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TRAP

 駅近くのファミリーレストラン。久しぶりに会った東友早と須藤眞由美に、草摩は険しい面もちで相対していた。初対面の絵音と二人を紹介したきり、何か考え込むように視線を落としている。絵音は小さくため息をついた。思考に没入した草摩は手がつけられないということを、彼女は既に良く知っている。
「とりあえずメニューを見て。食べるもの決めて」
「ん……」
 草摩ははっとしたように目を瞬かせ、小さくイタリアンハンバーグとつぶやく。絵音はさらに尋ねた。
「パンかライス、どっち? セットにする?」
「じゃライス。セットはいらない」
「ドリンクバーは全員つけよう」
 友早が割って入った。
「ここは奢るし、いいよな?」
「いいんですか?」
 尋ねる絵音に、友早はうなずいた。眞由美も憔悴した顔を無理に微笑ませる。
「そんなの、当たり前じゃないですか」
「…………」
 救いを求めるように草摩を見やっても、彼はまだ自分の世界に浸っているようである。何をそんなに考えているのだろう、と絵音は思った。まだ直接には何も聞いていないのに……。
 軽く手をあげてウェイトレスを呼んだ友早は、四人分の注文を済ませた。ウェイトレスは注文を復唱した後ドリンクバーの位置を案内し、メニューを回収して去って行く。まさにマニュアルどおりの接客だな、と絵音はぼんやり思った。
 何か飲み物を取りに行こうと立ち上がった彼女を、草摩は肩を押さえて座らせる。どうやら普段のモードに戻ったらしい。
「何がいい? 取って来るから」
「何があるか、見てみないとわからないわよ」
 笑う絵音に、草摩は不満げに唇をとがらせた。
「……そうかな」
「一緒に行くわ」
 肩に置かれていた手をとり、立ち上がる。先に進んでいた二人を見やって──。
「…………?」
 眞由美が振り返ってこちらを見ていた。唇は引き結ばれ、瞼は半ば降りている。冷たい、無表情。絵音が不審な表情を浮かべる間もなく、それは跡形もなく消え、先ほどと同じ気弱な微笑が彼女の顔を覆った。
「絵音?」
 草摩が不思議そうに尋ねる。いつも通りの彼だ。優しく、いつも彼女を気遣ってくれる……。
「何でもない」
 首を左右に振る。
 そういえば、草摩は眞由美と会うのは二度目のはず。以前の彼女はどんな様子だったのだろう。
「前に会ったとき」
 まるで絵音の心を読んだかのように、草摩は口を開く。
「眞由美さん、かなり桐生に積極的に話し掛けててさ。友早が桐生にキレてたなあ」
「不思議よね」
 絵音はグラスにアイスティを注ぐ。
「恋人が浮気すると、たいてい浮気相手に怒るの。恋人に対してよりも強く……面白いわね」
 彼女の口元は皮肉っぽく吊りあがっている。浮気……、自分たちには関係のない話であって欲しい、と草摩は強く思う。
「ま、別に眞由美さんは浮気してないけどな。そもそも桐生はああいうやつだし」
 草摩はオレンジジュース。
「でも、たしかに桐生さんってモテそうよね」
「…………」
 草摩がぴくりと反応する。絵音は笑いたくなるのを何とか留めた。
「絵音もそういうの、わかるのか?」
 さりげなさを装ってはいるが、視線は不自然に背けられている。絵音はふっ、と真顔になった。
「私と桐生さんは相性が悪いと思うわ。単なる知り合いとしては上手くやれると思うけど……」
「相性? 何で?」
「勘よ」
 絵音はそのまま話を打ち切る。それ以上説明するつもりはなかった。草摩も雰囲気で悟ったのか、追求しては来ない。
 桐生と絵音──あまりにも似ている。近くにいてはきっと、お互いを深みに引きずり込むだけだ。
 必要なのは草摩のような、光。

 食事は他愛のない会話と共に進んだ。草摩と絵音の馴れ初めだとか、互いの大学生活だとか──眞由美の無口さが目立ったが、彼女の置かれている状況を思えば無理もないのかもしれない。
 皿をウェイトレスが下げ、四人が食後のコーヒーや紅茶を手にした後、友早がぽつり、ぽつりと話し始めた。
 草摩は既知の情報と、新しい情報を頭の中でより分け、整理に努める。後者はさほど多くはなかった。ストーカーについてもまだはっきりしたことは何もわかっていない。事態が動いているとすれば、それは須藤家の中でのことだった。
「眞由美のお母さん、家を出ているんだ。実家に戻っているんだって」
「お母様のご両親はご健在なんですか?」
 尋ねる絵音に、眞由美が答える。
「叔母の家が二世帯住宅で、祖母が住んでいるの。母さんは今そこにお世話になっています」
「気になるのは、それ以来ストーカーがぴたっとおさまったことで」
「…………?」
 草摩の身体がぴくりと震えた。
「ストーカー、見なくなったのか?」
 思いの外強い口調で眞由美に尋ねる。彼女は驚いたような様子で、それでも素直にうなずく。
「ふうん……そう」
 草摩はコーヒーフレッシュをふたつ、黒い水面に放り込んだ。乱暴にかき混ぜる。
「おもしろいな」
 そのつぶやきに、友早がいらついたような表情を見せた。
「何か、わかったのか?」
 だが、声はあくまで静かに、低い。あくまで意見を請う立場なのだと思い直したのだろう。自分の恋人のためにそこまでの努力をする彼に、絵音は好感を持った。それと同時に、先ほど見た眞由美の表情が気になった。こころのどこかを凍てつかせたかのような、不気味な表情……。
「そういえば」
 草摩は聞いているのかいないのか、顔を上げて反対に友早に尋ねた。
「叔母さん、元気か?」
「あ? ……ああ」
 友早は少し当惑したようだった。隣の眞由美は――俯いていて表情が見えない。
「母さんなら、元気だよ。今は自宅で英語塾開いて」
「そうか」
「もともと外大だしね」
 友早の表情が緩む。父を突然に亡くしてからまだそれほど経っていない。甥に当たる教祖に心酔し、親友だった草摩の父を手に掛け、最後は自ら命を絶った。友早は父を今、どう思っているのだろうか……。
 草摩は思わず自分の首に手を回した。あの時、叔父の指は何のためらいもなくここに食い込んだ。草摩は、殺されかけたのだ……。
「母さんは大丈夫だよ。眞由美のことも心配してる」
「…………」
 ――ふと、絵音は気付いた。眞由美の身体は細かく震えている。顔色も良くないようだ。
「眞由美さん、大丈夫ですか?」
 眞由美ははっとしたように身体を起こした。
「ええ、大丈夫。ごめんなさい」
「眞由美……?」
 友早は眉を寄せた。
「また眠ってないのか……?」
「ううん、寝てるわよ」
 微笑む様子は何とも痛々しい。絵音は目をそらし、隣に座る草摩に視線を向けた。
「…………」
 草摩は目を見開いて二人を眺めている。その表情は固く、どちらかといえば怒りにさえ似ていた。そこに同情の様子は全くない。
「草摩……?」
「なあ、友早」
 絵音の声は届かなかったのか、草摩はそれに答えることなく口を開いた。
「ストーカーについて整理していいか。間違っていたり、足りない部分があったりしたらどんどん言ってくれ」
「お、おう」
 彼の勢いに、友早も少々困惑しているようだ。だが、草摩は無頓着に話を進めた。
「ストーカーは眞由美さん以外の前ではうまく姿を隠している。年は中年から初老で、男性。直接接触を計ってきたことはないが、毎日尾行してくる。家に着くまでには姿をくらませている」
「その通りだ」
 眞由美もうなずく。
「お母さんが家を出た後、見当たらなくなっていて……、そんなところかな? 尾行以外の嫌がらせはないんだったよね」
「そう。あと……」
 友早が迷うように視線を揺らした。
「教団のバッヂは……」
「それ、確認しようがないから情報に入れなかった」
 草摩はあっさりとそう言い捨てた。
「え、何で?!」
 思わず声をあげる友早。眞由美も唖然としている。
「だって、そのバッヂが本当に教団のものだってどうしてわかる? 眞由美さん、実物知ってるの?」
「昔、母さんの持ち物にあったから……」
「それと見比べた?」
「ううん、今はたぶんもう持ってないと思うし」
「怯えていたせいで似ているように見えたのかもしれない。そうじゃないって言い切れる?」
「それは……」
「おい、草摩」
 友早がわずかに怒気を顔に浮かべていた。
「どういうことだよ。眞由美を疑ってるのか?」
「疑ってる? 何を」
 草摩はその顔に――冷笑を浮かべた。絵音のはじめて見る表情。
「ただ、そのストーカーの目的が見えて来たような気がしてね」
「え?」
「篠原詠子さんを須藤家から追い出したいんだろ? そのために眞由美さんを利用してるんだ」
「え……、そんな、馬鹿な」
「母さんを……?」
 眞由美がつぶやく。その横顔を、絵音はじっと見ていた。
「教団は? 教団が、眞由美のお母さんを引き戻したいと思っているとか……」
「…………」
 草摩は少し首を傾け、考える様子を見せる。
「でも、それなら篠原詠子さんが実家に身を寄せた後も別の方法でアプローチしてくるんじゃないかな?」
「実はあるのかな……」
「いや、篠原さん……えっと、篠原詠子さんの弟さんだけど、彼は何も言ってなかった」
「…………」
 友早は混乱したのか、目を瞬かせた。
「じゃあ、一体……」
「でも!」
 眞由美が声を上げ、その場の誰もが口をつぐんだ。
「あれ、確かに教団のバッヂだったわ。間違いないの!」
「……けど、捨てたんだろ?」
 ぼそりとつぶやく。その草摩の声は絵音にしか届かなかっただろう。
「私……どうしたらいいのかしら」
 眞由美の肩が細かく震えている。
「母さんも出て行っちゃうし……私……」
「…………」
 草摩は小さくため息をついた。
「ちょっと俺に考えがあるんだ。悪いけど、また後で連絡するよ」
「え?」
「じゃあ絵音、行こうか」
「う、うん」
 絵音は戸惑った表情のまま、草摩の後に続く。呆気にとられている二人を後ろに残し、草摩はすたすたとレジに向かった。店員に何ごとかを告げ、絵音と彼の二人の分を払う。
「そ、草摩!」
 草摩は振り向き、絵音に微笑む。そこに先ほどまでの厳しい様子はない。
「あの二人に奢ってもらうのは、ちょっとね」
「じゃあ後で私も払うわよ。それにしたって、いきなり何だっていうの……」
「作戦会議」
 草摩はぽそりと告げた。
「明日帰るだろ? さっさと片をつけないとな」
「…………」
 どうやら草摩の頭の中には結末が見えているらしい。絵音はきゅっと唇を噛み、草摩の手を握った。せめて、これ以上離れてしまわないように……。
 握り返されるその強さに、絵音はほっと安堵した。