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File.4 Borderline 14~15

  14
  
「犯人が、ふたり?」
 葉山が問い返す。草摩は苦笑で答えた。
「犯人、という言い方が正しいかどうかはわかりませんけれど……この不可解な状況を作り出す原因になった行動をした人物は、二人です」
「遠回しな言い方をするねえ」
「言葉と事象を近づけるためです」
 草摩は桐生を見ない。彼の表情を視認したくはなかった。
「……で? その二人ってのは?」
 葉山に促され、草摩はのろのろと言う。
「一人は、桐生美里」
 草摩の脳裏には、二十年前の惨劇が再生されていた。もちろん見たことはない。当時彼はまだこの世に生を受けてすらいなかった。
 けれど……、
 それでも、見えるのだ。
 憎悪に歪む女性の顔。
 恐怖に引きつる、老女の顔。
「そして、もう一人は――」
 立ちすくむ少年。
 やがて彼は不自然な冷静さを取り戻し……。
 
「桐生千影、です」

 桐生はその告発を静かな面持ちで聞いている。その表情には驚きも怒りも、何もない。
 草摩の声は悲しみに満ちていた。
 あのときの一騎と同じ。
 同じだ。
 彼は、草摩は――気付いたのだ。このクイズを、解き明かした。
 そのことだけが、桐生の心を占めていた。
 
 
  15
  
「桐生美里? それは被害者の一人じゃないか!」
「簡単に言うと」
 草摩は何故か疲れたような表情をしている。絵音にはそれが気にかかった。
「桐生時子を殺したのは、桐生美里です。そして」
「桐生美里を殺したのは……?」
「それは」
「彼女自身……というわけね」
「…………」
 絵音の言葉に、草摩は頷いた。桐生は身じろぎもせずに耳を傾けている。無表情。
「そんな」
 葉山は声を上げる。
「桐生美里が、自殺……? しかも桐生時子を殺した、だって?!」
「そう考えるのが一番自然ではありませんか?」
 草摩は静かに答えた。
「彼ら二人の間に確執があったのは、誰もが証言していることでした」
「それはそうだけど……」
「直接の動機は今となってはわからないことですから、俺は何も言えません。彼女が自殺した理由も……俺にはわからない。ただ、それが事実としてあったということが、想像できるだけです」
「…………」
 葉山は叔父を見る。彼は先を促すように、草摩を見つめていた。
「多分桐生千影が帰ってくる前に、全ては終わっていたのでしょう」
 桐生のことをフルネームで呼ぶ。そうすることで、草摩は自分の知る「桐生」と二十年前の「桐生千影」を区別したいのかもしれない。
「彼は帰って来て……明らかに何者かによって殺害されている祖母と、首を吊って自殺している母親を見つけた。一体何があったのか推察することは難しくない。もしくは、母親は何か遺書を残していたのかもしれない」
「…………」
 草摩の足元に落ちる桐生の影が、ゆるゆると首を横に振っていた。きっと、そんなものはなかったというのだろう。つまり――今までのところでは、草摩の推理は大方外れていないということ。
 草摩の喉元にぐっと何か塊が押し寄せた。
 苦しい。
 父の思う真実に一歩近付けたという安堵と、桐生の閉ざされた過去を暴いた罪悪感。
 苦しい。
 草摩は何かを振り切るように、再び口を開く。
「少年は考えた。このままでは母が祖母を殺して自殺したという事実が残る。つまり、母親は殺人犯になってしまう……」
「だから……」
 絵音は呟いた。
「だから、偽装した。自殺か他殺かわからなくなるように。母親が殺人事件の被害者と目されるように……」
 草摩は唇を横に引き結んだまま、言葉を噛み締めるように口にした。
「母親を下に降ろしても首についた痕は消えないし、何らかの方法で死因は解明されてしまう。自殺を他殺に見せかけた、と思われてはいけないのです。だったら」
「誰かが、他殺を自殺に見せかけようとして、失敗した――」
「そういう風にした方がいいと考えた」
 草摩と絵音の声が交互に響く。
「それで、警察は実際混乱した」
「…………」
 葉山は言葉を失っていた。まさか――桐生美里が桐生時子を殺害したなど。考えられない。しかし……、矛盾も、ない。
「彼が次に考えたのは、事件発覚のタイミングだったのだと思います」
「それで、金魚鉢を……。収れん火災を引き起こすために? アリバイ作りか?」
 草摩は首を横に振る。
「むしろ、死亡推定時刻を偽装するといったほうがいいかもしれない。死亡推定時刻って、検死からだけではそう厳密には決められないそうですね?」
「ああ」
 篠原は頷く。
「そのときの湿度、気温などの環境にひどく影響される。同じ室内でも布団の中と畳の上では変わってくるし……」
「つまり、死亡推定時刻は純粋に遺体の状況からは決めづらい。では一体何を参考にするのか……」
「遺体から得られる以外の情報――でしょうね」
 絵音は呟いた。
「そう。つまり、被害者が死亡したのは、生存しているのを目撃された最後の時間以降であり……」
「遺体が発見されるまでの時刻まで、ということ」
「今回の場合、最後の目撃者は桐生千影とされた。無論、彼がそう証言したからです」
「そして、遺体が発見されるきっかけとなったのは火災……」
 草摩と絵音の言葉が、葉山の目の前に鮮やかな文様を織り成す。血と、炎に染まった――。
「もちろん二人の死因が焼死でないことはすぐにわかった。けれど、正確な死亡時刻は遺体からは推測できなかった」
「だから、彼が証言した時刻以降に死亡したのだと――誰もがそう思った」
「でも実際は違った」

「彼が見たのは生存していた二人ではなく」
「既に死亡していた二人だった」

 顔を俯かせた二人は、まるで輪唱でもするかのように語り続けた。
 どちらかが言葉を止めるのを怖れるかのように。
「でも」
 葉山が声を上げた。
「収れん火災なんて、都合良くそう引き起こせるものなのか? 試す時間だってなかっただろうし……」
「確かにおっしゃるとおりです」
 草摩は頷く。
「もしかしたら幾つか保険をかけておいたかもしれませんね」
 絵音がふと顔を上げた。
「保険?」
「そう。灯油を撒いていたところをみると、彼はどうしても火をつけたかったのでしょう。事件発覚のタイミングをコントロールするのに重要ですから」
「さらに、自分が家を離れて充分時間が経った頃、発火する必要がある……」
「収れん火災はいい方法です。見破られにくいし、時間も稼ぐことができる。ただ、着実に発火するかどうかがあやしい」
「たとえば、ですけど――」
 絵音は天井を睨んだ。
「もし桐生時子さんの部屋に仏壇があったなら、きっと線香やろうそくがあったはず。たとえば灯油を撒いた床の上にろうそくをそっと立てておけば、いつかは燃え移るでしょう。ただ、倒さないように注意する必要がありますけれど」
「ろうの痕なんてほとんど残らないだろうしね。何しろ一番良く燃える部分にあるわけだし」
 篠原が頷く。
「今のはただの思いつきですけれど……」
 絵音がちらりと桐生を見た。正解の提示を求めているのだろうか。桐生は口元だけでくすりと笑う。
「まあ、大体絵音さんの考えておられる通りですよ。一応保険は幾つか掛けておきました。結局、どれがうまくいったのかはわかりませんが」
「幾つか?」
 草摩が尋ねる。
「ええ。一つは確かにろうそく。ひもで何本かを束ねることで倒れないようにしました」
「他にもあったのですか?」
「とっさでしたからね。たいしたことはできませんでしたけど」
 桐生は言葉を濁す。
「とりあえず、続きをどうぞ」
「続き……?」
 当惑した表情を見せる絵音に、草摩は告げた。
「ほら。桐生慶吾の方の事件」
「…………」
「あれって何か謎あったっけ? 警察も自殺だと断定したわけだし」
 葉山が首をひねる。篠原が指摘した。
「何故彼は自殺したのか、当時その動機はわからないままだったんだよ」
「ええ、そうです」
 桐生は頷く。
「よりわかりやすく言えば、一体何が彼を自殺に追い込んだのか――」
「それもクイズですか?」
「ええ」
 葉山の問いに、桐生は微笑んで頷いた。
「こちらはかなり簡単だと思いますが、どうですか?」
「……彼は妻の亡霊に怯えていた」
 草摩はゆっくりと口を開く。
「何故、彼は怯える必要があったのか……」
「罪悪感があったから?」
 絵音が言う。
「なるほど、それも一つかもしれない。母親に対しては怯えていないわけだから、何か理由があったんだろう。でも、彼に妻に対して罪悪感を持つくらいのこころがあれば、桐生美里は姑を殺さずに済んだかもしれない――」
 桐生はそれを聞いて寂しげに微笑む。内心で、草摩の言葉に同意しているのかもしれない。
「……だとしたら」
 絵音がはっと息をのんだ。
「彼は実際、亡霊を見ていた……?」
「ああ。おそらくは」
 草摩は頷いた。
「だからこそ、怯えたんだ」
「亡霊?」
 葉山が声を上げる。
「え、君らってそういうの信じる人?」
「信じる信じないはこの際問題ではありません」
 草摩は厳しい表情になった。
「事実として、桐生慶吾は妻の亡霊を見ていたんだ」
「問題は」
 絵音が言う。
「その亡霊は、一体何だったのかということ」
「え?」
「幽霊の正体見たり枯れ尾花――なんて川柳があるでしょう?」
 草摩はにこりともしない。
「誰かが、桐生慶吾に亡霊を見せたんです。それが、彼を死に追いやった」
「誰か……?」
 呟いた葉山がはっと視線をある場所に向ける。
 ――そこには、
「お見事です」
 立ったまま壁にもたれかかり、ゆるく腕を組む桐生の姿があった。