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File.4 Borderline 12~13

  12
  
 絵音は思わず隣に座る草摩の方を見た。彼は静かな表情で黙っている。
「では、その根拠を教えていただけますか?」
 桐生は余裕ありげな表情で葉山を促した。
「昼頃、貴方は一度帰宅しているでしょう? そのとき」
 葉山はじっと桐生を見つめている。
「貴方が祖母と、母親を殺した……」
「どうやって?」
 篠原が声を上げた。
「桐生時子さんの方はともかく、美里さんは? ふつうに首を絞めたのでは検死結果と矛盾する」
「うーん、そっちの方は専門じゃないし、俺にはわからないんですよね」
 葉山は髪を掻いた。
「たとえば……、そうだなあ、確か地蔵背負いとかいう方法がありませんでしたっけ?」
「ああ……」
 篠原は頷いた。怪訝そうな顔をしている草摩と絵音に向かい、簡単に説明する。
「背中合わせに立って、相手の首に何か輪っか状にしたひもを掛け、背中をあわせたまま腰を屈めるようにして肩に掛けたひもを引っ張り、持ち上げるんだ。そうすると首の後ろ側には索状痕……、つまりひもの痕ができなくて、まるで自殺をしたように見せかけることができる。……まあ有名な方法だし、他の何らかの痕跡から見破られることが多いけどね」
「この場合はあり得ませんかねえ」
 縋るような目つきで叔父を見る葉山に、しかし篠原はそっけなかった。
「彼女が首をくくっていたひもはマフラーだった。それもカシミヤの、毛のつきやすい素材だ。もし桐生君が肩に掛けたなら、彼の着ていた服の線維が残るだろう。もしくは、重みを受けてほつれた部分ができるはずだ」
「別のひもでしめて、縛りなおしたのかも……」
「そうしたら二重痕になるよ?」
「……うーん」
 葉山は唸った。篠原はくすっと小さく笑う。
「自殺に見せかけた他殺というのは昔から良くあるからね。こちらもそれを見抜くために必死なんだ。それに」
 ちらりと桐生を見る。彼は腕を組んだまま、無表情に叔父と甥のやりとりを眺めていた。桐生の顔から表情が消えているなど、珍しいことだ。草摩はぼんやりとそう思った。
「美里さんの自殺には疑わしい点があった。捜査もかなり綿密に行なわれたようだよ」
「疑わしい点というと……」
 草摩が促すように篠原を見つめる。彼は頷いた。
「そう。踏み台がどこにもなかったことだね」
「でも……」
 気を取り直したように、葉山が口を開いた。
「現場検証では、一家以外の毛髪や遺留物は何も見つかりませんでしたよね? もし第三者が上がりこんで彼女らを殺したのなら、多少は何か痕跡が残るんじゃないでしょうか」
「それは確かにそうかもしれない」
 篠原はゆっくりと言った。
「だからといって見落とさなかったとはいえないよ。存在しないことを証明するのは、とても難しいことだ」
「…………」
 葉山は眉を寄せる。
「つまり、不正解だと?」
「そうは言っていない」
 篠原はあくまで淡々とした口調を崩さない。
「君にはまだ証明しなければならないことがいくつか残っている。それを示さなければ、僕には何とも言えない」
「……つまり、直感では駄目なんですね」
「それじゃクイズにならないだろう?」
 意味ありげに、篠原が桐生を見遣る。桐生は苦笑して頷いた。
「そう、篠原さんのおっしゃるとおりですね。……葉山さん、どうなさいますか?」
「うーん……」
 葉山が何故か救いを求めるように草摩を見た。すると、何故かその場にいたものの視線がいっせいに草摩に向く。
「え? 俺?」
 草摩は自分の鼻先に指先を向けた。
「お、俺は後でいいです」
「ということは」
 葉山がずいと乗り出した。
「僕とは違う答えを持っているんだろ?」
「い、いやあ」
「もったいぶってないで教えてくれよ」
「うーん」
 草摩は渋るように眉をしかめた。多分顔の左半分に感じている視線は絵音で、真正面のものは桐生だろう。――今、桐生は何を思って自分を見ているのだろうか……。
「そういえば」
 不意に、絵音が口を開いた。
「葉山さんは、火をつけたのは誰だとお考えなんですか?」
「え? そりゃあ……」
「桐生さんではあり得ませんよね?」
 絵音は微笑む。
「だって火が点いたとき、桐生さんは家から離れた図書館にいたんですから」
「……あ」
 忘れていた、とでも言うように葉山は頭を抱えた。いちいち動作の芝居がかった男だな、と草摩は思う。
「何か、自動発火装置のようなものはなかったんですかね? それを推測させるようなものとか」
「なかったね」
 篠原の答えに、葉山は肩を落とす。
「出火元は桐生時子さんの部屋だったんですよね……」
「そうだね」
「一面に灯油が撒かれていた?」
「そう」
「じゃあ、たまたまの火の不始末だった、という訳ではない……ですよね……」
 首をひねる葉山から篠原へと、草摩は視線をうつした。
「篠原さん」
「なんだい?」
「質問があります」
 草摩はごくり、と唾を飲んだ。――まずは、一歩。駒を、進めよう。
「その日の天気を、教えてください」
「…………」
 篠原がすっと目を細めた。
「君はどう思う?」
 草摩は答える。

「……快晴だったのだと、考えます」

「…………」
 沈黙が落ちた。
 篠原は静かに、ゆっくりと息を吐く。
「正解だ」

  13
  
「え、何で?!」
 葉山が声をあげ、絵音が眉を寄せて唇を尖らせた。真剣に考えているらしい。
 桐生はにこにこと微笑みながら草摩を見つめている。――その微笑みの訳がわからない。草摩は軽い頭痛を覚え、額に手を当てた。
「今の質問には何の意味があるんです?」
 葉山は篠原に向かって尋ねるが、彼は草摩を指差すだけで答えない。彼に答えさせようというのだろう。草摩はため息をついた。
「快晴だから、火がついたんですよ。それだけのことです」
「……あっ!」
 絵音が僅かに椅子から飛び上がった。大きな瞳が輝く。
「わかった、それで金魚鉢……」
「正解」
「全然わからないんですけど……」
 ぼやく葉山に向かい、草摩は口を開いた。
「収れん火災、というのをご存知ですか」
「しゅうれん……?」
「たまに報道にも出ているんですけど……まあ、俺が知っていたくらいですから、きっと話に聞いたことくらいはあると思います」
 草摩は天井を仰ぎ見た。眩しそうに目を細める。
「葉山さん、小さい頃にこんな実験をしたことはありませんか――虫眼鏡で黒い布を燃やすんです」
「あるけど、それが……あ?」
 葉山が目を見開く。
「もしかして、金魚鉢……?」
「古い例では、確かネコ避けに置いてあった水入りのペットボトルが原因になっていました。ビルのミラーガラスとか……あと、珍しいものでは透明なゴムの吸盤とか」
 葉山は大きく頷く。
「そうか、つまりは曲面がレンズみたいに働いて光を収束させれば……」
「発火してしまうこともあるんです。問題は、なかなか出火元が特定できないことですよね。他に何の原因も考えられなければ、収れん火災が疑われることもあるでしょうけれど、今回のような場合は誰もがふつうにライターやマッチを使った放火を疑います」
「でも、確かこの事件は冬だっただろ? ふつう夏に起こるんじゃないの?」
「勿論夏に多いんですけど、冬にも起こるみたいですよ」
 すらすらと答えて見せると、葉山は訝しげな表情になった。
「……詳しいね」
「ええ、まあ」
 草摩は曖昧にごまかす。実際は父の資料を元にしてこの仮説をたてた後、既に自分なりに一通り調べていたのだ。だが、彼はそれ以上の追及を避けるように話題を変える。
「勿論、撒き散らされていた灯油は誰かの手によるものです。金魚鉢を収れんの起こりやすい場所に置いたのも、おそらくはその人物の手によるものでしょう」
「まるで……」
 呟きかけた絵音がはっと息を呑んだ。
「そう」
 草摩は頷く。
「ありていに言えば、アリバイ工作だったんです。二人の死と放火の、時間差を作るために」
「……アリバイ?」
 葉山が顔を上げる。
「じゃ、じゃあやっぱり桐生君にも可能だったんじゃ……」
「本人を前にして、結構言いますね」
 絵音が咎めるような口調で言うと、葉山はさすがにばつが悪そうに桐生を見遣った。
「いえいえ、お気遣いなく。興味深く拝聴していますから」
 くすり、と笑う桐生の表情に嘘はない――ように見える。草摩は胸中にため息をつきながら、口を開いた。
「葉山さんは、固定観念に囚われすぎですよ」
「何だって?」
「どうして犯人は一人だと――全ては同一人物の犯行によるものだと決め付けるのですか?」
「…………」
 ――少しだけ。ほんの少しだけ、桐生の頬が強張った。
 草摩はそれから目を背け、言葉を続ける。
「この一連の事件は――ふたりの人物の手によるものだ。俺はそう、思います」