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File.4 Borderline 10~11

  10

「と、いうわけで。結局犯人は捕まらなかった訳なんです」
 彼が十三歳の頃に体験した、例の事件。桐生はまるで、他人ごとのように淡々と語り、そして淡々と語り終えた。
 やはりと言うべきか何と言うべきか。場は静まり返って居心地の悪いことこの上ない。部屋にいる数名の人間はソファに座ったまま、身じろぎもせずにいた。
 草摩は舌打ちしたい気分になった。──こいつは、どこまでも……。
 結局のところ、これは彼のわがままなのだろうと思う。彼は懺悔だと言ったが、実際はただの自己満足に過ぎないというような気もする。
 
 楽になりたいのだろうか。
 開放されたいのだろうか。
 ――それは一体、何からだろう。

 ……ぽり。
 静けさを破る軽い音。それは、篠原がスナック風に揚げたポテトをかじった音だった。続けてリズミカルに響くその音に、草摩はふっと息を吐き出した。絵音はグラスに注がれていたチューハイを飲み干し、葉山は空のグラスにビールを継ぎ足した。まるで、一時停止ボタンが解除されたかのようだ。
 やがて草摩は覚悟を決め、口を開いた。
「で。クイズってのは、何なんだ?」
 これは、彼にしかできない彼の役目。桐生の用意した舞台の幕を引き上げるのは、彼でなければならない。
「ええ……」
 桐生は微笑んだ。いつもと何も変わらない笑み。
「この事件が、クイズです」
「え?」
 葉山が驚きの声をあげ、他の者が黙っているのに気付いて照れたように唇を歪めた。
「ですから、この事件の真相を考えていただこうと」
 葉山は口の中で何か呟いている。そんな無茶な、と草摩には聞こえた。彼の隣に座る絵音は、その色づいた唇をきゅっと真一文字に引き結んでいる。彼女が今何を考えているのか、草摩にはわからない。
「篠原さんは、参加しては駄目ですからね」
「うん」
 桐生の言葉に、篠原はあっさりと頷く。
「何で?」
 半ば理由を悟りながら、それでも草摩は尋ねた。
「篠原さんには、判定していただかなければならないんです」
 桐生の声が部屋を浸す。それは穏やかでありながら、その場を圧倒していた。
「皆さんの回答が、七条一騎さんのものと同じかどうかを──」
「…………」
 草摩は父の名に唾を呑む。──では、父はやはり……。
「はい、質問です」
 不意に絵音が口を開いた。
「どうぞ、絵音さん」
 ここが教室であるかのように挙手した絵音に、桐生は優しく先を促す。手を降ろした絵音は、草摩が驚くほどに真面目な顔をしていた。
「私がそのクイズに参加する理由は?」
「…………」
 先ほどから少しも変わらなかった桐生の表情が、かすかに揺らいだ。
「ご迷惑でしたか?」
 曖昧な笑みではぐらかそうとする桐生に、絵音は首を振った。
「いいえ。ただ気になっただけです」
「そうですね……」
 桐生は少し考えた。
「その問いに答えることは、貴方にとって大きなヒントになります。クイズが終わってからお答えしましょう」
「……わかりました」
 絵音が寛容に微笑むのを、草摩は横目でちらりと見た。彼女は彼と目をあわさず、ただ真っ直ぐに桐生を見ている。――不意に胸騒ぎがした。
「他に、ご質問はよろしいですか?」
「はい」
 葉山が手を挙げた。
「このクイズに関して、記事にしても構いませんか?」
「葉山さ……!」
 さすがに声をあげた草摩を、桐生はゆるやかに制する。
「どうぞご自由に」
 彼はぽつりと無表情に呟いた。
「わかりました」
 葉山は彼を睨む草摩の方を見ないようにしながら、くいっとグラスを傾ける。
「……僕からも質問がある」
 一瞬部屋に満ちた重苦しい空気をかき混ぜたのは、またしても篠原だった。
「結局、一騎の答えは正解だったのかい?」
 返事を待つことなく、篠原は続けた。
「…………」
 桐生は静かに微笑する。

 ──つまり肯定なのだ、と。その場にいた誰もがそう悟った。

  11

「じゃあ、僕から」
 葉山はぐるりを見渡した。
「といっても僕自身の推理じゃなくて、当時ある新聞の記者をしていた先輩の話なんだけど……」
 葉山がちらりと桐生の様子を伺った。
「どうぞ。何の気遣いも要りませんよ」
 桐生は先を促すように頷く。
「その先輩は……」
 葉山はソファに座り直した。
「桐生慶吾を疑っていた」
「…………」
 絵音は草摩の様子を横目でうかがった。
 草摩は両肘を膝に乗せ、わずかに前かがみになって聞き入っている。その表情からは特に何もうかがうことができない。
 葉山は続けた。
「しかし、桐生慶吾のアリバイは完璧だ。だから」
「共犯者……ですか?」
 絵音が先回りして尋ねる。葉山は気を悪くした様子もなく頷いた。どうやら緊張しているらしく、その動きはかたい。
 草摩はそんな彼に違和感があった。――何故、そんなにも緊張する必要があるのだろう。
「何も盗まなかったのは、十分な謝礼を受け取っていたからだろうし、桐生慶吾の動機も分からないことはない。妻と姑の仲が悪く、どうにも居心地が悪かったのでしょう。どちらにも責められてストレスが溜まっていたのかもしれない」
「…………」
 桐生はその言葉を顔色一つ変えずに聞き、穏やかに聞き返した。
「では、桐生慶吾の死は?」
 自分の父をそう呼ぶ、その異常さが草摩の胸に突き刺さる。
 桐生が自分から言い出したこととはいえ、それでも桐生が傷つくのは嫌だった。だが、彼の様子から本心を伺うことはできない。そのことが草摩の心に少しずつ焦りを生んでいる。桐生が今、何を考えているのか。何を感じているのか。何もわからないことが、どうしようもなく彼を苛立たせていた。
 葉山はそんなことには全く気付かず、己の話に没頭している。
「共犯者にゆすられたんじゃないか……と。それで自殺したんだろう、と先輩は話していた」
「なるほど」
 桐生は穏やかに微笑む。
「で、その共犯者とは? 今までの話には上っていない、全くの第三者でしょうか?」
「先輩は」
 葉山はまっすぐに桐生を見つめた。その視線はまるで、彼を試しているかのようですらある。
「そう考えていたようです。きっと金で雇ったのだろうから、桐生慶吾が死んでしまった以上足がつかなかったのだと」
「ほう」
 桐生は目を細めた。
「では、貴方は――どうお考えなのです?」
「……僕は」
 葉山はごくりと唾を飲む。その音が草摩にまで聞こえた。いつの間にか、誰もが息を殺していたらしい。
 彼の唇が動くのが、妙にゆっくりと感じられた。草摩は目を閉じて、彼の声に集中する。

「その共犯者は、桐生千影だと……、貴方だと、思う」

 ――桐生はその言葉を、笑みを湛えて聞いていた。