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File.2 Whirlwind 3~4

  3

 草摩は篠原から受け取ったCD-Rを注意深くドライブにセットした。
 この家にはデスクトップのパソコンが一台と、桐生の所有するノートパソコンが一台ある。草摩自身のパソコンはないが、デスクトップのパソコンにそれぞれユーザアカウントを設定していて、それぞれパスワードを掛けてあった。
 今まではそんなものなど必要ないと思っていた。パスワードなど他人行儀だし、何より自分は桐生のプライヴァシィを侵すつもりなどない。桐生だって自分の私的なメールや履歴を覗き見たりはしないだろう、と。
 けれど、今はパスワードが掛かっていて良かったと思う。胃の辺りが冷たく、重かった。
 ――桐生は、俺に嘘をつかないと約束した。
 草摩は目を細めた。眉間に力が入る。>
 ――じゃあ、俺は……桐生に……嘘を……。
 読み込みの終わったCDをエクスプローラで開く。フォルダが一つと、テキストファイルが一つ。前者には「data」という名前が付けられ、後者には「read me」と書かれていた。
 草摩は後者をダブルクリックする。一瞬の時間差で、画面にウィンドウが開いた。草摩はそれを読む。

  * * *

 草摩
 
 お前がこれを読んでいるということは、既に私はこの世にないということだ。
 すまなかった。
 お前の保護者は既に私しかないと分かっていながら、私は敢えて危険に足を踏み入れてしまった。
 息子をたった一人遺して成人前に他界してしまうとは……。自分でも良き父親ではなかったと思う。
 こんなところで謝罪するのは卑怯だと分かっているが、それでも書かせて欲しい。すまなかった。
 
 さて、時間もないから本題に入ろう。
 お前は今きっと「桐生千影」という医師と共に暮らしているだろう。それは私が遺言状に書いたことでもあり、本人もそれを了承してくれた。
 彼は母さんの従姉妹の息子にあたるから親戚と言って言えなくはないが、私とは血の繋がりはないし、お前も彼に会ったことはなかったから、きっと驚いたと思う。
 もしかしたら彼から聞いているかもしれないが、私と彼が知り合ったのは親戚だったからではない。実は、それは後から知ったことだ。
 彼は、かつて私が本庁にいた頃担当した事件の遺族だった。経緯はもう一つのフォルダに入っているからここでは省くが、彼はその事件で家族を全て失った。
 勿論私たちは犯人の追求には全力を挙げたが……結局力が及ばず、数年前に迷宮入りとなった。私の担当した事件の中では、唯一の迷宮入りだったと思う。
 
 このCDは、旧友の篠原の助けを借りて作ったものだ。
 彼は当時T大の助手で、この事件の司法解剖を担当した法医学者だ。違法行為だと分かっていながら、彼は全面的に協力してくれた。とても感謝している。
 
 最後に一つだけ書いておこう。
 何故、お前にこのデータを渡すのか。それは、お前に私の推理を再検討して欲しいからだ。
 実は、私にはこの事件の実際のところが分かっていたつもりだ。だが確かめはしなかった。私は私の思う真実を信じて、お前を桐生君に預けることにした。だがそれが正解だったのかは分からない。
 お前ももう成人なのだから、自分のことは自分で決めたいだろう。きっと、これはその助けになる。
 これの全てに目を通したとき、お前がどう思うかは分からない。私の考えは間違っていたと思うかもしれない。
 それならそれでいい。お前の考えに従って行動しなさい。私はどんなことがあってもお前を支持する。
 
    父より

 追伸
 誕生日おめでとう。

  * * *
 
 
「…………」
 草摩は大きく息をついた。いつの間にか息を止めていたらしい。
 もう一度、最初から最後まで読んだ。
 ――誕生日おめでとう。
 その文字が少しだけ滲む。だが、涙は溢れなかった。
 ふう、と再び吐息を零して草摩はテキストファイルを閉じる。
 フォルダをダブルクリックした。中にはPDFファイルが二つ。一つは「警察資料」、もう一つは「法医資料」と名前がつけられている。プロパティを見ると、前者のファイルの製作者は父で、後者は篠原の名になっていた。
 「警察資料」の方をクリックしようとして、一瞬躊躇う。
 時計をちらりと見ると、既に夕食の準備をしなければならない時間だった。
 今日も桐生は出勤している。そう遅くならないだろうとはいっていたが、患者の容態によっては分からない。
 ――読むのは後にしよう。
 そう思い、草摩は空のCD-Rを取り出した。もしものときのためにコピーを取っておくのである。データの破損に備えてのことだが、中身が中身だから、流出した場合の危険性を考えるとハードディスクに保存するのは危険だろう。勿論ウイルス対策ソフトは入れているのだが、万難を排しておきたい。
 パソコンが軋むような音を立てた。データをコピーしているのだ。
 草摩はパソコンラック付属の椅子に深く腰掛けた。背もたれが少し、たわむ。
 
 ――彼は、かつて私が本庁にいた頃担当した事件の遺族だった。
 
 目を閉じる。
 
 ――勿論私たちは犯人の追求には全力を挙げたが……結局力が及ばず、数年前に迷宮入りとなってしまった。
 
 ふと、違和感をおぼえた。
 
 ――実は、私にはこの事件の実際のところが分かっていたつもりだ。
 
 明らかに矛盾している。
「父さんは」
 夕闇の中、電気もつけない部屋の中で草摩は呟く。
「犯人が分かっていながら、逮捕しなかったのか……?」
 カシャン、という音ともにディスクが吐き出される。草摩はそれを丁寧にケースに仕舞い、立ち上がった。
 
 
  4
  
 自動ドアが開き、細身の長身が隙間をすり抜けるようにして姿を現す。桐生だ。
 あたりはすっかり暗くなっているが、深夜ではない。彼にしては珍しく早い帰宅になりそうだ。桐生は駐車場に止めてある車のところに向かい、そこに佇む人影を見てぴたりと足を止めた。――あれは、……。
「すみませんね、しつこくって」
 へら、と笑う。
「…………」
 桐生は眉を寄せた。いつも口元を和ませている笑みが消え、まるで取り付く島もないような冷たい表情に覆われる。
「葉山さん、でしたっけ?」
「覚えていただけて嬉しいですよ」
「人の名前を覚えるのは苦手なんですけどね」
 桐生は眼鏡を軽く押し上げた。
「敢えて覚える場合が二つあります。一つは」
 葉山は壁に寄りかかるようにして立っている。足元にはタバコの吸殻が二三本落ちていた。
「僕にとって大切な人。もう一つは……」
 軽くかかとを鳴らす。珍しく、自分が苛立っているのを自覚した。
「僕が避けたい人」
「僕のことは避けたかったですか」
「当たり前です」
「別に難しいことを頼んでいるわけじゃないでしょう?」
 葉山はあっけらかんと言う。
「迷宮入り事件の遺族である貴方に、手記を書いて欲しいのです。短くて構いません。それが駄目ならインタビューでもいい」
「難しいことじゃない?」
 桐生は眉を上げた。
「貴方のように無神経な人間がジャーナリズムの世界にたくさんいるから、犯罪被害者は浮かばれないのですよ」
「ほほう?」
 葉山はわざとらしくメモを広げた。
 桐生は真っ直ぐに彼を見つめている。葉山は敢えて彼の目を見なかった。見てしまえば、きっと萎縮してしまう。そのことを、既に葉山は知っていた。
「当時も同じでした。まだ中学生だった僕を追い回し、妻と母を一気に失ったばかりの父を糾弾し……、家族内の事情を調べまわって、近所に聞き込んで、その一つ一つをあげつらって、何も知らないコメンテイターたちに好き勝手なことを言わせていた」
 とても静かでいて、同時に冷ややかな声。
 桐生は怒っていない。悲しんでもいない。蔑みは――あるかもしれない。
 だが何よりも彼の言葉を支配しているのは、憎しみだった。
「報道の自由? 知る権利? そんなものはただの言い訳に過ぎない。本当は、ただ面白かっただけでしょう?」
 ――葉山は既にメモを閉じていた。篠原の依頼もあって、桐生や草摩に近づく必要があった。軽薄なジャーナリズムを演じもした。だが……。
「高級住宅街に住む医師の一家が放火され、姑と嫁という関係の二人が謎の死を遂げた。それが、面白かったんだ。まるでミステリ小説でも読むようで」
「……桐生さん」
「その後、父が死んだときも報道は加熱しました。きっとさぞ楽しかったんでしょうね……」
 そこまで言うと、不意に桐生は緊張を解いた。静かに微笑む。
「僕を見張っていたいのなら、もう少しましな方法をとって欲しいのですが」
「え?」
 心臓が跳ね上がった。葉山は聞き返す。
「それはどういう……」
「篠原さんにお伝え下さい」
 桐生は歩みを再会し、葉山の横を通り抜けた。
「僕は草摩君の邪魔をしたりしませんよ……とね」
「…………」
「失礼しますよ」
 桐生は車に乗り込み、エンジンをかけた。葉山は一歩後退する。
 
 ――知っていたのか。
 
 葉山は呆然と桐生の車を見送った。