つがいつも争いあっていることはまさしく人類にかけられた呪いである。どうやったらその二つを分離することができるのだろう?

 自分がこのような高級ホテルに泊まったのはもうどれくらい昔かと考えをめぐらせ、雪村(ゆきむら)初子(はつこ)はため息をついた。──きっと新婚旅行だ。夫と別居した今となってはあれもただ滑稽な思い出でしかないが……。
「YOKOさん、デビューアルバムが異例の売れ行きを見せていますが」
 初子ははっと我にかえった。そうだ、今は仕事中。同僚である友人が新進気鋭のピアニスト、YOKOにインタビューをしている最中である。
 初子は小さな雑誌社でデザインの仕事をしている。彼女はライターではないから、記事の内容に関与していない。そんな彼女がこうしてインタビューの場に同席するのは初めてのことだった。YOKO自らがデザイナーである初子に興味を示したのだというが、その辺りの事情は良くわからない。
「私の音楽を受け入れて下さる方が思いの外たくさんいらっしゃって、正直驚いています」
 YOKO。本名は知られていない。年は初子の娘と同じくらい──確かまだ音大生だと聞いている。染めたことなどないのだろう、艶やかな黒髪は長く、いささか直線的に過ぎるほどだった。たとえが悪いが、まるで何かの呪いを掛けられた日本人形のような、そんな美しさ──この危うい魅力が、彼女のアルバムの売上にも一役買っているのかもしれない。
 彼女はあくまでも落ち着いた口調だった。最近は各種マスコミに持ち上げられていながら、浮かれた様子などは全くない。
「私の音楽はどちらかといえば内向的だと言われていて、私自身誰かに聞かせることには無頓着だったのですが」
「YOKOさんの師は吾妻(あがつま)春枝(はるえ)さんですよね。先生は今何と?」
「先生は最初、アルバム作成には反対だったんです」
 YOKOは目を伏せた。
「録音してしまえば音楽はそこから先に進めなくなる──私はまだその段階ではない、と」
 吾妻春枝は十年前ほどに一世を風靡した名ピアニストであった。しかし今は持病の糖尿病が悪化して両脚が不自由となり、車椅子生活を余儀なくされている。後進の指導に熱心に取り組んでいるという話だ。
 師弟関係に突っ込んで話を聞くことは得策ではないと感じたのだろう、友人は話を変えた。
「アルバムの中で、特にお気に入りの曲は?」
「そうですね、どれも好きな曲ばかりを集めたものですけれど──」
 初子は手元のCDを見下ろした。ジャケットは彼女本人の写真だが、ふたりの彼女が向かい合わせに立ち互いの手を合わせている……まるで鏡か、それとも双子のような。
 ──そういえば、私はどこかでこの人に会っているような気がする。
 初子は眉をひそめた。思い出せない。最近物忘れが激しくなった。歳を取るのは嫌なものだ……。
「コンサートのご予定もおありとか」
「ええ」
 YOKOは彼女の背後に佇んでいた若い男性に軽く合図した。端正な顔立ちにも関わらずひどく無表情なその男は、胸ポケットから何やら取り出して友人と初子の前にそれぞれ置いた。どうやらチケットらしい。初子の前には二枚、おそらく友人にも同じだけの枚数が渡されているだろう。
 男はマネージャーだと言っていたか。YOKOとは年齢的にも容貌もお似合いだが……。ふと初子は娘とその交際相手を思い出した。少し変わっているその青年を、初子は自分でも意外なほど気に入っている。礼儀正しく、溌剌としていて、かと思えば思慮深く──何より重要なのは娘を大切に扱ってくれているということ。我が娘ながら一癖も二癖もある子なのだが、彼にとってはそれがいいらしい。「蓼食う虫も好き好きね」とつぶやいたところ、娘はひどくむくれていたっけ。
「お忙しいところ、お時間ありがとうございました」
 ふと気付くと友人が立ち上がり、礼を述べている。インタビューは終わりのようだ。今日はどうも意識が集中しないな、と初子は思った。
 YOKOは年齢不相応に落ち着いた笑みでそれに応えている。
「こちらこそ、私などのためにわざわざご足労下さって……」
 ふ、と彼女の視線が初子をとらえた。
「雪村さん……でいらっしゃいますよね?」
「え、ええ」
 インタビューが始まってから、YOKOが初子に声を掛けたのはこれが初めてだった。面食らった初子が目を瞬かせると、YOKOはくすりと笑って言葉を続ける。
「お嬢さまと良く似ていらっしゃいますわ」
「絵音(かいね)をご存知で……?」
「お時間ですよ、YOKOさん」
 マネージャーに遮られ、初子は口をつぐむ。YOKOも笑ったまま初子の問いには答えなかった。
「それでは失礼致します」
 部屋を出るYOKO、従う青年。取り残された中年女性ふたりは、自分の子供のような年代の彼らに、どこか圧倒されたような様相であった。

 初子がYOKOを思い出すまでにはさほど時間が掛からなかった。娘に聞くまでもない。ちょうどその日発売の女性誌が、YOKOに関して少々踏み込んだ記事を掲載していたのである。
 ──美人ピアニスト・YOKOの双子の姉は元医大生、半年前に自殺!
「これはさあ、載せちゃなんないわよねえ。かわいそうに」
 取材帰りの喫茶店。カメラマンを先に帰し、ふたりは駅でその雑誌を購入した。なぜか罪悪感があったのは、まだYOKO本人の印象が鮮烈だからだろうか。
 初子は友人の吐き出す煙草のけむりに顔をしかめる。しかし友人はそれが自分の発言への同意だと受け取ったらしい。まあ、あながち間違ってはいない。
 初子は小さくつぶやいた。
「うちの娘もちょっと巻き込まれてね。病院ですれ違ったのかも」
 友人は目を丸くしてうなずく。
「そう……それで」
 娘はあまりあの事件について語ろうとしない。嫌な体験だっただろうし、初子も無理にとは思っていないが、やはりまだ少しは気に掛かっている。
「でもやっぱり芸術家ってちょっと神経が違うのかしらね」
 友人はぺらぺらと雑誌をめくりながらつぶやいた。
「『姉の死を乗り越え才能を開花させた』……か」
「わかんないわよ、本人の気持ちなんて」
 初子はコーヒーをすすった。酸味がきつすぎて、あまり美味しいとは思えなかった。
「案外引きずっているかも」
「でも、YOKOの名が知られ出したのってここ半年よ。それに以前はそんなに目立つ子じゃなかったって……これはみんな言ってる」
「みんなって誰?」
 嫌味交じりの初子の問いは、彼女には聞こえなかったらしい。
「きっと何かあったのよ。間違いないわ」
「…………」
「あのマネージャーとも噂になってるしねー。知ってる? あれ吾妻慎二(しんじ)って言ってね、吾妻春枝の息子なの」
 一息にまくし立てた後、友人は突然我に返ったように身を引き、ため息をついた。
「……大変だわね、人気者は」
「つぶれてしまわなければいいけれど……」
「確かにね。まだ若いし……そうでなくても、急に人気が出るとみんなどこかおかしくなっちゃうから」
 だが、彼女に限ってそういったことは起こらないような気がした。根拠などない。ただ、あえて言えばあの落ち着き払った態度。どこか陰のある美貌。そのすべてが、どこか浮世離れした雰囲気を漂わせている。「呪いの掛かった人形」――自分で思い浮かべた表現だが、それがあまりにもぴったり当てはまる。しかしきっと彼女は人形などではないだろう。誰かに操られることなど、彼女が是とするとは思えない……。

 YOKO。
 双子の姉。
 自殺。
 半年。
 吾妻慎二。

 初子は彼女の笑みを思い出して小さく身震いする。──何か、得体の知れない不気味な感覚。それを、人は予感と呼ぶのかもしれない……。